1938年6月のことである。当時、徐州近辺によっていた中国軍は追撃する日本軍を足止めさせるため黄河の堤防を決壊させた。
その結果、河南省、安徽省、江蘇省にまたがる約54000平方キロメートルが水没、水死者100万人、被害者600万人が出た他、
農作物にも多大な損害が生じたという。世にいう黄河決壊事件である。

中国軍ははじめ例によってこれを日本軍の仕業として世界に宣伝しようとした。
が、その真偽に疑問を抱いた海外メディアによって事実は逆であったことが明らかにされた。
それは日本軍ではなく中国軍の仕業であったのだ。

そのうちのひとつ、スペインのバスコ紙は「中国軍は黄河の堤防を破壊してノアの大洪水 に勝る大水害を起こそうとしている。
70万平方キロの地域が水没の危機に晒され、7千万人の住民が大洪水の犠牲となろうとしている。しかし英、米、仏いずれからもこの世界に前例なき人類一大殺害に
対し一言たりとも抗議する声を聴かない」と手厳しく非難している。

自分たちの悪行をすべて日本軍のせいにする中国政府の悪癖が今にはじまったものではなくその当時からあったことはここからも伺えよう。

一方で、この事件によって中国国内ではかえって日本軍の株があがることにもなったらしい。

というのも、この黄河氾濫の後遺症によって1942年から43年にかけて河南省で飢饉が発生したのだが、その際、日本人が多くの軍糧を放出して人々を救出したからだ。

当時の 河南省は黄河の氾濫によって引き起こされた水害に加え、干ばつ、イナゴの大量発生などに悩まされていた。
それに加え、地元の軍閥が課した重税により、300万人あまりが餓死していたという。そうした惨状を見かねた
日本軍が各地の食料倉庫から調達した食料を放出し、飢えた人々に分け与えたのだ。