センゴク 宮下英樹 138番槍
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戦国史上最も失敗し、挽回した男 その名は仙石権兵衛秀久 週刊ヤングマガジンで絶賛連載中
・センゴク 全15巻(週刊ヤングマガジン 2004年21号〜2007年45号)
・センゴク 天正記 全15巻(週刊ヤングマガジン 2008年3号〜2012年26号)
・センゴク 一統記 全15巻(週刊ヤングマガジン 2012年31号〜2015年45号)
・センゴク 権兵衛 連載中(週刊ヤングマガジン 2015年50号〜 ) コミックスは1-8巻
・センゴク外伝 桶狭間戦記 全5巻(別冊ヤングマガジン→月刊ヤングマガジン→週刊ヤングマガジン 2007年〜2010年)
前スレ
センゴク 宮下英樹 137番槍
https://fate.5ch.net/test/read.cgi/comic/1511764252/ >>181
北のやばい大国といえばロシアだしな。
ということは北の暴れん坊の若い君主のモデルはやはり… 最近作画が荒れてるのは演出?戦闘シーンとか誰が何やってるのか分かり辛い プーチンは次期大統領の座も狙っているようだが
その場合はツルフサの法則は守られたことになるのか? プーチン謙信はあんなんやけど、なんだかんだでしっかり人間のできる範囲での戦やったんやけどね
弾が当たらないみたいなのはまあ回想シーンであったけど、度胸座ってるぐらいの描写やしさ 「仏に逢うては仏を殺せ、親に逢うては親を殺せ、さらば解脱が得られん」
を文字通りに解してそうな謙信 伊達政宗、北条氏、真田兄弟、のキャラデザインが気になるな。あと、家康と秀吉のやりとりは見たいわ。 そこの細目で思ったけど細目の人って温厚そうなイメージがあるな センゴクが小倉城まで逃げて、クロカンらに助力を頼んだが冷たくあしらわれた部分もカット、か 政権中枢に外様の大名据えるのってやっぱり無理があるのかねぇ >>155
そういう利権世襲体制は豊臣家、いや織田家においてすら認められないから、
どんなに功績があり先祖代々仕えていても、本人がロートルになってしまったら追放される。
親が○○だから子供も○○をやらせようなんて発想がそもそも間違いなんだよ。 >>199
徳川にとっては井伊は外様だけど幕末まで中枢で頑張ってくれたぞ 井伊は関が原以前に家来だから譜代では
真田あたりは徳川の寄騎になったとはいえ外様だろうけど >>200
まあ、だからこそ織田も豊臣も一代限りになったんだろうな
人は子孫の安泰を求めるものであり
正しいかどうかなんで関係ないのだ >>203
これに尽きるわなあ。
自分の息子は盛り立てろ、でも家臣は実力制。
なんて誰もついてくるわけない。
今で言うなら年金というか社会保障制度がなければ、安心して引退できなくなる。秀吉はあれこれ功臣の領地をいじりすぎた >>202
真田は譜代待遇の外様という微妙なポジションだったらしい
家康の養女(小松姫)が嫁入りしている事とか
8代藩主が松平定信の息子だからだと言われている >>203
その結果江戸時代なんてものができてしまったけどな
一握りの人間が利権を独占して世襲するだけ、新しい事には何もチャレンジせずに利権を守る事しか考えない
下の人間はどんなに優秀でも死ぬまで這い上がれない。
後は国家全体が地盤沈下していく、今の日本みたいにね。 日本の歴史上、大した内乱もなく二百五十年も同じ体制が続いて経済的に拡大が続いた時期が他にあるのかね?
「戦後復興の人たちの方がダイナミズムがあって現代より幸せ」とか、平気で言っちやいそうだな >>204
這い上がりたい人間はごまんといるから問題ない
今の地位の保全だけ考えている人間は切って、野心と能力にあふれる人間に与えればいい。
後継者にその器がなければ領土を返還するというのもわりとあった話。
森家では弟には継がせず、領地は他の奴にやってくれと遺言していたし、
加藤家でも息子がまだ幼いからといって領地は返上した。
秀吉は秀頼に領土は残したが、公儀としての権力は残さず、大老と奉行の合議へと変更させた。 >>206
おそらく豊臣の世が続いてたとしても
同じような時代になってたと思うよ
永遠に戦乱が続くような世なら別だけどね >>208
そうして這い上がった人間は自らの地位を脅かす野心と能力に溢れた
若い人材を芽が出る前に潰すようになるから同じだよ >>207
経済的な拡大なんて起こってないから、拡大していたのはせいぜい100年、下手するともっと短い、
150〜200年は何もおこらずむしろ衰退する一方だった。
その間世界はどんどん進歩していったのににね。幕末でも戦国時代の軍制に火縄銃ですよ。ライフリングされた銃と散兵の時代にね。 >>208
その帰結として最大の実力者である家康が政権のトップに立ち、器のない秀頼は過大な直轄領と蔵入地、大阪城を取り上げられそうになって拒絶したんだから、あなたのいう理論だと秀吉が江戸時代の到来を望んだということになる。
それにただのネオリベラリズムが、どんな社会を生むかはこの20年の日本の停滞を見れば分かると思うんだがなあ まあ、本当に衰退する一方だったら
開国した途端に一瞬で新技術に適応なんか
出来ないはずなんだけどね 産業革命で農業や労働者の子供を炭鉱に潜りませてたくさん死なせてたヨーロッパと、開国後に訪れた外国人がびっくりするほどの識字率があった日本、どっちが文化的だったかというとねえ 鎖国せずに外国からの文化技術を入れてればもっと日本は〜ってよく聞くけど、他国と仲良くなれば戦争に巻き込まれる事もあれば、あそこの国は銀めっちゃ出るぞと侵略されてたかもしれない
キリスト教がもっと広まって植民地にされてたかもしれない
結局一長一短でしかない >>209
その場合海外と戦争する時代になるだろうからそれはない。
>>210
ならないよ、なぜならそういう人間は自分が一番優れており自分の地位を脅かす人間が存在するなんてはなから思ってないから
ワンマン社長は死ぬまで傲慢なままであり、良くも悪くも他人を見下しているからね。
そういうことするのはたいがい無能な世襲人間。こういう人間は劣等感の塊なので他人の足を引っ張る事しか考えない 江戸時代が役目を全うした後に幕末から明治維新って物語としても出来すぎてて面白いけどね あと日本独自の文化が太平の250年で熟成されて多種多様に根付いたって点も忘れてはいけない、というかこれを一番忘れていけない >>216
明治維新から昭和初期はそうやって海外へ戦線を広げていって100年足持たずに自壊したけどな。 >>218
海外の日本のいいイメージ(特に文化)って、江戸時代なんだよねえ 江戸時代は明治政府、司馬史観、マルクス史観と色んな勢力から過小評価されている印象 >>212
家康が簒奪したのはかまわない、秀頼が無能だっただけだ、だが家康が世襲したのがいかんというんだよ。
>>214
その結果今でも白人は世界の多くを占領している、新大陸ロシアオーストラリアをはじめね。
そもそも江戸時代の識字率なんて二割もねーよ >>216
出世志向の強い人間は得てして劣等感も強いものだよ
劣等感が強いから他人より上に行きたがるんだ
それに本当に自分に取って代わる者など居ないと思い込んでる奴が居るとしたら
それは英雄ではなくただのバカだ 詳しい記録は残ってないからあれだけど
幕末時の日本の識字率が7.8割と言われてるが
江戸だとほぼ100%の子が就学してるし
よく調べもしないでペラペラ喋るなよ >>215
むしろ侵略すりゃいいじゃん。中国でもシベリアでも東南アジアでも新大陸でもいい
資源と領地を拡大しておいて損はない。
>>219
江戸時代という負の時代があったからな、世界のほとんどが白人に占領されるというほぼ詰んだ状態からスタート
大航海時代から始めとけばよかったんだよ。 どこかで見たような物言いだと思ったら
いつもの徳川アンチか >>222
江戸独自、大坂独自と言うのなら分かるが
日本独自なんてナショナリティはそれこそ明治以降の産物でしょ
国学がどうのという反論もあるだろうけど その多種多様な物こそが合わせて日本文化で良いと思うんだかなぁ
主要都市で流行死根付いた文化しか認められないってのもおかしな話 >>226
学制が行われてみな学校に行かされるようになった明治20年ですら
識字率は男児五割、女子三割だ
なおこれは自分の名前を自著できるかどうかというかなりレベルの低い条件でだぞ。
江戸時代は八割の識字率があったとかはただの日本マンせーホルホルのウソ話 20年ごとに関ヶ原級の政権交代戦争やってたら、すぐにヨーロッパにつけ込まれて今頃アフリカみたいな無政府国家になるよwww
生産活動に従事しない戦力としての武士階級を、官僚に転用して領地経営に専念させることで、新田開発など経済を拡大させたのが江戸時代の正体。
米本位制が時代にそぐわなくなり、限界が出て明治維新につながったというだけ。
各藩とも江戸初期に比べると実質の石高は倍ぐらいに膨らんでる。その財源を倒幕にも使ってる。
戦争が強いから豊かな国になるというのは北朝鮮並みの幻想www >>223
主義主張を別にして全ての立場の人間が江戸時代だけはダメと一致しているだけ ゴローニンやシュリーマンは著書の中で「全ての日本人は読み書きができた」と述べてる
朝鮮通信使の申叔舟や捕鯨船員のアメリカ人マクドナルドも同じことを言ってる
井原西鶴の『西鶴織留』には「今時は物かかぬといふ男はなく」と書かれてる
お前の妄想より信憑性が高い、はい論破 >>213
そうそう。江戸時代という準備期間があったから明治維新があったと思うわ。 まぁ紙が一般人に普及してお上が勉強しても良いよ態度だとそりゃ高くなる >>224
そのでんでいえば秀忠が有能だったってことだろ。
信長も秀吉も別に俺の後は好きにしろくれてやる、と宣言して消えたわけじゃないし。
家康が何言おうがどうしようが奪いたい奴はその場で動けばよかったんだ。
結局のところ徳川の作り出した体制のビジョンを越えるには260年の時間と
外圧というファクターが必要だった、そういうことでしかねーと思うよ。 >>230
江戸大坂出したのはあくまで「海外から評価云々」の例として出しただけで
都市文化以外は文化じゃないなんて自分は思ってないが
ただ事実として都市文化以外はろくに注目されず
藩別の地方文化は因襲だ悪しき風習なんだいわれて廃絶したものが多すぎて、文化保護の対象にもなってない
世界遺産だなんだで注目浴びればワンチャンあるが
あと識字率や就学の話も調査対象は都市部だったから地方は事情が違う >>232
>すぐにヨーロッパにつけ込まれて今頃アフリカみたいな無政府国家になるよwww
むしろフィリピンあたりでも征服してやればいいんだよ。
>官僚に転用して領地経営に専念させることで、新田開発など経済を拡大させたのが
そんなこと起こってませんから、武士は俸禄もらって暮らしているだけ領地経営なんてしてない
武士の領地を全部没収して大名のものにして、武士は大名から俸禄をもらって暮らすようになってんだよ。
旗本八万機なんてものはみなそういう連中
ちなみに天領の石高は江戸初期からずっと変わっていない。むしろ文久三年の調査だとかなり減っている。
>戦争が強いから豊かな国になるというのは北朝鮮並みの幻想www
戦争が強いなら豊かな国になるよ、北朝鮮は戦争に弱いから弱い国なだけの話。
鎖国をして利権世襲政治である北朝鮮は江戸時代にもっとも近いと言える >>225
成功者というのは自分が常に成功すると思い続けるもんだよ。
だからたまに信長みたいに足元救われる奴もいるってだけの話
>>234
調査したわけでもなんでもない外国人のたわごとと、明治政府の全国調査ならみな後者を信じるぞ。 江戸時代でも本当に優秀な人はちゃんと這いあがっている
身分制度も養子になったりと抜け道は色々あった >>240
だってそんな事実はないからな。
旗本は基本的に何もしません。役職は非常に限られており、そもそも仕事すらほとんどなく、
草鞋取りとかそんな御大層な仕事にすら、滅多にありつけない時代。
ほとんど全員自宅警備員やっていた
官僚やっていたとかw少しは想像ではなくて調べてから書けよ。 石谷家文書まとめた本読んでたら
戸次直後に元親が戦死した石谷頼辰の息子に弔意を示した書状が載ってた
こんな時でも責任果たさなきゃならないのは辛い 別にええんやけど、晩年の秀吉本人は豊臣を核にした体制維持しようと必死だったよな。箱根以東に家康押し込んで通り道を腹心で固めたり、役にも立たない誓紙大量にとったり。一人一人に頼み込んだり。
幼児のうちから元服させて官位も与えてる。我が子可愛さの究極形 >>239
そこで問題になるのが「征服してどうするつもりなのか」なんだよ。
「土地」が欲しいのか、「人」が欲しいのか、あるいは「金(鉱山)」が欲しいのか。
で、西洋の海外伸張の方針明確に「金銀」であり、あるいはそれを産み出せるプラントで、
それは重商主義という政治指針に支えられての戦略だった。
日本の海外進出がなかったのはそもそもの政治指針が違うという点が大きいだろう。 >>247
言っちゃなんだけどそういう事やってる方が秀吉らしいと思うw >>246
元親が他家に出した戸次川合戦についての書状にも
信親と石谷頼辰両名を失ったのが何よりつらいってあるね >>246
報酬の分配と人事(家臣の家督相続含む)は君主の最大の仕事だからねえ。戦後は特に。鎌倉以来のルールで、その調整ができないとなれば見限られても文句は言えない。
社長が放心してたら会社が潰れかねない。作中の元親なら冷静にこなしそうだが現実はどうだったか。
今年の大河でも、当主を失った井伊家の奥方か誰かが、代行で感状書いてる場面があったはず。転職時の履歴書にもなるし 江戸時代の旗本御家人とはいざという時戦う軍人なわけで、官僚仕事なんてしないのです。
そもそも仕事なんてろくにないので、ワークシェア
>>244
自分の子供に継がせたいのが人情なんでしょ?なんでわざわざ他家から養子とるんだよw
江戸時代で世襲をろくにしなかったのは後藤庄三郎一族くらいのもんだ
低い身分のものが出世すると高い身分の人間は困るから足引っ張られるんだよ田沼のようにな
だって地位ぬかされたら今の官僚みたいに使いにくいからって退職する時代だからな。 >>244
勝海舟とか榎本武揚は先祖は武士ちゃうし、大岡忠相は武士だけど旗本から大名にまでなった。 >>247
秀吉がねねに送った私的な手紙では、別に子供欲しくなかったとか書かれており、茶々の解任には業腹だが、
つまり立腹していることが書かれている、そういう内心を隠していろいろ手を尽くしたのは、
自分が死んだあと内乱になったら困るから
家康にしても関東を褒美として与えたただそれだけ、封じ込め?そんなのするくらいならそもそも家康を改易にしてしまえばいいだけ。 まあほっといたらええんちゃうかな。
東大史料編纂所とかがまとめてる藩の公式文書を1つ2つ通して読むだけで、いかに武士階級が単なる戦争屋から官僚に変わっていったか、藩勢拡大のために産業政策に力を入れてたかはすぐ分かるんだけどね。 >>196
最後の敗走カットまでにそんなこともあったのか
センゴクだと官兵衛も堀久と一緒で親しき仲にも礼儀あり
お前の失態には連座したくないというスタイルになるのかな
大河主役の時は三成のせいで官兵衛かなりフルボッコだったからあの時も戸次川出てきてたら三成の陰謀で官兵衛のせいにされそうだが、
センゴクでは両者良好関係のままだから官兵衛が責められることはまずあるまいw >>255
なら、天領の石高推移調べてみたらどうだw
大名を改易にして天領にした以外のケースではほぼ増えていないのが天領
その証拠に改易をあまりやらなくなった1700年からは天領の石高に変動はない。
1700年400万石→1863年407万石
武士から自宅警備員にかわったというのが正しいのであって、官僚になり領地経営に専念して国土開発したとかでたらめにもほどがある
印旛沼の開拓にすら何度も失敗しているってのに。 スレ伸びてると思ったらスレチじゃねーかよ、他所でやれや。 こういっちゃなんだが専念しなかったらもっと下がってたと思うで。
天領は元々実入りがいい、つまり開発されてたとこなんだから石高はちょっとやそっとじゃ大きく変動はせんやろ。 石高って米のみならず、今でいうGDPみたいなもんよね?
163年で成長率1.02%は草 ほとんどの藩は表高は初期と変わらない。なぜなら正直に申告すると幕府に賦役で搾取されたり、格式が上がって参勤交代とかの経費が高くつくから。
時折藩主の見栄で石高上げて、地元から猛反発食らったりする。 仙台藩で実高は1・5倍の100万石超、長州に至っては倍ぐらいになってたと言われてる >>261
今で言えば資産登記だよ。
増えない方が都合がいいのだ。 家名 大名類別 表高 内高
前田家 外様大名 103 万石 134 万石
伊達家 外様大名 62 万石 102 万石
毛利家 外様大名 37 万石 98 万石
尾張徳川家 御三家 62 万石 91 万石
鍋島家 外様大名 36 万石 89 万石
島津家 外様大名 73 万石 87 万石
細川家 外様大名 54 万石 79 万石
紀州徳川家 御三家 56 万石 62 万石
黒田家 外様大名 47 万石 57 万石
山内家 外様大名 20 万石 50 万石
ここまで有力諸侯
仙石家 願譜代 3 万石 3 万石
我らのセンゴク家の末裔 引田で大敗喫して、四国攻略は最終的には物量で押しつぶしたから、ごんべの功績とも言えんのよね。
方面軍司令官として限界は見えてたわけで、さらに強大な九州攻めの先遣隊責任者に指名した秀吉も任命責任があると言うか、情に流されてる感じはある。
クロカンは案外、ほら見たことかと突き放してたんじゃないんかな?
「俺に任せれば下手打ってないのに」みたく 前田家って良く領土も減らされず250年間も生き延びたな >>267
島津は琉球分抜かすと表高で20万石分、内で9万ぐらいは落ちる >>270
なるほど。でも幕末期までにめちゃくちゃ金溜め込んでる印象があるなあ。流石に遠すぎて幕府も手が出せなかったか 幕末の時って長州も薩摩も借金だらけだったけど
家臣で有能奴が居て一気に建て直したとかなんとか聞いたな 有能というか
利息なし250年分割払いに支払い変更な、嫌なら俺を殺すなりなんなりしてええよ
という質が悪すぎる恫喝でなんとかした 後ろにピョンピョン跳ねる血の気の多い若衆がいたんやろうなあ 薩英戦争の賠償金の支払いを幕府に押し付けたりもした 年増の正妻との間にできなかった子どもが、なぜかピチピチの愛人との間にできた
怖い正妻に「いや〜、わしお前が一番だし、子どもなんていらんと思ってたんだが、愛人が孕んじゃった。そんなつもりなかったのに不本意だわ〜茶々はけしからん」
北政所「…心にもないこと言いなさんな。めでたいことじゃねーけ」
「お前様がそう言うてくれると助かるわあ」 >>276
しなくていい気遣いだよなw
天下人になっても北政所は特別か。天下人になっても名古屋弁で夫婦喧嘩してたと言うしな。 寧々って豊臣存続には全く興味なかったんかな?
茶々に政治的なところで負けたからってのもありそうやけど、創作物やとそういうのないよなあ 戸次川最後のゴンベエの本陣突撃
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同士討ちを避けるために追撃が緩む
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その隙に逃走
↓
家久から義弘に伝聞して島津の退きの口の着想に繋がったりして 島津のアレは旗隠して家康本隊とすれ違ったって話らしいからなぁ… ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています