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日本共産党スパイ査問事件

1933年、当時日本共産党中央常任委員であった宮本顕治、袴田里見らが、
当時の党中央委員大泉兼蔵と小畑達夫にスパイ容疑があるとして査問処分を行うことを決定し、
12月23日、二人を渋谷区内のアジトに誘い出した。
宮本らは針金等で手足を縛り、目隠しと猿轡をした上に押し入れ内に監禁した。
秋笹正之輔、逸見重雄らが二人に対して暴行を行ったため、小畑は24日、外傷性ショックにより死亡した。
小畑の死体は床下に埋められた。

逸見重雄の供述によると、彼らに加えられた暴力行為は以下のようなものであったとされる。
まず最初に大泉に対して棍棒で殴打するなどのリンチを加え気絶させた。
その後小畑を引きずり出し、キリで股を突き刺したり、濃硫酸をかけるなどの凄惨な拷問を加えた。
最後に薪割で小畑の頭部に一撃を加えた。そして大泉を引き出して小畑同様のリンチを加えた。
大泉はこの拷問に耐え切れず気絶したが、宮本らは死亡したものと早合点しそのまま引き上げた。