昔の自民党では政策は自由だった

――田中さんがいた頃の自民党と、今の自民党では何が違いますか。

 当時の自民党は一人ひとりを大切にしながら政治をやっていた。人間関係がものすごく濃く、信頼関係も厚く、党のためというより親分のために汗をかいた。リーダーの下で汗をかくことが当然で、その結果、党が強くなった。政治の重さが全く違った。

 たとえば、政策の問題だって、派閥の親分や党の幹部から「集団的自衛権(の行使容認)に協力しろ」とか、「そんなこと言うのはやめろ」なんてことは一切言われなかった。政策は自由。だけど、困った時には助け合う。仲間がいいポストを持ってきてくれる。そういうことで互助会としての機能があったから、強い絆で結ばれていた。

今、安倍晋三氏が強権的にやれるのはなぜだと思いますか。派閥が弱くなり、党内が一枚岩にならなければならないからです。自分の保身のためですから、党内の反主流派には「党から出て行け」という強烈な批判を浴びせられます。

 自民党は以前の選挙(1993年、2009年の衆院選)で野党暮らしになった。大変だった。だから、今は「あのような思いは二度としたくない」という思いだけでまとまっている。もたれ合うことにメリットを感じている。何かの使命感を持っているんだとか、リーダーに情熱を感じているんだとかでまとまっているのではない。

 そういうことですから、安倍氏はいずれ行き詰まると思いますけど、行き詰まったらどうするかと言ったらわからない。誰も青写真を描ける人はいない。それは野党も同じ。

 田中さんの時代には、「あの人が行き詰まれば、次はこの人だよね」とちゃんと決まっていたし、自民党の中でもちゃんと反対意見が言えたから、非常に活発な議論もできた。リーダーが反対意見も聞くような文化があったけど、そういうものは、今の自民党になくなってしまった。

「そんな気の遠くなるようなことをしているのか」

――中村さんは無所属を貫いています。選挙では「党より人」というキャッチコピーを使ってきました。現行の小選挙区比例代表並立制は無所属に絶対的に不利とされていますが、中村さんは導入後も7戦無敗です。

 無所属のほうが、「自分」というものに強烈にこだわって打ち出して行ける。それを逆手に取ってやっています。政党に属することによって個性を失うことよりも、無所属でいることによって、一切の付加価値はないけれども、自分の生き方、自分の存在感を社会に再認識してもらうことができる。これは政治家としてダイナミックな戦い方だと思っています。

ただし、自民党に風が吹こうが、民主党に風が吹こうが、いつも逆風ですよ。その逆風を跳ね飛ばすことこそ、私の政治家としての真骨頂だと思ってやっています。そうやっていると、今の自民党も民主党もたいしたことない。薄っぺらさが透けて見えるわけですよ。ハッタリだけで騒いでいるだけだ、生き残ってみせる――となるわけですよ。

 自民党や民主党の人間からすれば、どうして私が生き残れているのかわからない。国会議員の中にも「中村さんの話を聞きたい」と言って、時々、人が来ますけど、あまりにも単純な基本を大切にしているだけなので、「そんなことで生き残っているのか」、「そんな気の遠くなるようなことをしているのか」という反応をされます。もうちょっと特殊なことをして、生き残っているんだったら学び甲斐があるけど、そんな気の遠くなるようなことをやっているだけならあまり学びたくないなと思われるほど、基本的なことをしているだけですよ。

 田中さんがやっていたことも、私がやっていることもあまり変わらない。非常にオーソドックスな、非常にシンプルなことを大切している。だから、怖いことはない。逆境の中でも勝ち抜けられる。逆に基本を押さえずに、一喜一憂し始めると、何をやっているかわからなくなる。パニックになる。

 政治家だから、いろんな場面にぶつかります。その時に逃げない。必ず跳ね飛ばして闘う。良い時ばかりじゃない、悪い時も受け止める。あとは有権者を裏切らない。自分を信じてくれる人を大切にする。

つづく