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ttp://www.janjan.jp/area/0702/0702250646/1.php
李容洙さんは慶尚南道で生まれ15歳のとき、小銃で脅され、大連から、台湾に連行され新竹海軍慰安所で特攻隊員
の慰安婦とされた日々を、不自由な日本語で告発した。日本政府の対応に怒りを込めて「これからも死なずにずっと話す」と訴えた。

ttp://japanese.joins.com/article/article.php?aid=84702&servcode=400§code=400
◇「犬や豚以下の生活」=最初に証言した李容洙さんは「1944年の16歳の時に台湾に慰安婦として連行され、
3年間にわたり日本軍に性的にもてあそばれた」とし
「2階建ての日本風の慰安所で一日平均4、5人の日本軍に強姦され、粥で生き延び、何かあるとすぐに暴行されるなど、
犬や豚よりもひどい生活をした」と証言した。 日本軍によって‘トシコ’と名付けられた李さんは、
性行為を拒否して電気拷問を受け、韓国語を話す度にひどく殴られた、と語った。李さんは「終戦後に家に帰ると、
母は‘死んだ娘が霊になって現れた’と言い、父は鬱火病で中風になり、その年に亡くなった」と述べた。
李さんは「日本政府は謝罪したと主張するが、一度も謝罪を受けたことはない。
世界の性的暴行を根絶するためにも日本は必ず謝罪しなければならない」と強調した。

1944年から3年間… 戦後も慰安婦していたようです。