ことり「せめてその想いは……」
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毎日劇場の次の日
正午、部室中が甘い香りに包まれ、ことりは思わず破願してしまう。
目の前には花柄のかわいらしい箱に、チョコチップがふんだんに使われたケーキがたくさん並べられている。
「美味しそー」と呟き、キラキラ目に光を宿して固まることりに、にこは思わず苦笑をこぼした。
「そんなに見てないで早く食べなさいよ」
「だってだって!このカップケーキすっごく美味しそうだけど、見た目もすっごくかわいいからなんだかもったいなくて……」
ハッと我に返り、ことりは困ったように笑う。カップケーキの中から猫の顔を模したものを一つ取り出し、可愛いものを愛でるようにうっとりと見つめる。
「でも、こんなにたくさん作ってくれるなんて……ことりが全部食べちゃってもいいの?」
「なーに言ってんのよ!もともとあんたの楽しみにしてたチョコをあたしがこころたちにあげちゃったのが悪いんだから。どんどん食べなさい」
申し訳なさそうに眉を顰めることりに対して、にこは呆れたような表情を浮かべてことりの頭をグシグシとなでる。練習終わりにセットした髪形が乱れるが、ことりは嫌な顔はせず、「えへへ」照れくさそうな笑いを浮かべていた。 「ありがとにこちゃん!それじゃいただきまーす……」
ペコリとにこに軽く頭を下げると、手に持っていた猫のケーキを耳の部分から一口。途端にスポンジのふわふわした食感と甘い香りが口いっぱいに広がる。もきゅもきゅと口を動かし咀嚼すると、時折チョコチップの硬い食感と甘くほろ苦い香りが鼻腔を抜けていく。
「はぅんっ、おいしぃ〜……」
思わず変な声が出てしまう。溶け落ちてしまいそうなものを抑えるように頬に手を当てることりの幸せそうな表情に、にこは満足げな笑みで胸を張る。
「当然でしょー!このにこの手作りなんだから!」
「本当にありがとうにこちゃん!こんどお礼に、お洋服作らせて。にこちゃんに合いそうなかわいいデザイン思いついたの!」
「いや、お礼ってそもそもこれお詫びなんだけど……っていうかそれ、あんたが着せたいだけなんじゃないの?」
「あ、ばれちゃった?」
にこにジト目で見られ、ことりはいたずらっ子のように舌を出す。数秒間見つめ合った後、なんだかおかしくて二人で吹き出してしまったその時、部室のドアが勢いよく開けられた。
「お疲れ様―!……あれ、なんかいい匂い……」
「あー!ことりちゃんケーキ食べてるにゃー!」
元気に部室に入ってきたのは穂乃果と凛。面倒な奴らが来たとにこは顔をしかめる。案の定二人はギャーギャーと騒ぎながら机にあるケーキに駆け寄る。
「わー、これにこちゃんが作ってたの?すごーい!」
「ねぇねぇ、凛たちも食べていい?」
昼時ということもあり空腹なのだろう。ぐーっとお腹を鳴らしながら詰め寄る二人の額をピンっと弾く。 「あんたら落ち着きなさい!これはことりに作ってきたものだから、ことりがいいっていうならいいけど……」
ちらとにこがことりに目を向けると、それに合わせて二人も期待のこもったまなざしでことりを見つめる。その視線を受けて、ことりはしばしあごに指をあてんーっと考えていたが、やがてにこりとやわらかい笑みを浮かべれる。
「だーめっ♡」
その声音は甘く、柔らかいものだったが、はっきりと拒否の意志が込められていた。穂乃果も凛もにこも、そしていつの間にかいたチョコレート大好きエリーチカもぽかんと口を開けてことりを見ている。
「これはにこちゃんがことりのために作ってくれたんだも―ん。だから、ことりが全部食べちゃいます♪」
「ごめんね」と気持ちばかりの謝罪をこめて言うと、未だ固まっている四人をよそにことりはケーキを頬張った。 「え、えぇ〜〜……」
「そんにゃ〜……」
「ほ、ほら二人とも、しょうがないでしょ……」
ことりが冗談ではなく本気で分ける気がないことを察っして項垂れる穂乃果と凛。そんな二人の肩を絵里は励ますようにポンと叩くと、そのままススッとにこに近づき、こっそり耳打ちする。
「あ、あの、にこ……こんど私にもチョコケーキ作ってほしいんだけど……」
「……」
しかし今、絵里に話しかけられてもにこは応じない。きょとんとした顔でことりの横顔を見つめている。それほどまでに、ことりの答えはにこにとって衝撃的だった。
今まで穂乃果に対して甘々だったことりが、穂乃果のお願いを断るなんて―――。
確かに今日のカップケーキはお詫びの意味も込めて腕によりをかけて作った結果、今までで一番おいしくできたと思う。けれど、たかがカップケーキだ。量もそこそこあるし、2、3個わけるくらい大したことはないはずなのに……
ふと、未だきょとんとしているにことことりの目が合う。口の端についたクリームをぺろりと嘗めとるその表情が妙に煽情的に思えてにこの顔は真っ赤に染まった。
思わず目を背けると同時に、絵里が涙目でにこの袖を引っ張っていることに気づき、慌てて取り繕う。
結局のところ、ことりのその真意はにこにはわからなかった。 ―――ごめんね、穂乃果ちゃん、凛ちゃん、絵里ちゃん。
恨めしそうな凛と穂乃果を横目に、ことりの胸中は少しの罪悪感と大きな優越感で満ちていた。
実はカップケーキの量は、食の細いことりにとって食べきれる量ではなかった。しかし、ほかの人にあげるくらいなら、自分が全部食べたいと思ってしまう。
―――にこちゃんはお詫びの気持ちしかなかったのかもしれないけど……ことりにとっては、「にこちゃんがことりを想って作ってくれたもの」だから……
4個目に手を伸ばすことり。既にお腹は膨れ上がり、正直限界だった。
ちらりと、にこに目を向けると彼女にしては珍しい口を半開きにした表情と目が合った。
―――だから、その想いは、ひとりじめにさせてね
結局、ことりは昼休みにすべてのケーキを平らげ、翌日体調を崩すのだった。
そんなことりの家ににこがお見舞いに行き、二人の距離が急激に縮まるのだが、それはまた別のお話―――。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています