孔明もそうだけど、老荘の極限は表現しにくいだろうなと感じる。

例えば孔明の「曹操にけがされた」発言は、かなり受けが悪かったような気がするけど、あれは凄く孔明らしくてうまく表現できていると思っている。

観念の世界では達人の孔明がひたすらリアルの達人の曹操に相手されない。
自分を一番理解してくれる筈の人が、自分を一番評価してくれない。自分が一番評価していた筈の相手が、自分を一番評価してくれない。
全く評価してくれないけど、自分の自分への評価は揺るがない。
他人のことばかりを見て今まで大して自分を見てこなかった孔明が、ショックと悲しみと怒りの後、今までとは真逆の真顔を見せる、というのは凄くらしい。

けど、その感覚って孔明ぐらい極端じゃないと中々生まれない感覚であって、
入社したての青二才が現実主義の上司に提案して突っぱねられるような怒りや、
今まで自分のことを評価してくれていた筈の教師から、だからお前は駄目だといわれるようながっかり感、
信じていた筈の妻が不倫していたようなショック、
色んな要素が一度にごちゃ混ぜの上、ふつうの立ち位置とはかけ離れてるから、色んな人に共感してもらうのは凄く難しい筈

達人伝てテーマはいいんだけど、如何にして達人かにあまり尺を割けてないから、凄く観念的だし、絵や演出がマッチしないと、薄っぺらいと言われがちなのはちょっと勿体ないと思う。