アンパンマンアンチスレ
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そうしたら、呼笛が鳴って、写真が消えてしまったんだ。 これだけ聞くと、大に悟っているらしいが、お徳は泣き笑いをしながら、僕にいや味でも云うような調子で、こう云うんだ。 だが、ヒステリイにしても、いやに真剣な所があったっけ。 事によると、写真に惚れたと云うのは作り話で、ほんとうは誰か我々の連中に片恋をした事があるのかも知れない。 (二人の乗っていた電車は、この時、薄暮の新橋停車場へ着いた。) 童話時代のうす明りの中に、一人の老人と一頭の兎とは、舌切雀のかすかな羽音を聞きながら、しづかに老人の妻の死をなげいてゐる。 とほくに懶い響を立ててゐるのは、鬼ヶ島へ通ふ夢の海の、永久にくづれる事のない波であらう。 老人の妻の屍骸を埋めた土の上には、花のない桜の木が、ほそい青銅の枝を、細く空にのばしてゐる。 その木の上の空には、あけ方の半透明な光が漂つて、吐息ほどの風さへない。 やがて、兎は老人をいたわりながら、前足をあげて、海辺につないである二艘の舟を指さした。 童話時代のうす明りの中に、一人の老人と一頭の兎とは、花のない桜の木の下に、互に互をなぐさめながら、力なく別れをつげた。 兎は何度も後をふりむきながら、舟の方へ歩いてゆく。 その空には、舌切雀のかすかな羽音がして、あけ方の半透明な光も、何時か少しづつひろがつて来た。 黒い舟の上には、さつきから、一頭の狸が、ぢつと波の音を聞いてゐる。 或は又、水の中に住む赤魚の恋を妬んででもゐるのであらうか。 彼等が、火の燃える山と砂の流れる河との間にゐて、おごそかに獣の命をまもつてゐた「むかしむかし」 童話時代のうす明りの中に、一頭の兎と一頭の狸とは、それぞれ白い舟と黒い舟とに乗つて、静に夢の海へ漕いで出た。 永久にくづれる事のない波は、善悪の舟をめぐつて、懶い子守唄をうたつてゐる。 花のない桜の木の下にゐた老人は、この時漸頭をあげて、海の上へ眼をやつた。 くもりながら、白く光つてゐる海の上には、二頭の獣が、最後の争ひをつづけてゐる。 除に沈んで行く黒い舟には、狸が乗つてゐるのではなからうか。 さうして、その近くに浮いてゐる、白い舟には、兎が乗つてゐるのではなからうか。 老人は、涙にぬれた眼をかがやかせて、海の上の兎を扶けるやうに、高く両の手をさしあげた。 それと共に、花のない桜の木には、貝殻のやうな花がさいた。 あけ方の半透明な光にあふれた空にも、青ざめた金いろの日輪が、さし昇つた。 獣性の獣性を亡ぼす争ひに、歓喜する人間を象徴しようとするのであらう、日輪は、さうして、その下にさく象嵌のやうな桜の花は。 これは学校友だちのことと言ふも、学校友だちの全部のことにあらず。 只冬夜電燈のもとに原稿紙に向へる時、ふと心に浮かびたる学校友だちのことばかりなり。 人生観上のリアリストなれども、実生活に処する時には必しもさほどリアリストにあらず。 上滝のお父さんの命名なりと言へば、一風変りたる名を好むは遺伝的趣味の一つなるべし。 自宅の門を出る時にも、何か出かたの気に入らざる時にはもう一度家へ引返し、更に出直すと言ふ位なれば、神経質なること想ふべし。 震災の少し前に西洋より帰り、舶来の書を悉焼きたりと言ふ。 リアリストと言ふよりもおのづからセンテイメンタリズムを脱せるならん。 西川に伯仲する秀才なれども、世故には西川よりも通ぜるかも知れず。 東京の法科大学を出、三井物産に入り、今は独立の商売人なり。 実生活上にも適度のリアリズムを加へたる人道主義者。 大金儲したる時には僕に別荘を買つてくれる約束なれど、未だに買つてくれぬ所を見れば、大した収入もなきものと知るべし。 鈴木三重吉、久保田万太郎の愛読者なれども、近頃は余り読まざるべし。 風采瀟洒たるにも関らず、存外喧嘩には負けぬ所あり。 冷静なる感情家と言ふものあらば、恒藤は正にその一人なり。 京都の法科大学を出、其処の助教授か何かになり、今はパリに留学中。 僕の議論好きになりたるは全然この辛辣なる論理的天才の薫陶による。 句も作り、歌も作り、小説も作り、詩も作り、画も作る才人なり。 尤も今はそんなことは知らぬ顔をしてゐるのに相違なし。 僕は大学に在学中、雲州松江の恒藤の家にひと夏居候になりしことあり。 その頃恒藤に煽動せられ、松江紀行一篇を作り、松陽新報と言ふ新聞に寄す。 細君の名は雅子、君子の好逑と称するは斯る細君のことなるべし。 東京の法科大学を出、今はベルリンの三菱に在り、善良なる都会的才人。 永井荷風、ゴンクウル、歌麿等の信者なりしが、この頃はトルストイなどを担ぎ出すことあり。 僕にアストラカンの帽子を呉れる約束あれども、未だに何も送つて呉れず。 レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。