「穀潰し」とは、何を以て定義すべきだろうか?
「現在の所有資産が少ない」=「穀潰し」と定義すべきだろうか?
それとも「社会への(累積)貢献度が少ない」=「穀潰し」と定義すべきだろうか?
確かに上級国民は社会への貢献度が少々多いかもしれない。
でも、下級国民の多くは、そういった社会的影響力が大きな役職に就く機会すら与えられなかった。
「就職氷河期の非正規が疲弊して、下級職の労働者が足りないから、移民が欲しい」とまで上級国民は言っている。
上級国民は、報酬が多いから、辞めても替えがいくらでも居る。
上級国民は需要が無い、供給過多だ。
でも、下級国民は必要だから、「移民を入れたい」とまで言われている。
では、本当に社会にとって必要な国民は、上級国民か、それとも下級国民か?
本来の貢献度より多く報酬をもらい過ぎているのは誰だ?
本来の貢献度より安く報酬を買い叩かれているのは誰だ?
政府は国民のものだから、本来は、政府が企業を支援する責任も義理も無い。
もしも、政府が企業を支援したとするのなら、本来、それは貸付だ。
当然、金利を上乗せして、企業から返済してもらわねばならない。
「国民の支援」と偽って、企業の高額商品の販売を支援するような、偽の社会保障政策とかも止めろ。
格差拡大政策を煽り、貢献度以上の報酬を盗んだり、
収支(Balance Sheet)から見ても、既に破綻している社会制度を持続可能なように偽るために
国家の資産を切り売りして外貨を調達するような売国政策を推進していたりする上級国民こそが「穀潰し」だ。

移民が必要なのではない。
「移民に投げ与えているような仕事」と軽蔑しているが、
その仕事が社会にとって必要なら、その仕事の報酬は低過ぎるのだ。
必要なのは移民ではなく、
移民に担当させようとしているような、社会にとって必要な仕事の報酬を引き上げて、
そういった雇用を国民労働者で賄うようにすることだ。
生計が成り立たないような報酬しか出せないような雇用、
すなわち奴隷が居なければ成り立たない社会制度は、既に破綻しているのだ。
国家が国民を保護しないのなら、納税する義務などない。

介護を「老人の世話役」などと軽蔑しているが、
会社の従業員と介護者(Maid)は違う。
会社の従業員は、仕事のやり方を教えてやればよいから、
会社の従業員は自分の報酬相当額以上を(会社の形を借りるが)自力で稼ぎ出す。
だから、経営者は、従業員が半ば自力で稼いだ利益を従業員に分けてやるだけでよい。
しかし、介護は違う。
介護者は、自力では何も会社の商品を生産してはいない。
だから、介護される者は、自分の生活費と介護者の生活費の両方を稼いで、介護者に分けてやらねばならない。
介護される者は、最低でも、2人分の生活費を稼いでいなければならない。(支出と収入に時差はあるが)
老人が分不相応な浪費をすれば、誰につけは回るだろうか?