【パヨク】東ちづる「政治的意見にバッシング、なぜ?」 大切なのは「寛容さ ネット「意見自体が批判を受けるべき内容だからでしょう
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政治的意見にバッシング、なぜ? 大切なのは「寛容さ」 俳優・東ちづるさん
▼記事によると…
・俳優の東ちづるさんは、社会の空気に違和感を抱いている。平和や政治についてツイッターに書き込むと「反日」などと中傷されることがしばしばだからだ。なぜ、芸能界は政治的な意見を発信するとバッシングされるのか。
2019年9月9日(有料記事)
https://mainichi.jp/articles/20190909/dde/012/200/002000c
(略) 日本で一番、卑怯者の評論家は
屋山太郎です。
平気で嘘がつけます。
静岡新聞の論壇に「いま慰安婦は権力が起こした犯罪のように
言われているが、本当か。戦中の朝鮮の新聞が数多く
残っているが、その中に慰安婦募集の広告が載せてある。
月給300円、貸金3千円まで」と言うのが相場だ。
静岡新聞の論壇に「大学出が月10円の時代に
その30倍稼げるとあれば、慰安婦を募集するのに
何の不自由もなかったろう。この状況の中で無理に
強制連行」するわけはない云々とほざいています。
30倍も戴けるのであれば軽井沢に別荘が立ちますよね。
でもね実際は銃剣で脅され、文句を言えば串刺しです。 彼女が何言ったかわからんし、
お前は間違っている気に入らんから反日ゴキチョンの連呼のどこに
批判要素があるのかも見当つかんし、
名前と顔を出して言う意見と、それに対して匿名で浴びせる罵詈雑言が
どうして同列なのかもわからない。 〇山田顯義が残した言葉
「軍とは何のためにあるか。帝室を守衛し人民を安全にするためである。
しかし他にも、国には法があり律があり、教育の道がある」
「欧米諸国の国法と我人民慣習の法とを斟酌し国法の条目を審議し、
国法に依り以て国律を確定すべし」
「英雄は死す。されど凱旋門は残る。英雄の名声と遺産によって、
市民はその豊かさを享受する」
「兵は凶器なり」
「法律は軍事に優先する」
「生きた。闘った。使命を全うした。人生に悔いはない」
〇高杉晋作の山田評
高杉晋作が亡くなる時に、「奇兵隊を引き継ぐ人物は?」と問われて、
晋作が名を挙げたのは、大村益次郎であった。しかし、
大村は元々、村医者だった為「その次は?」と問うと
「山田市之允」と答えたという。この時、山田顕義はまだ23歳の青年であった。
〇西郷隆盛の山田評
小柄で背が低く童顔だった山田に対して西郷は「よか稚児」と残している。
「神算鬼謀の将」
「あの小わっぱ(小童)、用兵の天才でごわす」 どうだい。法政大学にもう一つ 山田法典伯タワーを立てるのわ。 [無断転載禁止]2ch.net
http://medaka.2ch.net/test/read.cgi/jsaloon/1502794279/
山田顯義はボアソナードが編纂した民法を
基礎に
日本人に最良の法典を完成させるんだがな。
「民法出でて忠孝滅ぶ」と攻撃され
遂に最後は悲憤死するんだがな。
でもな山田は法典の第1回帝国議会での通過を願って
40度の高熱を出しながらも国会の壇上に立つんだよな。
山田はボアソナードと同様、日本に最良の法律を作ったと
自負していたんだな。
明治天皇陛下は山田顯義の気持ちをよく理解していて
山田の死亡まで法典の延期を公布しませんでした。
天皇陛下は山田の再登板を心待ちしていたのではないのかな。
朕尚其比翼ヲ望ミシニ 遂に渝亡ヲ聞ク 曷(イズクン)ソ軫悼二勝ヘン
なんでも鑑定団 愛のエメラルド 顯義公
>…前略 兵、何を以って国家に至要なるや、兵は凶器なり、而して能く巨万の金額を費やし
>人民を労し少壮の事業を妨げ、其の学問を礙し、其の性を傷害し、其の才を束縛し
>其の刑罰を厳酷にし、或は又、醜業に習慣し、蜜陰を盛にし、梅毒を繁殖す。…後略
小説志士の肖像より
この顕義伯の建白書が仇敵山縣有朋の猜疑心を拡大せしめ、政敵とし、無欲の顕義伯を
政界の頂点から追い出す原因となったと思う。師匠であった益次郎の暗殺も不運であった。
高杉晋作が周囲から「次は」と言われたのが「益次郎」、「その次」はと問われたら
「市之充」と答えたことは有名。
岩倉遣節団の中で顕義伯だけは放蕩せず、欧米の軍隊、法律をつぶさに研究している。
身分の卑しい利助などは金髪女を金で買っていたのと対照的である。
悲しいことにこの長きにわたる欧米視察の合間に、山縣が軍部を掌握してしまったことである。
帰国後西南戦争も起きていない時期に徴兵制を断行しようとした山縣を、この建白書で暗に糾弾
したのである。
しかし、顕義伯の欧米視察は無駄ではなかった。兵制の違いをフランス、プロシア、オーストリア、
スイス等などを比較しているし、国民平等であるナポレオン法典を日本の法に参照しようとも
考えていた。
戊辰戦争では五稜郭を落とし、伯は海軍の親玉にもなれたであろう。薩の海軍、長の陸軍などまだ
できあがってない時期だったし。
兎に角顕義伯は真面目過ぎた。松陰先生のように童貞のまま死ぬ、ということはなかったが。
もう少し世あたり上手であれば、大村益次郎が暗殺されなかったら、というIFがつきまとう。
そのIFが現実だったらならば、俺は日大に入れなかったであろう。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています