文部科学省で事務次官を務めた前川喜平氏が、読者からの質問に答える新連載「“針路”相談室」。今回は「やりたいことが見つからない」という大学4年生からの相談です。

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Q:将来の夢を描けません。自分のやりたいことがはっきりしている友達を見ると、とても焦ります。そして私はなぜ自分のやりたいことがないのかと自己嫌悪にも陥ります。親には、大学に入るとき「やりたいことを見つけなさい」と言われましたが、4年生になった今も、やりたいことが見つかりません。そもそも、仕事は、やりたいことをやるべきなのか、それとも仕事内容にそこまで興味がなくても、給料など条件面で選ぶべきなのかも、悩んでいます。どうすればよいのでしょうか。(東京都・22歳・女性・大学生)

A:その気持ち、よくわかりますよ。僕も、やりたいことが見つからなくて、結局、大学には6年いて、ぶらぶらしていたんです。将来の目的がつかめない期間は、仏像を見て歩いたり、サークルでテニスに興じたりしていました。

 そのころの僕は、ずっと遊んで暮らせたらなあと思っていた。夏目漱石の小説にもある“高等遊民”になりたいと思っていたんです。

 でも、そうは問屋が卸さない。自分で飯を食っていかなきゃいけないから、何をやろうかと考えました。

 僕が在籍していた東大法学部というのは、多くの人が国家公務員か弁護士を目指していました。僕は法律の勉強が全く面白いと思えなかったから、周囲の影響もあって、自然と国家公務員の道を考えるようになった。どの省庁がいいかと考えたとき、お金や物を扱うよりも、人と関わる仕事がしたいと思いました。それに、大学時代にサークルでテニスを一緒にしていた女の子が学校の先生になって、とても楽しそうな姿を見たのも、少なからず影響しているかもしれない(笑)。だから実は、文部省(当時)には、強烈な使命感があって入ったというわけではないんです。

それでも今、振り返って思うのは、やりがい・楽しさといったものは、仕事をする中で見つかる場合が多くあるということです。どこか組織に入ってみて、やりたくないことを経験する中で、おのずとやりたいことが明確になってくることもある。

 現に僕も、やりたくないなあと思いながらやらされる仕事のほうが断然多かった。楽しいと思える仕事は五つの中に一つあるかないか。組織と自分との違和感というのは、仕事を始めた初日からずっと持っていました。でも、そのおかげで今、本当に自分がやりたいことというのがはっきりしてきたと思います。僕の場合、それが夜間中学や不登校の子どもの支援だったりするわけですが。

 とにかく「目的意識を持たないといけない」という強迫観念は、今すぐ捨てたほうがいい。目的が見つからなければ、「比較的これならやれそうだ」というものを見つけて、とりあえずでもやってみる。合わなければ、やめたらいい。今の世の中、一つの組織や仕事にしがみつく必要なんてないですから。

 ぼーっと過ごしていて、全然いいんですよ。まずは、本を読んだり、映画や芝居を見たり……何でもいいですが、そのときに自分が感じた「ちょっと気になるもの」が何か、意識してみるといいかもしれません。そうしているうちに、ぼんやりとした意思のようなものが、自分の中にできてくる。

 人生の目的は早くから見つかる人もいれば、50歳を過ぎてからという人だっている。いつからスタートしても遅くないと思います

※週刊朝日  2018年9月14日号
2018.9.6 11:30
https://dot.asahi.com/wa/2018090500014.html?page=1