たとえば、冷蔵庫の中に甘くて美味しそうなお菓子が入っているとします。
最初のうちは、それを食べるのを我慢するのは困難で、つい食べてしまったり、たとえ我慢することができたとしても、「食べたい」という思いと「食べてはいけない」という思いとの葛藤を経て、ようやく食べるのを我慢するという流れになりますね。

 ――そうです。とても「喜びを感じる」どころではありません。

 それは、まだ「抑制」の段階にあるからです。
それに対して、「節制」を身につけた人は、それを食べるのは自分の健康にとってよくないことだと判断したら、自ら進んで食べないという選択をする。
すると「今日も健康な食生活を送ることができたな」という喜びを感じることができます。

つまり「節制」という徳を身につけることは、何かをイヤイヤ我慢することではなくて、むしろ自分が本当に望んでいるものを見つけ、本当に満足するあり方へと自分を導いていくことなのです。

アリストテレスは、「節制」などの徳は「習慣」の積み重ねによって形成されると考えます。
たとえば大好きなスイーツが冷蔵庫にあるとき、「食べる」か「食べない」か、どちらを選択するかは、人生全体のなかで見れば些細(ささい)なことのように見えて、実はそうではないのです。

人間がそうした分かれ道に直面して、どちらかの選択肢を選ぶかということは、そのときにたまたまどちらかの選択肢を選んだということで終わるものではありません。
選んだ方の選択肢を選びやすくなるような「習慣」が形成されてくるのです。

 そうすると、次に似たような状況に直面したさいにも、そちらの選択肢を選びやすくなってくる。
そうした仕方で、どんどんある選択肢を選びやすくなるような性格や人柄が形成されてくることになるわけです。
私たちが毎日行っている一見些細な選択が、実は人生全体の在り方へと直結しているのです。

 「習慣」は、単なる惰性ではなく、もっと積極的な意味を持っています。

 いわば人間とは「習慣のかたまり」であって、その人が積み重ねてきた習慣がその人らしさを形成している。ですから善い習慣を身につけることは、善く生きるうえで決定的に重要なのです。