本作を一言でいうならば、非常に捉えどころのない話である

よりややこしいことに、セルゲイの死後、さらに時間軸がイザークの少年自体まで戻り
クラウンピースとの邂逅の中であたかもセルゲイがイザークの空想の産物であるかのように
語られている。なので、ひょっとしたらセルゲイという人物自体が実在しないのではないか、
一体誰が、正気で、真実を語っているのかよく分からないような感じになっている

ただ、およそ数十年前にイザークが空想したセルゲイと「偶然ぴったり条件が当てはまる」セルゲイが実在し
クラウンピースはずっとイザークの空想の産物を捜していたからセルゲイを見た時に「ギリギリ合格」と表現したのだと
そう思いたい。でないと、最早この感想自体が狂気と空想の産物ということになってしまう

ただ一つ、本作を読むうえで、読者が絶対誤解してはならないと確信をもって言えるのは、
本作は邪悪な妖精クラウンピースが男二人を蠱惑して死に追いやる話ではないということである

では、誰が二人の男を殺したかと言えばそれは「時代」であり「時代の思想」である
"月に憑かれたように"宇宙開発を目指し、争い、そして互いの正気を疑い合い、あるいは狂気が正気と呼ばれた
その空気が、二人の男を狂気へと追いやったのであり、この二人の男の狂気が、作為的であるにしろないにしろ

「地獄のしがない粗暴な妖精」に過ぎなかったクラウンピースを「月の妖精」へと押し上げたのである
ただ奪い、犯すだけだったクランピースが狂気という一種の信仰によって新たな付加価値を得、パワーアップしたのだと言えるかもしれない

そういう意味で「月に憑かれたクランピース」というタイトルの文節の間にはいかような補足を足す事も可能であり、
同時に、何らかを足さなくては意味をなさない物であると言うことは間違いなく言えるだろう