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この国のマスコミは…
 郷原弁護士は、

「私は起訴相当の結果になる可能性が高いと考えていました。新潮の記事を前提にすれば、原因が飲酒酩酊なのか薬物なのかは不明ですが、抗拒が困難な状態での姦淫の事実があったことが疑われる。一般市民の審査員の意見が、“裁判所の判断で決めるべき”という方向に傾く可能性が強いと見ていました」

 と述べ、こう続ける。

「審査の経過は分かりませんが、検察官が審査会に呼ばれて、なぜ起訴できないのか、の理由をしっかり説明した可能性が高いと思います。私も現職時、参加したことがあります。今回、1年に亘る検察の捜査の中で消極証拠を綺麗に揃えた検察官が要領よく素人相手に説明すれば、反対の立場の法律専門家の意見がないだけに、審査会の構成員は検察官の意見にはかなり影響される可能性がある」

 直木賞作家の中島京子さんは、本件についてメディアの良識に異議を申し立てた。それは〈(朝日新聞は)もっときちんと取り上げる方法があったのでは〉と、「わたしの紙面批評」(同紙8月19日付)に記したものだ。

「一度不起訴になっているということで、新聞が取り上げるのは難しいのかもしれません。が、その不起訴自体に疑念があるのですから取り上げないのはとても不思議でした。あるいは、マスコミ全体がセクハラを許容する体質になっているのかもしれません。詩織さんのケースのように仕事であっても“男女2人で食事に行ったらセクシャルな雰囲気になるのは仕方がない”と言われてしまう。テレビは叩きやすい相手だけを叩く憂さ晴らしの役割しか果たさないし、新聞では犯罪報道がタブーだなんて、この国のマスコミは変ですよ」

 とは、中島さんご本人。社会の木鐸をもって鳴る新聞もその良識を見失っていた、一つの証明だろう。

 さて、舞台は民事へ移るが、

「新潮の記事の通りであれば、“被害者の性的な自由を侵害する行為”として、不法行為による損害賠償請求を起こすことは可能だと思います。それなりの立場の人から就職の世話をすると言われ、それを断ったら……と不安に感じる弱みにつけこんで食事に誘う、酒を飲ませてホテルに連れ込む。それは、準強姦という犯罪に当たらないとしても、それ自体が被害者に対する不法行為と判断される余地があります」(郷原氏)

 あるいは、

「検察が集めた証拠はあくまで刑事事件のためのもので、しかも不起訴ですから記録の閲覧謄写はできません。詩織さんから民事訴訟を起こされれば山口氏自身が、被告として反論・反証しなくてはならない。外形的な事実だけ見れば、抗拒不能の女性に性行為を行なった疑いが強いので、不法行為にあたる可能性が高い。山口氏の側で、それが合意の上であったことを、検察の証拠ではなく山口氏が持っている証拠で立証しなければならない」(同)

 当の検審は、審査員の男女比、賛否理由、検察官が審査会へ出席したのか否か、いずれも不開示とした。密室に秘匿された良識を公開の民事裁判で見つけられるか、市民である我々が問われているということになる。