https://ironna.jp/article/11097

 韓国での徴用工に関する大法院(最高裁)の判決が日本国内で大きな話題になっている。この判決を聞いたとき、筆者はまず「とてもデタラメな判決だな」と思った。

 と同時に、韓国の国家としての脆弱(ぜいじゃく)性、現在の文在寅(ムン・ジェイン)政権のポピュリズム(大衆迎合)的な性格の弱さにも思いが至った。要するに、その韓国の脆弱性のツケが日本に回ってきたように思えたのである。

 それでは、文政権のポピュリズム的な政策とは何だろうか。ポピュリズムは大衆扇動的といわれるが、政権を奪取して維持するためには、大衆からの支持はいわば必要条件である。

 その意味では、ポピュリズムに特別な意味はない。だが、ポピュリズムにはもう一つの特徴的な側面を伴うことが多い。

 いわば「敵」−「味方」の論理を利用することである。「敵」を特定し、その「敵」が「味方」の利害を侵しているとして徹底的に批判することで、「味方」の士気を高めることである。

 これも程度問題ではある。さまざまな社会的問題の根源で、既得権益にぶら下がっている人たちがいる。この勢力を批判することが、あたかも「敵」−「味方」のロジックに乗った話に見えがちだ。特に経済学では、構造的問題(経済を非効率的にしてしまい国民の福利の向上を阻害する問題)について、この既得権者たちを問題視することが多い。

 例えば、経済評論家の上念司氏の新刊『日本を亡ぼす岩盤規制 既得権者の正体を暴く』では日本に巣くうさまざまな既得権者や組織を容赦なく批判している。その指摘には筆者も学ぶことが多い。

 上念氏も筆者もそうだが、経済学での既得権益者はその既得権にこだわる限り、批判されてしかるべきだ、という意見を持つ。だが、経済的な意味で彼らは「敵」ではない。なぜなら、経済政策の基本は、既得権による経済的な非効率性を次から次へと解決していけば、やがてそれは社会全体の福利厚生の向上につながるからである。

(略)

 そもそも、日韓請求権協定を文政権自身が外交的に覆せば、おそらく日本とは決定的な対立を生み出すだろう。実際、日本側として見れば、決定的な対立が避けられないという意見は今でもあり、感情的なリアクションとはいえない側面も持つ。戦略的には、政治的断交は、全面的な韓国との交流停止とはいえない。台湾と日本の関係を想起すればわかるはずだ。政治的断交は一つの選択肢として有効だ。

 ただし、今も書いたように、文政権は、ポピュリズムの持つ脆弱性から見れば、経済的にも政治的にも既得権を侵さない政策を維持し続けるだろう。従って、国内経済を拡大し、日韓関係を改善する政治的にも経済的にも成長を許さない政策を採るしかない。文政権がいくら弱くてもいいのだが、その弱さを繕うために日本国民が利用されるのは許されることではない。