壬辰の乱、丙子の胡乱〔1637〜38年の清の侵入〕の時代には、牛や馬一頭で10人の奴隷・奴絶と交換 することができた。

甲午農民戦争の当時は牛一頭で奴婢5人とされ、この場合5人のうちに少なくともひ とりの美貌の婢が含まれていることが条件で交換された。

『独立新開』〔1896年創刊〕には女奴隷ひと りを100両で売ったという記事もあった。当時は米一斤が3両であったから、

現在ならば一万円にもな らない安値であり、300両ならば完全に良人の身分を買うことができたので、たいへんな安さというべ きである。

1万で売買され、3万あれば自由になれるのにその金も貯められない奴隷たち、それだけヒドイ奴隷制度であった。