【モーニング】山田芳裕 『ヘうげもの』 最期之席
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お英さんとの間に生まれた織部の息子は希典と名付けられ乃木村に養子に出される
乃木希典の家祖も乃木希典になってしまうベタ 宗箇は即身成仏しようとしてもできず土から出てきて、織部探しの旅に岩佐又兵衛と共に琉球まで旅する 家康「茶坊主」を「軽蔑の言葉にした」ことで、自分の勝利とする
最期まで、鯛の天ぷらを欲する
差出人不明の手紙は織部からの手紙? >>3
以前のスレにも、そういう書き込みがあったが、関係者によるバレだったのか? 琉球王に聞いても織部のことについては知らないという 織部は琉球からさらに南方に渡ったらしい
昔いたという数寄老人の旧居には、豚の蚊遣りが器が残っていて、
宗箇はへうげもの織部の跡と気づいたもよう
そこで終わり 蚊遣豚が本当に織部の考案になるものなのかどうかは ?? 薩摩に残る謎の数体の墓については島津家から口止めされていて
秀頼のものかどうか薩摩藩士も知らないという 今月の家庭画報に上田家の正月迎えの特集が掲載されてる。 >>8
打ち首にはなっていない。巧く誤魔化せて不問になった >>8
松平定信のときに、小堀家は田沼派として粛清され改易になる。旗本に転落した。 >>20
ワッチョイ荒らしのクズの分際で最後まで荒らすな
出て行けよ >>20
ワッチョイ畜生が何様のつもり?運営スタッフの犯罪ビジネスのバイト >>20
いいから死ねよ
お前みたいなのが数寄を殺す >>20
おいさっさと死ね!生きる価値のない犯罪組織のパシリ! http://www.asahi.com/and_M/interest/SDI2014073120931.html
>北窯のお手本となった「読谷山窯(よみたんざんがま)」は、松田さんの師匠、大嶺實清(おおみねじっせい)さんら4人の陶芸家が80年に築いた共同窯だ。 >>26
麻薬、売春、IP個人情報売買といった組織犯罪に関わってる2ちゃん運営に飼われてるワッチョイ畜生のチンピラ >>34
何度か浅野家の人間が上田家に入って家督と家元を継いでるから、事実上広島浅野家の御家流になったしね。 >>35
古代日本では輸入したお茶に塩を入れて飲んでいたそうで 当時国外からどのような手段・経路で日本に手紙を送れたのか? >>1
>25服が発売されたら懐かし漫画板 https://medaka.5ch.net/rcomic/ に国替えされよ。
「単行本が完結していない作品」は、未だここにスレッドでいい >>40
飛脚は意外に役立つものよ
大戦中も日本軍占領地域と中国側とで普通に郵便が届いてた 織部流は姻戚中川家のところで一族が生き延びた豊後岡でのみ存続か? >>39
即身仏は出羽の湯殿山がほとんどで、お偉い坊さんはなりません。 >>45
即身成仏なら何百人もやってるけどな
水間観音や目黒円融寺の蓮華往生が有名 残念(有名な)お春のじゃがたら文は出来過ぎていて偽書だったというのが定説
オランダ船、中国船経由の手紙は長崎までだったはず
長崎奉行によって差し止め、没収、検閲されずに日本の飛脚に託せたとなると、密貿易の薩摩藩の協力なしではできなかったろう
織部の手紙が家康に届いたとすれば、薩摩経由だったろう >>49
長崎にはよくカラの船が入ってたんだよね
途中で捕まって坊津で荷物を下ろされてた >>50
中国系人の船なら、中国以外から来ても、長崎入港が許されていたそうです。
しかし、機会があれば織部さんはまず景とく鎮に行ったかと思いますね。 1615年2月3日右近は船旅が辛くマニラに到着して約1か月で死んだので、
1615年7月6日死んだ織部が生きて国外脱出したとしても右近に合流はできなかったはず 右近を追ったとしても、切腹したとされる日より前に亡くなってるし…
と書こうと思ったら、詳細まで書いてくれていた 俺は
「本当は、国外脱出する予定だったのは織部で、右近は加賀前田家に居て徳川をけん制する役割を果たしたかった」
と仮説(妄想)してる フィリピンに行っても「ルソンの壺」とは関係ないから 小西行長や高山右近や大久保長安や伊達政宗ではなく
本当は利休ー古田織部こそが最大のスペインのエージェントではなかったのか?
茶碗を十字に断ち切って漆で再接着したのはキリシタンのメタファーぽい >>58
真田丸に出てきた呂宋助左衛門は一話しかでてこないはずなのに
無駄に頼りがいありそうな強烈な雰囲気あって笑う あの頃のルソンを舞台に何か作れそうだな
メキシコ領カリフォルニアの怪傑ゾロみたいに >>59
元々その役で大河に出てた人だからね。
三谷の遊び心。 >>998
>ばあちゃんが言ってたけど、戦後は戦傷こじきが結構道端におった言うて
俺の幼稚園ぐらいの頃はかろうじてまだいた
すげーショックだったから覚えてる 作者と同世代だが、親に連れられて上野動物園にカンカンとランラン見に行った時には傷痍軍人の物乞いが沢山いた
パンダよりそっちの方が強烈に印象に残ってる 昔は上野の公園の階段に絵描きの人がズラズラ並んでたなー 48のワシも幼少の砌に上野公園で戦傷コジキ見た記憶あるぞ。
小二頃じゃったかのう。白い軍装みたいの着たおっちゃんが地面に座して
横で別のおっちゃんがアコーディオンかき鳴らしてたわ。 〉白い軍装みたいの着たおっちゃん
49だが俺も記憶ある
某お寺の階段脇で軍歌の入ったカセットテープをかけてた
片腕と片足がなかったな >>60
メキシコ領カリフォルニアに
物語になるほど大勢のスペイン系白人がいたのだろうか?
カリフォルニオといわれてたけれど、アメリカに併合されてからは、
押しかけてきたアングロに財産を奪われ、駆逐、同化された(今も多い混血系のメキシコ移民とは別)
フィリピンもスペイン系白人の数は少なかった。 >>66
軍人恩給がもらえるので物乞いする必要はない 〉軍人恩給
赤紙で引っぱられたりしたら勤続年数も微々たるものだし階級も低いしで恩給程度では
到底生活できないよ >>71
Google先生に聞くと、在職6年以下は今の相場で言うと年56万支給だそうな それ普通恩給だろ、傷痍軍人の場合はそこに増加恩給なり一時金として傷病賜金なりが追加で支給される その加算があっても高級将校でないかぎり物乞いしないと生きていけないレベルってことでは 戦国時代では跡継ぎが成人しないうちにリタイヤする羽目になったら、悲惨
余程の良い殿様でないと放逐された 重度障害のある様な傷痍軍人なら国立療養所で最低限の生活は面倒みてくれたのだよ
恩給制度が廃止されてたGHQ占領下を除けば戦傷乞食やってたのなんて偽物でなけりゃ
療養所暮らしの傷痍軍人の小遣い稼ぎか恩給の対象外になった朝鮮半島出身者の元軍人 君が何十年後かに生まれていたら、2010年代にホームレスや貧困家庭があったなんてデマだよだって生活保護法があったから、とドヤ顔してそう 多少マシと言えるのは戦没兵士の寡婦ぐらいでしょ。普通に病気や空襲で旦那失くした未亡人に比べはるかに恵まれてた。もちろん働きながら子育てしたわけだけど。
へたに生き残って働けなくなった傷痍軍人とかは悲惨。終戦直後は財政的な余裕もないし、退役軍人大量にいてまともなケアはされてなかった。そういう要因がなくなった高度経済成長以降の物乞いは怪しいが。
江戸時代まで生き残った藩の家臣は障害残っても名誉の怪我自慢できたけど、負けて廃業したりすれば悲惨だったろうなあ。 >>78
現実を知らんのか、日本絶対正しい病に汚染されてる人なのか、まあその両方だろうな。 >>81
でも>>78のスレみたいな発想の人はまれに良くいるよ >>82
いよいよ日本も劣化してきたのかもな。
水木しげるの劇画ヒットラーで、第一次大戦に負けた後、社会の悪や生活の不満を全部ユダヤ人のせいにする若者が増えていた、みたいな描写があって、その時と似ているような気がするわ。 水木しげるを反戦左翼作家扱いするバカも出てきたしな。日本軍があんなに酷いはずないと。実際の出征で絵描きとして大事な左腕を失くした人より、ネットの流言飛語やぬくぬくと暮らしてきた自分の妄想の方が正しいと思い込んでるらしい。 >>84
水木しげるはラバウル放浪記とそういん玉砕せよを買って読んだなあ
劇画ヒットらーは市民図書館で読んだ
あれは右翼とか左翼とかじゃなくて、びっくりする位正直に書いてるだけだと思う >>81
すまん、>>78の何が「日本絶対正しい病」なのかわからんのでよければ教えてもらえないだろうか 感じたままに描いているって水木御大は語ってるね
鬼太郎のベトナム戦記とか単にアメリカは悪でベトナムは正義だと思ってたそうだし
周囲の情報というかマスコミの論調に流されてたっぽい >>86
>>77は現実を知らないのか、日本絶対正しい病だから日本政府が戦傷軍人にすら充分補償を
行わなかったことを認められないのか、どっちなんだろうっていう意味です。 >>89
…つまり本当は>>77にレスするつもりで誤って>>78にレスしちゃったってこと?
たしかにこれなら意味は通るしわかりやすい
教えてくれてありがとう >>91
いや、>>78の>>77についてのコメントに対してレスしてるので、誤って書いたわけではないよ。 大谷義継はよく御役御免にならなかったな(運がよくても隠居させられてるだろう)
本当はハンセン氏病とは別の病気だったのか(実際のハンセン氏病の菌は伝染力が弱いことがわかってるが)) 最終回読んだけど、生きてたルートだとすると家康の介錯寸止めして腹の手当てしたってこと?織部ジジイなのにすごい生命力だな 予め胃腸の内容物全部出したから感染症にならずに済んだのかもしれない。 胃の病に侵されていた家康が「鯛のテンプラのニンニクがけ」を所望するって、三成の「干し柿は痰の毒ぞ」の反語みたいな感じで面白い 家康は世を脅かす大敵を滅ぼし、完全に独り立ちした秀忠もいる。余生は好きにさせろという心境じゃないかな。三成は無念があるわけだし ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています