以下、杉田水脈『「LGBT」支援の度が過ぎる』より抜粋──

『ここまで私もLGBTという表現を使ってきましたが、そもそもLGBTと一括り
にすることが自体がおかしいと思っています。T(トランスジェンダー)は
「性同一性障害」という障害なので、これは分けて考えるべきです。自分の
脳が認識している性と、自分の体が一致しないというのは、つらいでしょう。
性転換手術にも保険が利くようにしたり、いかに医療行為として充実させて
行くのか、それは政治家としても考えていいことなのかもしれません。

一方、LGBは性的嗜好の話です。以前にも書いたことがありますが、私は中高
一貫の女子校で、まわりに男性はいませんでした。女子校では、同級生や先輩
といった女性が疑似恋愛の対象になります。ただ、それは一過性のもので、成長
するにつれ、みんな男性と恋愛して、普通に結婚していきました。マスメディア
が「多様性の時代だから、女性(男性)が女性(男性)を好きになっても当然」
と報道することがいいことなのかどうか。普通に恋愛して結婚できる人まで、
「これ(同性愛)でいいんだ」と、不幸な人を増やすことにつながりかねません。

朝日新聞の記事で「高校生、1割が性的少数者」という記事がありました(3月
17日付、大阪朝刊)。三重県の男女共同参画センターが高校生1万人を調査した
ところ、LGBTは281人で、自分は男女いずれでもないと感じているXジェンダーが
508人。Q(クエスチョニング=性的指向の定まっていない人)が214人いて、合わ
せて1003人の性的少数者がいたというものです。それこそ世の中やメディアが
LGBTと騒ぐから、「男か女かわかりません」という高校生が出てくる。調査の対象
は思春期の不安定な時期ですから、社会の枠組みへの抵抗もあるでしょう。

最近の報道でよく目にするのは、学校の制服問題です。例えば、「多様性、選
べる制服」(3月25日づけ、大阪朝刊)。多様な性に対応するために、LGBT向けに
自由に制服が選択できるというものです。女子向けのスラックスを採用している
学校もあるようです。こうした試みも「自分が認識した性に合った制服を着るの
はいいこと」として報道されています。では、トイレはどうなるのでしょうか。
自分が認識した性に合ったトイレを使用することがいいことになるのでしょうか。

つづきは、全文書き起こし版をご参照下さい。
http://blog.livedoor.jp/skeltia_vergber/archives/51543955.html

LGBTトイレ(“LGBT特権”のナンセンスさがよくわかる例)
https://■bs.twimg.com/media/DdqmfXDVQAA_SAA.jpg
NGワード規制:■=p