愛知県の大村秀章知事のリコール(解職請求)運動を巡り、選挙管理委員会に提出された署名の83.2%が無効と判断された。不正署名は約36万2千人分に上り、指示役の存在や組織の関与が疑われる。専門家は「リコール運動が支持を集めたと誇示するために署名の水増しが行われたのではないか」と指摘する。県選管は事態を重く見て、地方自治法違反容疑で刑事告発を調整している。

「どう見ても同じ筆跡の署名が次から次へと出てきた」。署名を調査した県内自治体の関係者は証言する。署名には住所、氏名、生年月日に加え、押印もしくは指印が必要だ。県選管の調査によると、無効と判断された署名の約90%は同一の筆跡とみられるもの、約48%は選挙人名簿に登録されていない人の署名だった。

不正署名に使われた人には県議など議員も含まれていた。ある市議は「選挙の際などに個人情報が公開されるため、利用されやすいのではないか」と推測する。

だが、大量の個人情報をどうやって集めたのか。署名には既に死亡した人の名前もあったことから、古い選挙人名簿や各種団体の名簿が悪用された可能性が指摘される。名前を無断で使用されたとして告訴した弥富市議の代理人弁護士は「何らかの手段で入手した名簿を基に、取りまとめ役の指示で偽造が実行されたのではないか」と組織的な関与を疑った。

リコール運動は、芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」で展示された昭和天皇に関する映像作品などに不満を持った美容外科「高須クリニック」の高須克弥院長が、昨年8月から開始した。

芸術祭を巡って大村氏と対立する名古屋市の河村たかし市長も運動に加わった。ただ、大村氏の解職の賛否を問う住民投票実施に必要な法定数約86万6千人分の署名を集めるのは当初から「ハードルが高い」(県議会関係者)と見られていた。

実際、今回提出された署名は約43万5千人分で、半分ほどにとどまった。愛知大の後房雄教授(政治学)は「運動が一定の成果を出したという雰囲気をつくるために大量の偽造が行われた可能性がある」と分析する。

高須氏や運動の事務局は不正への関与を否定。河村氏も「私も被害者」と訴え、現時点で誰が不正に手を染めたのかは不明だ。大村氏は5日の記者会見で「関係者は事実を明らかにする努力をすべきだ」と両氏に要求。後教授は「直接請求制度をゆがめる重大な問題だ。高須氏や河村氏が被害者ぶるのは支離滅裂だ」と批判した。〔共同〕

日本経済新聞
2021年2月9日 19:00
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOFD083CA0Y1A200C2000000/