加計が食い込んだ下村元文科相夫妻――驕れる安倍一強への反旗 #2
http://bunshun.jp/articles/-/3173

前編
加計が食い込んだ下村元文科相夫妻――驕れる安倍一強への反旗 #1 昭恵さんと共に応援していた下村夫人
http://bunshun.jp/articles/-/3172

料亭に招かれた文科大臣
 加計と下村が密談を行ったのは、14年3月頃である。場所は赤坂の料亭「佐藤」だ。先の下村の某元秘書は、「日頃下村と加計の連絡は電話で済ませることが多かったが、重要な案件の場合は面談してきた」という。前述した日本獣医師会顧問の北村によれば、「佐藤は加計と安倍が頻繁に使ってきた店」だそうだ。
 会合をセッティングした加計学園側は、理事長の加計本人と秘書の2人、招かれた側は下村と秘書の2人だった。
「お忙しいところご足労いただきまして」
 下座で待っていた加計が下村たちを部屋に招き入れ、下村が床柱を背に正座した。そこで唐突に下村が言った。

「おろしました」
 そのひと言で、張り詰めた空気がいっぺんに緩んだ。そこからアラカルトで運ばれてきた日本料理を口に運びながら、20分ほどすると、双方の秘書が席を外した。部屋にコンパニオンが入るまでのあいだ、2人だけで会話が進んだ。

 繰り返すまでもなく「おろしました」という表現は、加計学園側が文科大臣の下村に相談した用件にかかわる話だろう。学園側の要望を叶えるよう文科省の担当部署に指示を下ろしたというふうに受けとれる。
 もっとも、あくまでこの時期は構造改革特区制度の下でのやり取りだ。料亭での会合から3カ月後の6月に発表された先の文科省の協力者会議でのまとめでは〈速やかに検討する〉との回答を示してはいるが、やはり具体策には踏み込んでいない。
そこで渦中の前文科次官、前川喜平に協力者会議について感想を求めた。議論自体にはかかわっていないと言いながら、こう解説する。
「協力者会議のまとめには、政策を見直して前に進めたい、というのと、検討するけどやらない、という2通りがあり、後者は検討しているあいだに大臣が代わってくれればいいという発想。これは後者かもしれませんね」
 文科大臣時代の下村はトップダウンで事務方に政策を指示し、押し通してきたという。それだけに省内でも、気を使いながら獣医学部の新設を阻んできた。結果、学部新設に向けた議論はさほど進まなかった。
 その状況が大きく動いたのは、協力者会議のまとめが発表された翌15年に入ってからだ。このとき強面大臣の矢面に立ってきたのが、前高等教育局長の吉田大輔である。慎重に言葉を選びながら重い口を開いた。
「私は反対していたわけではなく中立ですが、文科省の告示で(獣医学部の新設を認めず)規制してきたわけです。だからそれを変えるとなると、きちんとした根拠が必要になります。他にもいくつか希望している大学がありましたし、下村大臣時代に出した4条件(後述)を満たすかどうか見極めなければならない」
 獣医学部新設に道を開いたのが、構造改革特区から国家戦略特区への提案先の変更だ。加計学園と連携する今治市は、内閣府が〈構造改革特区の規制の特例措置について、国家戦略特区計画に記載し総理の認定を受けることで活用が可能〉と定めた制度を使い、15年6月4日、「国際水準の獣医学教育特区」として申請をやり直し、そこからことが進んでいく。