しんざき2021/2/8

「恩師」の意味を「人生全体に渡って、大きく影響を及ぼす程の薫陶を受けた人」と定義した場合、私には恩師と言って良さそうな人が二人います。

一人は、小学校の3年から4年の時に担任をもってもらったH先生。

もう一人は大学の専門課程、国語学研究室でお世話になったS先生。



H先生については、人生の選択に関わる重要な示唆を色々と頂いたなーと思っていて、例えば昔この記事で書いたんですが、



忍者ハットリくんが、私の人生を大きく変えた、という話。
https://blog.tinect.jp/?p=46043



「ファミコンの忍者ハットリくんに巻物が出てきてかっこいいから、本物の巻物にも触ってみたい」

と素っ頓狂なことを言い出した私に、

「巻物は大学行かないと触れないよ」と答えて、さり気なく「大学=巻物」という刷り込みを行ったのがH先生です。

多分私、この教えがなかったら大学行ってませんでした。



上記の記事でも書いた通り、私は大学での専攻として、「巻物に触りたいから」という理由だけで「国語学」を選ぶわけなんですが、その国語学、正式には日本語日本文学(国語学)専修過程にて大変お世話になったのがS先生です。

小学校の時と同様ちゃらんぽらんだった私は、このS先生から随分と色んなことを教わりました。



今回は、そのS先生に教わった色々の中でも、特に印象に残っている言葉について一つご紹介しようと思います。



多分まだ専門課程が始まって数週間しか経っていなかった頃だったと思うんですが、私はレポートの題材になっていたとある書物(確か「類聚国史」のどれかだったと思います)についてS先生に質問に行きました。



そもそも国語学って何かっていうと、「言語としての日本語」について研究する学問でして、私がやっていたのは歴史的な文献から日本語の成り立ちについて考察するアプローチでした。

なのでとにかく古い書物については触りまくりました。

まあ、実際には巻物よりも、折本とか列帖装、袋綴じの資料読むことの方が多かったんですけど。



当時の私は当然ながら研究者としては駆け出しどころか受精前の卵子のようなもので、研究の手法から論点の整理まで

「なにが分からないのか自体さっぱり分からん」

というべき段階にありました。



当然色々とご指導いただいてはいるものの、そんなもんが最初から身についていれば苦労はしません。

ただ、幸い神経だけはずぶとかったので、割と素直に「何一つわかりません」と先生に言いにいきました。



S先生は別に怒りもせず、むしろ私の面の皮の厚さは気に入ってくれたようで、

「「分からない」と言えることはとてもいい。プライドが高くて「分からない」ということが開示出来ない間にずるずる時間だけ食ってしまうのよりずっとマシ。本学の学生(東大でした)も結構プライド高いから、そういう学生はちょこちょこいる」

と褒めてくれました。

     ===== 後略 =====
全文は下記URLで

https://blog.tinect.jp/?p=68951