以上のような運動鎮圧中に、死を迎え、特に人々の記憶に残った女生徒がいる。
故郷の天安で独立運動を行い、逮捕・起訴後懲役3年の有罪判決を受けて
ソウルの西大門刑務所に収監され、獄中で死去したという梨花学堂学生柳寛順
(ユグァンスン)(当時17歳)である。
彼女は、後に「独立烈士」として顕彰され、
韓国ではフランスの国民的英雄ジャンヌ・ダルクになぞらえ
「朝鮮のジャンヌ・ダルク」と呼ばれ、現在まで尊敬を集めている。
一方で、彼女についての実際の記録はほとんどなく、
膨張され過ぎて伝えられてきたと指摘もされている]。
柳寛順研究家の任明淳は、「柳寛順の最終刑量は、懲役7年でなく3年だった」
と主張し「いい加減な事実が広まっており、子供向けの伝記にまで膨張した話が
掲載されている」と問題視している。