せつ菜「もしかして、歩夢さんは侑さんのことが嫌いなんでしょうか」
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「…え?」
思わず声が漏れた。
──何を言ってるんだろう、この人は。
その思考がそのまま顔に出ていたようで、眉間にシワを寄せたまま固まった私の顔を、せつ菜ちゃんは心配そうに覗き込んできた。
「な…なんで?」
ぎこちなく笑みを浮かべて問い返す。
せつ菜ちゃんは私から顔を逸らして目を瞑ったまま、何かを考えるような素振りをみせる。
私は黙って彼女の返答を待つ。
心臓の鼓動は沈黙の長さに比例して、まるで長距離走をしている時のように速くなっていた。
「私や他の同好会のメンバーといる時に、侑さんの話題が出ると歩夢さんの顔が曇るから…ですかね」
「……あはは、なにそれ」
「でも事実ですよね…?お二人は幼馴染みなのに、」 「そんなの、気のせいだよ」
「気を悪くしてしまったのならすみません。でも、気になってしまって…喧嘩でもしましたか?」
ぐっ、と拳に力が入った。
指先が手のひらに食い込む。
心と違って身体は素直で、彼女の余計な気遣いに苛立ちを覚えている自分がいるのだ。
そんな感情を押さえ込み、目の前の彼女に勘づかれないよう、今できる精一杯の笑顔のまま答える。
「ケンカ…喧嘩かぁ。ううん、そんなのじゃないよ」
「そう、なんですね。良かったです」
「……せつ菜ちゃんはね、侑ちゃんのことどう思うの?」
「へっ…?私ですか」
「うん。まだ会って間もないと思うけど、最近せつ菜ちゃん侑ちゃんとよく一緒にいるでしょ」 今は練習の合間に設けられた休憩時間で、せつ菜ちゃんと二人での買い出しの帰り道。
そんなことはわかってる。
でも、もう止まらなかった。
こんなこと、流れに身を任せて気軽に尋ねてはいけないはずなのに。
この時間が終わればまた練習が再開されて、みんなと顔を合わせることになるのに。
彼女の返答次第では、平然とその輪に戻れないかもしれないのに。
「そうですね……侑さんは私にとって大切なことを教えてくれた人です。だから私は侑さんと、このスクールアイドル同好会を盛り上げていきたいと思います」
「…そっかあ」
安堵のため息をつく。
スクールアイドル同好会を一緒に盛り上げていきたい。
きっと他のメンバーも同じことを言うだろう。
せつ菜ちゃんにとって、侑ちゃんは共に切磋琢磨する部活仲間でしかなくて、それ以上は何ともないんだ。 「でも私、気付いたんです。侑さんといると…胸がドキドキして、キュンとして、気持ちが晴れやかになるって」
「…は?」
「それで、果林さんに相談したんです。そしたら…その気持ちには素直になった方がいいと、アドバイスされて。だから私、きっと侑さんのこと好きなんです」
はにかみながら、せつ菜が頬を染める。
鈍器で頭を殴られたような衝撃に、目の前が徐々に暗くなっていくのがわかった。
自分でも驚くくらい、低い声が出る。
「なに…それ」
「ご、ごめんなさい。気持ち悪いですよね。好きだとか、女同士で…。忘れてください」
「そうじゃなくて……侑ちゃんは、」
「お〜い!!歩夢〜!せつ菜ちゃ〜ん!」 ビクンと肩が跳ね上がる。
声の主に視線をやると、それは遠くから手を大きく振りながら走ってくる侑ちゃんだった。
先程まで眉尻を下げて項垂れていたせつ菜ちゃんの顔が、一気に色付いた。
「侑さん…!どうしたんですか?」
「どうもこうもないよ〜!二人が遅いから心配で!」
「えっ?あ、もうこんな時間だったんですね」
「そうそう。皆がね、ジュースが重すぎて倒れてるかも!とか言っててさ、つい心配になっちゃって」
「ふふっ、なんですかそれ。…でもありがとうございます」
「全然いいよ!うーんと…歩夢も、大丈夫?」
黙り込む私を不思議に思ったのだろう。
慌てて、いつもの笑顔を作って適当に返事をする。
「ごめんね、大丈夫。帰ろっか」
「良かった。それでね、聞いてよ!さっきかすみちゃんがね……」
それから連なって帰る道中は、楽しそうに話す侑ちゃんの話は右から左へ抜けていってしまっていた。
彼女の右隣にいるせつ菜ちゃんが気になって、私は、練習場所に着くまでの時間が永遠にさえ思えた。 * * * * *
翌日、私は学園の図書室にいた。
結局昨日はあの出来事のせいで上手く寝付けず、目の下にクマができ、登校中は侑ちゃんに質問攻めにされてしまった。
「あれ、歩夢ちゃん珍しい〜。今日は同好会ないの?」
「えっと、今日はお休みなの」
「そうなんだ。今日新刊入ったから良かったら借りていってよ」
「ありがとう、そうするね」
思わぬ所で同級生に声を掛けられた。
彼女は確か図書委員の子だ。ひらひらと手を振ってその場を後にする。
今日はしずくちゃんが演劇部の練習に顔を出さなくてはならず、果林さんはモデルの仕事、せつ菜ちゃんは生徒会の会議があるらしく、同好会は休みだ。
だから、ふらっとここに立ち寄ったのだけれど。
「はぁ………」
誰もいないのを確認して、ため息をひとつ。
理由は明白だった。せつ菜ちゃんは侑ちゃんのことが好き。
それも、恐らく恋愛的な意味で。
その事実が呪縛のように私を苦しめる。 その時だった。
ふと、一冊の本の背表紙が目にとまる。
「…相思相愛理論?」
本のタイトルを小さく声に出してみる。
薄ピンク色のそれは、まだ誰にも借りられていないのか新品同然だった。
相思相愛ということは恋愛的な教本のようなものだろうか。
あまり期待はしていなかったが、僅かな好奇心に従って表紙をめくる。
「確実に想い人と相思相愛になるための秘訣…」
ひとつ、自分のことを好きにさせること。想い人の好感度があがるなら何をしても良い。
ふたつ、自分に依存させること。そのためなら弱みを握っても良い。
みっつ、障害は排除すること。線路に転がる小石は大事故の要因になりうる。 パラパラとページを捲り、読み進めていく。
熱中するあまり喉がカラカラになってしまって、口に溜まった唾を飲み込む。
「運命とは、最初から決められているものである。貴方が想い人を好きになるのも運命であり、想い人がそれに応えるのもまた運命である…」
「歩夢せんぱいっ、何してるんですか〜?」
「っ…!?」
聞き馴染みのある声に、慌てて振り返った。
ブツブツと唱えていたのが聞こえてしまっていただろうか。
可愛らしく小首を傾げるかすみちゃんは、私が後ろ手に隠したものに興味津々といった様子で、詰め寄ってきた。
「なに読んでたんですか〜?」
「さ、参考書だよ。かすみちゃん図書室に来るなんて珍しいね」 「むぅ、かすみんに図書室は似合わないってことですか?そりゃこの前のテストはちょ〜っとヤバかったですけどぉ…」
「しずくちゃんの練習を見に行ってるんだと思って。ほら、今日はイチから通しをするとか」
「あ!今しず子とケンカしてるのでっ。りな子に教えてもらおうと思ったけど、絶対理由聞かれるし〜!」
かすみちゃんはプクッと頬を膨らませ、そっぽを向いた。
なるほど、親友に頼れなくなったからこの子は一人でここに勉強しに来たんだ。
「二人はよく喧嘩するよね。すぐ仲直りもするけど」
「んまあ、大体はしず子が意地張ってるせいですからね!かすみんの心が広いから何とかなってますけど!」
「あはは…そうだね」
「そういえば、侑先輩はどこですか?別の本棚で探してるんですか〜?」
「えっと、なんで侑ちゃん?今日は同好会ないけど…」 目の前でわざとらしくキョロキョロとする彼女に、戸惑いを覚える。
私は今日、侑ちゃんと一緒に帰らなかった。
理由は単純で気持ちの整理がつかなかったからだ。
侑ちゃんは私の些細な気持ちの変化にも気付いてしまうから、彼女を心配させたくない一心で、「同級生に頼まれごとをしているから先に帰って」と嘘をついていた。
「あれ?侑先輩と一緒じゃない感じですか?珍しいですね〜…はぁ、また侑先輩に勉強教えてもらおうと思ったのにぃ」
「ご、ごめんね…。でもまたって……今までかすみちゃんは侑ちゃんに教えて貰っていたの?」
「はい!こっそりと!しず子にバレちゃうと不機嫌になるので〜…前なんて、先輩に教えて貰えるなら私はもう教えない!とか言うんですよっ」
「そ、そうなんだ……私知らなかったな」
「侑先輩はしず子と違って〜、優しいから大好きです!」
「………侑ちゃんはもう帰ってるから。またね」 かすみちゃんの返事も待たずに、図書室のカウンターへと踵を返す。
そこには先程会話を交わした図書委員の子がいて、私は無言で手に持っている本を机上へ置いた。
「はーい、貸し出しね。期限は一ヶ月後だから」
彼女は本のタイトルもろくに見ずに、スキャナにバーコードを通しで事務的に手続きをこなす。
私は薄ピンクの本をぎゅっと胸に抱え、学園の中を早足で移動する。
心の中を土足で踏み荒らされたようだった。
自分の知らない侑ちゃんの姿を想像するだけで、まるで発作のような、胸が締め付けられる感覚に襲われる。
「侑ちゃんっ、侑ちゃん…」
早く彼女に会いたい。
なぜ嘘をついてしまったのだろう。
こんな仕打ちを受けるくらいなら、彼女と一緒に帰った方が何倍もマシだった。
その一心で、足を速める。
その時だった。
「あれは……侑、ちゃん?」 間違いない。あれは侑ちゃんだ。
まだ帰っていなかったのだと、そう思うと同時に、一気に強ばった顔が綻んだ。
「ゆう…」
「侑さーんっ!」
「お疲れ様!良かったね、生徒会の会議が無事に終わって」
「いえ、手伝ってくださって本当にありがとうございました。まさか資料を丸ごと忘れるなんて…」
「誰にだってミスはあるし、気にすることないよ?せつ菜ちゃん」
ドサッと、音を立てて手元から本が滑り落ちた。
侑ちゃんは私の呼び掛けに振り向くことなく、彼女の元に走りよってきた女に微笑んだ。
視界がぐらりと揺れて、滲む。
涙が溢れ出てくるのを止められなかった。 なんで、神様は私にこんな酷いことするんだろう。
私は何も悪いことしてないのに。
私はただ、侑ちゃんとずっと一緒にいたいだけなのに。
そんな些細な願いさえ、叶わないのか。
「やめて……侑ちゃん」
「楽しそうに、しないでよ……私じゃない、誰かと………」
自分だけに聞こえる声量で、抑えきれない感情が溢れる。
頬を伝って地面にポタポタと滴るこの涙を、侑ちゃんは拭ってくれないんだと思うと、また悲しくなって、どうしようもなくて、座り込む。
そう、感情の昂りが頂点に達した時。
確かに私には、彼女の声が聞こえた。
「………ふふっ」
勝ち誇ったような笑い声だった。
顔をあげると、侑ちゃんとせつ菜ちゃんは抱き合っていた。
いや、正確にはせつ菜ちゃんが侑ちゃんに抱き着いていた。
侑ちゃんの表情は見えないが、せつ菜ちゃんがこちらを見て、口元を引き上げたのがわかった。
「……あぁ。邪魔、だなぁ」
私はポツリとそう、呟いた。 せっつーはそんなこといない!糖質一歩手前まできてるぞ歩夢 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています