◉私の発明 人間魚雷
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人間魚雷「回天」といえば「大東亜戦争」末期に投入された決死の特攻兵器。
回天の実物は、靖国神社に展示されている。まさに走る棺桶で、大きな土管(直径約1メートル)にも似た狭苦しい艇体にゾッとする。

昭和18年12月に旧海軍の黒木中尉、仁科少尉の2人が人間魚雷兵器を着想、同月その計画を海軍省へ上申したとされているが
実はその1年前に一学生が人間魚雷を「発明」していた。

青少年向け科学雑誌『学生の科学』昭和17年4月号(誠文堂新光社刊)の読者発明コンテスト「私の発明」コーナーに掲載されているのが右の図。
ちなみにこの回の入選は「ファスナーによる歯車製造法」。開戦後4ヵ月というのに、えらくノンキな発明である。
この「人間魚雷」案は惜しくも選外となったようだが、評者によって解説・講評がつけられている。

「平田修君の『人間魚雷』は(中略)魚雷の形をした舟艇には操縦士が一人横になって乗り、これの下には本当の魚雷一本を抱いております。
これが船艦から特殊な発射管を経て発射されたなら、敵艦へ1000メートルぐらゐ近づくまで水中を走り、やがて引き込ませてゐる潜望鏡を起こして
敵艦を狙ひ『よしッ』という所で、本当の魚雷を放す仕組みになってゐます。
これこそ百発百中で完成したら素晴らしいものになりませう」
……ところが完成してしまったんだな、これが。

平田案では一応生還が前提であった。しかし現物の「回天」では 潜行艇の頭部に1・55トンの爆薬を装備し あたれば操縦者もろとも木っ端微塵であった。

発案者の黒木・仁科両者がこの『学生の科学』から「回天」を着想したかどうかは不明だが、その可能性もあながち否定できない。

平田君のような新兵器・珍兵器発明マニアの思いつきが、海軍トンデモ将校によって現実化されたとき、恐ろしい悲劇をもたらした。
しかも「ピンポンネット支持棒の改良」「万年筆への氏名記入法」といったどーでもいいような新発明に、「人間魚雷」はコンテストで負けているところがなおさら痛々しい。合掌。