――中核派に話を戻します。中核派のイメージは変わってきたと思いますか。

 世代によって違うかなとは思う。80年代、90年代……。僕らが内ゲバを否定していたら違うのかもしれませんが、
僕らはあれはやるべき闘いだったというふうに今でも思っている。そういう意味では否定はしていない。

 内ゲバというのは権力が作った言葉です。それを他のすべての人が受け入れただけ。僕らはあくまで革マル派との「戦争」。
当時、革マルが大衆的な運動では中核派に勝てないから「中核派は全員殺しちゃえ」となった。
破防法で中核派が動きにくくなっている時期に、という論文も出したりして。職場で一人、二人の中核派のうちに襲うとか。
それに対してどうするの、というときに、いったん勝負をしなければいけないという党の判断があった。

 じゃあ、当時、他にどんな判断があったんですか。おとなしく殺されればよかったんですかと。
外から見たあなたたちの考えはそうかもしれないが、中にいる私たちの判断はそうですよと。

――対革マル派と最近は内ゲバないですよね。

 あちらがやらなくなったら、こちらもやる必要はないと。革マル派の殲滅に向かって最後はいきますけど、
解放社(編集部注:革マル派の拠点)に乗り込んでウオーとか、それはないですから(笑)。

 内ゲバを否定はしていないが、それだけで革命が起きるとは思っていない。労働運動とか学生運動とか、
現場にいる人間の主体性を引き上げていくと言いますか、爆発させていく。その中で日常が変わり、革命が起きるというのが基本的な考え方。

今は、そっちの「基本的な路線」の方が目立つので、20代、30代はそういうイメージを持つ人が少しずつ増えていると思います。
逆に40代、50代は内ゲバのイメージ。現場を見たりとか経験として知っている人がいる。
そういうイメージを拭い去るというのは実際問題厳しいのかなと思います。

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http://diamond.jp/articles/-/148969