議員を「先生」と呼ぶのはもうやめよう
とても“尊敬”できない国会議員の行状
2021.2.23(火)
筆坂 秀世

(筆坂 秀世:元参議院議員、政治評論家)



「先生」と呼ぶから思い上がってしまう

 2月19日にテレビ東京で「今野敏サスペンス 警視庁強行犯係・樋口顕」というドラマが放送された。私は今野敏氏、堂場瞬一氏、横山秀夫氏の警察小説・推理小説が大好きで恐らくほとんどの作品を読んでいる。ドラマ化されればかならず見るようにしている。

 2月19日放送では吉田栄作さんが野党の代議士役で出演していた。その吉田さんが警察に事情を聞かれる場面で若い女性刑事が「先生」と呼んだところ、間髪入れずに「先生と呼ぶのは止めて下さい」というセリフがあり、思わず膝を打った。

 私は共産党の参院議員をしていたが、共産党では衆院議員であれ、参院議員であれ、議員同士で「先生」と呼ぶことはまったくなかった。秘書も議員を「先生」とは呼ばなかった。共産党議員は他党議員も「先生」と呼ぶことは、ほとんどないと思う。国会議員も、地方議員も「先生」などではないからだ。

 広辞苑によれば、先生とは、「先に生まれた人」「学徳のすぐれた人。自分が師事する人。また、その人に対する敬称」「学校の教師」「医師・弁護士など、指導的立場にある人に対する敬称」とある。政治家は「指導的立場にある」という意見があるかも知れないが、それは間違っている。

 同志社大学の浜矩子教授は、コラム「経済万華鏡」(2019年4月10日)の中で、「市議会議員であれ、市長であれ、知事であれ、地方選によって選出される人々は、彼らを選出する人々の『リーダー』などではありません。彼らは有権者の代表ではあります。ですが、それは、あくまでも有権者が彼らにその任務を与えるからです。彼らは公僕です。つまりは、『しもべ』です。有権者の家来だと言ってもいいでしょう。そして、これは国会議員でも、総理大臣でも同じことです」と指摘している。政治家は公僕であるから「先生」ではない。国民に奉仕する人なのだ。




そもそも政治家は尊敬されていない

 第一生命保険やソニー生命などが行った小学生、中学生、高等生が大人になったらつきたい職業ベストテンに、サッカー選手、プロ野球選手、看護師、医師、歌手、ITエンジニア、YouTuber、公務員、大工、建築士などはあるが、「政治家」はまったく出てこない。この程度だということを政治家は知るべきである。

 一体いつから政治家を「先生」と呼ぶようになったのか。日本で国会が開設されたのは1890年(明治23年)である。貴族院と衆院の2院制による帝国議会が開設された。これに伴って地方選出の議員が東京に来て議会へ参加するようになった。その際、地元の若い人間を呼び寄せて、身の回りの世話をさせ、学校に通わせるなどをしたそうだ。いわゆる書生である。この書生に「先生」と呼ばせたことが始まりという説がある。

 いずれにしろ大した知識も、見識もない人間を当選した途端に「先生」などと呼ぶから、思い上がった政治家ができるのだ。もっとも「先生」という言い方が定着しているのが自民党である。自民党が率先して、「先生」などという思い上がった呼び方を止めると宣言してもらいたいものだ。




単なる夜遊びを「夜の会食」などと呼ぶな
     ===== 後略 =====
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