明治以後、東アジア人の日本は、まだまだ軽工業が主体だった。

軽工業の、とくに、繊維産業だ。
繊維産業は、現在では世界最貧のバングラデシュで盛ん。

大日本帝国が、欧米から繊維産業の機械を買っても、
イギリスのマンチェスターよりも低賃金の労働でなかったら、
大日本帝国が国の命運を決する軍艦を買えない、建造出来ない
という状態なのであった。

江戸時代よりの丁稚奉公の奴隷労働の産業都市大阪に
白羽の矢が立ち、まだまだカースト最下層の奴隷人が多く
いた朝鮮半島から奴隷を多く輸入し大阪奴隷工場で、
大日本帝国主導で繊維産業を勃興・興隆させていった
というだけだった。もちろん大阪の特徴は奴隷工場で
あったので付近を歩いていても、窓が鉄格子に囲まれていて、
拘束奴隷が逃げ出せないようになっていた。このどんより
とした暗さが、大阪の巨大工場地帯だった。名著『女工哀史』に
詳しく描かれてある。

大阪人は、しょせん朝鮮半島最下層の奴隷の労働力の
子孫なのよ。拘束奴隷というのは、ブタやニワトリと同じ。
糞尿を食べて育つように品種改良がなされてある。
たとえば大阪のたこ焼きは、糞尿味付けのトンスル酒が調味料だ。
ということだ。

まさか、江戸時代よりの、世界最高水準の識字率の教養都市
東京の庶民に、大阪のマネは出来なかったというだけだ。