0001名無しヒーリング
2019/12/27(金) 04:39:29.40ID:0l/gnFVu愚かな者は、例えばここでオレンジを一つ買う。
それを食べて、その美味しさを味わったとしよう。
次の日も2個、3個、4個と買って、好きなだけ食べる。
そして、オレンジに飽きる。
もはや美味しくは無い。
…では、次はぶどうにしよう。
彼はぶどうを食べる。
飽きるまで食べる。
次はりんごだ。
りんごで同じことを繰り返す。
そしてバナナ、梨、柿…と、彼はいつまでも繰り返す。
ここで、智恵ある者だったらどういう過程を辿るのかな。
その人は、オレンジに飽きたとき、「私はなぜ、オレンジに飽きたんだろう?」と考える。
そして、「私は今度は、ぶどうを食べたいと思っているけど、ひょっとすればぶどうにも飽きるんじゃないか。」という考えに至るだろうね。
そして、ぶどうに挑戦するとき、「それなら、自分がぶどうを食べている時の心の変化を、できるだけ客観的に見ていこうじゃないか。」と決心する。
そして、ぶどうを食べていきながら、食べる量を増やしていきながら、心の変化を理解していく。
そうするとね、オレンジとぶどう、これくらいで飽きる経験は済んでしまうわけだ。
飽きる経験が済んでしまうから、次のりんごまでいかない。
いく必要がないんだ。
お金について空想しても同じだよ。
もし仕事で成功して予想しない大金が手に入ったら、もし親族の遺産が手に入ったら、もし宝くじが当たったら…悠々自適に暮らせるだろう、
楽して暮らせるのだ、マンションを買おうか、高級なクルマ、それとも好きな女と結婚して豪華な家に…。
と、次々に心が移ってしまうプロセス、これも全く同じだ。
オレンジやぶどうがね、車に変わっても同じだね。
例えばフィット、例えばヴィッツ、例えばアクア。
初めにフィットに乗っていてね、
飽きてヴィッツにする。
次はアクアにしてみる。
これと、オレンジ、ぶどう、りんごのプロセスは全く同じだ。
異性について考えても同じだよ。
A子さん、B子さん、C子さんと心が移っていくプロセス、これも全く同じだ。
だから、私達は、もしオレンジで心の動きを理解したならば、車に対しても異性に対しても、惑わされることはないだろう。
その時、『自ずと悟りが訪れます』。
急に、悟り、なんて言葉がでてきてびっくりしたかな?
オレンジやお金と車と悟りが、なにやらつり合わないような気がするかもしれない。
しかしだ、悟りとは心の動き、あるいは真我がどのようにして闇の中に入っていくかを、客観的に見て理解できる状態のことなんだ。
いいですか。これが悟りのプロセスだ。