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2018/06/08(金) 11:14:16.16ID:CAP_USER9〈◎往路 東京駅発7:48(Maxとき305)→浦佐駅着9:20 浦佐駅改札口(1カ所のみです)でお出迎え〉
選挙戦終盤の6月4日、「日本一選挙に強い男」と呼ばれる無所属(衆院当選14回)の中村喜四郎は、その紙にびっしりと書かれた応援スケジュールをこなすため、朝早くから新潟の地に向かった。
「浦佐」は因縁浅からぬ土地
元田中角栄秘書である中村にとって、「浦佐」は駅前にオヤジの銅像が立つ因縁浅からぬ土地だ。応援集会に駆けつける前、旧知の元自民党国会議員を支えていた有力支援者の元を訪問した。午後、新幹線と特急を乗り継ぎ、夕方に街頭演説がある新発田に早めに到着。真っ先に角栄の盟友だった大臣経験者の墓前で手を合わせ、田中系列の政治家一族として知られた地元の名士らと接触した。
その日、中村を乗せた上越新幹線が東京駅に着いたのは夜10時近くだった。
別の日にも朝9時台に新潟入りし、保守系国会議員の後援会幹部49人と個別に面会。夕方まで現地に滞在し、一人ひとりに野党系候補の応援を要請したという。
街頭やホールに集った不特定多数に支持を訴える「空中戦」だけでなく、旧家の血縁や地縁を丹念に辿り、「保守の断層」を探り当て、相手陣営の地盤を切り崩していく。中村は野党に請われた「助っ人」に過ぎないとはいえ、昔の自民党が得意としていたようなホンモノの地上戦を師匠の故郷で実演していた。
四半世紀近くも沈黙していた「田中角栄の愛弟子」が、今なぜ地方の首長選にそこまで本気で臨むのか。
「反安倍」の姿勢を鮮明にしてきた
「新潟県知事選で野党が勝てば、現政権はもたなくなる」
告示前日、私の問いかけに中村はこう短く答えたが、それから4度目の現地入りを終えた頃になるとこんな鬼気迫る感想を私に伝えてきた。
「県民の政治離れが深刻。中央での安倍一強体制が地方にまで恐ろしいスピードで浸透していることを感じました。従来の利益誘導の選挙(を展開しており)、誰かに支配されるという恐怖感が、自民党の票を固めているという選挙情勢になっています」
中村は明らかに勝負をかけている。
孤高を貫いてきた「最強の無所属」は、若き日の角栄人脈を通じて新党改革や自民党二階派(客員会員)に属した時期もあったが、安倍政権が進めた安保関連法案の採決時に退席、共謀罪法案には反対票を投じ、「反安倍」の姿勢を鮮明にしてきた。今年に入り、自民党竹下派時代の弟分である岡田克也の衆院会派「無所属の会」に軸足を据え、超党派のベテランたちとも連携を模索し始めた。
彼をよく知る政界関係者は「野党結集はもちろん、安倍一強体制打倒に向けた勢力の結集に向けて本気になっている」と話す。
だが、古希を1年後に控えているだけに、この戦いが最終決戦になるかもしれない。
平成の国会に残る「最後の角栄DNA」。その怒りの根底には今の政治に対するどのような思いがあるのか。マスコミ取材を一切受け付けない中村が、茨城弁でとことん語った4年前の「幻のインタビュー」。その後半をお送りする。
再検証されて価値を高めた
――田中角栄はロッキード事件があってからは「闇将軍」と呼ばれていましたが、近年では、「理想的なリーダー」として語られることが増えています。
田中さんには誤解が複雑に被せられて、実体がよく知らされていないところがありました。亡くなった後になって、田中さんの良かったところが再検証されると、あの人は魅力的だった、能力があったと評価されるようになった。みなさんに興味を持たれて、本を作ろうという対象にもなった。また、田中さんの流れを汲む政治家たちにとっても、「あの時、自分たちはそこにいた」ということが語られるようになり、再び価値を高めています。
――今の政界では「叩き上げ」の象徴として、菅義偉官房長官が注目されています。
私が自民党を飛び出してから、政界に出てきた人だから、よく知らないんだけども、小沢一郎氏がやっていたやり方を一部変えているだけ。昔の政治を知っている人たちだったら誰もがやっていた基本的なやり方をしているだけでしょう。
昔の自民党では政策は自由だった
つづく
文春オンライン
http://bunshun.jp/articles/-/7717