■■■レクサス LEXUS ES Vol.13■■■
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↑スレ立ての際は三行書いてください、立てると一行消えます
レクサス 新型 LEXUS ESシリーズ フルモデルチェンジ FFの高級セダン 2018年10月23日発売
前スレ
■■■レクサス LEXUS ES Vol.12■■■ ・
https://fate.5ch.net/test/read.cgi/auto/1542777284/
NGNAME推進ワッチョイリスト
●●2a(osk2.eonet.ne.jp)工作員型統失
古い替え歌で存在しない工作員を探し続ける老齢工作ハゲ
●●d8(dy.bbexcite.jp)ホテル型統失
ホテルでFF車を馬鹿にされたトラウマもつ粘着ホテル出っ歯
●●8d(hyg1.eonet.ne.jp)災害型統失
災害時に四駆で活躍することを夢見る災害四駆馬鹿
●●51、●●a7、●●03、Sd●●(ap113.ftth.ucom.ne.jp、s99.a049.ap.plala.or.jp、m-zone.jp、msf.spmode.ne.jp)虚言癖型統失
ESを知らずにGSを契約してしまった後悔から地縛霊と化す
ESを何度も見たと語る彼はBMの5を7に変える力を持つ
ころころIP変えてるSd●●は大抵こいつなんでいじめてやってね
●●c7(au-net.ne.jp)貧乏型統失
中古で115万のLSを購入してしまい維持できなくなった貧乏人
中古の型落ちLSをおすすめされたと見積りを得意げに見せびらかす勇気ある馬鹿
なお当然買えないのでESが400万で発売されることに期待したが思惑が外れ発狂
VIPQ2_EXTDAT: checked:vvvvvv:1000:512:----: EXT was configured 田舎ならいいけど都内では無理だな
最近の車は輸入車も国産車もサイズが大きくなり過ぎてタワーパーキングに入らない
実用性を考えてもうちょっとコンパクトサイズの車を検討するか 度消えかけた直列6気筒エンジンがなぜ今復活しつつあるのか?
かつて直列6気筒が持っていたメリットは、完全なバランスでした。
それが滑らかな回転フィーリングとなり、ドライバーと乗員に高級感を感じさせるものでした。
V型6気筒も存在しましたが、その多くがV型8気筒から2気筒を切り落とした形でバランスが完全ではなく、燃焼間隔が不均等なものもありました。
つまりV型6気筒は、V型8気筒のコストダウン版だったという側面もあったのです。
V型6気筒が直列6気筒に代わって主役になっていったのは、
エンジンの高性能化、FF車への搭載、クラッシャブルゾーンの確保、といった要件があったからです。
エンジンを高性能化するには各気筒の燃焼を均質化しなければなりませんが、
一般的な直列エンジンでは一番手前の気筒と一番奥の気筒では冷却水の温度でさえも異なり、当然燃焼状態も変わってしまいます。
横置きFFへ直列6気筒を搭載するのは、かなり困難です。
そして前方衝突の安全性を確保するためには、ボンネットに潰れシロが必要で、長い直列6気筒エンジンは困った存在だったのです。
しかし、そうしたトレンドが最近になって逆転しそうな気配になりました。
BMWだけでなく、メルセデス・ベンツが直列6気筒を搭載し、V型6気筒を廃止する方針だからです。
その理由はエンジンのダウンサイジングによるものです。
つまり単純にV型6気筒を直列6気筒に置き換える、ということではないのです。
これまでのV型6気筒の代わりは、直列4気筒ターボになります。
つまり新しい直列6気筒はターボ付きで、V型8気筒の代わりになるわけです。
もっといえば新世代の直列6気筒ターボは、V型8気筒並みの性能が求められることになります。
直列6気筒ターボは、V型8気筒の代わりになるわけです。
つまりFFに搭載することを目的とされるエンジンではないのです
V型6気筒の持っていたメリットのひとつ、FF車への搭載という面では、すで
ウンサイジング直列4気筒ター
その役割を担っています。
2リッターで300馬力程度は可能ですから、4リッター級の性能ということになります。
それ以上となればFFというわけにもいかず、であればV型6気筒である必要性もありません。
FR用の6気筒エンジンは、直列になっていくのが正当なトレンドなの >>201
都内の主要ホテル、デパートならタワーパーキング、平置き問わず大丈夫かと。
むしろちょっとした地方の中都市のタワーパーキングで5,000x1,850mm制限のものとかあるからそれは入らない。
でも地方都市は平置きパーキングが充実しているから問題になりにくいような。 日本橋高島屋新館駐車場
5,600x2,050x2,100mm
タイヤ外幅2,050mm
最大重量 2,500kg
最低地上高 90mm
https://www.takashimaya.co.jp/nihombashi/access.html タワーパーキングの車幅制限は以下の3パターン
1.全幅1700o以下
2.全幅1800o以下
3.全幅1850o以下 >日本で売る気ないのがよくわかる。
まあそうだろうね。ただトレッドとホイールベースの関係でわかる走りの素性はクラウンなんかよりは良さそう 最小回転デカすぎだわぁ
車庫入れ試してわかった
諦めるわ >>207
どんだけ小せぇ車庫だよw
無理しねーで身の丈に合った車にしろって事だろw 今回のLEXUS ESは見送りだな
まずはFF
次にデザイン
別にLSのデザインも良いとは思わないのに似せてるし
内装は褒めてやる
内装だけではダメだ、やっぱり他人からカッコイイと思われなければ、、、 広い駐車場があり、行くとこも広い駐車場のとこしか行かなくて広い道しか走らない人にはいいかもしれない。 こんなの買っちゃったアホは後悔するしかないなw
クラウンのほうが全然いいわw
>>210
社用車以外に使い道なしw クラウン3.5も買えない貧乏人にはカムリかESがお似合い 全幅1850にこだわるなら現行GSかメルセデスEクラスだな。GSが生産終了ならメルセデスEクラスしか選択肢がなくなるかも。
ES買えるならEクラス買えるだろうし、検討の価値はあるだろうね。 CT,NX,UXは論外として
LS500h,ES300hは地雷
日本じゃES350出さない配慮かまだGS新車で買えるぞ 来年の今頃は国内販売低迷の不人気車になってるだろうなw
ES買うぐらいならNXなりRXのほうが幸せだもんw 今頃知ったのか
ES馬鹿より外車乗りの方がESに詳しいというね
なんとも皮肉だねえ >>219
基地外さん、スレ間違ってますよ、
ip非表示の専用スレにどうぞ。 https://carview.yahoo.co.jp/article/testdrive/20181206-20104569-carview/
高速道路をまっすぐ走っているだけでも落ち着きが足りない。
旋回中にフロントがあおられると、ハンドルを動かしていないのに旋回特性が変わるのも、FFセダンの限界を感じるところ
今の技術力をもってしても、高級セダンは重量バランスがよく、加速した際にリアが沈み込み、シートに体が吸い付くような姿勢変化で走るFRが個人的には良いと思う。
姿勢変化も考慮した高級車に求められる乗り味という点では、FRレイアウトで重量バランスの良いLSが優れているし、やはり高級セダンはFRレイアウトなのだ。 愚者は経験してもすぐ忘れ
賢者は歴史から学び知識を蓄える 田舎でこんな車持っても浮くだけ
都会の手入れが行き届いたきれいな舗装ならストラットでもいなせるけど
微妙なアンジュレーションの田舎の県道とかじゃ馬脚を露す
攻めたら素性の悪いストラットの馬脚があらわになるから
自分らの飯の種がメーカーの広報から出てる以上
レビューワーにも忖度があって自重してるんだよ
峠の走りは推して知るべし
愚者は経験から学び、賢者は歴史から学ぶ
3世代前のFR車のほうが素性は上だろね イギリスは歴史に学んだ
イギリスが世界中を植民地にして回ることに成功したのは、歴史を重んじることを国是とした国であったからだ。
彼らは、植民地経営に乗り出すまでに、膨大な知識を記録、整理し、歴史としてまとめる作業を数百年かけて行い、智慧をひたすら蓄え続けてきた。
彼らに侵略されたアフリカや南アジア、北米大陸やオセアニアの土着の人々が、自分たちの狭い経験をもとにイギリス人に対抗したのに対して、
イギリス人はローマ史からの歴史を学び、マキャベリなどの天才たちの知識を学び、それを自国に生じた事件に当てはめ、原住民を効果的に分断統治し、世界の半分を支配することに成功した。
たとえば当時イギリスの植民地であったインドは、香辛料などの原材料を輸出して イギリスを相手に多額の黒字を計上していた。
ところが黒字はルピーではなく、ポンドを使って決済され、そのままイギリスの銀行に預けられていた。
だからイギリスはいくら植民地を相手に赤字を出しても平気だった。
イギリスの銀行に預けられたポンドを、イギリス国内で使えばいいからだ。
インドは名目上は債権が増え、お金持ちになったが、そのお金をイギリスの銀行から自由に引き出し、自分の国では使えなかった。
お金の使い道は預金者ではなく、イギリスの銀行が決めていたからだ。
そしてもちろん、イギリスの銀行は国内の人々に貸し出した。
イギリス国民は植民地から輸入した品物で生活をたのしみ、
しかもしはらったポンドも イギリスの銀行に吸収され、イギリスのために使われるわけだ。
こうしてイギリスはどんどん発展した。
一方植民地はどうなったか。
えばインドは商品を輸出してもその見返りの代金はポンドでイギリスに蓄積されるだけだから、
国内にお金がまわらなくなる。どんどんデフレになり、不景気になった。
仕事がきつくなり、給料が下がり、ますます必死で働いて輸出する。
ところが黒字分の代金は、ポンドのまま名義上の所有としてやはりイギリス国内で使われる。
こうしていくら黒字を出してもインドは豊かになれなかった。
そして、赤字を出し続けたイギリスは、これを尻目に繁栄を謳歌できた。
このイギリスとインドの関係は、そっくり現在のアメリカと日本の関係だと言っていい >>222
ES馬鹿より外車乗りの方がESに詳しいというね
なんとも皮肉だねえ 高級車ってゆっくりゆったり余裕を持って走るのがお似合いだけど、
いざとなったらそこら辺の走り屋にも負けないぐらいの走りもできる
こういうのが本当の高級車なんじゃない?
ESのパワーユニットはアクセルベタ踏みしても音だけ唸ってて全然前に行かないし、
高速道路ではFRのような安定感もない
高級車と呼ぶには少し貧弱すぎる
せっかくLS風の顔を持ってるんだからもう少しパワーと走りも考えて欲しい
あとやっぱり高級車ならFFはやめて欲しい
悪口言っちゃったけど間違ってないと思うんだが >>227
>高級車ってゆっくりゆったり余裕を持って走るのがお似合いだけど、
同意
>いざとなったらそこら辺の走り屋にも負けないぐらいの走りもできる
>こういうのが本当の高級車なんじゃない?
ちょっと何言ってるか分からないです
>ESのパワーユニットはアクセルベタ踏みしても音だけ唸ってて全然前に行かないし、
同意
>高速道路ではFRのような安定感もない
ちょっと何言ってるかわからないです
>高級車と呼ぶには少し貧弱すぎる
>せっかくLS風の顔を持ってるんだからもう少しパワーと走りも考えて欲しい
同意
>あとやっぱり高級車ならFFはやめて欲しい
ちょっと何言ってるかわからないです >>227
ES試乗車で高速アクセルベタ踏みしたの? イギリスは歴史に学んだ
イギリスが世界中を植民地にして回ることに成功したのは、歴史を重んじることを国是とした国であったからだ。
彼らは、植民地経営に乗り出すまでに、膨大な知識を記録、整理し、歴史としてまとめる作業を数百年かけて行い、智慧をひたすら蓄え続けてきた。
彼らに侵略されたアフリカや南アジア、北米大陸やオセアニアの土着の人々が、自分たちの狭い経験をもとにイギリス人に対抗したのに対して、
イギリス人はローマ史からの歴史を学び、マキャベリなどの天才たちの知識を学び、それを自国に生じた事件に当てはめ、原住民を効果的に分断統治し、世界の半分を支配することに成功した。
たとえば当時イギリスの植民地であったインドは、香辛料などの原材料を輸出して イギリスを相手に多額の黒字を計上していた。
ところが黒字はルピーではなく、ポンドを使って決済され、そのままイギリスの銀行に預けられていた。
だからイギリスはいくら植民地を相手に赤字を出しても平気だった。
イギリスの銀行に預けられたポンドを、イギリス国内で使えばいいからだ。
インドは名目上は債権が増え、お金持ちになったが、そのお金をイギリスの銀行から自由に引き出し、自分の国では使えなかった。
お金の使い道は預金者ではなく、イギリスの銀行が決めていたからだ。
そしてもちろん、イギリスの銀行は国内の人々に貸し出した。
イギリス国民は植民地から輸入した品物で生活をたのしみ、
しかもしはらったポンドも イギリスの銀行に吸収され、イギリスのために使われるわけだ。
こうしてイギリスはどんどん発展した。
一方植民地はどうなったか。
えばインドは商品を輸出してもその見返りの代金はポンドでイギリスに蓄積されるだけだから、
国内にお金がまわらなくなる。どんどんデフレになり、不景気になった。
仕事がきつくなり、給料が下がり、ますます必死で働いて輸出する。
ところが黒字分の代金は、ポンドのまま名義上の所有としてやはりイギリス国内で使わ
こうしていくら黒字を出してもインドは豊かになれなかった。
そして、赤字を出し続けたイギリスは、これを尻目に繁栄を謳歌できた。
このイギリスとインドの関係は、そっくり現在のアメリカと日本の関係だと言っていい そろそろ化けの皮が剥がれはじめてきたなww
https://carview.yahoo.co.jp/article/testdrive/20181206-20104569-carview/
高速道路をまっすぐ走っているだけでも落ち着きが足りない。
旋回中にフロントがあおられると、ハンドルを動かしていないのに旋回特性が変わるのも、FFセダンの限界を感じるところ
今の技術力をもってしても、高級セダンは重量バランスがよく、加速した際にリアが沈み込み、シートに体が吸い付くような姿勢変化で走るFRが個人的には良いと思う。
姿勢変化も考慮した高級車に求められる乗り味という点では、FRレイアウトで重量バランスの良いLSが優れているし、やはり高級セダンはFRレイアウトなのだ。 >>233
寺の営業マン?朝から晩までスレの監視かよwww
少しでもネガティブな話題にいちいち突っ込みを入れるバカ
コピペ貼り付けてる奴も基地外だがこいつも似たようなもんだわ 駆動方式とかある意味どうでも良い。運転して快適ならFFでもFRでもどっちでも良いよ。
究極的にはFFベースで後輪を電気で駆動するAWDなんだろうけ。 フロントにエンジンと1基のモーター。
リアには、左右の後輪を別々に駆動できる2基のモーターを搭載。
走行状況・路面状況に応じて、四輪駆動/前輪駆動/後輪駆動などの駆動方式をシームレスに切り替え、
各輪から発生する駆動力の大小も自在に、瞬時に制御。様々な場面で走行安定性や旋回性能の向上に寄与する革新的な駆動システムです。
スーパースポーツNSXのコア技術としても採用されています。 愚者は何を経験してもすぐ忘れ
賢者は歴史から学び知識を蓄える 高出力V6 3.5L直噴i-VTECエンジンに3基の高出力モーターを組み合わせた強力なパワーユニット。
回転した瞬間から高いトルクを生むモーターの特性が走りに瞬発力を与え、発進・加速・追い越し時などで、
エンジンだけが動力源のクルマでは望めない速い反応と力強さを叶えました。
動力の伝達効率が高い7速DCT(デュアルクラッチトランスミッション)も加速力の向上に寄与。
また、DBW(電子制御スロットル)の設定でも、アクセル操作と車両の加速がシンクロする一体感を追求しています。 至福のステージを軽快に、
そして抜群の安定感とともに
山地・丘陵地が多い日本。ワインディングが無数にあるこの国は、「クルマを操る」ことを
積極的に楽しもうという意志があれば、実はパラダイスのような場所だということもできるのかもしれません。
例えば、曲がりくねったワインディングロードは、LEGENDのパフォーマンスを実感できる場所の1つです。
SPORT HYBRID SH-AWDが四輪の駆動力を自在に配分し、より高い安定感と一体感を持って
曲がれる感動的なハンドリングと加速を実現。エンジンと3つのモーターが発生するシステム最高出力は
281kW(382PS)※に上り、力強い加速性能を実現します。
このワインディングロードがいつまでも続いていてほしい、どこまでも走り続けたい──
そんな想いが、あなたの胸にこみ上げてくるでしょう。 【 レクサスES 】
北米ではレクサスFF車最上位車種としてESを位置付けて、販売のメインとして大々的にセールスしてきた。
しかし日本レクサス営業開始にあたり、ベンツBMコンプレックス持ちの日本人客相手に対しては
なるべくFF車が売れ筋とならないようにするため国内でのESの発売は2018年までの30年間見合わせることになった。
しかしプラットフォーム合理化のあおりでFRセダン3車種LS、GS、ISの差別化が出来なくなってきたため
GSの代わりにESを入れてFRの2車種でサンドイッチさせることで差別化を図ろうと計画した。
トヨタ・レクサスとしてはオーナーは駆動方式やサス形式、エンジンの気筒数に気付くレベルではないこと、
また、仮に気付いたとしてもどうせマルチリンク、FRの操縦性能に6気筒エンジンの回転フィーリングを調和させて乗りこなせるレベルではなく、
見栄でLS風のエクステリアが持てれば満足する客層であることを確信していたためその販売計画を了承した。
つまり、レクサスESは外側だけ立派を装って中身は伴わない、カムリなどと同じ内容の旧態依然のFFストラット4気筒エンジン車である。
以上の話は車業界のみならず、ホテル、ゴルフ業界でも周知の事実であるため、
レクサスESに乗り換えを計画されてい方は、一流ホテルや名門ゴルフ倶楽部で鼻高々にレクサスESを駐車することは恥であるということをくれぐれも忘れることなく
念頭おいて購入をご検討下さい。
つまり内外装だけ立派を装って中身は伴わないFF車であっても
見栄でLS風のエクステリア、インテリアが持てれば満足する客層にむけて訴求するので
カムリなどと同じ内容の旧態依然のFF車であっても
レクサスESを内外装やサイズをFR車に似せれば同じような価格で売っても許されるだろうと考えて割高な価格設定で販売する模様 時給3500円払って北米の期間工に作らせたESが42000ドル=450万円
時給1600円払って九州で期間工が組み立てたESが600万円
日本の期間工の時給をアメリカ並みに上げろと訴えるデモが日本でも起こっているのですが、
日本の時給がアメリカよりも低いのは、日本がアメリカよりも貧乏な国だからです。
貧しい国は給料が低い、当たり前の話
カンボジアのバイト時給を日本並みに上げろと思いますか?
なぜ思わないかというと、カンボジアは日本より貧しいという認識があるからだと思います。
貧しい国は給料が低く、生活も厳しいのは当たり前だからです。
経済的豊かさの指標である1人当たりのGDPを見てみましょう。
アメリカは世界ランキング11位の約5万4000ドル、それに対し日本は、27位の約3万6000ドルです。
この数字で分かるとおり、日本人の所得がアメリカより低いのは、日本の方がアメリカよりも貧しいからなのです。
では、なぜ日本人はアメリカよりも所得が低いことに抵抗を感じるのかを考えてみましょう。
それは、時計の針を20年以上前に戻してみればわかります。
1995年の日本の1人当たりのGDPはランキング3位。10位のアメリカよりも上でした。
1991年から2001年にかけては、ほぼ全ての年でトップ5に入っていた。
当時は世界でも屈指の豊かな国だったのです。
この頃の日本は、同じ職種の仕事をしていれば世界でもトップクラスの給料をもらえたでしょうし、
トップクラスの豊かな生活ができたのでしょう。その想い出が27位に下がった今でも忘れられないのです。
29年前は世界でも屈指の豊かな国だったのです。
https://i.imgur.com/vQ5qs67.jpg イギリスは歴史に学んだ
イギリスが世界中を植民地にして回ることに成功したのは、歴史を重んじることを国是とした国であったからだ。
彼らは、植民地経営に乗り出すまでに、膨大な知識を記録、整理し、歴史としてまとめる作業を数百年かけて行い、智慧をひたすら蓄え続けてきた。
彼らに侵略されたアフリカや南アジア、北米大陸やオセアニアの土着の人々が、自分たちの狭い経験をもとにイギリス人に対抗したのに対して、
イギリス人はローマ史からの歴史を学び、マキャベリなどの天才たちの知識を学び、それを自国に生じた事件に当てはめ、原住民を効果的に分断統治し、世界の半分を支配することに成功した。
たとえば当時イギリスの植民地であったインドは、香辛料などの原材料を輸出して イギリスを相手に多額の黒字を計上していた。
ところが黒字はルピーではなく、ポンドを使って決済され、そのままイギリスの銀行に預けられていた。
だからイギリスはいくら植民地を相手に赤字を出しても平気だった。
イギリスの銀行に預けられたポンドを、イギリス国内で使えばいいからだ。
インドは名目上は債権が増え、お金持ちになったが、そのお金をイギリスの銀行から自由に引き出し、自分の国では使えなかった。
お金の使い道は預金者ではなく、イギリスの銀行が決めていたからだ。
そしてもちろん、イギリスの銀行は国内の人々に貸し出した。
イギリス国民は植民地から輸入した品物で生活をたのしみ、
しかもしはらったポンドも イギリスの銀行に吸収され、イギリスのために使われるわけだ。
こうしてイギリスはどんどん発展した。
一方植民地はどうなったか。
えばインドは商品を輸出してもその見返りの代金はポンドでイギリスに蓄積されるだけだから、
国内にお金がまわらなくなる。どんどんデフレになり、不景気になった。
仕事がきつくなり、給料が下がり、ますます必死で働いて輸出する。
ところが黒字分の代金は、ポンドのまま名義上の所有としてやはりイギリス国内で使われる。
こうしていくら黒字を出してもインドは豊かになれなかった。
そして、赤字を出し続けたイギリスは、これを尻目に繁栄を謳歌できた。
このイギリスとインドの関係は、そっくり現在のアメリカと日本の関係だと言っていい・ おしなべて貧乏になったとは言えるね
自分で戦争できない国に権利は少ないだろうね
それでもよしとするのは、メディアや教育が日本人を低脳にさせることに成功したからだね
グローバリズムに飲み込まれて日本文化は滅びる運命だね
せめて自分の子供達だけでも幸せでしたあってほしいものだ 敗戦国日本の国民はアメリカの奴隷
生かさぬよう殺さぬよう、牛肉、小麦トウモロコシ、オレンジをエサとして食わされて
蟻のように月月火水木金金で働かされて、せっせとアメリカ人が乗る車を組み立てさせられている
看守(トヨタ)が儲けた金は株主配当で本国へ献上
日銀のばら撒き緩和とは米国債を買い、アメリカ経済を下支えすることなんだろうね
要は
日本人の金で米国債を買い、アメリカ人が日本車を買う金を提供してるだけ
日本人の血税でアメリカ人にこづかいを与えてトヨタ車を献上するだけの政策
つまり日本人はアメリカ人が乗る車を過労死寸前まで働いて組み立てて、だたで提供するだけの奴隷
「日本が敗戦国で貿易国あることによって世界の秩序ができているのだ
これが日本なんですよ。『資源がない国』でなければならない。『敗戦国』でなければならない。
『あなたのようにそれを変えようとすると大変なことが起きますよ』と言われた」
戦後60年をかけて復興とともに階級社会を排除してきた日本を
一度手にした地位惜しさに再びかつての特権階級だけが儲け続け
国民を奴隷のように使うような事実上の独裁国家に戻そうとしてる奴らがいる
恐ろしいことだ
日本の政治家というものは第2次世界大戦の戦勝国に貢物をするための政策しかしないWASPの手先でしかない集団
そのために日本国民が苦しもうが人口が減ろうがどうでもいいらしい
奴隷労働で生かさず殺さず状態にうまくコントロールするだけの簡単な仕事
サミットやG7、G20ってのは
これからも我が日本国は敗戦国としての身分をわきまえ
世界経済の下支え役をやらせていただきます
とういうことを総理が英米首脳に毎年上申するためのイベント なぜ、借金漬けでフィッチに格下げされた日本円が安全資産なのか教えてあげる
日本人は奴隷根性が染みついてて預金が紙くずになっても物言わずに黙々と働いて返済してくれるから
なぜ物言わずに黙々と働くのか?
それはなぜかというと、日本はやり直しが利かない社会だから
だから一度手離したものを取り返すのは至難の業
だから過去や現状を手放したくない日本人は奴隷根性が染みついてて物言わずに黙々と働く。
それも自分のためじゃなく他国民のために。
それは、敗戦国で従順な奴隷として戦後賠償を延々とさせられているからだ
日露戦争の負債を完済したのはいつなのか?
日露戦争で日本は、米国系ユダヤ人から借金をして戦争を行い、「ロシアに勝利」しました。
太平洋戦争開戦時もまだ、日本は米国のユダヤ系資本に莫大な借金を負っていました。
第二次世界大戦後、1951年のサンフランシスコ講和会議で米国は表向きは、賠償金負担を減らすよう各国に呼びかけました。
これは、「日本のことを思って」などというものではなく、日本からの借金取立てを優先させるための政治的判断でした。
米国は、日本から確実に借金を取り立てる一方、アジア諸国には賠償金取立てを諦めるように主張を押し通したのです。
米国は、1986年までゆっくり、しっかりと、貸し付けていた金に金利を上乗せして回収した。
日露戦争で負債を負った日本人は、太平洋戦争でも負け、戦勝国による占領支配をうけながら、
国債を通じてピンハネされ続ける機械の部品、歯車になり下がりました
結局、しっかり昭和の終わりまでかけて金利を加えて日本から借金を回収したのです。
日露戦争遂行のためのポンド建て日本国債は、借換債を発行しながら1986年にようやく完済した
最終的に返済を完了したのは日露戦争の後82年経ってからでした。
82年前の人の借金をせっせと返済していたと、団塊世代の何割が意識していたでしょう。
日露戦争に「勝利」した日本
しかし、日本は日露戦争で賠償金を得ることさえなかったのである。 愚者は経験して学び、賢者は歴史から学ぶ
アンチは歴史に学んだ
アンチが車種板を支配にして回ることに成功したのは、歴史を重んじることを教訓とした集団であったからだ。
彼らは、5ch蹂躙に乗り出すまでに、膨大な過去ログを記録、整理し、歴史としてまとめる作業を十年以上かけて行い、智慧をひたすら蓄え続けてきた。
彼らに侵略された車板や車種板、バイク板や軽自動車板の土着の人々が、自分たちの狭い経験や浅い知識をもとにアンチに対抗したのに対して、
アンチは古代文明の馬車から現代の自動車までの歴史を学び、フォードT型やダイムラーなど転機となった自動車の技術や成り立ちに加え
各国のモータリゼーションの歴史をも学び、
それを新型車の技術や性能評価に当てはめ未来を類推し、各スレを効果的に分断統治し、板の半分を支配することに成功した 満足した豚であるより、不満足な人間であるほうがよい。
満足した馬鹿であるより、不満足なソクラテスであるほうがよい
ESを買って満足する豚より、E53AMGを買えずにC63AMGで不満足なソクラテスであるほうがよい。 満足した豚であるより、不満足な人間であるほうがよい。
満足した馬鹿であるより、不満足なソクラテスであるほうがよい。
It is better to be a human being dissatisfied than a pig satisfied;
better to be Socrates dissatisfied than a fool satisfied. これは大河内総長自身が考えついた言葉ではなく、19世紀イギリスの哲学者、ジョン・スチュアート・ミルの『功利主義論』という論文からの借用だからです。
東大の総長ともあろうものが、他人の文章を無断で剽窃したのか、と思われるかもしれませんが、もちろんそういうわけではありません。
式辞の原稿を見てみますと、そこにはちゃんと、「昔J・S・ミルは『肥った豚になるよりは痩せたソクラテスになりたい』と言ったことがあります」と書かれています。
「なれ」という命令ではなく「なりたい」という願望になっている点が少し違っていますが、それはともかく、
ここでははっきりJ・S・ミルの名前が挙げられていますから、これは作法にのっとった正当な「引用」です。
ところが、マスコミはまるでこれが大河内総長自身の言葉であるかのように報道してしまった。
そして、世間もそれを信じ込んでそのまま語り継いできたというのが、実情です。
次に第二の間違いですが、これはもっと内容に関わることです。
じつは、ジョン・スチュアート・ミル自身は「肥った豚よりも痩せたソクラテスになれ」とも「なりたい」とも、全然言っていないのですね。
さきほど題名を挙げた『功利主義論』の日本語訳を見てみますと、こう書いてあります。 満足した豚であるより、不満足な人間であるほうがよい。
満足した馬鹿であるより、不満足なソクラテスであるほうがよい。
It is better to be a human being dissatisfied than a pig satisfied;
better to be Socrates dissatisfied than a fool satisfied.
ところが、間違いはこれだけではないんですね。
じつは、大河内総長は卒業式ではこの部分を読み飛ばしてしまって、実際には言っていないのだそうです。
原稿には確かに書き込まれていたのだけれども、あとで自分の記憶違いに気づいて意図的に落としたのか、
あるいは単にうっかりしただけなのか、とにかく本番では省略してしまった。
ところがもとの草稿のほうがマスコミに出回って報道されたため、本当は言っていないのに言ったことになってしまった、というのが真相のようです。
これが第三の間違いです。
この有名な語り伝えには、三つの間違いが含まれているわけです
この後、大河内総長の式辞原稿をもう一度見てみますと、そこには例の有名なフレーズに続けて
「我々は、なろうことなら肥ったソクラテスになりたいのですが」とも書かれていました。 「我々は、なろうことならE53AMGに満足するソクラテスになりたいのですが」 GHQ以降の占領政策が続いてるんだね
日本か現状でできることは良き日本人が人を育てることしかない
生活基盤である国を守ると言う観点の元
美しき日本を守ろうぜ 月間販売目標の16倍とかw
目標設定低すぎじゃね?そんな売れてんのか?
https://youtu.be/AE6hj2vUcqY 急にスレなくなってて久しぶりにこのスレきた。
昨日ディーラーから電話あってFスポーツ1月末でほぼ確実に納車可能とのこと。
ちなみな9月半ばにでそのディーで一番に注文してこれ。 >>260
内容は知らんがEU離脱のイギリスは歴史的な賢者だ、とかのキチかね?
ライト兄弟より10年早く蒸気機関で初飛行したりSF小説家ジュールヴェルヌを生み出した19世紀の超先進国フランスにはさっぱり触れてないみたいだけど そろそろ年内納車組も出てくるだろーし、車の話しよーぜ GS300h乗りだけど2年目の熟成待ち。
バージョンLにフルオプションでコミコミ800万円コースだが、GS300h バージョンL、4年目の下取り額は250万円ってところだろうな。
となると追い金550万円くらいか?
金貯めとこ。 おれRXにねん落ちバージョンLのブラックが475で売れたから大分楽に買えた👍 満足した豚であるより、不満足な人間であるほうがよい。
満足した馬鹿であるより、不満足なソクラテスであるほうがよい
ESを買って満足する豚より、E53AMG、を買えずに不満足なソクラテスであるほうがよい。 >>264
色と走行距離と装備次第だけど、昔乗ってたGS250が5年落ちで285万で下取りされたから、300目標で頑張れ。 インテリジェンスは、知能やそれの働き、あるいは知能が働く上で利用する情報群などを内包した概念であるが、
物を考える能力があるからといって、或いは情報が集積されているからといって、それがインテリジェンスの概念に相当する訳ではなく、
その双方が揃って正しく機能することがインテリジェンスであると解される。
知性は感覚器官で知覚された情報を、内部情報や様々な経験といったものと照らし合わせて、
客観的(→主体)に的確な判断を下すことである。
これは生物学などの視点から見れば程度の差こそあれ昆虫や微生物といった極小な生物でも普遍的に行っていることであるが、
より高次の哲学など精神性や抽象的概念を論じる分野に於いては、
昆虫や微生物が外界を知覚してそれに即した行動を行ったからといって、これが知性の働きによるものだとは余り認識されない。
一方で今日我々人間が利用しているコンピュータを含む様々な機械や装置は、その機能を詳しく知る者にとって、
昆虫など単純な動物の脳機能程度の複雑さしかなく、しかも自然界に存在する脳神経回路と比較した場合には、極めて限定された機能しか持たない。
イカの脳をコンピュータとしてみた場合に驚くほどコンパクトで高速演算機能を備えているのに比して、
高度・高速な処理能力を有する人間の作ったコンピュータは相応の容積を必要とするなど、道具としてのコンピュータの能力はまだまだ原始的な動物の脳ほどにも賢くはない。
しかしこれら人間の道具として作られたコンピュータは利用者が操作しやすいヒューマンマシンインタフェースを備え、
また人間が理解できる形で情報を出力する機能をもち、人間が求める機能に特化して設計されているため“インテリジェンスである”と認識される。 連投失礼、
レクサスコンサートin東京芸大から帰って来たら届いてた。
これから読みまーす。 >>271
【 レクサスES 】
北米ではレクサスFF車最上位車種としてESを位置付けて、販売のメインとして大々的にセールスしてきた。
しかし日本レクサス営業開始にあたり、ベンツBMコンプレックス持ちの日本人客相手に対しては
なるべくFF車が売れ筋とならないようにするため国内でのESの発売は2018年までの30年間見合わせることになった。
しかしプラットフォーム合理化のあおりでFRセダン3車種LS、GS、ISの差別化が出来なくなってきたため
GSの代わりにESを入れてFRの2車種でサンドイッチさせることで差別化を図ろうと計画した。
トヨタ・レクサスとしてはオーナーは駆動方式やサス形式、エンジンの気筒数に気付くレベルではないこと、
また、仮に気付いたとしてもどうせマルチリンク、FRの操縦性能に6気筒エンジンの回転フィーリングを調和させて乗りこなせるレベルではなく、
見栄でLS風のエクステリアが持てれば満足する客層であることを確信していたためその販売計画を了承した。
つまり、レクサスESは外側だけ立派を装って中身は伴わない、カムリなどと同じ内容の旧態依然のFFストラット4気筒エンジン車である。
以上の話は車業界のみならず、ホテル、ゴルフ業界でも周知の事実であるため、
レクサスESに乗り換えを計画されてい方は、一流ホテルや名門ゴルフ倶楽部で鼻高々にレクサスESを駐車することは恥であるということをくれぐれも忘れることなく
念頭おいて購入をご検討下さい。
つまり内外装だけ立派を装って中身は伴わないFF車であっても
見栄でLS風のエクステリア、インテリアが持てれば満足する客層にむけて訴求するので
カムリなどと同じ内容の旧態依然のFF車であっても
レクサスESを内外装やサイズを高級FR車に似せれば同じような価格で売っても許されだろうと考えて割高な価格設定で販売する模様。 デザインインタビュー楽しみ。
俺もこれから読みます。 【 レクサスES 】
北米ではレクサスFF車最上位車種としてESを位置付けて、販売のメインとして大々的にセールスしてきた。
しかし日本レクサス営業開始にあたり、ベンツBMコンプレックス持ちの日本人客相手に対しては
なるべくFF車が売れ筋とならないようにするため国内でのESの発売は2018年までの30年間見合わせることになった。
しかしプラットフォーム合理化のあおりでFRセダン3車種LS、GS、ISの差別化が出来なくなってきたため
GSの代わりにESを入れてFRの2車種でサンドイッチさせることで差別化を図ろうと計画した。
トヨタ・レクサスとしてはオーナーは駆動方式やサス形式、エンジンの気筒数に気付くレベルではないこと、
また、仮に気付いたとしてもどうせマルチリンク、FRの操縦性能に6気筒エンジンの回転フィーリングを調和させて乗りこなせるレベルではなく、
見栄でLS風のエクステリアが持てれば満足する客層であることを確信していたためその販売計画を了承した。
つまり、レクサスESは外側だけ立派を装って中身は伴わない、カムリなどと同じ内容の旧態依然のFFストラット4気筒エンジン車である。
以上の話は車業界のみならず、ホテル、ゴルフ業界でも周知の事実であるため、
レクサスESに乗り換えを計画されてい方は、一流ホテルや名門ゴルフ倶楽部で鼻高々にレクサスESを駐車することは恥であるということをくれぐれも忘れることなく
念頭おいて購入をご検討下さい。
つまり内外装だけ立派を装って中身は伴わないFF車であっても
見栄でLS風のエクステリア、インテリアが持てれば満足する客層にむけて訴求するので
カムリなどと同じ内容の旧態依然のFF車であっても
レクサスESを内外装やサイズを高級FR車に似せれば同じような価格で売っても許されだろうと考えて割高な価格設定で販売する模様。 まあよくも飽きもせず、毎日やってんな。
脳に障害あるんだろうね。かわいそうに。 見ず知らずの人たちが「いいねー」とか「これどうなの?」と話し合っているところに
「これはダメだ」「本来はこうあるべきだ」といきなり会話に入り込んでくる奴
明らかに異常
AMGのバッジを貼っただけの薄汚いベンツしか乗れないくせに
「このクルマはどこどこに行けばバカにされる」だと
オマエのベンツはどこに行ってもバカにされるよ
腐っているからね
嫌われても居着く精神が信じられない 私は、このスレで自動車の歴史とは何たるものか
を理解した者のみが味わえる喜びを、皆さんにも感じ取って頂くことを期待します。 デザインインタビュー読んだ。
どうやら内外装のデザインは「ちょい悪」がテーマになっているらしい。
本来、ESはエレガントなクルマだがそこを強調しすぎるとスポーティ全盛の流れに取り残される。
だから少しだけ「ちょい悪」の要素を取り入れることで、新鮮さを出していると。
なおエクステリアは北米CALTY案をベースにトヨタ車体が主体となって設計要件を盛り込み具体化していったとか。
通常Bピラーあたりに幅のピークがくるショルダーのキャラクターライン(Bキャラ)を
Cピラーあたりにピークを持っていくことで、ちょい悪具合を表現。
その下の前輪後端からリヤフェンダーに駆け上がるウェッジのCキャラ(クターライン)で躍動感を表現。
折れ線をBキャラほど鋭角にしていなので、見る角度によって様々な表情にみえるようにしているとか。 またこのスタイリングが実現できたのはGA-Kプラットホームのおかげみたいだな。
各パーツを低い位置に配すことができるので、低重心フォルムにもかかわらず居住性も犠牲にしていないと。 つまり内外装だけ立派を装って中身は伴わないFF車であっても
見栄でLS風のエクステリア、インテリアが持てれば満足する客層にむけて訴求するので
カムリなどと同じ内容の旧態依然のFF車であっても
レクサスESを内外装やサイズを高級FR車に似せれば同じような価格で売っても許されだろうと考えて割高な価格設定で販売する模様。 いやーでも内装すげーよかった
もう毎日見るのは中だしこれでいいんじゃないかと すべて本って発売明日じゃなかったっけ?アウディのデジタルアウターミラーも微妙だがESよりかはましかな笑
要するにこいつより先にだして世界初をうたいたかったのかな >>283
12/10発売になってるけど、実際には7日に発送、8日にフラゲ出来ました。(Amazon) ESのデジタルアウターミラーのカメラの突起が従来のドアミラーと変わらない長さなのは
・マルチパーパスカメラも内蔵しているため
・折りたたみ機能を入れると内蔵物を隠すのにこの寸法が必要
・高速レーンチェンジの時に空力的にこの形状が必要
とのこと。
よく言われている、車両感覚をつかむ猫のヒゲの役割については言及なし。 別スレで、自称年収上位5%に入るっていう伊藤忠社員がプチ炎上中w >>277
そう言うなら、ここにいるみんなを説得出来るような、納得出来るようなことを書いてよ
同じコピペコピペばっかりじゃあ説得力は全くないよ 階級社会って実は楽なんだよね、精神的にはw
自分の人生の結果が自分の責任ではないから。
だから、日本は階級社会だと叫ぶ連中は階級社会だと思い込むことで
自分の現在の不遇の責任を自分以外のものに押し付け安心したいと思ってるだけ。
だから、そうだよ、階級社会だから君は不遇なのであって君が無能だからではないのだよ
と言ってもらいたいだけの逃避なんだよね。
大企業の大半は国策企業だからどうしたって
学力以前に、よそ者をはじくために身分がしっかりしてる必要がある
だからコネ枠や人質枠以外ではいると大企業に入っても結局はいいところには回されない
インフラや公益法人、金融機関が具体例だけど、ああいうところは先祖が辿れれば関東学院から野村証券とかいける
だけど一般枠で入ったらブラック業務に回されるだけなんだよ
銀行の頭取なんて、その地方の名士の子息ばかりだよ 小泉進次郎と横粂を比較するとわかりやすいな、
小泉進次郎は総理大臣の息子で関東学院からコネで留学、
横粂はトラック運転手の息子で東大卒、
どっちが民衆に人気があるかったら前者だ、結局農民の子が無理して東大卒しても地元の関東学院に負けるわけ
そもそも金って頭の良さについてくるわけじゃないんだ
大村教授のような利他的な人についてくるものだよお金やコネで
他人をどうこうなんてやつについてこないから
貧乏人のことがわかってないと叫ぶ奴らほど金持ちがどんなに努力してるかわかってない。
貧乏人が考える努力って良い学校に行くことだったりするからねw
良い学校に行くことが努力と思ってる時点で何の努力もしてないということ。
他人が決めた資格をとることに必死になってその資格を取ることが努力だと勘違いしてる。
本当の努力は他人の作ったモノに頼らないで自分で創り出すことだとわかっていない。 結局さ、農民の浅はかな考えなんだよね自分たちならもっとうまく回せるって、
実際は政治にはコネはつきもの
家柄という信用がなけりゃ人を動かせないのよ
だから農民が政治に介入すると恐怖政治になる、だからだめなんだや
秀吉とか分不相応にトップになったから戦争はじめたんだよ
下を押さえ付けるために他所と戦争しだすんだよ農民政府は
利権にたどり着くには結局コネがいる、だから左翼はアホ
高学歴になってからコネ社会に気がついてうだうだ言ってるのだからね
昔の学制で高等学校や大学にいくのは社会的地位というよりも
階級的地位が高い家の子孫だけ
いまでいえば安倍さんや麻生さんのような日本を背負う宿命を持った人たちが倫理観や歴史を学ぶところだった
今は、あべこべなんだよ小泉総理の息子が関東学院でトラック運転手の息子が東大生 受験勉強で問われているのは、豊かな才能や特定の分野での優れた才能ではないというのが私の意見です。
受験勉強の内容なんて、一定水準以上の頭脳があれば、後はどれだけ勉強したかという量がものを言います。
そこで問われているのは、才能と言う質ではなく勉強時間という量です。
別の言い方をすると、自分の好き嫌いにとらわれず与えられた目標に向けて如何に己を律し目標に向かって努力することが出来るかどうかが問われているのです。
日本の受験システムでは、特定の分野に才能はあっても、気が乗らない・気が向かないことはやりたくない、やらないという自分勝手な気紛れ屋さんは容赦なく排除されます
。
好きだろうが嫌いだろうが与えられたものを全てこなすことが出来る人が浮かびあがれるシステムです。
一見全く無意味な作業でも「それが与えられたDUTY」なら淡々とこなす。
ネルソン提督がいう「England expects that everyone will do his duty」を黙々とこなせる人を選び抜くシステムなのだと思います。
英国のボート競技のいいところは「スターを作らない」ところにあるといいます。
日本社会は全員でボートを漕いでいるような、ボートを漕ぐことを求めるような、そういうところがあるように思えます。
鼻先にニンジンをぶら下げて子供を勉強に駆り立てる。
これは受験システムが悪いのではなく、階級の無い社会からあまねく人材を求めようという選抜システムに問題があるのです。
これが嫌ならはじめから「支配階級」を固定し、身分制をつくって、エリートはエリートとして財産的にも文化的にも庶民とは完全に分けて全く別のコースを歩ませる必要があります。 こういった身分制を否定する人もいますが、私は必ずしも悪いことばかりとは思いません。
そこでのエリート教育は「出世」「生活の上昇」「いい収入の獲得」という成り上がりのインセンティブではなく、義務感による学習の強制が中心となります。
それはちょうど日本の歌舞伎役者の子弟教育に似ています。
歌舞伎役者の子弟にはレーサー、パイロット、スポーツ選手、サラリーマンなどなどになる「職業選択の自由」はありません。音羽屋の息子は音羽屋になるしか許されないのです。
彼らは好きで役者になるのではなく「親の説得による諦め」で役者になるのです。彼らは好きで日本舞踊をならうのではありません。それが「音羽屋に生まれたもののつとめ」だから舞踊をならうのです。
英国の、いいえ江戸時代の日本のお殿様の子弟教育もこんなものだったのではないでしょうか。
息子を天守閣に連れて行き、眼下に広がる領地を見渡しながら「息子よ、この領民たちの運命は全てソチの双肩にかかっているのじゃ。
これら領民を生かすも殺すも全ておまえ次第なのじゃ。そうと分ったらおまえに無駄に出来る時間はないはずじゃ。勉強せい。それがおまえの務めなのじゃ」
英国人がなぜラテン語を勉強するのか。なぜシェークスピアなのか。
それが貴族の型を作るからです。ちょうど歌舞伎役者が近松を学ぶのと同じです。別に好きだから凄いと思うから学ぶのでは無いと思います。
身分制社会の教育も結構捨てたものでは無いと思います。ノーブレスオブリージュはこうして作られるのではないかと考えています。
身分格差を設けず、広く社会から才能を求める。この一見非の打ち所の無い美しいシステムには、実は重大な欠点が潜んでいます。
そこでは学歴も収入も地位も全て努力次第で手に入れることが出来るのですが、この努力というのが曲者なのです。 まず競争の勝利者は「努力した偉い人」であり、競争に敗れた人は「努力の足りないダメな奴」という暗黙の前提が生まれます。
競争に負けた人は才能がなく努力が足りない人と看做され、逃げ場を失います。
また、競争が「才能という質」ではなく「どれだけ己を殺し働き続けたか」という「量」が問われるようになると更に問題が倍化します。
そこでの「努力」は「どれだけ己を殺したか」という「自己犠牲」の競争となり、「自己犠牲」は「将来のための投資活動」となります。「投資」とは「回収されなければならないもの」です。
運良く努力が認められ役員コースを歩めた人は投資を順調に回収することが出来ハッピーですが、そんなことができるのはごく一部です。
そうならない大半の人は「そんな馬鹿な」「オレはこんなことの為に己を犠牲にしてきたのか」「オレの人生は一体なんだったのだ」ということになりがちです。
こうして志と違う道を歩まされたものの何人かは汚職をして金を掴もうとしたり、交際費を使いまくろうとしたり、目下のものに威張り散らして「投資を何とか回収」しようとします。
更に悪いのが撤退戦で、本来組織のトップにあるものには「潔さ」が求められると思うのですが日本には潔いトップはほとんどいない。
だってそれまでの人生は己を犠牲にした投資行為でありようやくその回収に入ろうと思った途端、部下のチョンボの尻拭いなんて冗談じゃないとまあこうなるのです。 そこには英国のマウントバッテン卿のような威厳をもってインドから撤退する英国貴族とは正反対の「蜘蛛の糸」に出てくる「カンダダ」のような性根の卑しい奴しかいないのです。
「オレの一生は努力の連続だった。今ようやくその努力が報われたんだ。そのオレがなんで責任をとらにゃならんのだ」かつての帝国陸軍の将校、作戦参謀もみんなこんな連中でした。
英国では貴族が下民に範を示すため率先して突撃隊の先頭に立ちました。その結果、オクスフォードやケンブリッジの学生の死傷率は平均をかなり上回るものだったと言われています。
その点日本では満州にしろガダルカナルにしろ将校が真っ先に逃げた。
「オレは秀才であり日本にとって有為な人材だ。こんなところで犬死してたまるか」というわけでしょう。
帝国陸海軍の士官は出世し偉くなって勲章をもらうために軍人になったのであって、そこには義務感などほとんどなかった。
「オレは努力した偉い人間で報われて当然。死ぬのは努力の足りない馬鹿から順番に死ね」大半の人がそう思っていたんじゃないでしょうか。
成り上がりシステムの欠陥ここにあり、と思っています。 学歴なんて予備校が偏差値でお前らにコンプ植え付けてお金を引き出す最低な商売のために生まれた価値観
だいたい今の大学は昔と違うからな、明治以前の旧制高校・大学は価値があったがな
学生が身分の内訳だとしたら、現代だと大卒でも地元の関東学院的な感じの大学に行く奴が上流、
付属の小中高からならなおよし
祖父が旧制高校、父が普通の大学、子供は私立の一貫
みたいに代を経ると努力不要になるそれが一般的な身分の見方
自分の思う上流てのは、祖父の代以前から高等教育を受けてることだね
すなわち、旧制高校や大学を祖父や曽祖父が卒業してること、自慢じゃないが
ウチの曽祖父はY専といって現在の横浜市立大卒だからね
旧帝大はほとんど無試験だった
じゃあ、だれでも簡単に入れたかというと逆で、超難関だったw
なぜかというと、旧制高校というのがあって、旧制中学から猛烈に難しい学力試験に合格しないと入れない。
その前に、小学校から中学に入るのも難しい試験があり、そこで十分にふるいにかけられる。
5年制だが学力優秀者は4年で高校受験できた。
簡単に書けばそういうことで、旧制高校は日本全国に10数校しかない。しかも全寮制
で、東京「1高」、仙台「2高」、京都「3高」が超難関。
それぞれの高校に入学しただけでその地ではエリートとして遇された。
帝大は将来の志望分野で、決めることができた。
東大は法、京都は文、仙台は理。そんな感じだったとか。
祖父の代が旧制高校・大卒者は
並みのレベルじゃない上流階級だから孫の代だと大卒者ですらなくても生きていけるだけなんだ
能力的には士官学校のほうが難関だったろうね。
旧制高校は青白きインテリ向きだったかも知れないが
士官学校は学力、体力、体格、精神力、運動能力、頭脳、勇気、リーダーシップ
すべて要求されたから。 愚者は経験して学び、賢者は歴史から学ぶ
イギリスは歴史に学んだ
イギリスが世界中を植民地にして回ることに成功したのは、歴史を重んじることを国是とした国であったからだ。
彼らは、植民地経営に乗り出すまでに、膨大な知識を記録、整理し、歴史としてまとめる作業を数百年かけて行い、智慧をひたすら蓄え続けてきた。
彼らに侵略されたアフリカや南アジア、北米大陸やオセアニアの土着の人々が、自分たちの狭い経験をもとにイギリス人に対抗したのに対して、
イギリス人はローマ史からの歴史を学び、マキャベリなどの天才たちの知識を学び、それを自国に生じた事件に当てはめ、原住民を効果的に分断統治し、世界の半分を支配することに成功した。
たとえば当時イギリスの植民地であったインドは、香辛料などの原材料を輸出して イギリスを相手に多額の黒字を計上していた。
ところが黒字はルピーではなくポンドを使って決済され、そのままイギリスの銀行に預けられていた。
だからイギリスはいくら植民地を相手に赤字を出しても平気だった。
イギリスの銀行に預けられたポンドを、イギリス国内で使えばいいからだ。
インドは名目上は債権が増え、お金持ちになったが、そのお金をイギリスの銀行から自由に引き出し、自分の国では使えなかった。
お金の使い道は預金者ではなく、イギリスの銀行が決めていたからだ。
そしてもちろん、イギリスの銀行は国内の人々に貸し出した。
イギリス国民は植民地から輸入した品物で生活をたのしみ、
しかもしはらったポンドも イギリスの銀行に吸収され、イギリスのために使われるわけだ。
こうしてイギリスはどんどん発展した。
一方植民地はどうなったか。 たとえばインドは商品を輸出してもその見返りの代金はポンドでイギリスに蓄積されるだけだから、
国内にお金がまわらなくなる。どんどんデフレになり、不景気になった。
仕事がきつくなり、給料が下がり、ますます必死で働いて輸出する。
ところが黒字分の代金は、ポンドのまま名義上の所有としてやはりイギリス国内で使われる。
こうしていくら黒字を出してもインドは豊かになれなかった。
そして、赤字を出し続けたイギリスは、これを尻目に繁栄を謳歌できた。
このイギリスとインドの関係は、そっくり現在のアメリカと日本の関係だと言ってもよい。 インテリジェンスは、知能やそれの働き、あるいは知能が働く上で利用する情報群などを内包した概念であるが、
物を考える能力があるからといって、或いは情報が集積されているからといって、それがインテリジェンスの概念に相当する訳ではなく、
その双方が揃って正しく機能することがインテリジェンスであると解される。
知性は感覚器官で知覚された情報を、内部情報や様々な経験といったものと照らし合わせて、
客観的(→主体)に的確な判断を下すことである。
これは生物学などの視点から見れば程度の差こそあれ昆虫や微生物といった極小な生物でも普遍的に行っていることであるが、
より高次の哲学など精神性や抽象的概念を論じる分野に於いては、
昆虫や微生物が外界を知覚してそれに即した行動を行ったからといって、これが知性の働きによるものだとは余り認識されない。
一方で今日我々人間が利用しているコンピュータを含む様々な機械や装置は、その機能を詳しく知る者にとって、
昆虫など単純な動物の脳機能程度の複雑さしかなく、しかも自然界に存在する脳神経回路と比較した場合には、極めて限定された機能しか持たない。
イカの脳をコンピュータとしてみた場合に驚くほどコンパクトで高速演算機能を備えているのに比して、
高度・高速な処理能力を有する人間の作ったコンピュータは相応の容積を必要とするなど、道具としてのコンピュータの能力はまだまだ原始的な動物の脳ほどにも賢くはない。
しかしこれら人間の道具として作られたコンピュータは利用者が操作しやすいヒューマンマシンインタフェースを備え、
また人間が理解できる形で情報を出力する機能をもち、人間が求める機能に特化して設計されているため“インテリジェンスである”と認識される。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています