「セクハラ罪という罪はない」

 麻生太郎財務相はそう言ってのけたが、だからといって辞任に追い込まれた福田淳一事務次官のセクハラ疑惑が消えるわけではない。世間の意識とはズレまくった財務省の感覚に、国民は呆れている。なぜこんなにもセクハラへの認識が甘いのか。官能作家・エッセイストの大泉りか氏はこう話す。

「セクハラをする人は、若いころからどちらかといえばイケていて、モテていた人に多い傾向があります。軽い気持ちでやったボディータッチや強引な口説き方が、年をとっても『通用する』と思い込んでいるフシがある。そういう口説き方が、時代に合わないことに気づいていない人が、セクハラに陥るのです」

 特に高学歴で高収入、官公庁や大企業などで権力のあるポジションにいる中年は要注意だ。

「セクハラに甘い時代に生きてきた上、それなりの立場だと、女性から拒否された経験がほとんどないでしょう。それで、『自分は許される』と勘違いして、軽い気持ちでセクハラをする。幼少期から英才教育を受けて勉強漬けだった人も同じです。女性に対して許された経験も、拒否された経験もなく、女性にやっていいことと悪いことの区別がつかなくなっているのだと思います」

福田前次官は東大法学部を卒業後、82年に旧大蔵入省。バブル時代に若手官僚としてどんな遊びをしてきたか気になるが、ノーパンしゃぶしゃぶなど大蔵省を舞台にした接待汚職事件がクローズアップされたのは98年だ。入省16年目の“次官候補”なら、それなりの接待を受けていたとしても不思議はない。そんな感覚が抜けきらないのか。

 セクハラ疑惑が取り沙汰された東京都狛江市の高橋都彦市長は75年に横浜国大経済学部を卒業して都庁に入庁。市の女性職員に自分が口をつけたコップで飲むよう強要しながら、「セクハラ行為に当たらない」という厚顔ぶりだ。今まで許されてきたゆえの認識だったのではないか。

「『こんなにうるさい世の中じゃ、女性に軽口も叩けない』などとグチる中高年がいますが、その発言には、自分が強者であるという客観性が抜け落ちています。自分より強い立場の人には、軽口を叩こうとしませんから。自分に権力があり、社会的立場を守られているということを無意識に理解しているんです」

■妻の態度も夫を左右

 学生時代まで勉強一辺倒で、就職するとバブルに突入。エリートとして持ち上げられてきた人生を、対等な立場として話せる女性がどこかで諭さなければ、かなり歪んだ人生を送るだろう。そんな“エセエリート”は、女性自体を「下」な生き物と捉えている以上、認識を修正するのは難しいという。

「福田前次官たちの親世代は、父親が大黒柱で母親は専業主婦、家庭が裕福であればあるほど、男尊女卑の傾向が強いでしょうが、妻の認識はそこまでではないはず。一番身近な女性である妻が、男尊女卑志向の夫に我慢したり、見て見ぬふりをしたりする限り、セクハラ男性は自分の行動がおかしいことに気がつきません」

 セクハラ男性を止められるかどうかは、妻の態度が左右する。福田前次官の妻は元文部事務次官の娘だけに、夫の横暴を止めるのは無理か。

日刊ゲンダイ
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/life/228968/1