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岸信介の「田布施システム」
 岸は、東條英機内閣において軍需次官をつとめたことから、戦後は戦犯として巣鴨拘置所に拘置された。ただ、東條内閣を倒すことに功績があったとして、不起訴となり、釈放されている。

 岸の生涯を追っていくと、さまざまな場面で、新宗教の教団とかかわりがあったことに気づかされる。

 岸の弟は同じく首相になった佐藤栄作氏だが、この兄弟が生まれた山口県の田布施は、「踊る宗教」と呼ばれた天照皇大神宮教の教祖、北村サヨのいた場所でもあった。踊る宗教と言われたのは、信者が無念無想で踊ったからで、1946年には東京の数寄屋橋公園に進出したことから大きな話題になった。

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冷戦構造ゆえの「国際勝共連合」
では、岸と統一教会との関係はどうなるのだろうか。

岸がかかわったのは統一教会というよりも、その教祖である文鮮明を中心に、「右翼のドン」とも呼ばれた日本財団の創立者、笹川良一などが協力して誕生した「国際勝共連合」だった。岸も協力者の1人で、文と交流があった。岸が文と親しげに握手をしている写真も残されている。

https://news.yahoo.co.jp/articles/b9b8a0c7f1690ae91052127da76a74bf91f6fdd8
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/97419
安倍元首相銃撃犯の怨恨の根、岸信介の統一教会接近とは──祖父の冷戦戦略の副作用に殺されたのか
7/13(水) 6:03配信