人間のやり取りは全ては取引で(扱われるのは貨幣と商品とは限らず、信用とか安心とか健康とか時間とか全部そう)、忖度や卑屈では取引の入り口どころかそもそも取引ですらない
粛々としてれば良い思いが出来ると思ってるなら、そんなのただの幼児的全能感に過ぎず、まるで全体の為にならないわけ
そんなもん一時的に得したい存在にだけ都合がいい
誠意と緊張感をもって接するところに互いの成長がある、ってだけの話で、こんなの近所の適当なコンビニを利用する事すらそのゲームの中にある