http://www.sankei.com/politics/news/171213/plt1712130011-n1.html
2017.12.13 10:00更新

北朝鮮が大陸間弾道弾の開発をますます本格化させ、アメリカと韓国は大規模な軍事演習でこれに応じている。だが、そのアメリカの内政はきわめて不安定である。さらに、中国の膨張主義や日本の弱体化につながる深刻な少子高齢化が進行している。日本をとりまく安全保障環境は実に厳しい。

 だが、果たしてわれわれは当事者意識をもって外交や安全保障を考えているだろうか。2つの例を挙げよう。大学と地方自治についてである。

≪「軍事研究」に背を向けるな≫

 まず大学だが、2015年度から、防衛装備庁は大学などの研究者をも対象に、安全保障技術研究推進制度を立ち上げた。「防衛技術にも応用可能な先進的な民生技術、いわゆるデュアル・ユース技術を積極的に活用することが重要」との認識からである。

 これに対して、日本学術会議の検討委員会は、「軍事目的のための科学研究は行わない」という1967年の声明の継承を表明した。これに呼応して、一部の大学では、先述の推進制度への研究者の応募を禁止する決定を下している。

 この問題については、「正論」でもすでに西原正氏(平和・安全保障研究所理事長)が論じておられ、筆者もそれに賛成である。だが、筆者がここであえて問いたいのは、研究助成受け入れの是非ではない。前述のように、当事者意識をもって、どれほど知的に誠実な議論がなされているのかという、プロセスの問題である。

軍事と科学が無関係でいられない以上、どのような関係をもつべきかについての不断の問いかけが必要であろう。防衛省なら危険で経済産業省なら安全だといった話ではない。1967年当時と今日の内外環境の変化も考慮しなければならない。

 従って、デュアル・ユース技術にどう向き合うのか、学問の自由をどう保障するのかなどの難問は、一片の声明や学内規則で対応できるものではない。

 また、文部科学省が推進する大学のグローバル化に追随しながら、欧米(特にアメリカ)の有力大学が資金源とする軍事研究に背を向けるのなら、日本の大学はどのように競争力を高めるのか。これも真面目に議論されなければならない。

≪米国社会は東アジアの縮図だ≫

 おそらく多額の助成を期待できない大学が「本学は一切禁止」と即断するのは、核兵器が絶対に配備されそうにない地方都市が「非核平和都市宣言」をするようなものであり、上述のような難問からの体のいい逃避にすぎない。

 ただし、こうした日本の大学の複雑な事情に十分に配慮していたかどうかについては、防衛装備庁にも検討すべき点はあろう。

次に地方自治である。6月にアメリカのトランプ大統領が地球温暖化防止に関するパリ協定からの離脱を表明すると、全米で14の州と100を超える市がパリ協定継続を表明した。アメリカの地方分権の底力を見た思いがする。

 だが、地方自治が外交に悪影響を与えることもある。サンフランシスコ市議会は、慰安婦像の寄贈受け入れを全会一致で決め、エドウィン・リー市長も拒否権を発動しなかった。これを受けて、同市と60年にわたって姉妹都市関係にある大阪市の吉村洋文市長は、11月に姉妹都市関係の解消を表明した。

 東アジアで日本や中国、ロシア、韓国、北朝鮮などが熾烈(しれつ)なパワーゲームを戦っているように、アメリカという開かれた市民社会でも、さまざまなエスニック・グループや人権団体がイメージをめぐるパワーゲームを展開している。そこにはしたたかな戦略と戦術が必要である。

≪毅然とした態度は「短慮」にも≫

 日本人には、この認識が乏しいのではないか。「性奴隷」などの過激な表現や事実誤認には、冷静に反論すればいい。だが、この「ゲーム」の資源はイメージなのである。しかも、全米で中国系、韓国系市民の人口が増える中で日系アメリカ人の人口は減少の一途であり、そもそも日本に不利な「ゲーム」の構造になっている。

姉妹都市関係の解消は、国内的には「毅然(きぜん)とした態度」に見えるかもしれない。だが、地方自治体が当事者意識をもって外交に関わるという観点からすれば、サンフランシスコ市の決定と同様の「短慮」であろう。こうすれば日本とアメリカの姉妹都市関係に亀裂を生じさせることができると、ある種の団体にとっては思うツボだったかもしれないのだ。

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