日本のマスコミ
発生当時の新聞の論調は圧倒的に運動に対し批判的で、紙面には「朝鮮各地の暴動」
、「鎮南浦の騒擾」、「三・一暴動」(さんいちぼうどう)、「三・一鮮人暴動」
(さんいちせんじんぼうどう)といった字句が踊っていた。
しかしやがて武力に頼った統治、すなわち武断統治に対する批判も徐々に
一部の新聞に掲載されるようになる。
「擾乱の有力なる原因」は朝鮮総督府の統治方法にあり、
このたびのような事件を今後防ぐために朝鮮人の待遇改善や武官総督制を改め
文官も総督と就けるようにすること、警察制度の強化、同化政策を推進すべき
との論調が出るようになった。
これらは武断統治に限界を感じた原敬内閣の意向に沿うものであった。