センゴク 宮下英樹 145番槍
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戦国史上最も失敗し挽回した男 その名は仙石権兵衛秀久
週刊ヤングマガジンで絶賛連載中
・センゴク 全15巻(週刊ヤングマガジン 2004年21号〜2007年45号)
・センゴク 天正記 全15巻(週刊ヤングマガジン 2008年3号〜2012年26号)
・センゴク 一統記 全15巻(週刊ヤングマガジン 2012年31号〜2015年45号)
・センゴク 権兵衛 連載中(週刊ヤングマガジン 2015年50号〜 ) コミックスは1-8巻
・センゴク外伝 桶狭間戦記 全5巻(別冊ヤングマガジン→月刊ヤングマガジン→週刊ヤングマガジン 2007年〜2010年)
センゴク 宮下英樹 144番槍
http://fate.5ch.net/test/read.cgi/comic/1520603296/ >>769
細かいことだが当時は数え年なので39歳。
人間五十年の時代だからじじいに片足を突っ込みかけている年齢ですな。 傾奇者で知られた前田慶次郎も関ヶ原の戦いで奮戦した時は還暦ぐらいだから
アラフォーの鈴鳴り武者だって余裕 >>787
城攻め体験アトラクションとか作って欲しいな >>800
病気がなければむしろ40代はピークだけどね
秀吉はその典型だが他の有名な武将もアラフォーの年代で大活躍 去年秋くらいから2本ほど歯がイカレてかなりの痛みの中生活したけど
ほんと昔の人は治療すらできない中で生きてて凄いと思った
そりゃノブ様も光秀に当たり散らすわ >>725
信濃高遠城も森長可さんがシューティングゲームよろしく「ヒャッハー!」したとこだしな 真田といえば上田時代のゴンの配下に真田の本家筋のやつがいるらしいね
有名なほうの真田は分家で、そのへんを有耶無耶にしてたら出自がよくわからなくなったみたいだ >>809
真田幸隆をからして海野の養子が本来という話もあり、信之以前は国衆みたいなもんだろう 矢澤ももともと佐久衆だしな
砥石城で真田に調略されたが >>803
早雲とかも還暦過ぎてたから国を盗ったしなぁ 他にも尼子とか島津とか龍造寺とか毛利とか元気なジジイが割といるせいで
40くらいで隠居とか言われてもピンとこないなあ >>792
こうやってぶった切ることすら相手して貰えたと&議論に勝ったと勘違いする馬鹿だから触らない方が無難。 >>779
中には歴戦の猛者もいるから油断めされるな。 ニュー速のパンツスレから。よく出来てるけどコピペかなんか?
435 名前:名無しさん@涙目です。(奈良県)[ニダ] :2018/04/05(木) 20:07:12.47 ID:grtXPAi+0
「金ヶ崎の退き口」っていうvs朝倉戦の秀吉の有名な撤退戦知ってるだろ?
ここを突破されたら信長を含めて全軍やられてしまうっていう凄く重要な戦いだった
パンツも一緒 最後の砦として守りを任されてるから緊張感があるし敵は注目せざるをえない
秀吉はただの布からこの戦いで信長のパンツになったと言えよう 桶狭間戦記読み返したら面白くて一気読みしちゃった
センセ自身も書いてるけど知識がありすぎずなさすぎず勢いもありすぎずなさすぎずの時に描いたのが良かったんじゃろうか >>813
医療が未発達な時代は、でかい病気一つしたらそれで人生終了みたいなところあるから
厄年なんてまあ語呂合わせみたいなもんだが、それでも経験知として40前後ぐらいからはそれまでの蓄積もあって危険水域って認識はあった
はやくに子供こさえて育っていれば、さっさと跡目を継がせて隠居して負担の少ない後見人ポジも合理的で悪いもんじゃない
地位に執着していつまでも現役居座ると、今度は相続で揉める火種だし 元就なんかは隠居したくてもできなかった感じだし
でかくなるとなかなか難しいよね あと長命しても、はやくに隠居してでも以降も無駄に元気だったやつも多い
息子が先に逝って現役復帰なんてお気の毒な例もあるし 隆元が生きていたらどうなっていただろうとは思うが、史実でもこれ以上ないくらい領土拡大してたから
if物語としてはあんまり盛り上がらなそう 日本の武家の相続法で特徴的なのは、悔い返しってのがあることなんだよね
当主に何らかの問題があると先代がその権利を剥奪できるという乱暴なルールw
もとは御成敗式目にある条項で武家にとっては伝統的なもので長く慣習的に承認されてきた
実際にこれが行使された例ってのは聞いたことがないが、これがあるから親は安心して子供に権力を委譲できた
隠居しても生ける屍扱いじゃなくて介入権を持った上位構造に移行するようなもんだから
これがない中国もヨーロッパも、権力者は死ぬまで地位にしがみ続けるしかないツラさ >>820
そもそも毛利家の当主になったのが少々遅かったのかな 甥っ子ぶっ殺して家督継いだ例なんか一杯あるしな
野心はあったんやろ >>825
確かにねぇ
元々相続筋でもなかったし、元就の人生もかなりの物語にできる
凄まじいものだよね センセには桶狭間戦記ぐらいのボリュームで色んな武将の列伝を描いていってほしい。 >>824
中国では一応生前譲位の太上皇帝という制度があったけどね >>829
西晋の恵帝とか唐の李淵みたく「生前譲位(強制)」か北斉の武成帝みたく「祭祀めんどくせーから息子に投げるわ」のパターンやな >>830
おじいちゃんより長くやるなんてできないから息子に譲るよ
でも権力は手放さんよ、の乾隆帝も居る >>817
笑いには繋がらなかったがすげえ上手いと思うた
高く評価したい >>822
池波正太郎の『錯乱』だったか、流石の信幸もうんざりして
「93歳にもなって何でこんなことしなきゃならんのだorz」となる。 >>824
ほーんそんなことがあるのか
支配構造としては流動的すぎて威厳がない感じもするけどな >>821
孫の代まで藩経営しなければならなくて、心労のせいで寿命が縮んだ人のことか… 親父と弟のやらかしが当事者みんな先に逝って昔話になるまでは死ぬに死ねないような状況だったんだろうな
あげく孫の代でお家騒動だっけ、そら心労で寿命もちじむってもんだわ 高尾山編はスっ飛ばして、はよ小田原の過去話やってくれや
北条氏政でも氏照でも、誰でもいいけど
そろそろ時期的に、有名な小田原評定タイムでしょ でもネタ的には、ゴンと似たタイプの地黄八幡の人や
知名度的に、北条氏康の話になるのだろうけど >>836
それなかったら天海僧正か泉重千代か、はたまた神武天皇並に生きてたかw 今のダラダラ高野山編は11巻の加筆を裏でやっとるんじゃないかな 秀吉ってなんで家康を関東250万石に転封したんだろうか
小牧長久手は島津のように九州征伐完全勝利での臣従とは違うし
一番警戒してたはずなのに石高倍増での転封は正気の沙汰とは思えないんだよな
豊臣家中に関東全域を治められる人間は秀長ぐらいしか居なかったにしても
一族衆と子飼いで関東を割って入れとけば秀吉死後家康に誰も逆らえないなんて展開にはなってないだろうし
豊臣に従順な常陸の佐竹もいるし東北への備えも問題無いだろうし豊臣家は秀吉の死後即崩れるなんてことはなかったと思うんだけど 家康は秀吉に臣従後は従順だったし一応妹婿でもある
北条の残党を抑えて取り込めるだけの能力もあるし
失政したらしたで潰してしまえばいいと考えたんでは
すんなりうまく治めたのと政情不安な東北に睨み効かせられる蒲生氏郷が若死にして東北の抑えまで家康に任せなきゃいけなくなったから
唐入りに使えなくなったのは誤算だったろうが >>843
京大阪が権力と物流の中心地で、天下を制するなら真っ先に押さえるべき場所、という意識が強い時代だもの。
当時の感覚としては北条領なんて僻地もいいとこやぞ。
戦上手の家康と三河侍をうまいこと栄転に見せかけて天下から遠い僻地に追いやってやる、という心算だったんじゃねーの
経済センスと物流掌握では豊臣家の官僚団が圧倒してるうえ、当時の物流の要である京大阪周辺の港もことごとく押さえてる
家康が三河にいたら津島の港くらいは脅かせそうだけど関東に飛ばされたらそれもできない
農業()で飯食う田舎侍の親玉という名誉くれてやるからそれに甘んじてろ、ってつもりだったんだろ 豊臣政権に従順な蒲生佐竹上杉に囲ませて監視し、日本の中心地である関西まで行く旧領の中山道、東海道には、仙石含む豊臣恩顧の大名を隙間なく敷き詰める。
兵力を動かす大動脈となる東海道で、箱根の険より東側に強敵を追いやり、政治の中心に実力行使できなくする。
この上なく戦略的な左遷だと思うがな。政治的に中央政権ぐらつかせて道中の障害取り除いただけで。秀吉が生きてる時は盤石の封印 >>846
まさか子飼い中の子飼いだった東海道の抑え連中とゴンベが
軒並み家康に付くとは思わなかっただろうなぁ 当時の江戸周辺って、今の東京の半分ぐらいの広さしかないからね。海と湿地ばかりで、江戸城というのも海のそば。今の皇居付近まで湾が入り込んでた。
土地利用も家康入府後、家臣に「お前が馬で一日で走れる範囲屋敷にして良いぞ」って言ったぐらいの、クソ田舎 >>847
全く信用してなかったであろう真田家が一番歯止めになったというのも面白いね。まあ素通りされても間に合わなかったという説も出てきたみたいだけど >>848
船橋市民だが、元湿地帯に無理くり家建てて地盤沈下してる地帯とか未だに在るわw >>846
結局はどんなに盤石の施策をうっても肝心の中央がガタガタになったら意味がないという好例やもしれんね
このケースでは家康が優秀すぎたので多少豊臣家にも同情の余地はあるが ゴンさんの場合、次郎三郎の兄貴にも大恩があるのと
西軍についたら真田よりも先に潰されるという立地条件も…。 利根川の流れもこの頃は江戸川方面に流れこんでて度々大水出るめんどくさい所 >>846
家康にしても三河や駿遠の土着家臣を土地から切り離して官僚化することができたし、北条の下にいた優秀な人材を配下に出来たから決して悪い話じゃなかったよね。 だからこそ秀吉も関東を任せたんじゃないかな。北条亡き後の関東を上手く治められそうな実力者って、豊臣政権だと小一郎さんと犬千代さんの二人以外いなさそうだし。 >>847
五大老筆頭にして自分の死後政治を任せた時点で封じ込め策が破綻してる
権威も権力も兵力も持ってる大大名に対する周りの監視役が役に立つのは
それ以上の権力と権威を持つ存在がいる時だけだから、織田系の重鎮で
豊臣家後見人の利家が死ぬと同時に家康の天下が確定した >>849
東海道で最初に徹底抗戦したのが乗っ取られた織田家の三法師で
攻めたのが最も信頼してた福島正則ってのも皮肉だね 関東八ヶ国といっても常陸には佐竹がいて安房には里見がいて
他にも結城とか宇都宮とかいろいろ…。結城は息子が当主だが。
伊豆も+されたとはいっても八ヶ国にはずいぶん足りない。 >>859
主戦派だった重臣の木造が戦後福島に召抱えられるのも皮肉ですな この漫画は途中からハシバシリーズになってしまってもう軌道修正不可能であることを作者は認めろ 宮下「センゴクとは書いたが仙石と書いた覚えはない!」 連載開始時 →秀吉、家康とかメジャーな戦国大名を書く陳腐な漫画はもうたくさんだ。マイナーな一武将を書くオレカッコイイ!
現在→戸次まで書いたけどゴンベは微妙だな。正直飽きてきた…秀吉色々調べたら…ナニコレオモシロイ! 悪郎「とおし とおし とおし 一発ツモ!」
ハゲネズミ「づが〜ん」
次郎三郎「やぐまん!」
殺し間「トリプルロンありだったな、俺はピンフ三色ドラ一丁」
こうですねわかります。 戦国大名が麻雀打ったらどんな打ち方になるかは雑談ネタとして割りと面白そうではある 信長の性格は秀吉や徳川政権で苛烈なものとされた
だからこそ裏切られ天下取りで最後に破れたと
秀吉は太閤記で庶民的な愛すべきキャラ付けされた
徳川政権下でも人気あった
家康は我慢の人とされた
明治以降の不人気の中でも何で天下取れたかは凄いから粘りの人とされた
実際やっていること見ると信長は身内や部下に甘いから何度も裏切られたあまちゃんで
慎重に事を進めた保守主義者だし
秀吉は残酷、人たらしは事実でも踏み台にして片付ける
家康は慎重でも狸じじいでも何でもない
でも周りからすれば既得権益ひっぺがえした信長は天魔王で横紙破りの暴君だし
それに替わって出てきた秀吉家康は調整重視型に映る、コミュニケーション重視にされる
保守主義者に見える
かえって今の時代はアスペ革命家としての信長像がもてはやされて
長らく一番人気になり
またそれへの反動も出てそこまでではねえやも叫ばれるが
それもまた行き過ぎの面が強い
秀吉は下からつきあがった魅力は説明つかないし
家康はあの中を生き残れた胆力はわけがわからない
実際はどうだったかは本当に難しい >>850
一兵卒よりも政治の中央を描く今の作風だと、
一柳直末や渡辺了も出てこないで山中城編は終わりだろうな 信長は弟殺した身内にも苛酷な残忍な奴だとされてそれが信長のキャラとされたが
あれは弟が悪いと今になればそうわかる
戦国時代では別に殺して当たり前だしむしろ信長は甘い
秀吉は甥は殺すわ主君の子供を片付けていく残酷な奴
そういう野蛮な下剋上を抑え込む儒教支配の徳川の祖は長男殺すわ
秀康始め妙に身内に冷淡なそういう儒教の徳目とは縁遠い奴 元々弟についてたはずなのに何故か織田家の譜代筆頭重臣の代表みたいな扱いの柴田さん 家康は武田、今川、織田に囲まれ全盛期の秀吉にもガチとぶつかりと無理ゲーを潜り抜けてるんだよな
本能寺の明智軍は家康を始末するために用意されてたって話もあるし 家督相続前から一貫して信長に仕えてきたはずなのに、突如追放された逃げ佐久間さん… >>876
信長の筆頭重臣だった森可成さんが戦死しちゃったからねえ >>878
あのまま信長に仕えてたら、信長も本能寺はなかったのかもね >>874
二度謀反を起こした弟の息子を重用したり
のぶおを見捨てなかったり
悪郎様は身内には甘いという印象。 >>883
ここの人間は皆戦国時代から生きてるぞ? 司馬遼太郎は小説家だから見てきたような口ぶりでうそと史実を混ぜて書くのが仕事だろ
ここで歴史語るのとはまた別の話じゃないのかな >>884
うんちく語りと物語を混同しちゃいかんぞ
同じ語りでもあっちは人を楽しませるのが目的やで
こっちのは自分が楽しむのが第一のやつが多い >>885
さすがネット高野山、長命者もおるもんじゃ 見てきたように語れなければネット高野山に入山する資格はない >>858
そうだねえ
それに学んだ徳川は譜代以外を幕府の政治には絶対に関わらせなかった。 そういや映画の「関ヶ原」見たら冒頭が少年時代の司馬遼太郎が
三献茶の舞台となった寺でそこの老人から
「わしがいますわっているここに太閤さんが腰を下ろしていた。
鷹狩の装束をなされておった。その日も夏の盛りでな。
今日のように目に汗のしみ入るような日中やった」
と話され、司馬遼太郎が
「おっちゃん、それ見たん?」と聞いてる場面だったような
たぶんその老人は戦国時代から生きてきたんだな。 >>890
え゛???っていう
江戸時代も中後期以降になると、外様大名も婚姻で親藩化して、オブザーバー的なポジションにしても幕政に関与することが増えていきますよ
そういう積み重ねの結果がないと、黒船来航以降の薩長などの雄藩の政治的ポジションの説明がつかない 結局諸藩の意見無視して勝手に条約締結したから、攘夷祭りですよ
幕府ってほんとバカだねえ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています