ゆうきまさみ総合17【新九郎 弄る!】
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■前スレ
ゆうきまさみ総合16 【でぃす×こみ】
https://fate.5ch.net/test/read.cgi/comic/1503396430/
■作者公式サイト「ゆうきまさみのにげちゃだめかな?」
http://www.yuukimasami.com/
■ゆうきまさみtwitterアカウント
http://twitter.com/masyuuki/
■次スレは>>980がたてること
■>>1の本文一行目に「!extend:on:vvvvv:1000:512」を記入
VIPQ2_EXTDAT: default:vvvvv:1000:512:----: EXT was configured 前半生はかなり判ってきた。
関東に行く前の経歴も補強する史料が出てきたので。
(幕府に仕えていた時代の署名した史料から、どういうポストだったのか推定出来たりとか)
後、駿河への下向とか伊豆へ侵攻した動機も個人的な国盗りの野望とかじゃなくて、
当時の幕府首脳の方針に沿った行動とか言われだした。 新九郎の書評、良いのも悪いのも完結できるのか不安に思ってるところが共通…
話しの進み具合は今のペースで良いのでもっとたくさん描いて欲しい >>629
とはいえ実母に関しては定説になってる伊勢貞親の妹(須磨)ではなく、北条五代記にある「北条氏末裔で今川被官の横井氏の娘(浅茅)」という説の方を採用してる
後に新九郎は横井氏の娘を正室としている(北条氏を名乗るのはその息子の代から)が、作中では彼自身が北条氏の血を引いているという形になっている
後年の今川氏との関わりとか、諱に北条氏の通字である「時」の字が入っていることからあえてそうしたんだろう 俺も俺の完結不安リストが増えたと思ってる
西遊妖猿伝
ヒストリエ
チェーザレ
新九郎←new! 重版出来に三蔵山先生が出ると、ドラマのせいでゆうきセンセに置き換わっていかん。
室町殿と今出川殿は兄弟なので顔は似てるけど性格は真反対で、なのにどちらもめんどくさい性格の人に描かれてるのはさすがだな 正直1巻はあまり面白くなかった
勉強になるな〜としか
ベテラン漫画家でなければ2巻以降気にならず買わないパターン
今後盛り上がりそうな史実イベントはあるの?
>>635
チェーザレは諦めきれないなぁ 「応仁の乱は足利義政が起こした暴力革命でコミンテルンの陰謀で足利家は朝鮮人で共産主義国家とも関わりがあった#江戸時代は反日」
という頭のおかしいツイートのスクショが回ってきたがなんJがどうとかというツイートもしてるので多分釣りだろうな >>626
井原市って何か特徴的な歴史や伝統文化などは無いのかなあ?
ぐぐってもあまり情報が出てこないから、
主人公が生まれ育った土地と言われてもどうもまだイメージが上手くわかないや >>640
備中伊勢氏の城だった高越山城とか菩提寺の法泉寺とか新九郎薬師堂とかゆかりの史跡はのこってる
国土地理院地図で終戦直後の航空地図でみると条里がよりくっきりと残っているので昔の風景の参考になるかも >>641
情報サンクス
でもごめん、自分が知りたかったのは地図じゃなくて地域の神楽とかが知りたかったんだw
つべに動画あるけど、岡山は託宣神楽などの珍しい風習がまだ残ってたりするからね
岡山には理系脳の人が多いと言われるけど、その一方で、お告げや占いを重要視するような
すごく迷信深い部分も残ってたりするから面白いと思う 連投ごめん
ちなみに、井原市の隣りの広島県福山市だと、「備山史探訪の会」という
地元の歴史や史跡をすごく丁寧にまとめた歴史研究会みたいなのがあって
郷土史に関する出版物も充実してるんだけど、
井原市にはそういう郷土史研究会みたいなのは無さそうなんだね
↓これは福山市の四ツ堂だけど、たぶん井原市の街道沿いとかにも、こういった旅人が
休息する為の、お堂のある風景がたくさんあったんじゃないかなと思う
http://www.bes.ne.jp/forum/bingoohrai/akiyama_yumi/091/index.html 間違えた、643は「備陽史探訪の会」です
何度もすみません 井原市文化財センター「古代まほろば館」のサイトに市の文化財や遺跡の情報がある >>646
新九郎、奔(はし)る! だな
>>2が間違ってる >>417でも謝ってるんだから、もう弄ってやるなよ… いや検索すると両方出てくるなあ、と思ったので
でもよく見たら検索されてるのはこのスレだったw 出たっ!!
「 船が七分に、海が三分」
やりたかったんやろな
パロ出身の面目躍如 プライベートライアンな斯波義廉邸攻めもね
武者が「GoGoGo!」とかやってるし、あのページだけ戦争映画風の構図になってるw >>624
たぶんこれから新九郎の人生を振り回す人たちということで良いんかな
左足の三人が姉ちゃんと旦那、子供の今川家
右に行くと細川勝元と政元(目が)
右上は伊勢貞親、不明
左上は義政、義視、不明2
真ん中小さいのが左近次? 左上は竹二雀じゃない?
扇谷定正と思ってた
必然的に隣のどっちかは太田道灌
右上は貞親にも見えるが
隣が盛定(顎髭がある)でも貞藤(全体的に違う)でも無さそうなので
長尾景信かも
真ん中は長尾為景がいいなあ >>622
時代設定になじみがない、かつわかりにくいというのが一番でかいと思う
同じようになじみがなくてもキングダムみたいに、バトル全振りに持って行ければ
もっと人気が出ると思うぞ
ゆうきまさみにそんなマンガは書けないと思うけど 序盤最大の強敵太田道灌すら出てないし
敵であり、新九郎が最も影響を受けたキャラであり、という ↑あ、ごめんバリバリ生きてるね
新九郎の生まれ遅らせたんで真っ向からのライバルって感じじゃないだけか この数年後の今川家の内紛を巡る交渉でやり合うことになるから出るのは確定だろう >>657
表紙の新九郎の右胸辺りの太眉毛って長尾景春なんじゃないかな
P167にそれっぽい眉毛人物がいるんだけど、長尾景信と何となく似てる気がするんだよね特に鼻とか >>658
顔しか視てなかった。。。上杉ですね。
上杉たくさん居るのでまだ誰か分からないけど龍若(顕定)の方の可能性はない?
わざわざ新右衛門さんがメタ発言するくらいだし大きい扱いするかなと
道灌は後ろの目力ありの男とみた
右は垂れ眉毛なのでやっぱり貞親だと思う
息子にもたれ眉遺伝してるし
長尾為景は出たら俺も嬉しいが今そこまで描くかな >>664
167ページ見ました
それっぽいの居ますね ほうれい線かと思ったら新九郎の袖の線か
ならこれは龍若一致ですね
小さい瞳とか眉毛とか輪郭とか 言われてみると確かに龍若が成長した姿に見えてきた…ほうれい線は自分も見間違えてましたわ
あと表紙の顕定(?)の後ろの人もP167にそれらしき人がいるけど、こっちは全然見当がつかないや 話が進めば出てくるんだろうけど関東に行くまで大分かかりそうw
応仁の乱だけでもまだまだあるし 姉ちゃんの嫁入りくらいまでやって荏原編突入かな
父ちゃんは駿河に行ってるのも縁談の取りまとめだろうし 荏原編っていうけども何やんのかしら?
事績殆ど真っ白だからなんでもできる
仮面被って所領周って正義の味方とか 荏原荘(現井原市)にある備中伊勢氏菩提寺の法泉寺に平盛時名で発給された文書が残ってる
時期的には10代後半の頃なので、新九郎が応仁の乱の後半には故郷に戻って父親(盛定)に代わって領地の差配を行っていたとされる根拠になってる 物語的には、小田原北条氏の善政システムの濫觴になるのかも知れない。 新九郎が領主としても有能なのを示す機会にはなるかな
荏原編までに兄ちゃんは退場なのだろうか
今の所若年故の未熟さや頑なさはあっても廃嫡される程無能だったり人格に問題があるようには見えないが でも兄ちゃんはいい人系すぎて義視に殺られそうな予感が
資料不足の人らしいのでいかようにも創作できそうだし 兄ちゃん途中退場なら、替わりに本家に勤めることになって関東や荏原へ行くことにならない気がする なるほど確かに。頑張れ兄ちゃん。どこかでやはり死にそうだけど。
でも備中に何しに行くんか 途中で書き込んでしまった。
備中に行くのは16歳くらい。政治的な理由ではないだろうし
単に実母が貞藤のとこなので居ずらくなるんだろうか。
ただここで、今月出てきた後由緒家のメンバーと絆を深めるとかはあるかも このペースでいくと1巻冒頭のシーンまで辿り着くのに10年くらいか。
アカギに比べれば随分早いな。 https://twitter.com/yougoha/status/1035883645196587008/photo/1
179@擁護派(ギザ歯片目駆逐艦モンペ) @yougoha
「新九郎奔る」、応仁の乱の役者が全員揃った感じですけど、みんなひとかどの人物っぽいデザインをしているなか斯波義敏くんだけ一人すごい駄目そうなオーラ放ってるのにじわじわきますね……
確かに並べてみると猛獣の群れに一匹だけパンダが混ざってるようなw
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) 北条早雲の話だと知らないまま1巻読んでしまったけど、
新九郎はいつものテレスドン目だと思ってたら早雲の肖像画を再現してるのだな。 でぃすこみ一気読みしたけど面白いな
サクッと終わるのも良かった >>683
仕方ないとは思うけど、量的に物足りないよ。
あ〜るみたいにぼちぼちと続きを出してほしい。 絹本淡彩北条早雲像は国の重文指定を受けていて北条氏の菩提寺である早雲寺に所蔵されている
描かれたのは室町時代とされているので、それが正しければ本人存命中か死後まだ容貌を覚えている人が存命していた時期ということになる とはいえこういう昔の肖像画は武士や僧侶はこうあるべきという理想や様式が入っているから本人そのままというわけでもない
近代の西欧の肖像画だって写真に残ってる本人と比べるとだいぶフォトショしてるのも多いし 兄貴が歴史上活躍していなくて史料がほとんどないのは事実だけど、
この時代だと経歴詳しく残ってないけど系図には載っているなんて普通だしな。
早くに病死したのかもしれないし、なんか失敗して田舎に引っ込んで京都の記録から消えたとか、
目立った功績がなく、平凡な役人人生を送っただけかもしれない。
逆に江戸時代の武士じゃないので、跡取り一人だけ仕官してで残りは部屋住みになるわけじゃないので、
兄と並行して仕えた新九郎が実力で兄より出世してもおかしくない。 新九郎が応仁の乱の真っ最中に領地経営にあたっていたことを考えると、その時点では京都で父親の補佐をしていた可能性もありそうだし、
また、新九郎が駿河下向時に跡継ぎだったら、そのまま居ついちゃうってのも不自然なので、
平凡な役人人生を送った説には俺も賛同したい 目立った功績がないとしても公式文書なり手紙なりに名前が残るはずで
それすらないってことはそういうことじゃないかな、と
史料が見つかってないだけという可能性もあるけど 先祖代々の書類とか宝物は嫡男が引き継ぐから出自不明になったのか
子孫が新九郎の系譜を曖昧にしたのか
関東トップの北条としては細かい出自を隠したかったのか 斯波義廉邸攻めのシーンは
「邸の周囲の空堀に入り込んだ攻め手が矢倉から攻撃されないように後方から邸内に矢を浴びせ続け、攻め手は味方の流れ矢に当たらないように盾で防いでいる」
という近代戦で言うところの制圧射撃を描いてるんだな
あのシーンは戦争映画風の構図になってるけど、単純にワーワー攻めてるわけじゃなくちゃんと理にかなった作戦になってるわけでさすがだなと思った
攻め手にとっては空堀が塹壕代わりになってたりもするし https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E5%90%8D%E6%98%AF%E8%B1%8A
あと今回東軍に帰参した宗全の二男も応仁の乱を象徴するような人物でそれなりに活躍した人物ではあるけど、最後に大失敗やらかして追放されて以後消息不明になってるんだな
乱の大立者の息子ですら最後がはっきりしないわけで、貞興もよくわからないのも無理ない 新九郎に義政が「何故、そんなに早く元服しようとする」みたいなこと言っていたけど、あれは義政自身は8歳で元服&将軍就任せざるを得なかったという経験からきてるんだろうなあ 足利将軍家は半ば公家で、他の武家とは違う気がするんだけど。
公家は物心ついたら即元服で、朝廷のこと家芸のこと英才教育で叩き込まれたとか。 >>702
兄の義勝が夭折しなければどこかの大寺院の門跡として気楽な一生送れるはずだったしな 義勝が長生きしてたら、義政が一旦僧籍に入ってから還俗・元服して「政知」として関東に下向して公方になってたかもしれないな
その場合でも結局鎌倉に入れずに堀越公方になってただろうし、応仁の乱も義勝将軍の元でいずれ同じような理由で起きてただろうけど 戦国の世というのは赤松満祐の行動に端を発してる。
義教暗殺の時点で室町幕府はその主体性を事実上失ったも同然だったし。
義教が先に赤松満祐を滅ぼしてたら史実より100年以上早く第六天魔王が降臨して
たかもしれん。
だが、更に遡ると義教は尋常であればそれこそ「大寺院(青蓮院)の門跡」で生涯を
終えていた筈だったし、もっといえば義満が天皇になろうとせず将軍を天皇以上の位
に押し上げる方向性を考えていたのなら、義教に比べたら能力的にカスのような義持
や義嗣を後継者にしようとはしなかっただろう。だから歴史は判らない。 義満が天皇になろうとしたというのは最近は否定されてきてないか?
この漫画は最新研究に基づいて描かれてるからその路線はとらないと思うけど 勝元と千代丸のうすい本が読みだい
年末までにひとつよろしく
貞宗と千代丸でもいいよ 史実ではたぶん、今参局と義政のおねショタだろうけどな ゆうきまさみと言う事で一巻を買ったが、
予備知識の全く無い俺には登場人物が多過ぎの上に呼称が複数あって覚えづらい、だから人物同士の関係性も理解に時間がかかって読むのに通常の漫画の数倍時間がかかった。
みんなはこれをスラスラ読めたのか? >>713
ベストセラーになった「応仁の乱」とか「図説室町幕府」とか「室町幕府将軍列伝」とか参考になる本はいくらでもあるからわからなければそれを読めばいい
個別の人物なら名前でググればwikiなどでだいたいわかる
わからないならわかるように少し時間と頭を使おうよ いやでも室町時代調べると武士はほぼヤクザみたいな連中ばかりでしょっちゅう抗争してるし、庶民は庶民でやたら血の気多くてすぐ殺し合いしてるし、金持ちは強欲だしでむちゃくちゃなんだよな
そういう時代背景知ってるとより面白いよこの漫画 小説でも漫画でも歴史物は調べながら読むのが面白いよね
歴史好きの奴もどんな時代も満遍なく知ってるわけじゃないから改めて調べるのも面白い
最近の研究みたいのも新たな知識になるし >>713
すらすら読めるわけない
それで大丈夫マイフレンド もともとこの時代が好きで予備知識持ってる人でない限りスラスラ読める方が凄い
その上で少しでも興味をもてたなら何度かじっくり読み返したり
同時代を扱ってる物をちょこちょこ読んでみたりして少しずつ理解を深めていけば良し
月間連載ペースで刊行もゆっくりだから話を追いかけるのに焦る必要もないしな 登場人物が大量でわけわからん抗争してるって、仁義なき戦いとか日本のいちばん長い日みたいなもんだ 応仁の乱の新書が売れたことがあれだけ話題になったことが逆説的にこの時代の取っ付きにくさの証明だから予備知識なしで読んでつらいのどうやっても仕方ないかと 信長秀吉モノを読んでると
あの没落貴族のご先祖さまかーとか
そういう線で入っていける >>712
筆おろしの相手とか言われてるけど確証はない 斯波家が織田のボスとか上杉謙信は聡明丸を尊敬していたとか、お姉ちゃん今川義元の祖母ちゃんみたいに戦国武将とつながりを見つければあるいは
歴史とかまったく興味ないとつらいけど >>721
良く知られている信長時代との繋がりが分かるのは良いよね こんなところかな?
伊勢新九郎は言うまでもなく小田原北条氏の祖。後世、北条早雲の名で知られる人物。
その姉(作中での名は伊都)は駿河守護・今川義忠の正室となり、氏親を産む。
今川氏親は今川義元の父。
尾張下四郡守護代・織田信友が、尾張守護・斯波義統を弑殺し、
義統の息子の斯波義銀が信長に助けを求めたことで、
信長が織田一族内での下剋上の大義名分を得たという出来事があったが、
この斯波義統は、伊勢貞親に「ふつつか者」と言われてた斯波義敏の曾孫に当たる。
北条早雲は戦国大名の先駆けと言われるが、他にも同時代に戦国大名家の祖は存在する。
例えば出雲の尼子経久(若き日の毛利元就にとってのラスボス)とかも新九郎と同世代。
斯波義敏のライバル・斯波義廉の下で軍事の才を発揮した朝倉孝景は越前朝倉氏の戦国大名としての祖。
宗全入道の後ろ盾でライバル・畠山政長をいったんは破った畠山義就は、
宗全死後は幕府の認める守護に返り咲くことはなかったが、実力で河内を切り取り大和を影響下においた。
子孫が下剋上にあって没落したため、戦国大名の祖にはなれなかったが。
細川勝元の息子・聡明丸は、新九郎にとって派閥のボスであり、半将軍とまで呼ばれる権力者となる細川政元。
身辺から女性を遠ざけ超能力を習得しようとしたと伝わっており、上杉謙信もその影響を受けたとも。
死後、養子たちの相続権争いで家がgdgdになったところも共通。 江戸時代の上杉氏は本当は長尾氏だけど足利公方執事の山内長尾氏じゃなくてその親戚の越後長尾氏 後は細川氏と畠山氏と斯波氏は家紋も同じ足利氏の親戚で一門扱いされて交代で管領を務める別格の家柄
山名氏は新田一族だけど足利尊氏に従ったので生き残って繁栄したが細川氏ら足利一門よりは下
上杉氏は足利尊氏の母親の実家で関東に下向した鎌倉公方に身内として仕えることになり、長尾氏はその上杉家の筆頭家臣として仕えた一族
というのもわかってるとあの複雑な関係が少し整理できる
忠臣蔵で有名な吉良氏は足利氏が絶えたら将軍位を継ぐと言われるくらい家格の高い身内だったけど、他の一門に比べると守護大名にもならずぱっとしないまま戦国と江戸時代を過ごした
後に新九郎の姉ちゃんが嫁ぐ今川氏はその吉良氏の分家だったけど、こっちはガンガン勢力を伸ばして戦国時代には海道一の弓取りと呼ばれるまでになった >>727
細かいことだけど、
山名氏は新田氏の分家とは言え、初代義範が足利2代義兼と(いとこ同士で)仲が良く、
源頼朝の命令で新田本家の惣領権から独立してた(新田氏弱体化政策)ので、
鎌倉時代からすでに足利の一門に準じる存在だった。 作中世界は、京都に幕府があって、足利氏が将軍だった
幕府が興ったころは南北朝時代で離合集散が常だったので
各地に半独立的な大名が残り、幕府の力は弱かった
歴代の将軍は幕府の力を強めようと大名政策をしてきたが
作中の将軍の父親が失敗して殺され、幕府の権威はおちた
関東が不穏だったので
関東の抑えとして鎌倉府を置いたが、鎌倉府自体が潜在的な反幕勢力だった
くらいの知識がないと辛いかなあ 既出だと思うけど
上も下も喧嘩っぱやくて「力で問題解決」に違和感抱かなかった時代だからなあ
分かりにくいのは
足利家の後継者争い
畠山家の後継者争い、斯波家の後継者争い
細川と山名との派閥争い(下に引きずられた?)
全部独立しているとも、連動しているとも言えるからかも 関東への抑えとしてさらに甲斐に武田家、駿河に今川家が配置されていた、というのも記憶しておいたほうが良いかな
武田家は例の楯無が伝わるくらいの源氏の名門だったからこの位置に置かれた ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています