穂乃果「みらい」
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青い空、白い雲、生い茂る草木、輝く太陽。
校舎、校庭、教室、体育館。
制服、体操着、教科書。
放課後、チャイム、通学路、部活。
「穂乃果ーーーー。先に行ってるわよ」
青春ーーーーー。 カタカタと鳴るのはパソコンのキーボードと壊れかけの扇風機の音。この狭い事務所の中で省エネの為に空調機は使用禁止になっていて、扇風機よりこちらの方が壊れてしまいそう。
「先輩、麦茶でいいですか?」
後輩が長い髪を揺らして麦茶を配って歩いているのには理由がある。来月の送別会で送る餞別品の代金を回収する為だ。社内のエースが本社の技術本部に異動するのだそう。彼は高卒だけど優秀で工場で収まる人材ではないと言う事らしい。
穂乃果「500円だっけ?」
「はい。けど高坂先輩は特別に倍の千円でいいですよ。同期なんだし」
私は後輩を適当にあしらって彼女が持つ茶封筒の中に500円玉を放り投げた。高い麦茶だ。 転勤するエースとは同期入社で私は大卒、彼は高卒で部署も全く違うのだけれど妙にウマがあったのかお互いを高め合う良い関係を築いていた。
しかし、いつからだろうか。時間が経つほど彼と間に差がつき、気が付けば随分と遠い存在になってしまった。
転勤が決まった時、彼は私に仕事を辞める様にと言った。けれど、私は仕事を辞める気は全くなかったし、何より彼が私を戦力として数えていない事が分かって彼に対する感情が一気に冷めてしまった。 それから彼とはなんとなくギクシャクしていまい、なんなら早く異動してくれないかと思う程。唯一の救いは部署が違うので送別会に参加する必要は無い事だった。
私は麦茶を飲むと懐かしい気分になる。何を思い出すのかは分からないけど、とても懐かしくて愛おしい。 私は麦茶を飲み干すと
穂乃果「さよなら」
と呟いた。空になったコップとカタカタと鳴る扇風機だけが残って500円玉達が私の元から離れていった。 私の会社は定時が17時10分で定時で上がればこの時期はまだまだ外が明るい。特に溜めている作業がなければ定時で退社をする事が推奨されている。
穂乃果「お疲れ様です。お先に失礼致します」
まだ残っている社員に頭を下げて私は更衣室へと向かう。途中、喫煙所の前を通ると中でエースが上司と楽しそうに談笑している。彼は私に気が付いたのか一瞬こっちを見てすぐに目を背けた。私は彼が煙草を吸う事が嫌だった。けれど、もうコソコソ吸う必要も無いのに。
私は小さくため息を吐くとそそくさと更衣室へと向かった。 会社からアパートへの帰り道、私は定時で帰る時はワザと遠回りをして河川敷を通って帰る。河川敷では少年達が野球をやっていて、わたしはそれを眺めながら帰るのが好きなのだ。男の子達の中に女の子が一人混じっている。この子は去年まで端の方でメガホンを叩いているだけだったのだけれど先月から練習に参加する様になったのだ。一生懸命に白球を追う彼女の姿に私は昔の自分を重ねて見ていた。
私は彼女の練習風景をじっくりみたかったのでどこかで腰を下ろそうと辺りを見回していると先にある階段に女性が一人座り込んでいるのを見つけた。 そこは練習風景を眺めるにはベストポジションに思えたけど、どうやら女性はお酒を飲んでいて側から見てもやさぐれているのだろう事が分かり近寄りがたかった。仕方がないので私は諦めて通り過ぎ様とした時
「穂乃果じゃない?」
と声を掛けられた。私は声の方に目をやると見知った顔がそこに居た。
穂乃果「こんな所で何をしてるの…絵里ちゃん」
絢瀬絵里。高校時代の一個上の友人で当時は一緒にスクールアイドルとして汗を流した仲だった。とても真面目で頭も良く美人で生徒会長なんかも務めていた。
そんな彼女が今、河川敷で缶ビールを片手に目を腫らして私を見つめている。 自分の現状を思い出したのか彼女は焦って
絵里「ち、違うの。いつもこんな事してる訳じゃないのよ。今日はたまたまって言うか。あの、久しぶりね」
と取り繕う様に捲し立てる。だいぶ飲んでいるのかかなり酒くさかった。私の知っている彼女の面影が全くない。
穂乃果「どうしたの?仕事は?」
私がそう聞いたのは彼女はいつも仕事が忙しく、仲間内で集まる時もいつも残業で来る事が出来ず、例え来れても大抵は終盤に差し掛かっている。そんな彼女が平日の日も沈む前に河川敷で一人缶ビールをあおって目を腫らしているのだ。 絵里「仕事は休んだの」
絵里はそう言うと手に持った缶ビールを口に含んだ。
絵里「ちょっと失敗しちゃってね。疲れちゃったから有休消化もしなきゃいけないしさ」
話し始める絵里を見てこれは長くなりそうだと思ったので私は一度彼女の話を遮って腕を引っ張った。
穂乃果「話なら聞くよ。でも、こんな所じゃなんだからさ私のウチに来る?」
私がそう言うと絵里はコクンコクンと首を二回縦に振った。 私のアパートは築35年の1DKで一人で住むには充分すぎる程の広さだった。
穂乃果「ビールでいい?」
私は冷蔵庫の中の缶ビールを取り出すと絵里に渡した。私は普段ビールは飲まないのだけどエースが好きだったので数本まだ残っていたのだ。プシュッと勢いのある音は久しぶりに聞いた。
絵里「私って完璧に見える?」
絵里が私にそう尋ねて来た。
穂乃果「そうだね。昔からしっかりしてるし頭も良いしね」
私がそう言うと彼女は視線を落として
絵里「穂乃果もそんな事言うのね」
と言うのだった。 絵里「会社の後輩が私の事、バリバリ働いて凄いって。男性相手にも引けを取らないし凄いです〜私達とは違います〜ですって」
絵里は堰を切った様に喋り出した。
絵里「上司はやんわりセクハラして来るし。家庭持ちのくせに毎週金曜日に誘って来るのよ?信じられる?アラサーになっても仕事ばっかりで相手も居ないし。亜里沙にも心配されるし。厄年だし」
私は黙って彼女の話を聞いている。心なしか飲むペースも上がっている。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています