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2018/06/08(金) 00:56:29.12ID:Mb3GGnUA0勉氏が私財を投じて買い取ったという丘の上には現在、岡山理科大学とその附属高校・中学、そして加計学園の本部がおかれている。
その言葉通り、予備校経営で得た莫大な資産をほぼ全て費やし、勉氏は私学創設に人生を賭けたのである。
のちの加計学園の威容を見れば、その賭けは成功したと言えるだろう。
勉氏が県庁を初めて訪れてから、学校設立認可が下りるまでの期間はわずか数ヵ月。
その間に、県庁と私学審議会でどのような調査・検討がなされたか、また水面下でどのような根回しが行われたのか、今となっては知る術がない。
ただ、「審議会では議論が紛糾したものの、最終的には『スピード認可』が下されて学校設立が実現した」という経緯は、現在「問題」とされている、森友学園の小学校開設や、加計学園の獣医学部設置の決定プロセスに通底するものがないとは言えない。
勉氏をはじめとする加計学園の関係者らの間で、このときの「成功体験」が、彼らのその後の方針や動き方に、大きく影響したのではないだろうか。
(7月24日公開の第二部に続く)
参考文献:『加計学園創立二十周年記念誌』加計学園、1985年
『加計学園創立30周年記念誌』加計学園、1992年
鶴蒔靖夫『加計学園グループの挑戦』IN通信社、2011年