民主党政権下でも調査対象

 公安調査庁が毎年発表するリポート『内外情勢の回顧と展望』。北朝鮮や中東情勢、テロ組織など日本にとって懸念される国際諸情勢とともに、
国内の諸団体≠ノついても報告が記載されている。  そこに毎回、「オウム真理教」「過激派」「右翼団体」などと名を連ねて登場するのが「共産党」だ。  
これはなにも安倍政権下だからではない。
1952年に破壊活動防止法が制定されて以来、民主党政権時代も含め、日本共産党は常に調査対象団体≠ナあり続けてきた。  
政党はさまざまあるのに、なぜ公安当局が日本共産党に目を光らせ続けるのか。  

その理由は、日本共産党が
 @日本の社会主義・共産主義化をめざして「革命」を起こすことを綱領に掲げている政党であり、
Aしかもそれは敵の出方によっては=u暴力革命」も辞さずという思想であり、B実際にいくつもの「武装闘争」事件を起こしてきた集団だからだ。

共産主義が生んだ悲劇

 今年(2017年)は武装蜂起によるロシア革命からちょうど100年。だが、世界の半分の盟主とまでなったソ連は1991年に崩壊。
秘密警察による恐怖政治に縛られてきた東欧諸国でも、次々に共産党一党独裁体制が崩れ民主化が広がった。  
理想の世界を夢見た壮大な実験に思われた共産主義革命だったが、20世紀の歴史が見せた現実は、密告と粛清の恐怖政治、
激しいインフレと物資不足の悲惨な社会だった。  1997年に世界的ベストセラーになった『共産主義黒書』は、スターリンによる粛清など、
世界中で共産党国家が自国の人間を粛清してきた数を、およそ1億人と見積もっている。  歴史家で徳島文理大学教授の八幡和郎氏は、こう指摘する。

共産主義国の暮らしはどこでも悲惨です。それはひとえに、はじめに理想ありきで社会の現実を見つめず、人間をしばりつけようとする点にあるのです。(『第三文明』2017年1月号)

共産党の武装闘争路線

 ソフト路線への戦術転換で、いかにも弱者にやさしく、政権を厳しく批判する「正義の味方」のようにふるまう日本共産党だが、
その素顔は今も「共産主義国家」をめざす政党だ。  2004年1月に改訂された現在の日本共産党綱領には、

日本の社会発展の次の段階では、資本主義を乗り越え、社会主義・共産主義の社会への前進をはかる社会主義的変革が、課題となる。
これまでの世界では、資本主義時代の高度な経済的・社会的な達成を踏まえて、社会主義的変革に本格的に取り組んだ経験はなかった。
発達した資本主義の国での社会主義・共産主義への前進をめざす取り組みは、二一世紀の新しい世界史的な課題である。

と、はっきり書かれてある。  しかも、その革命という目的達成のためであれば、デマであれテロであれ手段を選ばずとしてきた独善的な体質に最大の問題がある。

と武装闘争路線≠決定。  翌52年には、札幌市警警備課長を路上で射殺した「白鳥事件」、皇居前広場で暴徒化した群衆が騒乱を起こした「血のメーデー事件」、
名古屋で火炎瓶を持った数百人が暴徒と化した「大須事件」などを引き起こした。  
これによって同年7月に破壊活動防止法が制定され、以来、日本共産党は監視対象となったのだ。

「革命の方針を堅持」

 こうした共産党の異常な暴力革命路線は世論の拒絶反応を招き、52年10月の総選挙では全候補が落選し、全議席を失っている。  
55年になって、この武装闘争路線について、  誤りのうちもっとも大きなものは極左冒険主義である。(第6回全国協議会)
と自己批判して見せたものの、58年の第7回党大会で「51年綱領」を廃止する際には、一つの重要な歴史的な役割を果たした。

と開き直る評価を与え、本音を見せた。  その後も1970年の第11回党大会で、自分たちのめざす「革命」が平和的となるか非平和的となるかは敵の出方℃汨謔セとするなど、
暴力革命を選択肢とする態度を否定していない。  2004年9月に警察庁が刊行しネット公開もされている『焦点269号 警備警察50年』には、
「暴力革命の方針を堅持する日本共産党」と題する項目を設けて、今も共産党がそうした暴力的な革命路線を捨てきっていないという見解を示している。

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