http://president.jp/articles/-/25115

なぜ新聞は社説に取り上げないのか

5月の大型連休に新聞を読み比べていてたいへん残念に思うことがあった。

31年前の5月3日、朝日新聞阪神支局に散弾銃を持った男が押し入り、記者2人を殺傷した襲撃事件についての社説が、朝日新聞以外の全国紙に掲載されていない。

あの事件は朝日新聞だけの問題ではない。脅しと暴力で言論を封じ込めようとした許し難い事件だ。新聞やテレビといった既存メディアだけでなく、ネットメディアも含めたメディア全体で追い続けるべき問題である。なぜなら「報道の自由」を守るために欠かせないことだからだ。

報道の自由を守るとは、私たちの社会を守ることだ。報道が規制されれば、社会はいずれ独裁主義や全体主義に覆われてしまう。それは歴史が教えている。

それなのに今回、言論の中心的役割を担うべき新聞各紙の社説が、テーマとして論じていない。本来、毎年この時期に社説として書くべきテーマのはずだ。

ましてや世界中でテロが多発生し、ジャーナリストが命を落とすような事件も目立つ。「30年という大きな節目を過ぎたから社説として取り上げる必要はない」「安倍政権下では5月3日の憲法記念日のほうがニュース価値がある」という言い訳は通らない。

幸い、NHKは今年1月27日と28日の2夜連続で、「NHKスペシャル 未解決事件」で取り上げていた。番組内の実録ドラマでは草なぎ剛さんが記者を演じていた。

放映の反響は大きかったと聞く。それなのに新聞はなぜ、社説のテーマに取り上げなかったのか。

(略)

あの事件のどこが「義挙」なのか

朝日社説に話を戻す。

「事件直後、多くの人が怒りを表し、当時の中曽根首相は『憲法の保障する基本的な権利への挑戦だ』と批判した。ところがいま、銃撃を『義挙』と呼び、『赤報隊に続け』などと、そのゆがんだ考えと行動を肯定する言葉がネット上に飛び交う」

朝日社説はこう指摘し、「大切なのは、異論にも耳を傾け、意見を交換し、幅広い合意をめざす社会を築くことだ」と訴えるがその通りである。

樋田さんも『記者襲撃』で「この未解決事件が日本社会にも朝日新聞社にも暗い影を落としており、その影響は近年ますます広がっているのではないか、と私は思う」と書いている。

朝日社説に出てくる「義挙」という言葉は、数年前から「ネット右翼」と呼ばれる人たちが使っているようだ。いったいあの事件のどこが「義挙」なのだろうか。卑劣以外のなにものでもない。またネットを使って偏った持論を展開するのは恥ずべき行為だ。

一般的に人は異論に耳を傾けないで、自分の主張を通そうとする傾向がある。それゆえ異論も頭に置き、両論併記でものごとを考察しようとする努力が必要なのである。

(略)

「敵視」「排除」は安倍政権だけの責任ではない

赤報隊事件を扱った朝日社説に話を戻そう。

朝日社説はその終盤で「『反日』『国益を損ねる』といった言い方で、気に入らない意見を敵視し、排除しようという空気が、安倍政権になって年々強まっている」と指摘する。

沙鴎一歩もその空気は嫌いだ。しかし「反日」「国益を損ねる」といった言い方がはびこるのは、安倍晋三首相だけの責任ではない。背景にはネット社会の進展があるのだろう。

これまでニュースを伝えるのはマスメディアに限られていた。間違いがあれば訂正や回収が必要になる。このため新聞社や放送局は記者に教育を施し、うそや間違いがないように心がけてきた。

しかしネットでは、だれでも簡単に情報を流せる。「フェイクニュース」を流しても、訂正や回収の必要がない。このためうそやデマが広がりやすい。受け手には情報の真偽を見極める能力(リテラシー)が求められる。

「多様な言論の場を保証し、権力のゆきすぎをチェックするのがメディアの使命だ。立場や価値観の違いを超え、互いに尊重し合う民主社会の実現に、新聞が力になれるよう努めたい」

「言論の場の保証」と「権力のチェック」が、メディアの使命であることには異論はない。ただ「民主社会の実現」には新聞だけではなく、ネットメディアも含めたメディア全体がいっしょになって考えていくべきだと思う。