「佐川が逮捕されれば、官邸まで火の粉が及ぶぞ」──永田町や霞が関が慌てふためいた佐川宣寿・前財務省理財局長の立件は、あっさり見送りとなった。かつて田中角栄、金丸信などの大物政治家を次々と逮捕し、「泣く子も黙る」と恐れられた特捜検察は、いったい何に臆したのか。ノンフィクション作家の森功氏がレポートする。(文中敬称略)

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 8億2000万円の値引きという森友学園への国有地売却の発覚から1年4か月、不発に終わった大阪地検特捜部の捜査は、すこぶるわかりにくい結末というほかない。なかでも財務省が首相夫人の存在を隠そうとした土地取引に関する決裁文書の改ざんは、300か所にのぼる公文書の“偽造・変造”だが、それがなぜお咎めなしなのか。官邸が捜査を封じ込めたのか。

 ごく素朴にそんな疑問が湧くほどの異常事態といえる。その疑問を解くため、捜査状況を改めて振り返る。

 大阪地検特捜部による捜査の端緒は、昨年4月、財務省職員に対する告発だった。当初、特捜部が取り組んでいた容疑は、国有地の不当値引きによる「背任」、その背任を裏付ける交渉記録を廃棄した「証拠隠滅」や「公用文書毀棄」などだった。

 問題の決裁文書の改ざんはその直前、2月下旬から4月にかけてのことだ。「私と妻がかかわっていれば総理も国会議員も辞める」とした安倍発言を糊塗すべく、都合の悪い部分を消した、と誰もが見る。その改ざん後の決裁文書が、国会会期中に議員たちに公開された。

◆データ復元部隊

 複数の大阪地検の関係者に聞くと、このときすでに捜査は進んでいたという。

「特捜部は、告発直後の4月から財務省や国土交通省の事情聴取を進めていました。背任容疑でしたが、明確な犯意をもって、値引きに応じた立証が難しい。だから捜査は難航していました。そんなときたまたま見つけたのが、決裁文書の改ざんだったのです」

 特捜部では、森友学園と交渉してきた財務省近畿財務局のパソコンからデータを押収。その解析を担ったのがDF(デジタル・フォレンディック)センター準備室だ。

 DF室はその名称どおりコンピュータの残っているデジタルデータを復元する鑑識部隊だ。奇しくも大阪地検では、大阪地検の証拠改ざん事件(※注)を機に、DFセンター準備室が新設された。特捜部の捜査実務を担ってきた資料課の優秀な4人の事務官たちが配置され、データ解析を進めた。結果、決裁文書の改ざんに行きあたったのである。

【※注/2010年9月、障害者郵便制度悪用事件で無罪判決が出た後、大阪地検特捜部の担当主任検事が証拠物件であるフロッピーディスクの内容改竄を行ない、当時の特捜部長・副部長が改竄を知りながら隠蔽したとして、それぞれ逮捕された事件】

 それが、国会閉幕中の昨年夏から秋口にかけてのことだ。背任容疑の捜査に手間取っていた大阪地検は、まず先に公文書の変造容疑を固めようとした。先の関係者がこう打ち明けた。

「近畿財務局だけではなく、東京に出張して本省の理財局や国交省の事情聴取を進め、少なくとも年内には事実関係を固めていました。霞が関の捜査なので、東京地検や関東周辺の検事を応援に駆り出し、大阪地検の検事が東京地検の分室に出向いて捜査を進めていた」

 年明けの2月26日には、大阪高検検事長に上野友慈、大阪地検検事正に北川健太郎が就任。二人とも大阪地検の特捜部経験がある現場の捜査検事だ。この大阪地検のシフトは検察関係者の一部で「二・二六人事」などと呼ばれた。言うまでもなく、皇道派の青年将校たちが、当時の日本陸軍に反旗を翻したクーデター未遂になぞらえた呼び方だ。そこから政権中枢を直撃するように受け取る向きもあった。

 だが、その実、大阪地検には、もともとそんな気概はなかったのかもしれない。やがて捜査の空気がしぼんでいった。

◆異例中の異例人事

 その理由として挙げられるのが、法務・検察の首脳人事だ。「二・二六人事」から遡ること2か月前の12月26日、法務省刑事局長の林真琴に対する名古屋高検検事長への異動が閣議決定された。このときの一連の人事が、森友学園捜査に大きな影を落とすことになる。


続きはWebで

※週刊ポスト2018年6月22日号
https://www.news-postseven.com/archives/20180611_694768.html


スレ◆1が立った日時 6/11 17:15



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