シンプルに
49 ◆Maria/HshU 2004/09/13(日) 21:03:51.07 ID:T5s3RFIu0
ロベルト・バッジョ 魔法のトラップ
これが最高かな
外部リンク:www.youtube.c...G6aBjIIc&;sns=em
191 :靉孥:2005/02/10(金) 14:06:53.35 ID:J1ZbaXDN0
>>49すげーな
193 :名無しに人種はない@実況はサッカーch:2005/02/10(金) 18:11:33.65 ID:bdChDvcOO
>>49
キチガイだな なにこれ ロベルト バッジョ 魔法のトラップ
https://youtu.be/I1wky11zNZA
一見すると地味なゴールに見えますが
高度な技術が濃縮されています ほんとに何回見てもヤバいです。
サッカーをしたことがある方なら分かると思いますが、
このような真後ろから来るボールというのは本当に難しいんですよね。
たいていの選手はボレーでそのまま打とうとして上手く当たらず枠を外れたり、
ゴールに背を向けたままのトラップというのが普通だと思います。
しかしバッジョは一連の動作で
前を向いたままトラップし
同時にそのトラップでキーパーさえもかわしてゴールしてしまいました
満点です(笑) 大迫半端ない アイツ半端ないって
後ろ向きのボールめっちゃトラップするもん
そんなん出来ひんやん普通
https://youtu.be/wpOIfI16SjM 例えばこれは高校選手権での大迫選手のトラップですが
確かに日本の高校生レベルでは巧いかもしれません
ですがこれを見てもバッジョ選手のトラップは次元が違うことが分かります
https://youtu.be/zcVzqryed3g 35(2): ロロ ◆RNLMhOuCjE 2007/02/18(日)03:04 ID:bojWnYyH0(2/5) AAS
最近はロナウジーニョのような過剰なサーカスプレーヤーがニワカ受けするからと言ってマスコミの偏重した報道姿勢にはがっかりする
サッカーの本質を失っているのではないか?
だからマラドーナのような至高のテクニシャンをたまみたいなニワカが本当の技術を知らずに叩いている現状がかなしい
シンプルに高度なプレーを簡単にやってのけるほど上手いのである
その意味においてマラドーナ・バッジョの技術は神の領域と言えるね
(2): ロロ ◆RNLMhOuCjE 2007/02/15(木)05:04 ID:jKjanYoF0(2/5) AAS
バッジョのプレーはシンプルの中に高度な技術が濃縮されたワインのようなもの
奇抜なトリックプレーなど下手くそがやる苦し紛れ アルバート・アインシュタインは、おそらく最も有名な物理学者であり、
「現在、過去を含めて、天才といえば誰か?」と問われた時、真っ先に名前が浮かぶ最有力候補ともいえるでしょう。
なぜそれほどまでに、アインシュタインは人の心に残っているのでしょうか。
まずここで、私が感じる「天才の条件」を挙げさせてください。
「天才とは、若い時期にとてつもない業績をあげる人のことをいう」
「天才とは、それまでの既成概念を、根底から覆す人のことをいう」
「天才とは、何人分にも匹敵する業績を、たった1人で完成させる人のことをいう」
「天才とは、見ている人に壮快感を味わわせる人のことをいう」
アインシュタインはこの全てを持ち合わせた人物だと思えるのです。天才と呼ばれる人は、
世界規模で考えれば何人も思い浮かべることができます。
でも上の条件を全て兼ね備えた人物は数えるほどしかいません。そう、アインシュタインはまさに“King of Genius”なのです。 彼の実績で最も有名なのは「相対性理論」です
(厳密には等速運動を扱った「特殊相対性理論」と加速度運動を扱った「一般相対性理論」があります)。
しかし僕は「相対性理論」という言葉がしっくりきません。
この素晴らしい理論には、もっと相応しい名称があると思うからです。
僕は、このアインシュタインの壮大な美しい理論を「絶対性理論」と呼びたいです。
なぜ“相対性”ではなく“絶対性”なのか。これは、基準とするものが何なのかによって変わってきます。アインシュタインの理論が発表される前、自然界では「時間」と「距離」が絶対で、「速さ」=「距離」÷「時間」・・・式(1)が示すように、
「速さ」は「時間」と「距離」の組み合わせによって表されるものと認識されていました。
しかしアインシュタインは「光の速さC」こそが絶対で、「時間」と「距離」は時空の状態によって変わる――「時間」は早くも遅くもなる。
「距離」は伸びたりも縮んだりもする。――と捉え、そう予言したのです。 これは画期的な事でした。それまでは「時間」や「距離」が何かに影響されて伸び縮みするなんて、誰も考えませんでした。
あなたの周りを流れている「時間」と、僕の周りを流れている「時間」の進み方が、条件によって変わってしまう。
歳の取り方だって変わってしまうなんて信じられますか?
ただし「時間」や「距離」が伸び縮みするのは、対象となる人や物体が「光速C=300000000m/s(1秒間に地球を7周半する、
宇宙で最高の速さ)」で動いている時でないと、大きく表れてこないので、残念ながら日常生活では体験することができません。
まさしくアインシュタインは、過去2000年にも及んだ既成概念を、
たった1人で、26歳の若さで、爽快にブッとばしてしまったのです。
さらに大きな驚きがあります。「光速C=300000000m/s」は、どんな状態で測定しても、
「300000000m/s」であるという事実です。測定値が「300000000m/s」となるべく変化するのは、式(1)の中の「時間」と「距離」のほうなのです。
そう、アインシュタインの結論は「地球を含めたこの宇宙は“光速C”を基準(絶対)に存在している」ということなのです。 一般に物理学者は、このように「時間」や「距離」が相対的なものでしかないという点に注目して、アインシュタインの理論を「相対性理論」と呼んでいます。
しかし、アインシュタイン本人は「光速C」が絶対だということのほうに真実を見ていたのです。
もちろん「光速C」が絶対ならば、当然「時間」や「距離」が相対的なのですから、両者の言っていることは同じなのです。
しかし「同じ式、同じ事実を見た時に、どちらの意味がより重要で、真実を物語っているのかを感じられる心」こそが最も大切だと私は思います。
科学者と呼ばれる人々は多いでしょうが、感じる心を持っている科学者になってはじめて、
一流と呼べるのではないでしょうか。 最後に、アインシュタインが生涯、最も大切にしていたことに触れたいと思います。
彼が常に意識し、求めていたものとは「シンプル」ただそれだけなのです。
「光速C」が絶対であることは、たったひとことで、この宇宙を記述しています。これ以上シンプルに宇宙を語ることはできるでしょうか?
アインシュタインは「シンプル」=「真理」だと解かっていたのだと思います。
天才とは、難しいものをシンプルに捉える能力であり、
その真理を我々の前にわかりやすく翻訳してくれる人である。 アインシュタインの名言。
6歳の子どもに説明ができないなら理解が足りていないということ。
人間、教える側に回ってみると意外と理解が足りていないということがわかります。
人に教えもせずに分かったつもりでいると大抵分かっていないということにぶち当たってしまいます。
考え方としてはアインシュタインがいうように6歳の子どもに説明ができるように、
つまりは、全く知らないことに対してもちゃんと説明ができるようになる。
これが理解の境目でしょうね Inc.:天才とは、「驚異的な複雑さを理解できる人」と定義してもいいかもしれません。
でも、もし今、偉人の1人と話せるとしても、彼らはおそらく難しい言葉を使わずに説明してくれるでしょう。
ノーベル賞受賞者のリチャード・ファインマン氏は、「真の天才の証とは、物事をシンプルに説明できる能力である」と述べています。
このことは、アルバート・アインシュタインが我が子に宛てた手紙からも読み取れます
当時11歳だった息子のハンス・アルベルト・アインシュタインに宛てた短い手紙には、
あまり知られていないアインシュタインの父親としての一面とともに、ファインマン氏の言う天才である証明も垣間見えます。
そう、その手紙は難解な言葉を一切使わず、非常に分かりやすい言葉で書かれているのです。 君がピアノを楽しんでいるようで、父さんはとてもうれしいよ。
父さんは、君ぐらいの年の子はピアノと大工仕事を追求するのがいいと思っているんだ。
それこそ、学校よりもね。それらは、君のような若い人にとても合っているから。
ピアノの先生から指定されなくても、自分が楽しいと思う曲を弾くといい。なぜなら、それがいちばん学べる方法だからね。
楽しいことをしていると、時が過ぎるのも忘れてしまうだろう。
父さんもときどき、仕事に没頭しすぎて、お昼ご飯を忘れてしまうことがある 単純明快に考えることで問題解決も早くなり、悩む表情もしわも消えていきます。
なにより、精神的なストレスも小さくなるので、気持ちが楽です。
自称知識人は、そうした人を「考えが浅い」と批判します。
本来、シンプルに考えればすぐ解決することを「難しく考えることがかっこいい」と思っています。
シンプルなことを、わざわざ難しく考えているだけです。
そういう考えは持つ必要はありません。
シンプルに考えることこそ、一番かっこいいです。
モデルの人がいつまでも若々しいポイントは、シンプルな考え方にあったのです。 あなたの周りに、難しい話をする人、いませんか。
おそらく、その難しい話ばかりをする人の表情は、疲れた表情になっているのではないでしょうか。
複雑に物事を考えていると、精神的な疲労が大きくなり、難しくて分かりにくいうえに、疲れやすくなります。
こういう場合、たいてい本人は、難しく考えることがかっこいいと思っています。
難しい話をして「分からないよ」と言われることに、快感を味わっています。
「俺の考えていることは、ほかの人間よりレベルが高いんだ」と思っているのです。
難しいことを考えている人に限って、眉間にしわが寄り、硬い表情になっています
そしてそういう人ほど物事をよく理解していないのです
複雑化された現代社会では難しく複雑に考えることこそが高尚なことだという思い込みを多くの人が持ってます 稲盛氏の言葉にあるように
馬鹿と呼ばれている人は
どんなに簡単なことでも複雑に難しく考えてしまいます
普通の人は複雑で難しいことをそのまま難しく複雑に考えます
そして本当に賢い人はどんなに複雑で難しいことでも単純にシンプルに考えられる人です ものごとを相手に伝えたいときに、できるだけ短く簡単に伝えたいのですが、
私は理屈っぽいのでそれができない。話の途中で相手が疲れてしまうことも、よくある。
パスカルの手紙
有名なお話で「パスカルの手紙」がある。パスカルというのは、ご存知の方も多いと思いますがフランスの哲学者・数学者のブレーズ・パスカルです。
その、パスカルが友人に書いた手紙に「短い手紙を書く時間がなかったので、代わりに長い手紙を書きました。」というのがある。
本来であれば、長い文章を短くして分かりやすくする必要があるのだが、
要約する時間がないから長い文章になりました、という意味です。
ダラダラと長い文章、ダラダラと長い会議、
ダラダラと長い説明は、しゃべているほうは満足かもしれないが、聞いているほうには伝わらないからなぁ。 パスカルの時代は、ワープロソフトが使える私たちの時代ほど、編集作業が簡単ではありませんでした。
パスカルはあっちに行き、こっちに行き、時に脱線しながら、羊毛紙に言葉を書きつけていったはずです。
結果、意図していたより長い文章になってしまったのです。
実は、私たちがビジネスプロセスやシステムをデザインするときも、同じことが起こっています。
シンプルでエレガントなデザインにしたいのなら、それだけの労力を注がなければ、
難解でまとまりのない製品やサービスが出来上がってしまいます。言い換えると、シンプルは難しいのです 手にしたことがあるAppleの製品を思い出してください。
見た目が素晴らしいだけでなく、ほとんど直感的に操作できます。
そのため、Appleは製品にマニュアルを同梱していません。
これらは子どもが手にとってもすぐに使えてしまうほどシンプルなのです。
スティーブ・ジョブズについて多少の知識があるなら、ジョブズがデザインの狂信者で、デザインをシンプルに使いやすくすることに徹底的にこだわり、
そのために膨大な時間を投資したことをご存じのはず。
復唱してください。「シンプルは難しい」と。 ピカソの抽象画で引き算の美学を教える「アップル大学」
2014.9.7 06:30
ZUMAPRESS/AFLO スティーブ・ジョブズが作らせたAppleの社内研修プログラム「Apple University」では、
ピカソの描いた「雄牛」を教材にして、不必要な部分を徹底的にそぎ落とすことの大切さを教えている。 複雑なことは分解して単純にすると
解決できるということについて、
解説していきます。
世の中の事象は、
全てシンプルな事柄が
組み合わさっています。
根源法則が組み合わさって、
様々な現象が発生します。
ですから、複雑な事も、
よくよく見てみると、
シンプルな事柄が
組み合わさって
できていることが分かります。
複雑な現象や問題を、
どう解くかと悩んだときは、
分解してみましょう。 分解していくと、
いくつかのシンプルな
事柄が現れます。
後は、そのシンプルな事柄を、
ひとつひとつ処理していくと
いいのです。
見た目で圧倒されて、
複雑なものはどうにもならないと、
考えないようにしましょう。
複雑なものは全て、
シンプルなものの
組み合わせで
できているのです。 なぜなら、
この世界を支配している、
根源法則そのものが、
とてもシンプルなもの
だからです。
鏡の法則も、とても
シンプルな法則です。 複雑なこと=ネガティブ
シンプルなこと=ポジティブ
で、シンプルなことの方がより本質に近く、
多くの人が、このシンプルな世界を自分で複雑な世界にしているのです
日本語に直すとシンプル=単純明快 前向き
ネガティブ=複雑怪奇 後ろ向きです ポジティブなエネルギーは、統合する本質を持つエネルギー。パワフルにつながり、創造的なエネルギーをひとつにする。
調和的、幾何級数的に急激に増加し、拡大していく力がある。
人の場合、その人の真実の自己とつながっている。喜びを土台にしている。
ネガティブなエネルギーは、分離する本質を持つエネルギー。
一つひとつ個別に孤立させバラバラにする。パワーを取り除いてしまい、さらに分離が深まるネガティブなエネルギーを生み出す。非調和的。
人の場合、その人の真実の自己とつながっていない。怖れを土台にしている。 たとえネガティブに思えても、「ポジティブな意味づけをすれば必ずポジティブな結果を得るのだ」
という姿勢でいることを選択すれば、そのとおりの現実を体験することになる。
なぜなら「与えるものは受け取るもの」だから。 バシャール学校(8) – ものごとを複雑にしてしまうのは、みなさん本来の性質ではありません。
シンプルにすることによって自分の本質に戻ることができます。 「真理」というのは、カンタンに言えば、基本に還るということ。
自然の摂理、宇宙のルールに照らし合わせ、シンプルに考えることが大事ということです。
物事を複雑にしてしまうのは、
人間本来の性質ではありません。
シンプルにすることによって自分の本質に戻ることができます。
人間には自然の形態が沢山与えられています
人間も自然の一部なわけですから
複雑に難解にしてしまうのはそのように教育されて
或いはそのように育ってきたからです
シンプルにすることによって本来の
自分の性質に還ることが出来ます
難しいというのも一つの信念なのですが
難しいのは真実ではありません
難しく複雑に考えれば考えるほど真理から遠ざかります
その難しいという信念を変える必要があります 要は物事を複雑に考えるか単純に考えるかの違いだけです
人間誰しも天才になれる可能性を秘めているのです 我々が生きている社会は複雑極まりない。
人間の科学文明の進化とは複雑化の過程そのものであって、その最先端が現代です。
それゆえに複雑化したり、抽象化することは、この上なく高尚なことだという思い込みを多くの人は持っています。
そういう社会に生きていれば、おのずと複雑化する思考の習慣や癖が体に沁(し)み込むようについてしまうのは仕方ないことかもしれません。 複雑な東京の地下鉄を利用して移動するとき、あなたはどうやってルートを調べるだろうか。
一昔前なら路線図を見るのが当然であったが、現代では乗換案内をしてくれるアプリやウェブサービスが充実しているため、それを利用する人も多いだろう。
機械に頼ってしまう味気なさもあるが、それが懸命な判断かもしれない。
19日にオンライン科学誌「Science Advances」に掲載された論文によると、
大都市の公共交通網の複雑さは、すでにわれわれの認識の限界を超えているのだという 今回の研究では世界の15の大都市について、その公共交通機関の複雑さを分析し、
人間が旅行をする際に処理できる情報量の限界を調べた。
その結果、「8ビット」の情報量が人間の認識能力の一つの限界であると結論づけた。
これ以上の複雑さを持った交通網は、人々を迷わせてしまうようだ。
8ビット、つまり8回の2択、数字でいえば2の8乗である256までの範囲ということだ。
利用する路線の数や乗り換えの回数が増えるに連れて、それを表すための情報量は大きくなっていく。
では実際移動するときにはどれくらいが限界となる目安になるのだろうか。 論文の執筆者であるオックスフォード大学のメイソン・ポーター教授(数学)によると、
旅行者が初めて訪れた地でも、2回までの乗り換えなら比較的簡単に移動することができるという。
しかし、それ以上になると複雑さが格段に高まり、ルートをたどるのが非常に難しくなるのだ。
2点間を移動する手段を路線図で探索すると、いくつかのルートを比較検討することになるが、東京駅など、複数の交通手段を含み、
たくさんの乗り換え地点があるようなところで単純な経路を探すことは困難なのだという。 では、現実の都市はどういう状況なのだろうか。
今回の研究によると、東京、パリ、ニューヨークにおける主要な地域(たとえば渋谷や新宿のような)で公共交通網を使った移動は、8ビットを超える複雑さを持つことがあるとわかった。
特に地下鉄だけでなく、バスや電車などの手段も交えるようになると、この地域で起こりうる8割の移動が8ビット超える複雑さになっているという。
ポーター教授は英紙「DailyMail」の取材に対し、「人間の認識能力は限られています。
しかし都市の交通網の複雑性はどんどん成長しており、人間の限界を超えてしまいました」と話す。 わかりやすい路線図さえあれば、迷わないのではないかとも思える。しかし、これも内容によりけりで、
路線図をわかりやすくするためには、われわれの認識能力の限界を超えないように、枝分かれの数を256個以下に抑えなければならないという。 京都の地下鉄がシンプル過ぎると話題に
https://togetter.com/li/557365
これだけシンプルだと迷うこともなさそうですね
このシンプルさ
素晴らしい https://ch.togetter.com/2013/09/05/3335
東京の地下鉄はごちゃごちゃして複雑過ぎてスパゲッティみたいになってて
何がなんだかわけが分かりません 生きている限り悩みは尽きません。ですが、頭の中のカオスを整理するスキルを身につけると、
日々が楽しくなるし、自分で問題解決できるようになります。
ストレスを感じたら、カラオケやショッピング、スイーツバイキングで発散するのも悪くないでしょう。
けれども、思考をクリアにすることができれば、そのような対症療法的なことをしなくても、心穏やかに暮らせるのです。
考え方も、生活習慣なので変えられます。この記事では、
脳内のゴミを捨てるのに有効だと思う方法を5つお伝えします。できることから試してください 1.よけいな物を捨てる(断捨離)
一番最初にやってほしいことは、1日15分でいいので、
身の周りにあるいらない物を捨てることです。
いわゆる断捨離です。
よけいな物がいっぱいあると、思考も曇るのです。その理由は、
●視覚的な刺激が多すぎて脳に負担がかかる。
●未完了のものに囲まれていると、気分が落ち着かない。
●過去に引っ張られすぎる。
こんなことです。 家の中にあるガラクタは、脳にとっては、顔の前をぶんぶん羽音をさせながら飛んでいるハエのようなもの。
視覚的なノイズになっている、目の前のごちゃごちゃを取り去れば、とてもスッキリします。
このスッキリ感は、取り去って見なければわからないかもしれません。気になるところを、ちょっと片付けてみてください また、ガラクタは、先延ばしの集積です。処分し終わっていないものに囲まれているとイライラします。
前はよく着ていた服も、もう着ないなら、さっさと捨てないと、その服の処分はまだ終わっていないのです。
さらに、大量にある思い出の品など、過去の遺物は、それ見るたびに、済んだことばかり考えてしまうので、「今」に集中できません。
脳内が混乱していると感じたら、まずは断捨離を始めてください 次におすすめしたいのは、自分が考えていることを紙の上に書き出す作業です。
心の整理ができない人は、いろいろなことを、ああでもない、こうでもない、と自分の頭の中で考えています。
自分では考えているつもりでも、単に迷っていたり、後悔したり、同じ考えを行きつ戻りつしている、ということはよくあります。煮詰まっているのです。
そういうことをするのに酔っている人もいますが、ほどほどにしたほうがいいでしょう。人生は短いので。 ネガティブなことばかり考えていると、暗い考えが強化されます。
心配ごとがたくさんあると、いろいろな思いがわーっと頭の中に浮かんできて、何も考えられなくなります。
頭の中でひっかかっていることはすべて紙に書き出してください。
覚えておくべきこと、やらなければいけないことも全部外に出します。
考えていることを、紙に書き出す作業は、冷蔵庫から食品を全部外に出す作業と似ています。とりあえず、脳内をからっぽにすれば、スペースができます。
つまり、脳内がクリアになるのです。 3.過去にこだわらない
もう過ぎ去ってしまったことをうじうじと考えてばかりいると、脳内にガラクタが増えます。
本当は、今と、ちょっとこれから先のことを考えたいのに、もう終わったことばかり考えているから、頭の中がぐしゃぐしゃになるのです。
過去があるから今があるので、過去は過去なりに大事です。しかし、今この時と、ちょっと先の未来の充実のために過去の記憶を使ったほうがいいのです。
時間はずっと続いているから、過去のことを考えてしまうのも仕方がないのですが、そこにエネルギーを注ぎすぎないようにしてください。 4.日常生活における選択肢を減らす
日常のごくささいな決め事のせいで、頭の中がいっぱいになってしまいます。
できるだけ選択肢を減らしてください。
化粧品やシャンプーを持ちすぎると、いちいち選ぶ必要があります。こういうことがけっこう脳を疲れさせているのです。
ふだんやってることは、どんどんルーティン化したほうが、頭が疲れません。 たとえば
●着るもの
●朝ごはんやランチ、晩ごはんに食べるもの
●洗濯する日や時間
こんなことにいちいち迷っていると、ストレスが増大します。
私は毎日同じものを着ているし、湯シャンにしたからシャンプーを選ぶ必要もなくなったし、化粧もしないのでとても楽です。
「そんな人生はつまらない」と思うかもしれませんが、いつも頭の中がぐしゃぐしゃでストレスいっぱいな日々よりましだと思いませんか?
制限があったり、選択肢が少ないほうが人は幸せだと、と専門家が話している動画を3つあります 人生という大きな絵で見た時、毎日着る服なんて、どうでもいいじゃないですか?
まあ、こだわりどころは人それぞれなので、そうではない人もいるかもしれません。
ですが、もし、いつも頭が混乱しているとか、気持ちの整理がつかないと自覚しているなら、
日々のささいなことはルーティン化することをおすすめします。 5.入ってくる情報を制限する
現代社会でストレスをかかえている人が多いのは、
情報化社会のせいもあります。
毎日、あまりにたくさんのよけいな情報が押し寄せてくるので、脳がオーバーロードするのです。
情報が多すぎると、選択肢も増えます。
情報を送ってくるものをシャットダウンするか、制限してください。 たとえば、
●テレビ
●新聞、雑誌
●インターネット(ブログとか)
●SNS
●スマホでするすべてのこと
こんなものが情報を送ってきます。
具体的な制限の仕方の例:
●テレビを捨てる
●SNSをやめる、あるいは時間を制限する。
●メルマガを解除
●ブログを読むのをやめる、あるいは、今の半分にする
テレビやスマホ、パソコンは捨ててしまうとスッキリしますが、必要な情報もあるし、
仕事に使う人も多いでしょうから、時間制限をもうければいいでしょう 一度、ふだん自分がどこからどのような情報をどれだけ受け取っているのか考えてみてください。
別に受け取らなくてもいい情報をたくさんもらっていることにに気づくでしょう。
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頭の中がぐしゃぐしゃだとストレスが増えるし、物事をしっかり考えられなくなります。
日常のささいな意思決定に力を注いでいると、大事なことに時間やエネルギーがまわりません。
時間もエネルギーも有限だと意識して、ゴミや余計なものを少しずつ取り除いてください。
地道にやっていると、効果を感じるはずです。 自分に自信がないという人はたくさんいるでしょう。
私がそうでした。自信がやっかいところは、自信がないと思っている人は絶対に自信を持つことができないところにあります。
それでも、少しでも自信をつけたい人には、天才たちの書物や音楽に触れることから始めてみてください。
たとえば、ビジネスマンで言えば、ビルゲイツ、スティーブジョブズ、孫正義、マークザッカーバーグ。歴史に名を残したアインシュタイン・レオナルドダヴィンチ・エジソン・釈迦など
世の中の「天才」と呼ばれる人たちは、独自の視点をもっています。それはリーダーになるための視点です。
リーダーの視点とは、通常見ている視点より、ひとつも、ふたつも上で物事見ている視点です。 これを抽象度の高い視点といいます。抽象度とは俯瞰で物事を観るという意味です。
高い視点で物事を観ることがリーダーには大切になります。
それは正しい方向に導いていく存在だからです。
人生のハシゴを高く伸ばせる人ほど、あらゆる情報や世の中の出来事を正確に把握することができる。もっとわかりやすく説明すると、抽象度が低い人は一つのモノに固執している状態。
逆に、高いと幅広い視点で多くのモノを客観的に観ている状態です。 まず、抽象度が高い情報に触れてみてください。
情報の中にも抽象度の概念が適用されます。
たとえば、ワイドショーを見ると、誰が浮気したとか、離婚したとかそういった抽象度が低い情報しかありません。
抽象度の高い情報とは、アインシュタインがたどり着いた「E=mc2」というような世界。
美しいほどシンプルな式に莫大な情報が詰まった世界です。
釈迦などの「悟り」や、神の旋律と呼ばれる、モーツアルトの音楽の世界です インターネットが普及し、これまでにないほどの情報が氾濫している時代です。
情報が多すぎて何を信用していいか分からないという方もいます。
そういう時代だからこそ、天才たちが生み出した抽象度の高い世界に触れてみてください。
それは、かれらの音楽や小説、本などが本物の情報だからです。 抽象度の低いテレビ番組を見るのではなく、モーツアルトの音楽を聞きながら、文豪が残した小説を読む。このように、
抽象度の高い情報を意識的に取り入れてください。 抽象度の高い情報に長時間触れていると、自分の抽象度も高くなっていきます。天才たち残した作品のエネルギーに引っ張れるからです。
ニセモノの情報に惑わされないようにするためにも、本物の情報、抽象度の高い情報に触れてみてください。 人・情報・環境の断捨離
抽象度を高くするためには、抽象度の低い情報や場所や人との距離を置くことです。
つまり、人・情報・環境の断捨離です。抽象度の低い情報は取り入れても意味がないばかりか、あなたを惑わす原因になります。
整理整頓の整理からはじめてください。必要な情報と不必要な情報を分け、不必要な情報は処分することです。 ワイドショーとか本当にどうでもいいですよね
芸能人の誰々が付き合ってるとか
結婚したとか離婚したとか
私達に何も関係ない情報だし
どうでもいい情報です
テレビなどはこういうどうでもいい情報ばっかり垂れ流しています 今から100年前、アインシュタインは「宇宙の真理」に迫る方程式を導き出した。E=mc2。
世界一シンプルで美しいと言われるこの方程式は、人類の世界観を変えた。
この方程式の誕生の背景には、18世紀以降、ヨーロッパの科学者たちが発見した、「質量」や「エネルギー」に関する法則があった E=mc2(エネルギーは質量と光速度の2乗の積に等しい)。
今からおよそ100年前の1905年、20世紀最大の発見とも言われる、この法則が導き出されたのである。 いーいこーるえむしーじじょう。
数式で書くとE=mc2。世界一有名な物理学の方程式である。
今回は、この数式の意味を深掘りしてみたい(えーと、実用面とかではなく、むしろ概念の深掘りです)。
まず最初に、記号の意味を語源まで遡って見ておこう。
Eはエネルギー(energy)、mは質量(mass)、そしてc はラテン語の迅速さ(celeritas、ケレリタス)の頭文字だ。エネルギーはギリシャ語由来だ。
ἐν(エン)と ἔργον(エルゴン)で、「内部にある、仕事する能力」という意味である。
あれ? なんだかイマイチ面白くないですな。早速、物理学的な話に入るとしよう。 エネルギーってなんなのさ
エネルギーという概念はとらえどころがない。
エネルギーは変幻自在に姿を変える。
エネルギーがつく言葉を適当に思い浮かべるだけでも、電気エネルギー、熱エネルギー、化学エネルギー、運動エネルギー、
位置エネルギー、重力エネルギー……と、まさに枚挙にいとまがない。でも、不思議なことに、あまり学校でエネルギーという概念「そのもの」について詳しく教わった覚えがない。
なぜだろう? 実は、この問題、大学や大学院で専門的に物理学を修めた人でも、あらためて、
「エネルギーってなんなのさ」
と突っ込まれたら、そんなに簡単に答えることはできない可能性がある。それほどエネルギーは物理学において厄介な概念なのだ。
しかし、見方を変えれば、逆にエネルギーはきわめてシンプルな問題だと開き直ることも可能だ。
それには、こんなふうに考えればよい シンプルな考え方:存在するモノにはすべてエネルギーがある
この命題の対偶をとれば、次のようになる。
エネルギーがないモノは存在しない
そう、エネルギーがゼロということは、モノとして存在できない、ということなのだ
物理学がモノの理(ことわり)をあつかう学問であるならば、物理学はエネルギーをあつかう学問と定義することも可能なわけだ。
エネルギーは、あまりにも根源的な概念なので、厄介であると同時に、シンプルに考えれば、存在そのものだともいえる。 エネルギーは変幻自在
さて、エネルギー=モノ、いいかえると、エネルギー=存在ということがわかったが、
それは、「内部にある、仕事する能力」なのであった。
たとえば、高い位置にある物体は、落下することによってエネルギーがあらわになる。位置エネルギー(=重力エネルギー)が運動エネルギーに化けるのである。
ちなみに位置エネルギーは、秘められた能力というような意味で、一般的にはポテンシャル・エネルギーに分類される。
英語のポテンシャル(potential)は「可能性、能力」を意味しますよね。 水力発電所では、高い位置にあった水が低い位置に移動し、高速・高圧になることを利用して、
タービンを回して電気エネルギーに変換している。
位置エネルギーが電気エネルギーに化けるわけだ。
産業革命における蒸気機関の発明により、人類は、
石炭や石油などの化石燃料を燃焼させる化学反応を利用して、熱エネルギーを運動エネルギーに変換し、機関車や汽船を動かせるようになった。
化学エネルギー→熱エネルギー→運動エネルギーというエネルギー変化(へんげ)の可能性が開かれたのだ。
私が乗っているガソリン車もこの原理で走っている。
熱エネルギーでタービンを回して、電気エネルギーへと変換することで、汽車は電車になり、各家庭に電化製品があふれる時代がやってきた。 で、そろそろ本論に入るわけだが、天才アインシュタインの「静止エネルギー」は、学校で教わるエネルギーには(ほとんど?)出てこない。
いったいなぜだろう? せっかく学校で「動いているモノには運動エネルギーがあります」と教え、
E=1/2 mv2
という公式の使い方まで指南した後に、「でも、モノは止まっていてもエネルギーがあります」と、
まるで逆のようなことを教えるのが厄介だからか。
たとえば、生徒からは、こんな質問が飛び出すにちがいない。
「センセー、止まっていた水が下に落ちたら、位置エネルギーが運動エネルギーに変わって、タービンを回して発電しますよね?
だったら、原子力発電に出てくる静止エネルギーもポテンシャル・エネルギーの一種なんですかぁ?」 ええと、原子力エネルギーによる発電では、核分裂の際に「質量が減り」、
その減った分の静止エネルギーが、中性子などの運動エネルギーに変換され、でも、中性子などはめちゃめちゃ小さいし、
飛んでいる方向もバラバラなので、それは熱エネルギーであり、その熱エネルギーでタービンを回して電気に変換する……
なんだか、頭がクラクラしてくるが、要は、静止している原子核の「静止エネルギー」が、
最終的に電気エネルギーに変換されるのだ。 「静止」しているのだから、それは「運動」エネルギーではないはず。だったら、広い意味でのポテンシャル・エネルギーなのではないか?
生徒がそんな疑問を抱いても不思議ではない。
だが、先生は、答えに窮するだろう。
なぜなら、静止エネルギーは、それまで学校で教わってきた位置エネルギーなどとは本質的に異なるエネルギーだからだ この話はかなり複雑で、アインシュタインの理論において、位置エネルギーみたいなポテンシャル・エネルギーはどう扱うのかといえば、
最終的に「重力場をあらわす計量テンソル」というムズカシイ数学が登場せざるをえない。
テンソルは、数学のベクトルを一般化した概念だが、生徒の素朴な疑問に答えるために「テンソル」を持ち出しては身も蓋もない。
「位置エネルギーは重力場がもつエネルギーで、それは『時空のゆがみ』をあらわす。
数学的には計量テンソルであらわされるんだよ」
うげー、これではもう、収拾がつかなくなってしまう(プロジェクト型の授業としては面白いかもしれないが)。 アインシュタインだけが気づいたこと
話を元に戻すと、アインシュタインの発見は、こんな形で書くことができる。
E=mc2/√1-(v/c)2
vはモノの速さであり、これがゼロのときに、
E=mc2
に帰着する。この式は、近似的に次のように書くこともできる。
【E=mc2+1/2 mv2+……
右辺の前半が静止エネルギーで、後半は運動エネルギーだ つまり、アインシュタインは、それまでに知られていた運動エネルギーだけでなく、
モノが止まっていても、静止エネルギーなるものが存在することを主張したのだ。
アインシュタイン以前は、この静止エネルギーの存在には、誰も気づいていなかった。
太陽の核融合や核分裂の際には、質量mが減って、その欠損分が電気や光などのエネルギーに変換される。
電子と陽電子が衝突すると、質量は完全に消滅してしまい、純粋なエネルギーに変換される。
現代物理学は、アインシュタインの数式なしには語ることができない。 光速と質量のふしぎな関係
ここまでで、エネルギーE、質量mについて見てきた。
最後に残った光速c について考えてみよう。
数値としては、c はだいたい毎秒30万キロメートル。
1秒で地球を7周半してしまうのだから、実に速い。実際、宇宙には、光速より速く動くモノは存在しない。
もっと正確にいうと、宇宙では、光速より速く「情報」が伝わることはない。
よくあるのが、「でも、宇宙は超光速で膨張しているではないですか?」という質問だ。 宇宙の制限速度が光速c だ、ということの意味は、背景にある空間に対しての速さだと考えていただきたい。
ええと、空間が「動く歩道」だとしたら、その上を歩く人間の速さの上限が光速c なのだ(空間はモノではないので、
あまりよい喩えではありませんが、あしからず)。
光速で動くモノは、もはやモノではないともいえる。
なぜなら、質量がゼロだからだ。でも、エネルギーはあるので、存在はしている。質量がゼロの光は、まるでマグロのように、止まることができない。
どんなに質量が小さくても、質量がゼロでないかぎり、速度をゆるめて止まることが可能だが、
質量がゼロだと、寿命の続くかぎり、光速で飛び続けなければならない。
で、アインシュタインの理論は、ある意味、光の理論であり、光速の理論なので、
E=mc2に光速c が登場するのも、あたりまえといえばあたりまえなのだ。 Albert Einstein (アインシュタイン) -
愛は、義務より良い教師である。 Albert Einstein (アインシュタイン) -
優れた科学者を生み出すのは知性だと人は言う。彼らは間違っている。それは人格である。