善子「願いを叶えるロザリオぉ?」???「効果はお墨付きやよ」
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私が自宅マンションの下まで来たときに見えた黄色いカーディガンは、涙で滲んですぐにその色を霞ませる。
善子「...花丸!」
花丸「善子ちゃん!...一体どうしたの!?怪我してない!?」
花丸の姿がよほど嬉しかったのか。
それとも、安心からか。
とめどなく溢れる涙は止めようもなかった。
ひとしきり泣いた後にふと、最悪の考えが頭を過ぎる。
善子「......花丸は、自分の意思で来てくれたのよね...?」
花丸「もちろん?おらは善子ちゃんが心配で...」
花丸は困惑した表情を浮かべる。
だめ、何も信じられない...。
善子「もう、何が何だかわからない...!」
ああ、でも。
ただ一つ。
確かなことは。
善子「...わたし、ひとを......ころしちゃった...!!」 花丸「......一度、善子ちゃんの部屋に行こう?ここで話す内容では無さそうずら」
善子「...ごめん、そう、ね...」
花丸が冷静で助かった。
部屋へと戻るエレベーターの中でふと思う。
確かにこんな話、外でできるわけない。
当然、ママはまだ帰ってきていない。
花丸を自分の部屋へと通し、二人分の飲み物を居間から運ぶ。
お盆に載せたカップが二つ、カタカタと音を立てる。
震えているのは私自身だと、すぐに気付いた。
自分の部屋に入る前に深呼吸。
これ以上、花丸に情けない姿は見せられない。
花丸「それで、さっきの話はどういうこと?ちゃんと、聞かせてほしいずら」
善子「......そうね」
そうして、私は花丸に全てを話した。
呪われたロザリオと、罪を犯した私の話を。
昼と同じことを考える。
私のせいじゃないと庇ってくれるだろうか。
いや、花丸はきっと庇ってくれるだろう。
だって私は、それを期待して花丸に話をしたのだから。
ああ、この私の醜き浅ましさで、目の前の光を汚してしまいはしないだろうか。 花丸「......俄かには、信じられない話ずら」
黙って私の話を聞き終えた花丸は、たっぷりと間をとり
絞り出すようにそれだけを口にした。
花丸「もし、ロザリオの力が本当だとしても、善子ちゃんが悪いわけじゃないよ。そんなこと、普通は想像できないし、善子ちゃんだって、明確な殺意を持って、そう願ったわけじゃないんでしょ?それに、バイクの人も亡くなったって決まったわけじゃ...」
善子「それはそう...だけど」
花丸「そのロザリオは、どこにあるの?」
黙って自分の机の上を指さす。
黒いハンカチの上に置かれたロザリオは、昨日とかわらず
部屋の明かりを鈍く反射している。
花丸「これが...」
善子「ダメよ!」
ぼんやりと呟きながら手を伸ばそうとする花丸を慌てて制する。
このロザリオはもはや呪いそのものだ。
迂闊に触れさせるわけにはいかなかった。
善子「これは呪いそのものよ。これでもし花丸になにかあったら...!」
花丸「ごめんね。心配してくれて、ありがと」
善子「...私こそ、ごめん。自分から救けを求めたくせにね...」
善子「でも、このロザリオの力は本物なの。私の願いを、意に沿わない方法で、悪意をもって叶える呪い...」
私の忠告を聞いているのかいないのか。
うつろな目でロザリオをぼうっと花丸は見つめている。
何かを思い出そうとするかのように、その白い指を唇にあてる。
やがて、ぽつりと。
花丸「............猿の手」
そう、呟いた。 善子「...なに?猿の手?」
花丸「善子ちゃんの話を聞いてふと思ったずら。『猿の手』に似てるなって」
善子「似てるって何がよ?ロザリオと猿なんて似ても似つかないわよ」
花丸「そうじゃなくて。『猿の手』は短編小説ずら。聞いたことない?持ち主の願いを三つだけ叶える猿の手の話」
善子「三つだけ?それって、ランプじゃなくて?」
花丸「そう。ランプじゃなくて、猿の手。善子ちゃんがさっき言ってた、意に沿わない方法で、悪意を以って願いを叶える。それがなんだか、『猿の手』のお話と被って聞こえたずら」
善子「...それって、どういう話なの?」
溺れる者は藁だってなんだって掴むらしい。
一度小さな藁を掴んだ私は、また流れてきた藁を掴むことにした。
その藁が、私を岸辺へと引き上げてくれることを祈りながら。
たとえその藁が引き上げてくれずとも、少しでも長く呼吸が続くように。 花丸「まるも読んだのは結構前だから...そこまではっきり覚えてるわけじゃないけど...」
自信なさげな表情を浮かべながらも
花丸は饒舌に語り始める。
花丸「『猿の手』は、1900年ごろにイギリスの小説家、ウィリアム・ワイマーク・ジェイコブズが発表した怪奇小説ずら」
善子「...あんた、横文字は苦手って言ってなかった?」
花丸「小説は別ずら。ジェイコブズは『猿の手』が有名になりすぎたけど、本来は海を主題にした作品が多いの」
善子「海、ね...」
花丸「『猿の手』が有名になりすぎて、ホラー作家という側面ばかりが強調されるようになってしまったずら。まあ、『猿の手』自体は怪奇小説の古典に位置しているから、世界中にその影響を受けた作品があるの。そのくらい影響があった作品ずら」
花丸「話を戻すずら。『猿の手』は、冷たい風の降る夜、えーと、たしか、ホワイト氏とその息子がチェスをしてるところから物語は始まるの」 花丸「冷たい雨の降る陰気な夜。ホワイト氏の友人である、あー...そう、モリス曹長が訪ねてくる。ホワイト氏とその家族はモリス曹長が各地で経験した不思議な話を聞いていたずら」
善子「不思議な話?」
花丸「モリス曹長は軍人として世界各地を回っていたんだと思うずら。そこで数々の修羅場を勇猛果敢に潜り抜けた話、戦争や天災、別世界に住む人々。そういった話をしてたんだと思うよ」
花丸「そこでホワイト氏はふと二十年前に聞いた話を思い出したずら。インドでかつて聞いた、猿の手の話を」
花丸は一度、話を止めてこちらを見る。
猿の手について、踏み込んで話してもいいか。
真剣なその目はそう問うているように感じた。
善子「なによ。もったいぶってないで話しなさいよ」
花丸「...モリス曹長は最初、猿の手について話すことを渋ったずら。あれは何でもない、いずれにせよ、耳に入れる話ではありません、と」
花丸「でもホワイト夫人が興味を示したのを見て、話さずには解放されない雰囲気を感じ取ったのか、それともお酒が入っていたからか、ぶっきらぼうにモリス曹長は言う。あれは、魔法の類だと」 善子「...魔法」
妙に胸がざわついた。
私の身に降りかかったものは、魔法なんて生易しいものじゃない。
それは呪いだ。私を破滅させんとする、邪悪な力だ。
花丸「すると、モリス曹長はポケットから干からびてミイラになった、小さな前脚を取り出す。その前脚をまずはホワイト氏の息子が、次にホワイト氏が手に取り、しっかりと調べてからテーブルに載せた」
花丸「そうしてモリス曹長は話し始める。年行った行者がまじないをかけたのだと。たいそう霊験あらたかな行者だったらしく、宿命によって定められた人の一生に手出ししようものならとんでもない目に遭うことを教えたかったらしいずら。そこで、そのミイラに三人の人間がそれぞれ三つまで願いをかけられるよう、まじないを」
善子「人の一生に手出し...」
いや、それよりも引っかかることは。
花丸の話だと、叶えられる願いは三つだけ。
でも私は、三つ以上の願いを叶えている。
いや、叶えさせられたと言った方が正しいか。
それに、この話のキモはきっと...。
花丸「ホワイト氏の息子は、モリス曹長にあなたはその猿の手を使ったのかと聞いたずら。すると、モリス曹長は血の気の引いた顔で、やりましたよ、とただ一言だけ答える」 花丸「ホワイト夫人が興味津々といった様子で、三つの願い事は叶ったのかと問う。それにも一言、叶いましたと答える。夫人は、では、他にも願い事をした人はいるのかと続けて問い掛ける」
花丸「ええ。最初の男は三つとも願い事を叶えました。一つ目と二つ目の願い事が何だったのか。今では知るよしもありませんが、三つ目の願いに彼は自分自身の死を願った。だからこの手が私の元へとまわってきたのです」
鎮痛な表情で花丸が告げる。
きっと、作中のモリス曹長とやらも同じ表情で
同じ声のトーンで語ったのだろう。
花丸がカップに口をつける間、重い空気が部屋を覆う。
花丸「重たい空気を少しでも打開しようと、ホワイト氏はモリス曹長に、三つの願いを叶えた後も何故その手を持っているのかと尋ねるずら」
花丸「わからない、好奇心かもしれません。売ろうと考えたこともありましたが、結局はそんなことはしない方がよいと考えたのです。これには散々悩まされましたから」
花丸「ホワイト氏は続けて尋ねる。もし仮に、もう一度願いが叶うとしたら。君はやってみるつもりはあるかね?」
花丸「モリス曹長は少し思案しながらも答える。どうでしょう、私には何とも言えません。言ったかと思うと猿の手を摘み上げ、それをそのまま暖炉の火の中へと放り込んでしまったずら」 花丸「ホワイト氏は慌てて火の中から猿の手を拾い上げるも、モリス曹長はそれを非難する。私はそれを捨てたのです。もし、それで何かが起こっても私にはどうしようもない。ここは一つ分別を働かせて、火の中に戻してください」
花丸「それでもホワイト氏は首を振って、その猿の手の使い方を聞く。モリス曹長は半ば諦めたように、右手で高く掲げて、声に出して願うのです。ですが、そのあとどうなっても知りませんよ。そして最後に、どうしても願掛けをしなければならないなら、精々分別を働かせることです。そう、告げたずら」
善子「分別を、働かせるって...」
花丸「夕食のち、モリス曹長が最終列車に間に合うように帰宅した後、ホワイト氏は思案するずら。いったい何を願えばいいのだろう、慎ましくも平穏で幸せな暮らしに、孝行者の息子。欲しいものは何だってもう揃ってるような気がした」
花丸「すると息子が、家のローンの残債を全て払えたら父さんたちも楽になるんじゃないですか?とホワイト氏の肩に手をかける。だから、二百ポンドを願ってみたらどうですか?それでちょうど賄える」
花丸「そうしてホワイト氏は、猿の手を右の手に掲げ、「我に二百ポンド授けたまえ」そう願ったずら」
......なるほど。
私に起こった事とこの話が似ているというのなら。
きっと、この後確かに二百ポンドは齎されるのだろう。
ホワイト一家の意に沿わない方法で、悪意をもって。 花丸「夜があけて、朝が来ても特に目立った変化はなかったずら。ホワイト夫人は、やっぱりただの与太話や法螺話の類だったと一生に付す。一体どうやったら、たった二百ポンドぽっちで悪いことが起こるんでしょうと」
花丸「ホワイト氏はそれを受けて言う、モリスは自然にそうなるらしいと言っていた。つまり、願い事をすると偶然のようにそれが叶うらしい、と」
花丸「そうして、何事もないかと思われた昼食どきに、夫人は外で奇妙な動きをしている身なりのいい男に気付いたずら。やがて、その男はそのまま家の呼び鈴を鳴らす。男は、息子の勤務する会社の社員だったずら」
花丸「その男は切り出す。お気の毒ですが...」
花丸「夫人は息を呑んで、息子に怪我でもあったのかと尋ねる。その男は、「たいそうな怪我でした。ですがもう、お苦しみではありません」そう、答えたずら」
花丸「苦しんでいない。その意味を理解したホワイト夫妻は凍りつく。ご子息は機械に巻き込まれてしまったのです。やがて、低い声で客は告げる」
花丸「咳払いをし、客は夫妻に滔々と告げる。我が社は、この件に関していかなる責任もないと主張していることをご報告しなければなりません。いかなる賠償責任も認めてはいませんが、ご子息の忠勤を鑑み、幾許かの補償をさせていただきたいと考えております」
花丸「ホワイト氏は、震える声をなんとか絞り出す。それはいくらか、と」
善子「二百ポンド」
思わず、口をついて出てきた言葉。
もう、そうとしか考えられなかった。
確かにこの話は、あまりにも似過ぎている。
花丸「...そう。それが、客の返事だった」 善子「...なるほどね。確かに私の状況と似ているわ」
そして、それが最初の願いだとするなら。
残る呪いは、あと二つ。
善子「で、残りの二つになにを願ったのよ?」
花丸「...息子を失ってから一週間ほど経ったある夜、夫人の啜り泣く声でホワイト氏は目を覚ましたずら。夫人を慰めているうち、常軌を逸した声で夫人は急に、手があったと叫ぶ」
善子「......あぁ」
おそらく、それは。
花丸「そう、夫人は猿の手を使って、息子を生き返らせようとしたずら。当然ホワイト氏は猛反対する。遺体の損傷はあまりにひどく、ホワイト氏ですら着ていた洋服でようやく判断できる状態だったずら。それからさらに一週間も経っているのだとしたら、今は一体どうなっていると思う?」
花丸「夫人は半狂乱になって叫ぶ。あの子をここに戻して。自分で育てた息子を恐れるなんてことあるわけがない。夫人のあまりの形相に半ば押される形で、ホワイト氏は「息子を生き返らせたまえ」と願う」 花丸「しかしそれから数十分が経っても、何かが起こることはなかったずら。ホワイト氏はしばらくの間、窓の外から目を離さない夫人を案じつつも、猿の手が効力を発揮しなかったことに言いようのない安堵を感じながら、這うようにベッドへと戻る。それからさらに数分後には、夫人もとうとう諦めたのか、冷え冷えとした心を抱いたままベッドへと横たわる」
花丸「夜のしじまの中、二人とも静かに横になって時計の音に耳を澄ましていたずら。階段が軋り、壁の内側をネズミが走っていく。そのまま眠りにつこうとしたとき、家にノックの音が響く」
花丸「夫人は飛び起きて叫ぶ。息子が帰ってきたんだと。息子はここから数キロ離れた場所にいたことをすっかり忘れていたと。そのまま玄関へと向かう夫人を、ホワイト氏は押さえつける」
花丸「後生だからやつを入れないでくれ。ホワイト氏は懇願するも、夫人は自分の子供を怖がるなんて、と氏を非難する。そうこうしているうちに、再度ノックの音が響く」
花丸「夫人は急に走り出して玄関へと向かう。氏は行かないでくれと哀願するも、夫人は必死の形相でドアチェーンと閂を外そうとする。が、夫人では閂に手が届かず、閂を抜いてくれと悲痛な叫びが聞こえてくる」
花丸「氏は寝室の床に這いつくばって猿の手を探し回っていた。外にいるあれが中に入ってくる前に、猿の手を見つけなくては。ノックの音はもはや乱打となり、狂ったように家中に響く。夫人がドアまで椅子を引き摺る音がし、閂が音を立てながら引き抜かれようとしたその瞬間、ホワイト氏は猿の手を探り当て、夢中で三番目の、最後の願いをささやいた」
花丸「その途端、ノックの音がぱたりと途絶え、静寂が家の中を支配する。椅子を引き摺ってどかす音がして、ドアが開いた。冷たい風が階段を吹き抜け、絶望し、奈落に突き落とされたかのような夫人の慟哭が尾を引く」
花丸「その声があまりにも居た堪れなく、氏は夫人の側まで行き、そこから更に門まで出た。通りの反対でちらちらと瞬く街灯が、人気のない夜の通りを照らしていたーーー」
花丸「......以上が、W.W.ジェイコブズ『猿の手』の概要ずら」 善子「ちょっと待ってよ。そのホワイト氏は三つ目の願いに何を願ったのよ」
花丸「それは、本編には記述されていないずら。でも、状況からして、二つ目の願いを否定するような内容だったんじゃないかな。単純に息子を家に入れないでくれと願ったなら、例えば閂が故障して外れないとか、そういう偶然のように願いが叶うはず。でも、綺麗さっぱり姿形も消えるっていうのは、願いを否定したからこそだと思うずら」
ふと、頭の中に一筋の光が差し込んだ気がした。
そうよ。ロザリオの力が絶対であるならば。
ロザリオ自身に願えばいい。
この呪いから解放されるように。
善子「花丸。まだ時間あるでしょ?今から沼津港へ行くわよ」
花丸「き、急にどうしたんずら?」
善子「決まってるでしょ。このロザリオを捨てに行くのよ。最後の願いをしたあとにね」
花丸「それって...」
善子「そう。『猿の手』と同じよ。ロザリオ自身の力で、この呪いを終わらせるの」
花丸「でも、どうして沼津港ずら?」
善子「そのジェイコブズって人は海を題材によく小説を書いてたんでしょ?それにあやかるってわけじゃないけど...ま、何となくよ、何となく。それに海に投げ捨てたら、二度と目にすることもないでしょ」
花丸「......善子ちゃん、ちょっと元気になった?」
善子「...........あんたのおかげよ」 ロザリオをどうやって沼津港まで持っていこうかと一瞬思案するものの
どのみち手に持っていなくてもロザリオは効力を発揮する。
であればもはや関係ないと、なかば自棄っぱちの心境でロザリオを引っ掴む。
善子「花丸、何も考え事したくないから何かずっと話しててよ」
花丸「無茶ぶりずら...」
花丸と二人連れだってマンションを出る。
ここから沼津港まではバスも出ているものの
なるべく足を動かしていたい、何より余計な考え事をしたくなかったため
歩いて沼津港へ向かうことを選択した。
花丸「そうずらねぇ...善子ちゃんは、『猿の手』を聞いてどう思った?」
善子「どう思ったって、えらく抽象的ね...」
花丸「まぁまぁ、感想みたいなものずら」
善子「......まぁ、よくできたホラーよね。自分の意に沿わない方法で、理不尽に願いが叶う恐怖は、私も痛いほどにわかるから」
花丸「...そうずらね。でも、『猿の手』の本当に怖い所は、支払う代償の重さだと思うずら」
善子「......代償?」 花丸「あれ。話を聞いていて思わなかったずら?『猿の手』では、願い事のたびに何かの代償を支払っているずら」
善子「代償って......ちょっと待ってよ、二百ポンドの代償は息子の死でしょ?で、二つ目の願いは...。あー、末ウ残な姿で甦っbト、それによっbト受けた恐怖が荘繽桙チてこと?試Oつ目の願いに滑ヨしてはノーリャXクで叶ってるbカゃない」
花丸「善子ちゃんは読解力が足りないずら。ホワイト氏が三つ目の願い事の対価として支払った代償は、今までの平穏な生活、そこに確かにあった幸福ずら」
善子「......どういうことよ」
花丸「三つの願いをすべて叶えたホワイト夫妻の今後を考えてみて欲しいずら。どんな姿でも、禁忌に触れてでも息子を甦らせようとした夫人の願いを、ホワイト氏は無下にしたんずら。きっと、今まで通りの幸せな夫婦生活は送れないよ。夫人はきっと夫を恨むだろうし、氏はそれをずっと悔い続けるんだと思う。そも、忠告を無視して猿の手を使ったこと自体を。状況からして、ホワイト氏が二つ目の願いを取り消すために猿の手を使ったことは明らかだったろうし」
善子「考えすぎじゃないの?」
花丸「そんなことないずら。それに、ホワイト氏は二百ポンドを願う前にこう言ってるずら。慎ましくも平穏で幸せな暮らしに、孝行者の息子。欲しいものは何だってもう揃ってるような気がしたって。でも、猿の手を使い終わった後も生活は続く。息子を失い、平穏な暮らしからは幸せだけが抜け落ちる。氏が支払った代償は、今後の人生におけるささやかな幸福、その全てだったずら」
背筋を嫌なものが走り抜けた。
花丸の言説を聞いて初めて理解する。
猿の手が齎す、底抜けの悪意を。
花丸「でも、話を聞く限り、善子ちゃんは特に何か代償を払ったわけじゃないんでしょ?」
善子「......えぇ、そうね」
いや。
私の心に巣食う罪悪感は、おそらく今後も消えることはないだろう。
その十字架は、一生背負っていかなければならないものだ。
それが代償だと言うのなら。
私はそれを、既に対価として支払っている。 いつもは平日であっても観光客でごった返す沼津港も、
日没に差し掛かろうというこの時間帯では流石に人の数もまばらだ。
みなと新鮮館を通り過ぎ、みなと屋台村を通り過ぎてもなお
花丸は馬鹿正直にずっと私に話し掛け続けてくれた。
花丸「そろそろ行き止まりずらね。どこから投げ捨てるつもりずら?」
善子「そうね...あー、ほら、そこの堤防から投げようかしら」
階段を上り、堤防から我入道の方面を見渡す。
時刻はちょうど黄昏時。目の前には美しいトワイライトのグラデーションが広がっている。
花丸「で、どういう風にロザリオに願い事をするつもりずら?」
花丸に『猿の手』の話を聞いてから、ずっと考えていた。
ロザリオの力で今までに起こした災厄を無かったことにすることも、もしかしたらできるかもしれない。
しかし、その方法を自身でコントロールすることはできない。
存在自体を無かったことにして解決する、そういったより性質の悪い結果になってしまう可能性もゼロじゃない。
実際、『猿の手』では三つ目の願いで、生き返った息子の存在は跡形もなく消えてしまった。
それに、もし効力が発揮されなかったら。
そのときはもうロザリオは海の底だ。回収は望めないし
当然、二度目のチャンスなんて訪れない。 そう。
どのみちロザリオは手放してしまうのだ。
それに、このロザリオはもはや存在に意味などないだろう。
手に持っていなくても、離れた場所にあっても効力を発揮するのだ。
たとえ粉々に砕いてみたところで、変わらず呪いは残ったままだろう。
何故か不気味な確信がある。
もはやこの呪いは、私自身に染み付いた呪いなのだ。
だからーーー。
善子「えぇ、決めたわ」
ポケットからロザリオを取り出し、右手で大きく掲げる。
大きく、深呼吸。もう、大丈夫。
善子「ーーーこのロザリオの力を無くして!私を、この呪いから解放して!!」
叫んだ勢いのまま、無我夢中でロザリオを放り投げる。
大きく放物線を描いたロザリオは、着水する間際、確かに鈍い光を放った。
花丸「もう、大丈夫そうずらね」
善子「......えぇ、あんたのおかげよ。『猿の手』の話を聞かなきゃ、解決策だって浮かばなったかも」
善子「だから、ありがと、花丸」
花丸「善子ちゃん......」
善子「ほら、帰るわよ」
花丸「あ、さっき善子ちゃんがロザリオを投げた場所だけど、あのあたりは実際にはまだ狩野川ずら」
善子「うっさい!ほとんど海みたいなもんでしょ!」 翌日。
私は朝から新聞を読み、それだけでなくネットニュースまで隈なく調べた。
曜が、私のあまりの必死さ具合に声を掛けることすら憚られるほどに。
曜「ね、ねぇ善子ちゃん?朝からそんなにニュースばっか見てどうしたの?」
善子「事故のニュースを探してんのよ。曜は知らない?昨日駅前であった、足場落下事故」
曜「あー!ニュースで見たよ!昨日は善子ちゃん、珍しく練習休んで家に帰ってたから、すっごく心配だったんだよ?事故にあったのも、沼津在住の女子高生だって報道されてたし!」
そう。
そのニュースは私も、昨日花丸と別れた後にテレビで見た。
報道によれば、死者はゼロ。怪我人もあの白いセーラー服の女の子一人だけ。
手と足の骨を折る重傷だったらしいが、命に別状はないらしく、安堵したことを覚えている。
私が怪我をさせたことに変わりはないはずなのに。
私が探しているのは、バイク事故の顛末だ。
地方紙と、地方ネット媒体を探しても、事故の発生状況などは掲載されているが
バイクに乗っていた会社員の男性が意識不明の重傷、乗用車に乗っていた女性が顔等を切る軽傷。
沼津市内の病院に搬送されたそうだが、それ以上の情報は載っていない。
もし、彼が死んでしまったとしたら。
それこそ、私は代償として、一生罪の十字架を背負うことになるだろう。 学校に着いた私は、曜との挨拶もそこそこに職員室へと急いで向かう。
理由はもちろん、ただ一つ。
善子「あの、一年A組の津島です。ちょっと聞きたいことがあって...」
職員室のドアを開けると、すぐに担任の顔が目についた。
昨日、病院に搬送されたという古典の担当教諭。
その容体が気になったのだ。バイク事故と同じく、もしも重篤な病気だとしたら...。
「あぁ、それなら大丈夫だそうよ。ただの疲労だろうって。念のため、一週間は安静にされるそうよ」
善子「そう、ですか...」
段々と心の荷が軽くなっていくのを感じる。
これは、ロザリオの呪いが私から消えた証左なのかもしれない。
能天気にそう考えたくなるほど、全ての状況が私にとって都合よく進んでいく。
きっと、私の最後の願いは間違ってなかったんだ。
授業中、ずっと頭の中で花丸の言ったことを反芻していた。
『猿の手』の真に恐ろしいのは、支払う代償の重さであると。
私が支払うべき代償は、犯した罪の十字架を背負うこと。
ロザリオの呪いで十字架を背負うなど、なんとも皮肉な話だ。 授業が終わり、ぼうっとした頭で考える。
ダイヤやマリーなら、沼津市内の病院にも顔が効くだろうか。
いや、それでも、いきなりバイク事故の被害者の容体を聞くのは不自然過ぎる。
でも、ロザリオを捨ててから全てが順調に進んでいることは間違いない。
きっと大丈夫。そう思うのは楽観的に過ぎるだろうか。
気付くと、部室の前まで歩を進めていた。
何やら、部室が騒がしい。
善子「ちょっと...外まで響いてるわよ」
果南「あ、善子ちゃん。善子ちゃんからも言ってやってよ。バカ千歌がぼったくり詐欺にあったのにずっと意地張ってるんだよ」
善子「はあ?ぼったくり?なによ、質の悪い蜜柑でも摑まされたの?」
千歌「ちーがーうーよー!!善子ちゃんならわかってくれる筈だよぉ!ほら、見てよこれ!」
善子「.........っ!!!!」
ああ、神様ーーー。
目の前へと突き出されたそれは。
晦冥の如き十字架の中心に深紅のオーブ。
漆黒に染まったチェーンとメダイ。
紛うことなく、昨日私が海へ投げ捨てた、呪いのロザリオだった。 善子「千歌、これ、どこで...」
自分が発した筈の声がどこか遠く聞こえる。
これは、何だ。
千歌「なんかねー、セブンイレブンの前で露店やってる、変な関西弁の人から買ったんだよ」
果南「それ、いくらしたと思う?五千円だよ、五千円。ぼったくりでしょ」
千歌「私がスクールアイドルだからって、千円おまけしてくれたんだよ!?」
果南「それでも高いって言ってるの!そんな怪しげな...」
千歌「あーやーしーくーなーいー。だってねーこれはねー、ただのアクセサリーじゃないんだよ!これは!」
善子「願いを叶える、ロザリオ...」
千歌「そう!なんだー、善子ちゃんも知ってるんじゃん!ほら、有名なやつなんだよ」
果南「いや、善子ちゃんが知ってるってなったら余計に胡散臭さが増したような...」
千歌「酷くない!?ほら、善子ちゃんも言ってやってよ!それにこれはねぇー、あの伝説的スクールアイドル、μ'sのスピリチュアル系アイドル東條希が太鼓判を押すほどのイチオシ商品なんだよ!!」
果南「それが一番怪しいって。絶対パチモンじゃん」
千歌「かーっ!わかってないなー」
私は今、何を見せられている?
くるくる、くるくると。目の前で、青と橙のハリボテが回る。
なんて出来の悪い喜劇だろうか。
猛獣が暴れて演者を喰い、空中ブランコは失敗して死人を出す。
極めつけには火の輪くぐりに失敗してテントが燃える。
そんなサーカスを見た後でも、これより酷い気分にはなるまい。
どうしようもなく、意識を手放したくなった。 果南「ほら!今すぐ返品しにいくよ!そんなのに五千円も使って!!」
千歌「やだー!!これは希さんのマル秘アイテムなんだよ!?あの、μ'sのアイテムなんだよ!?」
果南「それが怪しいって言ってんの!こら!千歌!」
千歌「んぎぃ〜〜〜〜〜!!!」
果南「千歌っ!!机に齧り付かないで!!机ごと担いで行くよ!?」
くるくる、くるくると、舞台は続く。
その舞台上に、私は立てない。
私は既に、ロザリオの所有権を放棄してしまったのだから。
この後に及んでもまだ、私はロザリオを理解できていなかった。
あんなにもヒントはあったというのに。結局、只の藁では何の助けにもなりはしないのだ。
ああ、そうだ。自分自身で核心を突いていたではないか。
このロザリオは、確かに願いを叶える。但し、私の意に沿わぬ方法で、底無しの悪意をもって。
またしても、私の願いは叶えられた。 やがてぞろぞろと、Aqoursのメンバーが部室へと入ってくる。
殆どのメンバーは果南と千歌のやり取りを呆れたような、それでいて暖かな眼差しで見守る。
ただ、花丸だけは。
千歌の手に握りしめられたロザリオを見た瞬間、小さく悲鳴をあげてこちらを見る。
明らかに恐怖に彩られた、今にも泣き出しそうな目だ。
私はそれに、泣き笑いのような表情で応える。
もう、私にはどうしようもないーーー。
花丸が言ってたっけ。
『猿の手』で何よりも怖いのは、ホワイト氏の支払った代償の重さだと。
何故私は、既に代償を支払ったつもりでいたのだろう。
罪悪感?罪の十字架?全くもって甘過ぎる。
私は自分が楽になりたいあまり、深く物事を考えずに愚行を犯してしまった。
確かに、私からはロザリオの力はもう失われただろう。
ただ、その代わりに、今度は千歌にその力が移ってしまった。
千歌にも私と同じ悪夢が降りかかる事は想像に難くない。
そのときに千歌は、最後の願いに何を願うだろうか。
もし、もしも、『猿の手』で最初にそれを使った男のように自身の死を願ったとしたら。
そして、この呪いがこれからも広がっていくのだとしたらーーー。 ホワイト氏が猿の手を使ってしまったが為に支払った代償は、今までの幸福と、これからの幸福、その全て。
ああーーー。
私も支払わなければならないのだ。
あまりにも重過ぎる、その代償を。 終わりです。
前回が日本文学モチーフで書いたので
今回は海外もので書いてみました
ありがとうございました 沼津の地理ネタとか小ネタもたくさんあって解像度高かった
乙 何してんのやリーダー…姉に怒られるぞ
善子にとっては最低の再開だったね
お前らも迂闊に知らねえおっさんから変なもの受け取ったりアンケートに答えたりしないように 乙
千歌ちゃんもこの後ロザリオの悪意に飲み込まれてしまうのかそれとも >>86
ここの1つ目の善子ちゃんのセリフが文字化けしててリアルに声が出た
おま環か演出ですよね??? 話はめっちゃ良かったし沼津結構行ってる身としては解像度高すぎて良いんだけど、こんな時間に読んだら夢に出てきそうだぞどうしてくれる >>108
専ブラで見ると文字化けしてないけどSafariで見たらめっちゃ文字化けしてた
なにこれ怖い
善子「代償って......ちょっと待ってよ、二百ポンドの代償は息子の死でしょ?で、二つ目の願いは...。あー、末ウ残な姿で甦っbト、それによっbト受けた恐怖が荘繽桙チてこと?試Oつ目の願いに滑ヨしてはノーリャXクで叶ってるbカゃない」 アウターゾーンにこんなアイテムあったな
最後は飛行機の座席に置くやつ あれは幸運の腕輪
猿の手自体もエピソードがある。そっちもハッピーエンド
関西弁の男は何者だろうな
カメラに映ってないし、存在しなかった可能性も示唆されている。一方、善子と千歌が同じ様な人物と出会っているから当人の幻覚とも考えにくい
ロザリオの精だとするとロザリオ側が所有者を選んでいると考えられる >>111
ありがと〜
Chromeだからホントにビックリしたよ...... 乙
面白かったよ
善子と花丸から進言して千歌にロザリオ手放すように出来ないもんかね >>119
これ読んだことあるわ
この人のSS作り込まれてておもしろいな SS総合板で代行依頼してたの覚えてるわ
そのときに初めて投下するって言ってたから
多分、これが二作目 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています