センゴク 宮下英樹 129番槍 [無断転載禁止]©2ch.net
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戦国史上最も失敗し、挽回した男 その名は仙石権兵衛秀久 週刊ヤングマガジンで絶賛連載中
・センゴク 全15巻(週刊ヤングマガジン 2004年21号〜2007年45号)
・センゴク 天正記 全15巻(週刊ヤングマガジン 2008年3号〜2012年26号)
・センゴク 一統記 全15巻(週刊ヤングマガジン 2012年31号〜2015年45号)
・センゴク 権兵衛 連載中(週刊ヤングマガジン 2015年50号〜 ) コミックスは1-7巻
・センゴク外伝 桶狭間戦記 全5巻(別冊ヤングマガジン→月刊ヤングマガジン→週刊ヤングマガジン 2007年〜2010年)
前スレ
センゴク 宮下英樹 128番槍 [無断転載禁止]?2ch.net
http://fate.2ch.net/test/read.cgi/comic/1497438632/ 確認したが、池田や明智よりも当時の秀吉は地位が上だぞ。
当時の秀吉は畿内衆率いて、畿内はおろか播磨や但馬に遠征に出ているんだから。 池田殿大将説について言っておくと、根拠になってる一色藤長書状でも、
「金崎城に木藤・明十・池筑その外残し置かれ... ... 」
と、秀吉が筆頭で出てくるのよ 越前遠征が義昭主導説をとると
身分的には直臣摂津守護池田>陪臣秀吉となるけど
時間が惜しい撤退時に厳密に身分の上下でごちゃごちゃやるとは思えんな 戦国最強・島津兵庫守さまも関白様に頭下げるんやね・・・ 戦は数だよ兄貴!って言うじゃん、いくら精鋭ぞろいの島津でも豊臣の物量に勝てないんなら頭下げるしかないし 豊臣ごときに、やらせはせん!!、やらせはせん!!やらせはせんぞぉおおおおお!!!、
って言って死ぬのでつね あー四兄弟だからか
なら家久は「薩摩公国に栄光あれー!」とか言いながら病死するのか センゴク @sengoku_YM 5時間前
その他
【家久譜】2週休載の間、島津家久の略歴を記します。先ずは初陣。
1561年、家久15歳時の島津家の状況。当時の島津氏の版図は薩摩一国。
南北朝以降、島津の服属状態にあった肝付氏が島津に対抗心を燃やす。
島津は一族衆の島津忠将を討たれ大敗。そんな中、忠将の甥の家久が初陣ながら兜首を獲る。 >>409
そういう独立大名連中を家臣の与力につけるのが信長
それに不満を持って謀反も多い センゴクの最後を先延ばしにしたいからしょーがあるめ
まだあと5年はこの漫画で食うていくから簡単には終われない >>419
へうげものも織部の切腹が今にも来そうで来ない引き延ばしが酷い
あ センゴクは引き伸ばしても良いですよ面白いから 引き伸ばしも何も15巻で収まるように描いてるんだろ 某ギャンブル漫画の作者なら戸次川の渡河だけで4週使う 鉄骨渡るだけで数巻費やした漫画なら川を渡るだけで5巻は固いな 光秀「Congratulation!」
義統「Felicidades!」 主人公見てるだけの
友情とは嘘かホントか電気椅子ゲームであれだけ引っ張ったからな 戸次川から半年も経たずに島津は秀吉に降伏して家久は亡くなってるんだなあ 権兵衛「私だけが死ぬわけには……貴様の心も…一緒に連れて行く…島津家久…」
島津家久「光が…広がっていく……?」 どこが戦国最強なのか分からん
謙信や信玄なら秀吉の大軍相手でも互角に戦えよう
幸村でさえ大兵率いる家康を打ち果たせそうだったわ >>428
幸村は西軍主力の毛利が東軍を崩してくれたおかげじゃん >>429
それ幸村の活躍と同じ講談の類だよ
ちゃんとした史料からわかるのは戦場で真田・毛利軍が暴れまくって被害が出たというくらいで具体的にどういう動かしたのかはだいたい後付けの推定 >>420
へうげものは隔週掲載の上にちょくちょく休むからな
単行本とかで一気に読んだらそこまで長くもない 強い弱いは相対的なものだろう
昔から、天の利地の利、といわれるように
環境にも大きく左右されるしな
最強なんて、幻想だよ 大阪の陣の雪村の活躍は
だいぶ毛利勝長の活躍を吸い取ってる評価と聞いたけどもw 何度奪い取られても自分の城を取り戻してくれた天庵様の家臣団は関東最強 1586年8月 岩屋城の戦い
1586年9月〜10月 毛利黒田仙石ら関白先遣隊5万九州入り
1586年12月 戸次川の戦い
1587年3月頭 秀長率いる10万が九州入り
1587年3月末 秀吉率いる10万が九州入り
1587年5月 島津義久降伏 そもそも「最強」ってなんだよ
何を根拠に強いって決めるんだよ >>436
まあ毛利勝永なんて名前が巷間に流布してること自体が毛利勝永の活躍が史実ではなく毛利吉政という実際の人物をもとにして作られたキャラクターの活躍を描いたフィクションですって言ってるようなもんだし 俺も某はオリキャラと思ってたが史実の人と知り、死が避けられないと悟った 無知ですまんが小谷城攻めで話に出てきた朝倉そうてきさんて具体的にどう凄かったの?あれも最強さんなの? 2回休載って、まだセンゴク遁走シーンの構想が固まってないのか? 良く海外でスポーツ選手を評価する時も彼は歴史上ベストプレイヤーの一人だ、なんて言い方をするし
いいんだよ義弘も家久も宗茂も謙信も信玄も元就も最強武将の一人で >>438
豊臣が上方から連れてきた兵は殆ど秀長旗下に収まってる
秀吉軍は上記の毛利4万に龍造寺の3.5万+αで構成されて九州地場の帰参兵がほとんど このペースでいくと小田原はいつ頃になるかな。
堀久との最後がどのように描かれるか楽しみだ。 武田信繁が居たのに家臣筋の息子が同じ名前付けられるもんなのかね
繁の字って誰からもらったんだろ >>454
同じ名前つっても20年も前に死んだ人だしなあ
そもそも源次郎が信繁名乗ったのが武田滅亡後かもしれんし >>454
別に信が通字やから繁はもらうもんでもないべ 仙石って、他の武将との交流の話があまりないな(家康・秀忠を除く)
戸次川で、みんな縁切ったんじゃないかね 戸次川敗退後元親は伊予日振島まで逃れるが、そこで信親の遺骸返却交渉を島津としつつ
秀吉に今後の進退について直接問い合わせてる
権兵衛が仕事ぶん投げて姿くらませたので現場大混乱なわけだけど
そういう部分をしっかり描けるかどうか 信親だけじゃなく、長宗我部の次世代を担うであろう若手達も、まとめて戦死しちゃうからな…
そんな中、どんな気分で敗戦処理したんだろう、元親
よく、ゴンベエらに刺客送らなかったものだよ 干潮で身動き取れない元親に対して使者を送り
「信親を討ったのは戦場の習いに沿った為、仕方なかった旨を伝え
陣払いは満潮を待って緩々となされるよろし」と配慮
継戦中にもかかわらず谷忠澄が信親の遺骸と遺品の回収を乞う使者して来ると承諾
その際、敵将である信親の戦死に涙を流して陳謝し、土佐岡豊城まで丁重に僧まで同行させる新納忠元
土佐人だけどシブイはからいできる家久とか優しい九州武士とか大ちゅき
それにひきかえ味方の大将たるゴンベは全てを投げ捨てトンズラ・・・ナメとんのか(#・∀・) >>460>>463
そんな目にあってもキチッと仕事こなしてる元親さん( i _ i )
豊臣家に冷遇されても関ヶ原、大坂の陣につきあうのに…もっと厚遇したれよ… >>463
天正十五年正月に歳久が秀長・三成宛に戸次川合戦についての書状送ってるんだけど
その中で、上方・四国の敗残兵が府内周辺で難儀してるのを見て
うちの家久が渡り船の周旋しましたよって述べてるね >>466
おっとごめん、書状送り主は義久だったわ 敵である豊臣四国軍敗残兵のために船を手配する?
わけがわからないよ ヒットラーがダンケルクの英軍撤退を許したようなもんか もう敵ではなくなってたんでしょ
肝心の大友とゴンべはおらんのだし >>468
秀吉へのとりなしを頼む書状だからね
渡り船周旋の事実からもわかるように当方に豊公への悪意は無いのでよろしく頼みます
って主旨の書状 戦ったにしてもあくまで有利な条件での講和を引き出すためのもので
ガチに敵に回ったわけじゃないんですよって感じか 「秀吉殿とやり合う気はなかったんです、大友がー大友がー」
「家康殿とやり合う気はなかったんです、鳥居がー鳥居がー」 上方の介入口実をなくす為だろう。
国連軍みたいなもんだし よしちんとかいう名前の武将に負けるわけがなかろう関白様が 戦略として信長秀吉とどう相対するかは念頭にあっただろうけど
島津は島津なりの大義名分に沿った上での島津大友の抗争だったのに
大友が秀吉さんこいつヒデーんすよやっちゃってくださいよ!って話を拡げるもんだから
我々としてもしょうがないじゃないですかと。島津側に立った言い分としては >>473
幕末の薩英戦争の時も似たようなことやっとるな ゴンベが討ち死してたら島津は降伏を赦されなかったか 堀久いまなにしてんの?
>>479
順番が逆だったら許されたかも? >>478
ごんべが生き残った理由はそれだな。
秀吉を怒らせない為。 アンチ豊臣属性の徳川、北条が並んで大勢力として残っちゃうと秀吉としては落ち着かないだろうし
北条滅亡は既定路線でしょう >>471
横からだがサンクス。戦争はあくまで政治の一手段、って事がよくわかった >>480
堀Qは新領地の北ノ庄で介者剣法の鍛練してるよ
ゴンベに少年時代みたく喝を入れて、その勢いで九州征伐の先鋒として大活躍するために 北条は反抗的な上に残すには領地がでかすぎるから東北への見せしめも兼ねて全力で叩き潰して
臣従してからはおとなしい家康に与えて東北へのにらみもやらせたんだろう
家康としても領地が倍増する上に家臣との力関係きっちりさせられるうまみがあった 武将の生死は関係ないだろ
家康、池田と森殺してるじゃん 薩摩なんて流刑地か?って程の僻地に加えて土地もやせてるからな
誰も欲しがらないから反抗しないんなら現地人に与えても問題無いとこ
関東平野はそうはいかない >>486
あと島津は秀吉が裁定する大友との国分論争を拒否したけど北条は沼田問題での秀吉の引いた領土線を一旦受け入れた上で家臣が名胡桃城を攻撃して奪取したという違いがある 関ヶ原の時も島津潰しておけばな
かわりに毛利でも転封させとけば幕府も盤石だったろうに 本屋の歴史雑誌コーナーに関ヶ原があったけど、
当時はもう殺して潰せばいい戦国時代ではなくて、世論やら大義やらが付いてこないと多数決?で罰せられるんだと >>461
十二月十五日(戸次川合戦の三日後)に丹生島城の大友宗麟から日振島の元親へ使者
(慰問と信親生死確認への協力申し出)があって、その十日後に元親は
「戦には敗れたが、今や丹生島城固守が肝心だから、とにかくも有り合わせの鉄砲の人数をそちらに送ります」と奥長門守を派遣してる
信親の遺骨も谷忠澄が土佐に持ち帰り、元親自身は帰国する事なく日振島に留まって翌年三月秀長に合流してる
よう踏みとどまったわと思うね >>492
薩英戦争がなくなって、別の領主が英国相手の交渉しくじって九州のどっかが英国植民地になってそう 元親は別に変ってないというか戦国大名なら当たり前の事やってるだけ。
他家に養子にでていた子供よりも実家にいたものを後継者にするのは、
戦国大名では当たり前である。
それに反対するものや、不穏分子を処分しておくのも当然の事。 劣化どころか、後年は内政に辣腕をふるい石高を上げ道路も整備し
分国法を制定したり、むしろ進化してるしな
山内一豊が入国した際、「田舎って聞いてたけど、けっこう都会じゃん」と言ったくらいだし
俺の勘だと元親劣化説は創作だな >>461
フロイスによれば敗戦後のゴンベはあちこちから命狙われてたらしいぞ どう見ても家久より手取川合戦の謙信のほうが神降りしてる雰囲気だろ >>498
>>499
信親死後の可哀想感(やる気をなくして久武に唆されまくり)で元親のこと調べたら
逆に仕事も戦もバリバリしてて驚いたのを思い出した
久武も今となってはよく分からん ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています