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2018/05/15(火) 10:18:16.57ID:CAP_USER9経産官僚が官邸に深く入り込んだのは、12年の第2次安倍政権の発足からだ。政務担当首相秘書官に今井尚哉元資源エネルギー庁次長、首相補佐官兼内閣広報官に長谷川榮一元中小企業庁長官が就いた。資源エネルギー庁も中小企業庁も経産省の外局だ。財務省の元幹部官僚は、
「総理秘書官には2種類ある。政務秘書官はもともと総理の下で働いてきた公設秘書などが務めるのが一般的で、官僚の今井氏が政務秘書官に就くのは異例中の異例。それまで財務省が総理の一番近くで永田町の情報を集めてきたが、14年の内閣人事局の創設で人事権まで掌握され、『経産省支配』に変わった」
官邸周辺を見渡しても経産省出身者が目立つ。原英史政策工房代表が国家戦略特区ワーキンググループの座長代理で、委員の一人、岸博幸慶應義塾大学大学院教授もそうだ。
「安倍総理は幹事長など党要職を歴任してきたが、主要閣僚の経験がないまま総理大臣になり、官僚のネットワークがない。第1次安倍政権のときは官僚を警戒し、政治家と一緒に官僚の説明を聞くようにしていた。しかし、辞任後に人が離れていくなか、ドン底にいた安倍氏を登山に誘うなど支え続けたのが経産省の今井氏や長谷川氏だった。彼らへの信頼は厚く、財務官僚が冷遇される一方、経産省出身者が集まっている」(同)
高度成長を支えた通産官僚を描いた小説『官僚たちの夏』の発売が1975年。79年には米国の社会学者エズラ・ヴォーゲル氏の著作『ジャパン・アズ・ナンバーワン』がベストセラーになった。元日経連会長の故・桜田武氏が「日本は政治は三流だが、官僚と民間が一流」と発言したのもこの年だ。通産省は「1が大蔵、2が通産、3、4がなくて5が自治省」と言われるエリート官庁ぶりで、「通産省は別名、通常残業省と呼ばれ、優等生タイプの多い大蔵省と違い、アグレッシブなタイプが集まった」(通産省OB)という。
ただ、経産省支配の「主役」たちが入省するのは、「欧米に追いつけ追い越せ」から、世界第2の経済大国にまで成長した80年代。成長一辺倒から曲がり角を迎えていた。だが、経産省の思考と行動は変化についていけず、周囲とのあつれきを生むことになる。
84〜86年に通産事務次官を務めた小長啓一氏は著書『日本の設計』にこう書いている。
〈通産官僚にとって欠かせない資質は何か。こう問われれば、私は躊躇なく「企画構想力、交渉力、実行力の三つだ」と答える。(中略)通産省がいわゆる「許認可官庁」ではなく、政策官庁、アイデア官庁であるためだ〉
元通産官僚(79年入省)の江田憲司衆院議員は、こう話す。
「財務省なら予算、文科省なら教育、厚労省なら社会保障などそれぞれ基盤があるが、経産省にはレゾンデートル(存在意義)がない。産業はすでに発展、規制は自由化し、行政指導が必要なわけでもない。新しいものにチャレンジして、存在意義を見いだすしかない。そのため、他省庁としばしば省際戦争を起こし、『ケンカ官庁』とも言われた。評論家の田原総一朗さんは通産省のことを『インベーダー官庁』と書いたように、他人の土俵にのぼって、他人のふんどしで相撲をとるようなものだ」
元経産官僚の古賀茂明さんは、こう振り返る。
「若い頃から毎年毎年新しい政策を出せと叩きこまれ、たしかに提案力は鍛えられる。安倍さんの岩盤規制を突破する改革路線は、僕ら改革派が作ってきた伝統。ただ、今は『改革』は名ばかりで、予算と役割を得るための単純な成長至上主義に堕落していますね」
高度成長を支えた人気官庁も、他省庁から「権限も予算もない役所」とさげすんで見られる場面もあったという。
「そうした危機感から、官邸に食い込み、官邸のブレーンとしての役割を担おうとする動きが強くなった。経産省の仕事ではないが、『〇〇省のこの規制を緩和しろ』などと、官邸のシンクタンクとして霞が関で存在感を発揮する。虎の威を借る狐のごとく、総理や官邸の力をバックに省益を拡大してきた」(同)
そうした意味では、ひとまず願ったりかなったりの体制を構築できたと言える。
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AERA
2018.5.15 07:00
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