現代ビジネス 9/22(金) 13:00配信
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20170922-00052947-gendaibiz-pol

「次の総理大臣」から一転
 6月に私が寄稿した文章「『ヤンキー先生』とは一体なんだったのか? 疑わしき「熱血」の正体――義家弘介・文科副大臣の過去を解剖する」(http://gendai.ismedia.jp/articles/-/52059)は、大きな反響を呼びました。

 2000年代初め頃からメディアに若い世代の問題に「全力で」取り組む「ヤンキー先生」として露出するようになった義家氏が、2007年に自民党の議員になり、その後、同党の保守的な動きに取り込まれていく様を、現在の我が国の社会における「言論」の役割と絡めて論じ、現在の「言論」の危うさに気付かれた方は少なくないと思います。

 今回はその「保守文化人発の政治家」の流れに属する、稲田朋美・元防衛大臣について扱います。

 元々稲田氏は安倍首相に代表されるような自民党の中でも右派的傾向の強い人脈を支える人物として注目を浴びてきました(後述するとおり、稲田氏はかつて安倍首相が頻繁に登場していた雑誌『正論』の常連でした)。

 実際第二次安倍政権誕生時には行政改革担当相に起用されました。『週刊朝日』2015年12月25日号の対談「政界の闇鍋2015」では、《初の女性首相候補に浮上する「ともちん」こと稲田朋美氏》として二階俊博・林幹雄両氏と共に登場。

 2016年8月の内閣改造では当時政調会長であった稲田氏が重要閣僚に抜擢されると報道され(2016年7月31日付産経新聞)、その後防衛大臣に起用されました。

 『FACTA』2016年8月20日号は、稲田氏が海外のメディアから「極右」と見なされていることや、憲法改正運動を進める団体「日本会議」と結びつきが強いことなどを踏まえ、稲田の防衛相への起用に、《エリート臭を漂わせ、リベラルを語り、戦後日本で陽の当たる場所を占めてきた「エスタブリッシュメント(既得権層)」への嫌悪感》が背景にあると論じています。

 しかし、当初から稲田氏の政治家としての器を疑問視する向きは少なくありませんでした。

 『週刊新潮』2016年5月5・12月号の記事「弁護士なのにメディア訴訟2連敗! 「稲田朋美」夫妻の弾圧傾向」は、稲田氏を《安倍晋三総理の秘蔵っ子》であり《女性初の総理候補として持て囃されて》いるとしながらも、2014年に稲田が排外主義団体「在特会(在日特権を許さない市民の会)」とつながりがあるとした『サンデー毎日』の記事(2014年10月5日号「安倍とシンパ議員が紡ぐ極右在特会との蜜月」)や、『週刊新潮』2015年4月2日号・9月号のスクープ記事に対して、稲田氏及び稲田氏の夫(稲田龍示氏)が訴訟を起こすも、2016年3月には『サンデー毎日』相手の訴訟が大阪地裁によって請求棄却され、4月19日には『週刊新潮』の記事相手の訴訟も請求棄却されたことが採り上げられています。

 そして稲田氏の凋落を決定づけたのが、2016年に発覚した、防衛相や自衛隊が南スーダンでのPKO(国連平和維持活動)の日報を破棄していたという問題でした。

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南スーダンの国連平和維持活動(PKO)での日々の活動状況を陸上自衛隊部隊が記録した日報を、防衛省・自衛隊が廃棄していたことが、同省への取材で分かった。現在11次隊が活動しているが、過去の派遣隊全ての日報が電子データも含め残っていないという。7月に首都ジュバで大規模衝突が発生した際の記録もなく、事後検証が困難になる恐れがある。(2016年12月26日付毎日新聞)
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 この問題は2017年2月から国会において追求され、2017年7月29日に辞任(後任は宮城県選出の小野寺五典・元防衛相が再任)。8月に行われた閉会中審査では稲田氏は出席せず、野党やメディア、そして与党内からも手厳しく批判されました。ただ安倍首相は、辞任まで稲田氏の追求をすることはほとんどありませんでした。

 7月29日付毎日新聞(「クローズアップ2017:稲田防衛相辞任 「お友達」首相重い腰 野党、幕引き許さず」)の、

 《稲田氏への対応は、4月末に東日本大震災に関し「東北で良かった」と発言し、即座に更迭された今村雅弘前復興相への対応と対照的だった》《首相は8月3日に予定される内閣改造まで稲田氏を職にとどめる考えだったが、改造まで待てば、首相への批判がさらに高まるのは明らかだった。内閣支持率の急落を受け、足元を固める必要に迫られた。外堀を埋められるように、首相は稲田氏辞任を選択せざるを得なくなっていった》

 という文言にも見られるとおり、安倍首相にとって稲田氏は(防衛相の、さらには政治家としての資質に疑問があったとしても)自分の後継者として育てるべき存在だったのです。

(以降ソースにて)