曜「水平線上の幽霊」
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「……」
陽が燦々と降り注ぐ夏。私は、海を眺めていた。どこまでも蒼く、果てしない……綺麗な海。
砂浜に当たる日光は、反射して熱気となり私にまとわりついた。少し――いや、結構暑い。
額に、体に、汗がにじむ。それでも海をぼーっと眺め続ける今の私には――きっと、胸に風穴が空いたかのように――何かが、心が……ないのかもしれない。
「……お〜い」
「……」
「……お〜い!」
「ん……? あ、果南ちゃん」
声が聞こえてきた方に振り向くと、こちらに駆けてくる一人の少女がいた。
どうやら今の私には、大事な幼馴染の声すらもあまり届いてないらしい。二度目の呼びかけだと気づいたのは、そういうことなのだろう。
その幼馴染――果南ちゃんは、走りにくいはずの砂浜をものともせず速いペースで駆けてきて、私の近くで立ち止まった。
あれだけ速く走っていたのに、息一つ乱さない果南ちゃん。私もスタミナには結構自信があるつもりだけど、やっぱり敵わないと思っちゃうな――
「……海、見てたんだ」
「……うん」
髪を小さくかきあげて、私と同じように海へ目を向ける果南ちゃん。その仕草は様になっていて、美しくて――同性である私でも、ドキッとしてしまった。
もっとも、果南ちゃんは全く意識してないんだろうけど――それを見た私には、現実に引き戻されるような感覚があった。
心ここにあらずの私が、少し意識を引き戻される時――それはきっと、Aqoursの誰かと一緒に居る時でしかないのかもしれない。 「綺麗だよね、海」
「……」
ざーっと押し寄せる波が、砂をさらって引いていく。私が何度も見た光景を、海は何度も繰り返している。
それは決して嫌なものではなく、昔の私であれば心地よくて、好きな光景だった。
この砂浜で、果南ちゃんや千歌ちゃんと遊んでいた時を思い出す。あの頃も、この海は大好きだった。でも、今は――
――千歌ちゃんがいない今は、違う。
「……綺麗だけど、好きじゃないよ」
「それは私も、かな」
果南ちゃんは、海に向かって小さく一歩踏み出した。ざっ、という砂を踏む小さな音が、私の耳に大きく響く。
あの日、私たちは――この砂浜で、膝から崩れ落ちて、壊れてしまうくらい泣いていたんだ。
それはいつもクールで、飄々としている果南ちゃんも同じで――それを思い返した時、突然気分が悪くなった。 「……うぅ……」
「曜!? 大丈夫!?」
小さくふらつく私を、果南ちゃんがぎゅっと抱えてくれた。
「あはは、大丈夫大丈夫……ちょっとめまいがしただけだから」
「そう? それならいいんだけど……いや、よくはないか。あんまり暑い中で長くいると、体調崩すかもよ」
果南ちゃんは私を抱きしめる手を離すと、心配そうに声をかけてくれた。
でも、これは本当にただのめまい。だけど、暑さによるものじゃない……それは――
「……千歌ちゃんのことを、思い出しちゃって」
「……」
目を合わせず、小さく呟く。でも、果南ちゃんの表情が変わったのは、目を合わせていなくともわかった。
果南ちゃんもきっと、より鮮明に思い出しちゃったんだと思う。私たちが海を嫌いな理由。
千歌ちゃんの家の前にある、何度も何度も遊んだ海が嫌いな理由。それは、この海が、この波が……
――この波が、千歌ちゃんの命を奪ったからだ。 「……」
それっきり、私と果南ちゃんは黙り込んだ。私の大事な幼馴染である果南ちゃん。
こうやって黙り込んでいる間も、昔は気まずいなんて思ったことは一度もなかった。むしろ、その沈黙は心地よいものだった。
でも今は……気まずい、耐えられない。空気が重く重く私の肩にのしかかってくるようで、思わずその重圧から逃げ出したくなる。
「……っと、そろそろランニングに戻ろうかな」
「……そっか。声かけてくれてありがとね」
「あはは、礼を言われるようなことじゃないよ」
沈黙を破ったのは、果南ちゃんだった。果南ちゃんの日課のランニング、最近はここも走ってるのかな――知らないけど。
あれ以来、Aqoursのみんなと話すことはめっきり減ってしまった。それでも、果南ちゃんは時たま声をかけてくれて――私の心の支えになってくれていた。
ありがとうと礼を言うけど、果南ちゃんはいつものように飄々と振舞う。その姿を見るだけでも、私は少し落ち着けるような気がした。
「それじゃあね……その、あんまり思いつめない様にね」
「それは果南ちゃんもじゃないかなぁ……」
「は〜い」
ちょっと茶化してみたけれど、それは「は〜い」の一言であっさりとふいになってしまった。
いつもと変わらないような、果南ちゃんの姿。それがちょっとおかしくて、小さくふふっと笑う。
――どうやら、今の私でも笑うことは出来るらしい。どんどん遠くへと走っていく果南ちゃんの背中を見ながら、私はもう一度「ありがと」と呟いた。
――でも。
でも、私の言葉が……その果南ちゃんの顔に、表情に、影を落としていたのは……果南ちゃんをよく知っているからこそわかる、紛れもない事実だった。
「……私も、そろそろ帰ろうかな」
こんなところで海を眺めていても何にもならないし、と心の中で続ける。
果南ちゃんが言っていたように、あんまり暑い中で日光に当たっているのも良くなさそうだし――さっさと自分の部屋に戻ってしまおう。
そうだ、こんなことをしていても何にもならない。
いい加減、千歌ちゃんの死と向き合わなきゃ――そう思った。
たとえそれが、何一つ意味のない空元気であっても――今はきっと、そう思うしかない。 「ふう……」
家に帰って軽くシャワーを浴びた後、私は倒れこむようにベッドで仰向けになった。
しばらくの間水分を取っていなかったせいか、少しだるさを感じる。
Aqoursのみんなと練習している時は、いつも必ず誰かが「水分補給は忘れずに」と、声をかけてくれたんだっけ。
でも、今は……Aqoursのみんなで集まること自体が無い。
決して散り散りになったわけではないけれど、千歌ちゃんが死んだあの日から――練習をすることも、遊ぶことも、なくなった。
「……」
この体のだるさに任せて、少しばかり寝てしまおうか。
さっき「死と向き合う」なんて考えたけど、やっぱり私にはできないのかもしれない。いや――心のどこかで、認めたくないんだと思う。
最近はこうやって寝ることも多くなったけれど――それは紛れもなく、現実逃避でしかなかった。でも……今は、それで――
「……ん……」
目を覚ました時は、体のだるさは消えていた。体感だが、時間もあまり経っていないようで――どうやら、すっきり眠れたみたいだった。
ゆっくりと体を起こして、窓の方を見やったら……外は真っ暗で、雲がかかった中に朧な月が浮かんでいた。
「……うわっ、もうこんな時間!?」
慌てて時計を見たら、すでに20時を回ったところだった。帰ったのが確か14時くらいだから……6時間も眠っていたらしい。
とりあえずお風呂に入って、晩御飯を食べようと――どたどたと下の階へ降りていった。 晩御飯は大好きなハンバーグで、お腹が減っていたこともありすぐ食べ終えてしまった。
そして、その時に気付いた。今日は朝から何も食べていなかったことに――
(……はあ)
「夜……眠れる、かな……」
さっきぐっすり眠っていたこともあって、このままだと夜はしばらく眠れないのではないか――と、少し不安になる。
「……まあ、でも……」
かと言って、寝る時間までやることも特に見つからなかった。今までの通りだったら、学校の課題をこなしたり、Aqoursの誰かと通話したり――そんな風に過ごしていたけれど。
あるいは、次に踊る曲の衣装を考えたり……あとは、ずっと前善子ちゃんに勧められたゲームをやったりもしていたかも。
まあ、仕方ない。善子ちゃんに勧められたゲームはしばらく放置してるし、気分転換もかねて――
「……わっ!?」
と、ゲーム機のコントローラーに手を伸ばした時、唐突にベッドに置いていたスマートフォンから着信音が鳴った。突然のことに思わずびくっと体を震わせる。
……あの時以来、着信なんて全くなかったから、本当にあまりにも突然だった。動揺しつつも、携帯に手を伸ばすと――
「桜内梨子」の4文字が画面に表示されていた――梨子ちゃんからの着信だ。
「もしもし?」
『もしもし、曜ちゃん? こんばんは』
「こんばんは♪」
携帯越しに聞こえる梨子ちゃんの声はちょっとくぐもっていたけれど、いつもと変わらないようだった。
――もっとも……最後に話したのは、随分と前のことだけれど。
友達からの着信――私の心に光が射すようで、私は少し安堵した。 「それで、今日はどうしたの?」
『……うーん、そうね……曜ちゃんの声を聞きたくなったというか?』
「おっ、嬉しいこと言ってくれるでありますなぁ♪」
『……本音を言うとね、やっぱり心配だったのよ』
「……そっか。そうだよね」
梨子ちゃんの声は、心の底から心配しているようで、不安げだった。それでも私と話そうと思ってくれたことが、私はただただ嬉しかった。
果南ちゃんの時もそうだったけれど――私はいつも、誰かに――Aqoursの誰かに、救われてばかりいる。そう思うと、ちょっと申し訳ない気もしたけれど。
『……もしかして「申し訳ないな〜」とか思ってる?』
「えっ……なんでわかったの!? 梨子ちゃんエスパー!?」
『ち、違うよ……曜ちゃんの声を聞いたら、なんとなくそう思えただけよ』
『――自分だけが救われている、って思ってない? それは間違いよ。私も曜ちゃんの声が聞けて、良かったって思ってる』
「そっか……ありがとっ」
でも、梨子ちゃんはそうじゃないといってくれた。私が梨子ちゃんの声を聞いて安心したように、梨子ちゃんもそうだったんだと思う。
そして――私が心細く感じていることも、梨子ちゃんと同じなのかもしれない……思わず、そんな風にも考えてしまったけど。 『それで、その……曜ちゃんは、最近どう?』
「さ、最近かぁ……う〜ん、はっきり言って全然ダメ!」
『そう……』
『――千歌ちゃんのこと、だよね……』
そう言ったきり、私と梨子ちゃんの間に沈黙が流れた。ざーっ、という雑音が、さっきより大きく聞こえる。
少しして――口を開いたのは、私の方だった。
「……梨子ちゃんは、どう?」
『私も……ぜんっぜんダメね。曜ちゃんと同じよ』
そう言って梨子ちゃんは、ため息まじりに小さく笑った。
『あの日……千歌ちゃんが海にさらわれて行方不明になって、それを聞いた私たちが浜辺に駆け付けた日』
『――あの時のみんなの表情が、私の脳裏に焼き付いている』 想像でも、安易に、人を、殺すな。
お前が、誰かに、勝手に、死んだことにされたら、傷つくだろう? そう――千歌ちゃんが死んだのは、事故だった。
浜辺に一人でいた千歌ちゃんを、突然起こった大きな波がさらっていって――それで、行方不明になってしまった。
私たちは、すぐ千歌ちゃんの家の前に集まって――千歌ちゃんのお姉さんたちと一緒に、何度も何度も名前を呼んだ。
でも、当然それで帰ってくるわけもなくて――私たちは絶望して、何かが壊れたかのように大泣きしたんだ。
そしてその後すぐ、千歌ちゃんは遺体で見つかった。
お葬式には私たちAqoursも呼ばれたけれど――誰一人として声を上げず、誰一人として泣かなかったのをよく覚えている。
――他のみんながどうかはわからないけれど、少なくとも私は……泣くことすらできないほど、心がすさんで、ボロボロになっていたのかもしれない。
「……梨子ちゃんも、かぁ」
『曜ちゃんもそうなの?』
「まあ、ね。あんなこと、二度と忘れられないと思う」
『……そう、だよね』
また、流れる沈黙――梨子ちゃんだけじゃない。きっと、Aqoursのみんなが、誰一人としてあの光景を忘れることはないと思う。
そして、それは――私たちの心に、深く深く傷をつけていった。それは、もう……塞がることなどないであろう、深く大きな傷を。
「……『千歌ちゃんはいない、向き合わなきゃ』……って、わかってるんだけどさ」
梨子ちゃんに助けを求めるかのように、あるいは自分に言い聞かせるように――ふっと、呟いた。
呟くだけでは何にも解決にならないってわかっていたけど――今の私には、それを考える余裕すらないみたい。 『……』
「……って、ごめん。こんなこと呟くと、いかにも『助けて梨子ちゃん!』って感じだよね……」
『も、もう……大丈夫だよ。私で良かったら、いつでも助けになるわ』
『それにね……私も、曜ちゃんと同じようなことをずっと考えてるの』
「……そっか」
「千歌ちゃんの死と向き合う」――答えが見つからない問題、あるいは答えを見つけたくない問題。
私と同じように、梨子ちゃんもそれを抱えている。いや――私たちだけじゃない。Aqoursのみんなが、きっとそうなんだと思う。
『……って、私はそろそろ寝ないと。その……何の力にもなれなくてごめんね』
「あはは、そんなことはないよ。梨子ちゃんの声を聞いたら、ちょっと……いや、かなり元気が出てきたし!」
『ふふっ、そう。じゃあ、明日は学校で会わないとね』
「うぐ……ど、努力します……」
『ま、真に受けなくていいの。休みたかったら、休んでもいいと思うわ。それじゃあね、おやすみなさい』
ぷつっ、と通話が切れた。そう――千歌ちゃんがいなくなって以来、私は学校を幾度か休んでいた。
……いや「サボっていた」って言い方の方が近いかも知れないけど。幸い、先生は大目に見てくれていた。
きっと先生も、そしてクラスのみんなだって――千歌ちゃんの死に動揺しているのは、私やAqoursだけではないんだと思う。
「……ま、でも……梨子ちゃんにああ言われたら出席するしかないかっ」
あはは、と一人で小さく笑う。
夜遅くにかかってきた、かけがえの友達からの一本の電話。私が、それに救われたのは間違いのないこと。
もちろん、これで傷が完全に癒えるなんてことはないけれど――こういう風に友達と話して、学校に行って、そうしているうちに――傷は癒えていくものなのかもしれない。
(さ……私もそろそろ寝ないと)
電気を消して、横になった時――それでも、やっぱり急に不安が込み上げてきた。孤独で、心細くて、居ても立っても居られない気分。
そして、その不安から逃げようと色々なことを考えているうちに――ひとつの、思考の壁にぶつかった。
『傷は癒えていく』――本当に、そうなのかと。 (あっつ〜……)
昨日と一昨日の休日を挟んで、3日ぶりに来た学校のお昼休み。私は、机の上に突っ伏していた。
決して寝たふりとか、誰とも話したくないとかではなく――ただ単に、暑さと授業の疲れで動く気にならなかっただけ。
(……ちょっと休んだだけで、こんなに変わっちゃうんだ……)
いつも当たり前のように通っていた学校。今まで、学校を休んだことはなかった。
……でも、1度休んで、2度休んで……そうしているうちに、わかったことがある。学校に通って授業を受けるっていうことは、思ったより体力を消耗するらしい。
もちろん、梨子ちゃんやクラスメイトのみんなと話したりするのは楽しい。授業も、聞いていると面白いし……勉強はあまり好きじゃないけど。
ただ――千歌ちゃんがいなくなってから、梨子ちゃんと話すことは少なくなった。仲が険悪になったとかでは全くない、けど――
――お互いがお互いに気を遣っているような感じで、ぎこちない関係になっているのは確かだと思う。
(……でも、昨日みたいに……ちょっと話してみようかな)
こうやって突っ伏していても、その関係に何か変化が生まれたりはしない――それはわかっている。
顔をあげて、梨子ちゃんに話しかけようと立ち上がる直前――滅多に聞かない校内放送から、大きな声が流れてきた。 『え〜、渡辺曜さん。放課後、理事長室まで来ること♪』
「ぶっ!?」
内容と合わせて思わず吹き出してしまうほど、陽気で明るい声。何度も聞いてきた声が、鞠莉ちゃんのものであることは簡単にわかったし、わかってしまった。
まさかの理事長室呼び出しに、クラスメイトの視線がいくつも突き刺さる。その中に含まれていた梨子ちゃんの視線は――特に深く突き刺さった。
思わず梨子ちゃんの方を向くと、梨子ちゃんはじとっとした目で私を見つめていた。少し困っているようにも見えた。まあ、一番困ってるのは私なんだけど――
『ちょっと鞠莉さん!? 何してますの!?』
『え〜、いいじゃない。ダイヤってば名前の通りお堅いんだから♪』
『そんなこと言ってる場合ではありませんわ! とにかく、こんな校内放送はさっさと切っ』
ぶづっ、と大きな音が入り、それっきりスピーカーからは何も聞こえなくなった。
もう片方の声の主がダイヤさんであることも、明白で――何があったのかは知らないけど、どうやら鞠莉ちゃんを止めに入ったらしい。
クラスメイトの視線を集めたままの私は、また机の上に突っ伏して昼休み終わりのチャイムが鳴るのを待つことにした。
周りでは「何したんだろう」「何かあったのかな」とざわざわ声が聞こえたけれど、今の私にこの誤解を解く気力はなかった。
いや――昔だったら、すぐ解いていたと思うけれど。 放課後、私は理事長室に向かっていた。
休み過ぎて怒られるのかな、とか、そんなことも考えたけれど……あの鞠莉ちゃんが、そのことで怒るような人でないことは私自身がわかっていて。
でも、それじゃあ――なんで呼び出されたんだろう。なんにせよ――鞠莉ちゃんとは、久々に話すことになる。
私はあの後、果南ちゃんと梨子ちゃん以外とは全く話していなかった。いや、果南ちゃん梨子ちゃんとも多く話しているわけじゃないけど。
ダイヤさん鞠莉ちゃんは学年が違って、果南ちゃんみたいに外で会うこともなかったし――
善子ちゃんや花丸ちゃん、ルビィちゃんも同じ。教室で話すこともなければ、梨子ちゃんみたいに通話をするようなこともなかった。
色々な感情が渦巻いて何一つ整理もできないまま、私は理事長室の戸をこんこんと叩いた。
「どうぞ」という、凛とした声が聞こえる。それは鞠莉ちゃんのものだった、けど――さっき聞いた校内放送とは、まるで違う雰囲気を纏っていた。
「……鞠莉ちゃん……久しぶり」
「久しぶりね、曜♪ その辺に腰掛けてもらっていいわ」
困惑したけど、同時に嬉しくもある――困った顔で小さく微笑む私に対して、鞠莉ちゃんも同じように小さく笑った。
鞠莉ちゃんが用意してくれた椅子に座る。ご丁寧にテーブルまで用意してあって、その上カップに紅茶が淹れられていた。
ふとそのカップをのぞき込むと、水面が私の顔を反射した。この紅茶、きっとすごく高いんだろうな――鞠莉ちゃんが相手だと、そんなことをつい考えてしまう。
「言っておくけど、遠慮はナッシングよ♪ 曜のために淹れたんだから」
「あはは、ありがと。じゃあ……」
考えていることを見透かしてるかのような鞠莉ちゃんの言葉を聞いて、私はそのカップに手を伸ばした。紅茶を小さく口に含む。
――うん、すごく美味しい。今まで飲んだどの紅茶よりも、はるかに美味しかった。それが茶葉によるものか、それとも鞠莉ちゃんが淹れてくれたからかは、わからなかったけれど。 「……すっごく美味しいね、これ」
「そう、良かった♪」
思わず漏れていた言葉に対して、鞠莉ちゃんが小さく微笑んだのが見えた。
夏だからまだ日は沈んでないけれど、時間はもう夕方で――理事長室の窓からは、強い光が射している。
それを背にして、理事長の椅子に腰かける鞠莉ちゃんは――後ろから射す光も相まって、幻想的に見えた。
私と鞠莉ちゃんしかいない空間。それは、さっきまで教室で授業を受けていたのに、気づいたら別世界に来てしまったかのように――現実離れしているようで。
かちゃり、とカップをソーサーに置く。その音は、流れる沈黙の中に大きく響いて、何重にも聞こえるようにすら思えた。
少しして、鞠莉ちゃんがおもむろに口を開く。
「……明後日から、夏休みね」
「……そうだね」
千歌ちゃんのことで心は全く落ち着かなくて、学校に関しても休んだり通ってたりで落ち着かなかったけれど――そういえば、そろそろ夏休みだ。
7月の半ば、Aqoursが9人となって、みんなで歌ったのは「未熟DREAMER」。花火大会で開催したライブだ。
あの時、私は――果南ちゃん、鞠莉ちゃん、ダイヤさんがAqoursに入ってくれたのがとっても嬉しくて、これからどんな未来が待っているのかなって、胸を躍らせていた。
そしてそれはきっと、他のみんなも……千歌ちゃんも、同じだったと思う。
あの後、まさかこんなことになるなんて――思いもしなかった。
「……それで、夏休みの話?」
「……そう、ね」
少し間をおいて、鞠莉ちゃんはそう言った。なんとなく、横目でちらりと鞠莉ちゃんの顔を見やったら――鞠莉ちゃんは少し険しい表情をしていた。
いつも明るくて、周りをも明るくさせていた鞠莉ちゃんのそんな表情を見るのは初めてで……私は、少し動揺した。
――でも。私だけでなく、鞠莉ちゃんも、Aqoursのみんなが暗い感情を抱いているのも明らかなことで――普段明るい人物が暗い一面をのぞかせるのも、当然のことのようにも思えた。 「その、ね。明後日……夏休みが始まる日に、もう一度Aqoursで集まってみるのはどうかなって思ったの」
「……Aqoursの、みんなで――」
「……曜は、イヤ?」
唐突な、鞠莉ちゃんの提案。でも、それはこの場にいるから唐突に感じたのであって――きっと、鞠莉ちゃんは悩んでいたんだと思う。
あれ以来、バラバラになってしまった私たち。私は、自分の事で精いっぱいだったけれど……鞠莉ちゃんは、ずっとAqoursのことを考えていてくれたのかもしれない。
それか、もしかすると……私と同じように、寂しくて心細くて。そして、それを振り払い、満たせるのは……きっと、同じ仲間である、Aqoursの誰かでしかないことに――気づいていたのかな。
Aqoursのみんなで集まる――か。千歌ちゃんは、もういないから――8人で、だけれど。
……でも、それでも……私は――
「……ううん、いいと思う」
カップの水面に反射する自分の顔を見つめながら、そう返事をした。鞠莉ちゃんがずっと悩んで、導きだしてくれた一つの選択肢。
鞠莉ちゃんのその提案を無下にしたくないっていう気持ちもあったけれど……それ以上に、私はそれがいいと思った。
Aqoursのみんなで集まること――それは、今の私たちに一番必要なことなのかもしれない。
心に負った深い傷も、不安や寂しさ、心細さも――癒せる場所は、きっと……Aqoursの中にしかない。少なくとも私は、そう考えていたし――
それに――きっと、このまま過ぎていく日々を変えることなく過ごしていたら――本当に、私たちはバラバラになってしまうように思えて。
もし、そうなってしまったら――後悔してもしきれないと思う。
「……そっか」
くすっ、と鞠莉ちゃんが笑う。思わず鞠莉ちゃんの方へ顔を向けると、本当に小さく、静かに微笑んでいた。
私は、その笑顔を見るだけで――心が落ち着いた。後ろに光が射す中、微笑む鞠莉ちゃんは――大げさな表現だとは思うけれど――まるで、女神のようで。
また、紅茶を一口飲む。少し冷めているはずなのに、それはさっきよりも温かく感じられた。 「……さ、伝えたかったのはそれだけよ」
「そ、そのために理事長室に呼び出したの!?」
「オフコース! 真面目な話だったし♪」
――そう思っていたけれど、それは気のせいだということがすぐにわかった。
鞠莉ちゃんはいつもと変わらない明るい声で、明るい笑顔で、手をふりふりと振っている。多分「もう用はないからさようなら」ってことだと思う。
女神のよう、なんて、随分とオーバーな表現だったらしい。冷めきった紅茶をぐっと飲み干すけど――相も変わらず美味しかった。
「じゃあ、また明後日会いましょう」
「そうだね〜……って、もう理事長室呼び出しはやめてね……」
「オッケー♪」
いまいち信用ならない「オッケー♪」を背に、私は荷物をまとめて理事長室から出ようとした。
出る前に、紅茶ごちそうさまって言おうとしたけど――それより前に、今思いついたかのように鞠莉ちゃんから声をかけられた。
「あ、そうだ」
「どうしたの?」
「曜のこと、ダイヤが校門で待ってると思うわ。一緒に帰りたい……って、言ってたわね」
ダイヤさんが――それを聞いた時、私は驚いた。
Aqoursとして活動していた時こそ、ダイヤさんとはよく話していたし――頼れる先輩でもあったけど。
でも、二人きりで一緒に帰ったことはなくて――初めてそうするっていうのもあったけれど、それ以上に……どんな話があるんだろう、と、なんだか少し身構えてしまった。 「大丈夫よ、ダイヤは説教なんか……いや、曜が学校をサボった件でちょっとあるかも知れないけど」
「あるんだ……ところで、鞠莉ちゃんはこの後どうするの?」
「私はもう少し学校にいるわ。一応理事長だし、夏休み前に片付けないといけない仕事もあるの」
「そっか。無理、しないでね」
説教……まあ、優しくも厳しいダイヤさんの説教なら私は全然いいけれど。でも、鞠莉ちゃんと同じように、ダイヤさんがそのために私を呼び出すのもおかしいように思えた。
今度こそ鞠莉ちゃんにお礼を言って、理事長室を出る。下駄箱に向かって、その後は校門に――さすがに日は少し沈んでいて、空はオレンジ色に染まっていた。 あんまり待たせるのもよくないな、と、私は少し早歩きで校門に向かう。
そして、校門の方を見ると――鞠莉ちゃんが言った通り、ダイヤさんが待っていた。
かばんを両手で前に持ちながら、物憂げな表情でどこかを見つめていて――
「ダイヤさ〜ん!」
「わっ……あ、曜さん……」
そんなダイヤさんに向けて手を振りながら遠くから声をかけると、ダイヤさんは一瞬身をぴくっと震わせた。
あんまりにも突然叫んだから、驚かしてしまったのかもしれない。私は、ダイヤさんのもとに走って駆け付ける。
「ごめん、待った?」
「いえ、別に……鞠莉さんと少し話をしてからということは、わたくしも聞いてましたので」
ダイヤさんは私の方に向き直ると「こほん」と小さく咳払いした。
その仕草に、私はちょっと緊張してしまった。やっぱり説教じゃ……とか、考えても仕方ないようなことが頭の中でぐるぐると回る。
「……その、あんまり緊張しなくてもいいんですのよ」
「……私、そんなにわかりやすいかな……」
鞠莉ちゃんと同じように、ダイヤさんは私の様子を一目見て察したのか、そう言ってほほ笑んだ。
その笑顔を見ると、張りつめていた感情は不思議と消えていくようだった――緊張しないわけじゃ、ないけれど。
「さ、いきましょう。バスは途中まで一緒ですわね」
「そうだね」
そう言うと、ダイヤさんは帰り道へと歩き出した。私はそれに続いて、少し後ろを歩く。
――長くて綺麗な黒い髪が、風を受けてふっと揺れた。 「え〜っと、それで……もしかして、お説教?」
「……はあ!?」
私が後ろから、申し訳なさそうにそう切り出すと、ダイヤさんはすぐさま私の方を振り向いた。
その表情は怒っているような、信じられない、というような表情で……少なくとも、学校をサボったことに対する説教ではないらしい。
私は「冗談冗談、あはは……」と、笑ってごまかした。ダイヤさんは呆れたかのように私から視線を外すと、前を向きなおって歩いていく。
「全く……学校に来ないくらいで帰り道に説教なんてしませんわよ」
「……まあ、これがもしAqoursでの練習サボりだったらそうはいかなかったかもしれませんけど」
ダイヤさんはそう続けて、くすっと笑った。そっか、そうだよね――ダイヤさんが学校を休んだ事で怒るわけない、か。
私たちAqoursのことをよく見ているダイヤさんが、私の心境を――察していないはずがなかった。
でも、もし――これがAqoursの練習をサボったという話であっても、きっとダイヤさんは説教なんてしていないと思う。
もし、そうだったら――心配して、何があったのかと聞いてくれる。
果南ちゃんや鞠莉ちゃん、ルビィちゃんほどダイヤさんを知ってるわけじゃないけれど――ダイヤさんは、きっとそういう人だ。
もっとも――今、Aqoursはスクールアイドルグループとしての練習はしていなかったけど。
千歌ちゃんがいなくなってから……スクールアイドルグループとしての活動や練習は、一切していない。 「ただ……わたくしは、あなたのことが少し心配なのですわ」
「……それ、みんなにも言われてるよ」
「そうでしょうね……千歌さんの一件があって以来ですけれど、千歌さんがいた頃のあなたとは……全く違いますし」
そうだ――今の私は、おそらく誰が見てもわかるほどに、千歌ちゃんのいたころの私とは違っている。
言葉にするのは難しいけれど、一言でいえば纏っている雰囲気が――それこそ、ダイヤさんみたいな人が見たらすぐわかってしまうほどに、変わってしまったんだろうと思う。
「……いえ、わたくし自身もそうなのですけど」
「あはは、だよね……」
そしてまた、同じように――私から見えるダイヤさんも、また変わっていた。
Aqoursのみんなで練習していた時のはきはきとした声は、今は心なしか小さく聞こえるし――さっき見た物憂げな表情も、今までのダイヤさんからは想像できないものだった。
「時を共にして、同じ志を持ったかけがえのない仲間を失うことが――こんなにも堪えることだとは、思っていませんでした」
――心臓が少し痛むのを感じた。
私や、ダイヤさんだけじゃない――Aqoursのみんなが、この痛みを背負っている。 千歌ちゃんがいなくなった直後は――それはまだ、現実感がない痛みだった。
まるで、悪夢を見ているかのような……いずれこれは覚めるのではないか、そんな期待すら心のどこかにあったかもしれない。
でも――こうやって日を増すごとに、その痛みは徐々に大きく、重くなっていた。
いくら待っても変わらない、冷めない現実を……突きつけられるように。
「……っと、暗い話になってしまいましたわね」
「ううん、大丈夫だよ」
「……わたくしも、ダメですわね。先ほど鞠莉さんと『Aqoursで集まろう』という話をしたのに」
確かに少し暗い気分にはなってしまったけれど、かといってそこで立ち止まるわけにはいかなかった。現実は――立ち止まっているだけでは変えられない。
このままでは、本当に私たちはバラバラになってしまう――だから、鞠莉ちゃんがああ提案してくれたのに。
「……って、ダイヤさんはもう話していたんだね」
「ええ。まあ、鞠莉さんとは長い付き合いですし」
そう言って、くすっと笑うダイヤさん。
そっか――ダイヤさんと鞠莉ちゃん、果南ちゃんは……小さい頃から、ずっとずっと一緒だったんだ。
――私と千歌ちゃん、果南ちゃんが小さい頃からずっと一緒だったのと、同じように。 「……」
「……ダイヤさん?」
「あっ……いえ。ただ……」
「ただ?」
ダイヤさんは言いづらそうに一度間を置いた後、ぽつりと呟いた。
また風が吹いて、黒い髪を揺らして――その先にある表情がどのようなものか、私には見えなかった。
「……あなたは、昔からずっと千歌さんと一緒に居たのでしょう? 私たち3年生と、同じように……」
「……そうだね」
そう――16年間近く、ずっと。
「……千歌さんを失った悲しみは、Aqoursの誰もが抱えてること。でも、曜さんは――」
「――きっと、はるかに心が痛んでるのではないかと。それが、わたくしの心配事でして」
――また、ズキンと心臓が痛む。
ダイヤさんが言っていることは――紛れもない事実だった。Aqoursの誰もが悲しみ、沈んでいるのは間違いのないこと。でも、それと同時に――
――Aqoursとして千歌ちゃんと過ごした日々以外も、今まで一緒に居た16年間の大切な思い出が……刃となって、私の心をずたずたに切り裂いていた。 「……ありがとう、でも大丈夫」
「お礼を言われることでは……それにあなたの『大丈夫』はどうにも信用なりませんわ」
「うぐ……」
ダイヤさんはやっぱり、どこまでも鋭いらしい。その場しのぎで言った「大丈夫」の言葉は、あっさりと見破られてしまった。
――大丈夫でないことは、自分自身が一番わかっているのに……余計な心配をかけてしまったであろう今の言葉を、私は少し後悔した。
「ま……でも」
「でも?」
「――そういう時こそ力になるのが……わたくしたちAqoursであり、先輩でもある。そう思いません?」
ふと立ち止まって、私の方を振り向くダイヤさん。後ろからオレンジ色の光が射す中、小さく口元に笑みを浮かべていて――その笑顔は、不安も何もかもを消し飛ばしてしまいそうで。
――さっき鞠莉ちゃんが見せた、あの微笑みに……どこか雰囲気が似ているようにも見えた。
「……うん。ダイヤさんがそう言ってくれるなら、私は心強いよ」
口から自然と出てきた言葉は、今度はその場しのぎでも取り繕ったものでもない。
Aqoursを結成してから、ずっと頼りになる先輩であった――ダイヤさんがそう言うなら。私にとって、大きな心の支えだ。 「そう、それは良かったですわ。今日はどうしても、それだけ伝えたくて……っと、そろそろバス停ですわね」
「え〜っと、途中まで一緒だっけ。じゃあ、早速頼っちゃうけど……私が休んでた時、教科書でわからなかったところがあって……」
「本当に早速ですわね……もう、仕方ないのですから」
バス停で二人並びながら、ダイヤさんは私に授業のことを教えてくれた。
「仕方ない」――そう言うダイヤさんは、言葉とは裏腹にどこか嬉しそうでもあって。
私は、その笑顔を見ると――なんとなく、これから先ももっとたくさん頼っていいのかなって、そう思えた。
バスに揺られながら、先輩と二人きりで話す帰り道は――初めての事だったけれど、とても楽しいものだった。 一旦ここまでで
なるべく早いペースで投下できればと思います 翌日の放課後、私は図書室へ向かっていた。
明日から夏休みということで――大量に出された夏期課題をさっさと終わらせるために、何か資料を集められないかと思って。
幸い、夏休み中でも学校が解放されている日はある。
もっとも、この学校の生徒数もあって――大抵の日は、ほとんど……もしくは、全く人がいないけれど。
ただ、図書室に本を返すことは出来るし、新たに借りることもできる。
(……そうだ。図書委員は――花丸ちゃん、だった)
唐突に、それを思い出した。逆に、今まで――そのことを考えてもいなかった。
花丸ちゃんのことを忘れたとか、そんなことは絶対ないけれど――あの一件以来、全く喋ってないことは事実で。
放課後もしばらく図書室にいて、色々な本について話してくれた花丸ちゃんが図書委員であることすら――たった今、改めて気づいたこと。
(……しばらく話してない分、ちょっと緊張するけど……)
(……でも、どうせ明日会うんだし……え〜いっ!)
そうだった。夏休みが始まる明日、私たちはどちらにせよ集まって話すことになる。
それに、どちらにせよ花丸ちゃんと話さないと本は借りられないし――いや、一応無人であっても借りられはするけど。
なんにせよ、考えてみると無駄な躊躇いな気もして――私はそれを振り切るように、図書室のドアを開いた。 「あ……曜」
視界に最初に入ってきたのは――花丸ちゃんじゃなくて、善子ちゃんだった。
少し目を動かすと、花丸ちゃんもいたけれど――そして、ルビィちゃんも。Aqours1年生の3人が、図書室に集まっていた。
「曜ちゃあ……久しぶり」
今まで本を読んでいたらしいルビィちゃんが顔をあげて、私の方を向いて――小さく笑う。その表情は、嬉しそうな、心配そうな――複雑なものだった。
「図書室に……珍しいね。どうしたの?」
「あはは、ちょっと夏期課題のことで……花丸ちゃんたちこそ、どうしたの?」
花丸ちゃんも顔をあげて、不思議そうな顔で首をかしげる。考えてみると、私はあんまり図書室は利用してなかった。
本を読むのは楽しいけど、結構疲れちゃうし――って、それはともかく。
花丸ちゃんたち3人がここに集まっているのが気になって、私はそう問い返した。 「私たちは……その」
「善子ちゃんに付き合わされて、いにしえの伝承の研究ずら」
「そ、それは言わなくていいっ」
「あはは……」
久しぶりに見る3人だったけれど、そのやり取りはAqoursで集まっていた時と同じようで――困り顔で笑うルビィちゃんと同じように、思わず私も小さく笑ってしまった。
それにしても「いにしえの伝承」って――善子ちゃんらしいといえば、そうなのかもしれない。
「……なによ、その目は」
「えっ……いや〜、善子ちゃんって相変わらず厨二めいたものが好きなんだね」
「久々の再会だっていうのに、随分はっきり言うのね」
善子ちゃんは少し不満げに、じとっとした目で私を見つめる。私はそれから逃げるように、明後日の方向へと視線を泳がせた。
「まあ、でも……久々に集まれたのは、善子ちゃんのおかげだね」
花丸ちゃんが、その横で微笑む。
久々に集まれた――千歌ちゃんがいなくなってから、私が同クラスの梨子ちゃんとほとんど話さなかったように、1年生のみんなもあまり話してなかったのかもしれない。
あるいは――さっきのやり取りを見る限り、クラスでは普通に話していて……3人きりで集まるのが久々、ってことなのかもしれないけど。 「それにしても、本を読むのは疲れるね……花丸ちゃんと善子ちゃんは、何か面白そうな物を見つけたりした?」
椅子に座ったまま、ルビィちゃんが二人に問いかける。
「まったくね。なんかこう、面白い伝承でもあれば厨二心がくすぐられるんだけど」
「そもそも、面白い伝承って……曖昧過ぎるずら」
花丸ちゃんが困ったように言い返す。確かに「面白い伝承」って大分大雑把であいまいな気もするけど。
でも、なんだかんだ楽しそうに本を眺める3人を見ると、これはこれで良いのかもしれない。と、そう思った時――
「……あ、これ面白そうかも。『古くからこの地域にある言い伝え』だって。この地域っていうのは、沼津周辺の事ずら」
そう、花丸ちゃんが嬉しそうに声を上げる。善子ちゃんとルビイちゃんも、本に向かって身を乗り出した。
私もつい気になってしまって、3人のもとに駆け寄る。沼津にある言い伝え――どんなものなんだろう。 「えーっと、なになに……『この場所では、古くから』……」
「――『死者が時々、幽霊としてよみがえるという言い伝えがある』……――」
そう、花丸ちゃんが言ったきり――少しの間、沈黙が流れた。
3人とも、少し俯いていて……その表情には、暗い影が見えた。そして、私もきっと――そんな表情をしている。
きっと――頭の中で、千歌ちゃんのことを思い浮かべてしまったんだと思う。
「……ごめん」
「……って、謝ることじゃないと思うわよ」
「そうだよ、この本にも確かにそう書いてあることだし」
最初に口を開いた花丸ちゃんは、申し訳なさそうにうつむいたままだったけれど……善子ちゃんとルビィちゃんは、顔をあげて花丸ちゃんにそう言った。
「うん。それに……ないってわかってても、そういう言い伝えって……救いになるとも、思うしね」
私も俯いている花丸ちゃんを見ているのが辛くて、思わず声をかける。
それに――これは適当に言ったことじゃない。死者が幽霊としてよみがえる――そんな言い伝えは、きっと誰かの心の支えになると思う。
死者を忘れられない誰かに、そして私にとっても――そんな言い伝えがあるだけで、ほんの少しだけ心が軽くなるような気がして。 「……ありがとう。でも、今日はここまでにしておこうか」
花丸ちゃんはようやく顔をあげると、ぱたんと本を閉じて笑う。
ルビィちゃんと善子ちゃんもうなずいて、それぞれが元の場所に本を戻しに、席を立った。
「あ、花丸ちゃん。ちょっと借りたい本があるから、手続きしてもらっていい?」
「は〜い、それじゃあカウンターで受け付けるずら」
いくつか課題の助けになりそうな本を見繕って、花丸ちゃんに渡す。
花丸ちゃんは慣れた手つきで本の貸し出し手続きを終えると、またカウンターの外へと歩いて行った。
「……あれ、まだ何かあるの?」
「明日から夏休みだから、少し図書室も掃除していこうと思って。善子ちゃんとルビィちゃんにも手伝ってもらうずら」
「え、聞いてな……ま、いいけど。元々、付き合わせたのは私だしね」
「ルビィも、二人といられるならいいよ」
善子ちゃんもルビィちゃんも、花丸ちゃんのことを手伝うらしい。
善子ちゃんは少し不満げだったけれど――それでも付き合おうとするのは、なんだか見てて微笑ましかった。 「よ〜し、それじゃあ私も……って、言いたいけど、今のうちに夏期課題に手を付けておこうかな……」
「本を借りたその日にやらないと永遠に放置してそうだし……」と、続ける。
今まで夏期課題は期限ぎりぎりに終わらせることがほとんどだったから、今回は早めに手をつけたかった。もっとも、なんだかんだ毎回きっちり終わらせて提出してるのだけれど。
「は〜い、それじゃあ……」
「また明日、ね」
「ばいばい、曜ちゃん」
「うん、じゃあね」
手を振るルビィちゃん達に見送られて、図書室を出る。バスは次のを逃してもまだ一本あるけれど、どうせなら早いのに乗ってしまって、そのまま課題に手を付けようか。
光が射す廊下を歩いている時、ふと、さっきの花丸ちゃんの言葉が思い浮かんだ。
「死者が時々、幽霊としてよみがえるという言い伝えがある」――幽霊っていうのが曖昧というか、どんなものかはわからないけれど。
――もしそれが事実だったら……どれほど良いことで、どれほど救われるのだろう―― 「ふう……」
家に着いた私は、小さくため息をついた。
あの時は、今日中に夏期課題に手を付けたいと思ったけれど――少なくとも、今の私にその気力はないようで。
(……)
前も思ったこと。学校に通うということは、それだけで結構な体力を消耗する。
今日は暑かったこともあって、私はすっかり疲れ切っていた。思わずベッドに横になると、少しも経たないうちに瞼が重くなる。
汗はかいているけれど、少しだけ――このまま眠ってしまおうか。目を閉じて、睡魔に身を任せる。
まだ日が射している部屋の中で、私は浅い浅い眠りについた。 「……ちゃ〜ん」
暗闇の中――誰かが私を呼ぶ声が、遠くから聞こえてくる。
「……よ〜……ちゃ〜ん」
まだ覚めない意識の中だけど、それは確かに――私を呼ぶ声で。
「……曜、ちゃ〜ん」
それと同時に――忘れるはずもない声でもあった。
(……千歌、ちゃん……!)
そう。それは紛れもなく――千歌ちゃんの声だった。
私はその呼びかけに答えようと、声を出そうと――体に、力を込める。その瞬間、今まで見ていた暗闇が突如として真っ白に変わり―― 「千歌ちゃんっ!?」
がばっ、と起き上がる。呼吸は乱れていて、視界は定まらなかった。心臓が苦しいほどに脈を打つ。
(……夢……)
どうやら、私は――夢を見ていたらしい。今確かに聞こえていた千歌ちゃんの声も、きっと夢の中のもので――
……無理もないかも知れない。疲れていて、汗をかいたまま、明るい部屋でベッドに――眠りが浅くなって夢を見るのも、おかしな話ではなかった。
「……なん、だ……」
ただの、夢。それでも、私は……一言では言い表せないような、空虚さを感じていた。
もういないはずの、千歌ちゃんの声が夢の中で聞こえて……一瞬、本当に千歌ちゃんの声だと思ったけど、でもそれはやっぱり夢で。
ふと、外を見やる。もう暗くなり始めていたけれど、夏だからか日もまだ射していた。どうやら、長い時間寝ていたわけではないようだ。
(……シャワーを浴びて、寝直そうかな……)
――とても、晩御飯を食べる気にはならなかった。疲れが取れた気も、全くしない。
もうこんな夢を見ることが無いよう、しっかり汗を洗い流して、部屋も暗くしてぐっすり眠ろうと――そう思った時。 「曜ちゃん!」
「千歌ちゃんっ!?」
突然聞こえた、千歌ちゃんの声。私はすぐさまベットから立ち上がって、声がした方に振り向いて――
――そこには、千歌ちゃんがいた。
「……千歌、ちゃ……」
「えへへ……久しぶり」
目を見開いて、ただ呆然とそれを眺めることしかできない私に――千歌ちゃんは「久しぶり」と小さく笑う。
「なん、で……」
気付いたら、私は涙を流していた。視界がぼやけて、千歌ちゃんの輪郭もはっきりとわからない。
突然の出来事で、それを頭の中で整理する時間もなくて――それでも涙が出てくるのは、千歌ちゃんに会えたから。
これはきっと、夢の続きだと――そう思った。それでも、私は――こうやって千歌ちゃんに会えたのが、嬉しくて。 「曜、ちゃん……」
涙に視界を覆われて、千歌ちゃんの表情はわからなかったけれど――声だけで、何を考えているのかがわかった。
きっと――突然涙を流した私のことを、心配してくれてるんだと思う。心配をかけているのは、不本意だったけれど……でも、それでも――
今は、今だけは――涙を流したかった。千歌ちゃんがいなくなって、浜辺で泣いてから、一度も流したことのない――涙を。
「もう……久しぶりに会えたのに……ぐすっ……そんなに、泣いて……」
「ぐすっ……いい、のっ……」
かすれた声を上げながら涙をぬぐうと、そこには私と同じように涙を流している千歌ちゃんがいた。
でも――その涙は、ぽたぽたと落ちていたけれど……床に落ちるその時――涙は消えていた。
床にピチャンと跳ねる音もしなければ――床を濡らしていることもなくて。 「え……千歌、ちゃん……?」
そのことが不思議で、思わず顔をあげて千歌ちゃんを見る。驚きによるものか、涙は止まっていて――視界は鮮明だった。
その先にいたのは――体が半透明になっている千歌ちゃん。半透明というよりかは、普通の人たちとほぼ同じに見えたけど――若干、透けていた。
私は最初、これは夢の続きだと思っていた。私はまだ眠っていて、自分の部屋で死んだはずの千歌ちゃんと会う夢を見ているのだと。
でも……夢にしてはあまりにも鮮明で、長くて――もちろん、目の前で起きていることはいまだに信じられなかったけど。
「えっ、私がどうかした……って、わあっ!? 体がちょっと透けてる!?」
私の視線に気づいた千歌ちゃんは、涙をぬぐう動作を止めて、自分の体を見て――今気づいたかのように、大声を上げて驚く。
というか、きっと今気づいたことなんだろうな……どうやら千歌ちゃん自身も、自分の身に何があったのかよくわかっていないようだった。
「え、えっと……夢、じゃないよね……」
今、私は間違いなく立っていて――少なくとも寝てはいない。一度気持ちを落ち着けようと、ベッドに座る。
「こういう時はほっぺをつねって……いたたっ!?」
夢の中にいるかどうかを確かめる、定番のほっぺつねりは――とても痛かった。
昔もこんなことをやっていたのは覚えているけど、昔より痛く感じるのは――Aqoursに入って、筋トレや練習をこなしてるうちに力が付いたってことなのかもしれない。
「曜ちゃん!? 大丈夫!?」
「あはは、大丈夫大丈夫……うん」
駆け寄ってくれた千歌ちゃんに、私はなんだか安心した。
その姿は――練習中にけがをした私に駆け寄ってきてくれた千歌ちゃんと、同じように見えたから。 「で……その、えっと」
「うん」
「……ち、ちょっと頭を整理したいから、シャワー浴びてきていいかな……」
「そ、そうだね……私も正直、何が起こってるかわからないし……ここで待ってる間に、気持ちを落ち着かせておくよ」
――とりあえず、シャワーを浴びてこよう。汗もかいてるし、頭を冷やせるかもしれないし。
千歌ちゃんのもとから離れるのは少し心配だったけど、千歌ちゃんが勝手にどこかへ行くような人でないことはよくわかっていた。
もっとも、この状態でどこかに行くのは結構勇気がいりそうでもあるけど……
「それじゃ、ね。あとでゆっくり話そう」
私が部屋から出る扉を開けて振り返ると、千歌ちゃんは笑いながら「いってらっしゃい」と返した。
その笑顔は――小さい頃からずっと見てきた千歌ちゃんの笑顔と、全く同じだった。
やっぱり、これは夢ではないようで――そして、何かのイタズラでもなさそうで。
若干ふらつく足と混乱する頭を何とか制御しながら、私は1階にあるお風呂場へと向かった。 とりあえずシャワーを浴びて、すっきりはした。頭が冷えた気はしなかったけれど。
それでも、さっきよりかは幾分か落ち着いた気がする。晩御飯はあとで食べると伝えた私は、階段をあがって、がちゃりと部屋の扉を開ける。
「……おかえり」
そこには、ベッドに座っている千歌ちゃんがいた。千歌ちゃんはさっきと同じように、笑顔で私を出迎えてくれた。
「ただいま……よっと」
私は床に座って、いつものように壁にもたれかかる。
ベッドに並んで座っても良かったのだけれど……なんというか、少し気恥ずかしかった。久々の再会で、こんなことを言ってても仕方ないとも思うけど。
「えっと……で」
「で〜……なんなんだろうね?」
そう、困り顔で笑う千歌ちゃん。とりあえず夢でないことも、たちの悪いイタズラとかでもないことは確か。
でも、それじゃあなんで……少し体の透けてる千歌ちゃんが、私の部屋にいるんだろう――しかも、現れたのは本当に突然の事だったし。 「あ、そうだっ。曜ちゃん、ちょっと私の手を握ってみてよ」
「えっ、いいけど……なんで?」
「いいから」
千歌ちゃんはそういうと、少しベッドの上を移動して、私に向かって手を伸ばした。
促されるままに、私は座ったまま千歌ちゃんの手を握ろうとして――
――その手が、空を切った。
「わっ!?」
「やっぱり……」
声を上げて驚く私に対して、千歌ちゃんはふむふむとでも言いたげに納得したような表情を見せている。
でも、考えてみると――確かに、千歌ちゃんの体は透けていたし……すでに起こっていることが現実離れしていたけれど、その中では逆に、不思議でないことなのかもしれない。
「私から曜ちゃんの手を握ることは出来るんだけどね〜」
「……感触ないけどね」
空を切った手を、今度は千歌ちゃんがぎゅっと握ったけど――手には握られた感触が全くなかった。
目の前では、確かに千歌ちゃんが私の手を握っている――でも、そこにぬくもりは全く無くて。私はなんとなく、寂しさを覚えた。やっぱり、こんなことを考えている場合じゃないとも思うけれど。 それにしても……見ることも声を聞くこともできるけれど、人間に触れることができなくて――体が、半透明で……
これって、まるで――
「……幽霊?」
「それだっ!」
もしかすると、そうかもしれない――幽霊ではないかと推測する私に、千歌ちゃんは元気そうに両手の人差し指を伸ばした。
「それだっ!」って、自分の事なんだけど――続けて「さすがは曜ちゃん!」とにこにこ笑う千歌ちゃんに、私は嬉しいような、ツッコみたいような……複雑な気分を抱く。
そして、その直後――もう一つ、思いつくことがあった。
「もしかして……あの伝承?」
「へ……? あの伝承……って?」
あの伝承――花丸ちゃんが図書室で話していた「この地域にある言い伝え」
私はあの時、絶対にありえないことだと考えていたけれど……あの言い伝えが、万が一本当の事だとしたら――今目の前で起こっていることに対しても、一応説明が付く。 「ええっとね、今日図書室で花丸ちゃんたちと話していた時に……」
私は、今日起きた事の一部を千歌ちゃんに話す。図書室で花丸ちゃん、善子ちゃん、ルビィちゃんと話したこと。
そして、その時花丸ちゃんが見つけた、本に書いてある言い伝えについて。
「……なるほどね〜、そんな言い伝えがあったんだ」
「あはは、知らなくても無理ないよ。私も千歌ちゃんもずっと沼津に住んでいたけど、こんな話は全くなかったしね」
そう言って私は笑ったけど――千歌ちゃんは少し俯いていた。私は急なことに心配になって、千歌ちゃんに声をかけようとしたけど――その前に、千歌ちゃんが口を開いた。
「――……花丸ちゃんたちは、元気にしてた?」
暗い表情のままだったけど、千歌ちゃんはそう言って笑った。 「千歌、ちゃん……」
――そうだ。今、幽霊にしろ何にしろ、千歌ちゃんがこの場所にいることは事実だけど――
同時に……千歌ちゃんが今までずっと、どこにもいなかったことも、確かなことだった。
それは、千歌ちゃんが――あの場所で、紛れもなく、死んでいたからで。
「……そうだね、元気とは言い難いかも」
私が、素直に思ったことだった。3人は、そして私も含めて……あの場所ではみんな、久しぶりに仲間と時を同じくして、短い時間を楽しく過ごしていたけれど。
花丸ちゃんがあの伝承について話した時に流れた、暗く重い空気――今の私たちじゃ、とても振り払えなかった。そしてあの時、3人が見せた表情は――とても、元気とは言えないものだった。
「あはは、だよね……」
千歌ちゃんがそう言ったきり、私たちは沈黙した。久々に会えたのに、話したいことはたくさんあるはずなのに――言葉が出てこない。
果南ちゃんや梨子ちゃん、他のAqoursのみんなの話をしようとも考えたけど――その話をしても、余計に千歌ちゃんを落ち込ませてしまうようで、話せなかった。
だって――1年生の3人や、私だけじゃない。Aqoursのみんなに、元気な子なんて――誰一人として、いなかったから。 「……あ、そうだ」
「どうしたの?」
その沈黙はしばらく続いてたけれど、私は唐突にあることを思い出した。その時、口からすでに言葉が出ていて――
「あ、えっと……あ、明日ね、久しぶりにAqoursのみんなで集まるんだ」
続いて出かかった言葉を引っ込めるのもなんだかおかしな気がして、途中でつっかえつつも思い出したことをそのまま話す。
明日、夏休みが始まる日に――鞠莉ちゃんに言われたように、Aqoursのみんなで学校で集まろうという話。
死んだはずの人間が、幽霊としてよみがえった――そんな信じられない出来事が起こった今日。そして、明日――
「明日……どうなるんだろう」
「……えっと、どうなるんだろうね」
ただでさえ何が起こっているかよくわからなくて、現実離れした光景が目の前にあるのに――明日みんなと会う時、私はなんて言えばいいんだろう。
ふっと、そんなことを考えてしまって……千歌ちゃんと私は「う〜ん」とうなって考え込む。
多分だけど、幽霊――である千歌ちゃんが、私には見えていて……体が半透明で、声は聞こえるけど触れない――
こんなことをAqoursのみんなに話しても……さすがにきっと誰も信じないだろうし、それどころかちょっと心配されそう――頭とか、いろいろ。
「っていうか、今までAqoursで集まってなかったんだ……」
「あ〜、うん……そうだね、千歌ちゃんがいなくなって以来は……」
「そっか……それはちょっと、寂しい、よね……」
千歌ちゃんがそう、ぽつりと呟いた。 「……うん。私は、寂しかった」
これもまた、素直に思ったこと。千歌ちゃんがいなくなったのは勿論寂しかったけど、それだけじゃない。
私は、その後一切集まることのなかったAqoursのみんなと話せなくて――とても寂しかった。
果南ちゃんや梨子ちゃんとは、時たま話していたけれど――でも、それでもやっぱり、会話はぎこちなくて。お互いが、どこかで気を遣ってしまっていて。
「まあ、でも……」
「……でも?」
「私がこうやって出てきたからには、もう大丈夫だよ!」
「……ぷっ、あははははっ!」
「こうやって出てきた」って……ふわっとした表現だったが、それが今の私にはなんだかおもしろかった。
つい吹き出してしまい、しばらく笑い続ける。その私を見ていた千歌ちゃんは、きょとんとした顔でこう言った。
「曜ちゃん……また、泣いてるの?」
「あっははは……えっ?」
千歌ちゃんに言われて、はっと目元をぬぐってみると――そこには、確かに水滴がついていた。笑い泣き、かもしれないけれど――
何にせよ、今私は――笑いながら、泣いていたようだった。 「さてと……今日は寝ちゃおっか」
「おかえり……そうだね」
晩御飯を食べて自室に戻る私を、さっきのように出迎えてくれる千歌ちゃん。
千歌ちゃんとか、Aqoursのみんなにとか、話したい人はたくさんいて――話したいこともたくさんあったけれど。
今の私は、通話やメッセージでそれを伝える余裕はないみたいで――さっきの眠りも浅かったせいか、晩御飯を食べたらすぐに眠気が襲ってきた。
千歌ちゃんも見ると、やっぱり眠そうに目を擦っている。 「……眠い?」
「まあね〜。ちょっと色々なことが起きすぎてて……」
千歌ちゃんも私も、あまりにも突然のことにすっかり疲れ切ってしまったようだった。
「え〜っと……一緒のベッドで寝る?」
幽霊って――睡眠は必要なのかな。今までの人生でこんなことを真剣に考えることはなかったから、なんだか少し笑ってしまいそうだった。
でも、仮に睡眠が必要だとしたら――いや、そうでないとしても。千歌ちゃんを放っておくわけにもいかなかったし――床で寝かせるのも、私は嫌で……
「そうだね〜、そうしよっか!」
ちょっと気恥ずかしい提案だったけれど、千歌ちゃんは嬉しそうにそう言って――私より先に、ベッドにごろんと潜り込んだ。
私もベッドに座ってから、ゆっくりと横になる。電気を消すと、より眠気が強くなったけど――
「……どこにもいっちゃダメだよ、千歌ちゃん」
「曜ちゃんこそっ」
「えっへへ」
最後に、私たちは小さく笑いあって――それから、目を閉じた。
かなり予想外な形であったけれど、こうやって千歌ちゃんと出会えて……今日はダメでも、明日からはきっと、たくさん話せる。
ひとつ、恐れることがあるのなら――これがやっぱり夢か何かで、起きたら千歌ちゃんがどこにもいないこと。
でも、横でスースーと寝息を立てる千歌ちゃんは、気持ちよさそうに眠っているようで――確かに、近くにいる。
――起きたら、どこにもいない。そのことこそが――私には、現実離れしているようにすら思えた。 「……曜ちゃんっ!」
「……んう……」
――部屋が、明るくなっていた。寝ぼけた頭を回転させて、今のことを整理する――昨日、あれからぐっすり眠れたみたいだ。
昨日幽霊として私の部屋に現れた幼馴染、千歌ちゃんも隣にいて、私に呼びかけていて……でも、その声は少し焦っているようだった。
「どうしたの……むにゃ……千歌、ちゃん……」
「さ、さっきから何回もアラームが鳴ってるけど……大丈夫?」
「……はっ!?」
「わあっ!?」
昨日、夢から目覚めた時のように――がばっ、と体を起こす私。昨日と違うのは、頭がすっきりしていて――よく眠れていた事。
体を起こしたのは突然だったし、その横で千歌ちゃんは驚いていたけれど――そんなことより。
「千歌ちゃんっ、今は……」
「えーっと……10時くらい?」
「え……ええ〜っ!?」
間抜けな声で叫ぶけど、千歌ちゃんは何が起こったかわからないようで……って、何も伝えてないから当然なんだけど。
「約束の時間、もう過ぎてるし! 千歌ちゃん、急ぐよ!」
「は〜いっ」
あの後、鞠莉ちゃんが提案してくれた時間は結構早い時間だった。私は早く起きることに慣れてるし「大丈夫」ってメッセージを送ったんだけど……
昨日、色々なことがあってどっと疲れたのもあり――どうやら、眠りすぎてしまったみたいだ。 かばんを肩にかけて、靴を履いて――「いってきます!」の言葉と同時に、扉を勢い良く開ける。外は快晴だった。
なんとか次のバスに間に合わせようと、私は道を駆ける。私が走るスピードは結構速いんだけど――千歌ちゃんも、しっかりとそれについてきた。
「あ、なんだかあんまり疲れないかも」
「はあ、はあ……もしかして、Aqoursで鍛えたおかげかも……はあ、はあ……ねっ」
それかもしかして、幽霊って疲れにくいとか、そんなことがあるのかな――そんな雑念を振り切って、私は走って……
遠くからバスの運転手さんに手を振って、少し待ってもらって……なんとか、乗りたいバスに乗れた。
「はあ、はあ……ありがとう、ございます……」
心配そうな、怪訝そうな……そんな表情で私を見つめる運転手さんにお礼を言って、私はいつもの後ろの列に座る。
乱した呼吸を落ち着けて、汗も拭こうとかばんの中から取り出した時――私は、あることに気付いた。
「……あれ、やっぱりというか……千歌ちゃん……」
「……気づかれてないみたい、だね」 ――バスに乗る時、千歌ちゃんの分の料金を取られなかった。それはつまり、運転手さんからは千歌ちゃんが見えてないということで。
「……そっか。でも、そうだよね」
すぐ横に座る千歌ちゃんは――少し残念そうに、そう呟いた。
「……さすがに……幽霊、だもんね。私以外には見えない、のかな」
私も、同じように暗い声で呟く。幽霊である千歌ちゃんが私のそばに現れて、私から見えるのは……この上もない、幸運だったけれど――
それは同時に、他の人――Aqoursのみんなからも、そして千歌ちゃんのお母さんやお姉さんからも――見えない、ということだろう。
「……まあ、仕方ないか。さすがに、そう都合よくはいかないよね!」
でも、千歌ちゃんはすぐに顔をあげる。そうだよね――さっき思ったように、私から千歌ちゃんが見えるというだけでも、この上ない幸運だ。
あとは、千歌ちゃんの存在をどう知ってもらうか――そもそも、どうやって信じてもらえるか。
「とにかく、学校に着くまでに何か考えてみよう」
「もちろんっ」
私たちは明るい声を出して、笑いあう。こんなところで、立ち止まっている場合じゃない。
千歌ちゃんの存在を何とか伝えられれば――千歌ちゃんが言っている事が、みんなに伝えられれば。
きっと、今のAqoursを変えられる……みんなの暗い気持ちに、光が射すかもしれない―― 「はあ、はあ……」
「この階段、上るの久々だな〜」
今度は息を切らして、階段を登る。みんなで待ち合わせていた場所は、屋上――どう考えても、私が一番最後の到着なのは間違いないけど。
私の後ろを相変わらずしっかりついてきている千歌ちゃんは、やっぱりあまり疲れていないようで――
人間離れしたスタミナだけど、走ることに関しては前の千歌ちゃんと同じスピード。幽霊っていうのは、当然といえば当然だけど、不思議なものらしい。
「はあ、はあ……ごめん、お待たせっ」
「おっ、曜。遅かったね、おはよ――」
最初に声をかけてくれたのは果南ちゃん――でもその言葉は、途中で不自然に途切れた。
さっきまで明るい笑顔を見せていた果南ちゃんの表情が、急に変わる。それは、まるで――
――私が初めて幽霊の千歌ちゃんと相対した時と、同じような反応だった。 「……え……ち、か……?」
果南ちゃんが発したのは、千歌ちゃんの名前。視線は私の方を向いてはいたけど――その後ろを見ているかのようだった。
「……えっ?」
そして、その場所にいるのは――紛れもなく、私の後ろをついてきてくれた千歌ちゃんで。その千歌ちゃんの表情は見えなかったけど……果南ちゃんと同じく驚いた様子で、小さく声を上げる。
「千歌、だよね……本当に、千歌――なんだよ、ね……」
私たちの方へ、ゆっくりと近づいてくる果南ちゃん。その瞳はうるんでいて、今にも泣きだしそうだった。
いつも飄々としている果南ちゃんの――全く見たことがなかった表情に、私は驚いて声が出なかった。
そして、もう一つ驚いたこと――私の後ろに向いている視線、そして呼んでいる人物の名前。それは、恐らく――
「果南ちゃん……私が、見えて……」
「見えるも何も……だって、こうやって……目の前、に……」
――果南ちゃんには、千歌ちゃんが見えている。私以外に見えない、幽霊である――そう思っていた、千歌ちゃんの姿が。
果南ちゃんは、私の横を通って、千歌ちゃんの前に立って――ゆっくりと、千歌ちゃんを抱きしめようとして。
――やはりその両腕は、空を切った。 「……えっ?」
頬に涙を流していた果南ちゃんは、驚いて目をぱちくりとさせる。
無理もないことだと思った。果南ちゃんから見えているのは、まぎれもなく千歌ちゃんの幽霊。でも、それは幽霊であって――実体ではない。
昨日私は、千歌ちゃんと確かめたから知っていたけれど――初めて千歌ちゃんを前にした果南ちゃんにとって、その想像は及ばないと思う。
「かな〜ん、どうしたの……って、あれ? ……ちか、っち……?」
「……いや、そんなわけないか。ちかっちに会いたいからって、こんな幻を見るなんて――」
私たちのことが気になったのか、私たちのもとに近づいた鞠莉ちゃんも――やはり、千歌ちゃんが見えているようだった。
鞠莉ちゃんは、それを幻だといったけれど――それも無理のないことであって。
「違うよ――鞠莉ちゃん」
「私――高海千歌は、間違いなくここにいる」
千歌ちゃんの小さな、でも力強い声に――鞠莉ちゃんは、信じられないという表情で目を見開いた。
でも……少し間をおいて、鞠莉ちゃんは小さく笑う。 「……おかえり」
「――おかえり、ちかっち」
鞠莉ちゃんは一度、まばたきして――その頬には、果南ちゃんと同じように涙が伝っていた。
それでも、笑顔を絶やさないまま……「おかえり」と、そう言った。鞠莉ちゃんらしい反応だな、と私は少し微笑んだ。
「……うん、ただいまっ」
「二人とも、どうしたの……って、千歌ちゃん!?」
今度は、梨子ちゃんも私たちのもとに。私はさっきからなかなか説明のタイミングがつかめなくて、苦笑いを浮かべるだけだった。
それに――せっかくの再会を、私が邪魔をするのはなんだか悪い気もして。
「えっ、千歌!?」
「梨子ちゃん、暑さで幻でも見てるずら……」
「ち、違うよっ。もう……」
遠くで聞こえる善子ちゃんと花丸ちゃんの声。幻だという花丸ちゃんに、梨子ちゃんは困り顔で返事をする。
それから梨子ちゃんは、私たちの方に向き直って――
「……本当に、千歌ちゃん……だよね」
それはやっぱり、信じられない――という表情で、涙を浮かべているのも同じだった。
そして梨子ちゃんは「良かった」と、そう呟くと、残る4人……ダイヤさん、ルビィちゃん、花丸ちゃん、善子ちゃんに――声をかけた。 「みんな……帰ってきたよ、千歌ちゃんが」
「……え、嘘でしょ!?」
真っ先に駆けてきた善子ちゃんは、やっぱり驚いた顔で千歌ちゃんを見ている。
ちらりと千歌ちゃんの方に目をやると――私だけでなく、千歌ちゃんまで困り顔になっていた。
「あ、うん。嘘じゃないんだけど、ちょっと落ち着いて……」
「本当だ……千歌、ちゃん……」
「落ち着いて」と千歌ちゃんは小さい声で呟くけど、みんなが落ち着く様子は一向に無かった。
善子ちゃんに続いて花丸ちゃんも気付いたみたいで……ダイヤさんやルビィちゃんが駆けつけたのも、すぐだった。
「千歌ちゃあ……よか、った……うぅ……」
「えっと、その……」
「千歌さん……どうして、ここに……」
「……だ〜っ! もう、私と曜ちゃんで説明するからみんな落ち着いて〜っ!」
ダイヤさんとルビィちゃんが「ピギィッ!?」と小さく叫ぶ。梨子ちゃんや果南ちゃん……みんな揃って、あっけにとられた表情。
まあ、こうなるよね……と、心の中で小さく呟く。今のみんなに、理解してっていう方が難しいし――
「え〜っと、じゃあ……説明するね?」
「「……はい」」
千歌ちゃんの大声でしんとなった屋上に、私の声が虚しく響く。もっとも、幽霊である千歌ちゃんの大声が外まで聞こえてるかは知らないけれど。
がやがやと集まってきたみんなは、妙にかしこまった様子で小さく返事をしたのだった。 「……幽霊、かぁ……」
とりあえず屋上の地べたに座って、ひとしきり説明した私たち。果南ちゃんは考え込むように「う〜ん」と唸る。
「ん〜? 果南ってばこういうの、苦手だったかしら♪」
「いや、そういうわけじゃないけど……」
横から茶化す鞠莉ちゃんを、果南ちゃんは少し面倒そうに受け流す。
千歌ちゃんがいなくなってから、こういうやりとりを見たことはなくて――私は少し笑ってしまいそうだったけれど、失礼な気もしたのでそれを飲み込んだ。
「ゆ、幽霊……あわわわ……」
「大丈夫だよ、ルビィちゃん。別に悪さをする怨霊とかじゃないし」
「そうそう、悪いことなんてしないよっ」
ルビィちゃんは少し青ざめた顔で、千歌ちゃんから距離を取る。それを落ち着かせるのは、横にいた花丸ちゃん。千歌ちゃんは元気そうに「ふふん」と胸を張っていた。
それにしても――怨霊、か。なんというか、お寺の子である花丸ちゃんらしい慰め方だなと、妙に感心してしまう。
「そうよ、ルビィ。千歌さんが悪いことなんてするはずありませんわ」
「それにしても……幽霊、ねえ。古の伝承とか魔術とかいろいろ言ってるけど、実際にオカルトチックなことが目の前で起こると不思議な感覚だわ」
「スピリチュアル、ってヤツですわね」
「オカルトにスピリチュアル、かぁ……」
善子ちゃんとダイヤさんが言った「オカルト」「スピリチュアル」という言葉を呟く。
スピリチュアル――超自然的な、霊的な、という意味の言葉。今、千歌ちゃんの身に、そして私たちの身に起こっていることは――間違いなく、超自然的なことであった。 「でも……なんで、私たちにだけ見えてるのかな?」
「……そう、だよね」
梨子ちゃんの言う通りだ。さっき説明した通り――幽霊である千歌ちゃんは、他の人間には一切見えていないようだった。
バスの運転手さんだけでなく、ここに来るまでにすれ違った人にも――見えている様子はなくて。
私たち、Aqoursの8人だけが――千歌ちゃんの姿を認識できている。こんなことって、あるのかな――
まあ、すでに今の状態が異常なわけだし――その中で何が起こっても、不思議じゃないと思うけど……と、そう考えていた時、花丸ちゃんが口を開く。
「――もしかして……守護霊、かもね」
「えっ、私が守護霊!?」
驚く千歌ちゃんをよそに、花丸ちゃんの言葉を反芻する。
守護霊――亡くなった人物が、他の人に憑りつきその人間を守る……詳しくはないけれど、昔見ていた番組でそんなことが言われていた。
「守護霊は親しい人にしか憑りつかず、姿も見えないといわれているずら」
「千歌ちゃんが私たちのことを守りたいって思ってくれてるから、曜ちゃんに憑りつくことができて――私たちにも姿が見える」
「そう解釈すれば……今起こってることについて説明はつけられる。もちろん、仮説でしかないけどね」
「さっすがずら丸! だてにお寺にいないわね!」
「褒められてるのかどうなのか微妙な気分だよ、それ……」
善子ちゃんと花丸ちゃんもいつも通り――って、そんなことより。
花丸ちゃんの仮説はあまりにも飛躍し過ぎていたけれど、同時に納得いくものでもあった。善子ちゃんと同じことを思う、さすがはお寺の子だなって――
それなら、私に憑りついたことも、特に親しかったAqoursのみんなに見えることも、全て説明できる。でも―― 「……曜さんに憑りついたということは、何か意味があったのでしょうか?」
ダイヤさんのその一言で――他のみんなの視線が、全て私の方へと向く。
私はその瞬間――恥ずかしいような、いても立ってもいられないような――複雑な感情を抱いた。
「え、あ……」
「ううん! きっと意味はないと思うっ」
何も言えず口をパクパクさせてた私の横で、千歌ちゃんが大きな声でそう言う――どうやら意味はないらしい。
千歌ちゃんがそう言うってことは、多分私に憑りついたのは偶然で、Aqoursの8人であれば憑りつくのは誰でも良かったのかな――そう思うと、ちょっと寂しい気もしたけれど。
「まあ、でも……16年間一緒に居た、幼馴染だもんね」
梨子ちゃんが、くすっと笑う。確かに、そうなのかもしれない――
長い時を同じくしているからこそ、他の人に比べて憑りつきやすかったとか……? 幽霊の事情はさすがにわからないけれど、そんなことがあってもおかしくないと思う。 「なんにせよ……大丈夫だよ」
「大丈夫……って?」
そう言った私に、果南ちゃんは不思議そうな顔で首をかしげる。
「……だって、これからは――」
「私たちAqoursは9人に、戻れるんだもん――!」
そうだ――誰に憑りついたとか幽霊だとか、そんなことは今はどうでも良かった。
重要なのは、私たち8人が全員千歌ちゃんを認識できて、話せること。
そして――Aqoursが9人に、戻ったこと。 「ふふっ、そうだね!」
「まさしくパーフェクトナイン、ね」
「そうだね、やる気が出てきたずら」
太陽よりも眩しいような笑顔で笑う千歌ちゃんに、ゆっくりと立ち上がる鞠莉ちゃんと花丸ちゃん。
二人とも、千歌ちゃんに負けないくらいの笑顔だった。
「ふふっ、ついに本気を出す時が来たようね……」
「あの、常に本気でいてね。善子ちゃん……」
善子ちゃんと梨子ちゃんも、同じように立ち上がる。
「それでは、しっかりと練習しませんとね」
「がんばるビィ!」
ダイヤさんも、ルビィちゃんも。そして――
「……そうだね。私たちは、9人でAqoursだ」
果南ちゃんも。みんながお互いの目を見て、力強くうなずく。
それはまるで――花火大会のライブを前に集まった私たちと、同じようで。 「……千歌ちゃんっ」
「……うん! 私たちで、さいっこうの夏休みにしよう!」
「「お〜!」」
Aqoursの全員が集まって、全員で円陣を組む。
千歌ちゃんがいなければ、こんなことは出来なかったと思うけれど――そんなこと、関係ない。だって、千歌ちゃんは今ここにいるんだから。
予感がした。きっと、私にとって、私たちにとって、最高の夏休みになる、って――! 「1,2,3,4,1,2,3,4……千歌、ステップ乱れてるよ」
ぱんぱんと手を叩く果南ちゃん。私と千歌ちゃん、梨子ちゃんの3人でダンスの練習をしていた。
集まったところで話したいことはたくさんあったけれど、まずはAqoursらしいことをやろうという、果南ちゃんからの提案だった。
「えっ、ホントに……うわあっ!?」
「千歌ちゃんっ! 大丈夫?」
「あっはは……久々だと結構キツいね、これ……」
バランスを崩して尻もちをつく千歌ちゃんと、それに駆け寄る梨子ちゃん。
千歌ちゃんが幽霊として現れてから、まだ1日も経ってないわけで――それだと、練習でうまくいかないのは当然のことだと思う。
「っていうか、曜ちゃん……これ……」
「うん……私たちも怪しい、よね……」
私と梨子ちゃんは、思わず苦笑いしながら顔を見合わせる。
千歌ちゃんは勿論だけど――私たちも、千歌ちゃんがいなくなってからはダンスの練習なんて一度もしていない。
動きが遅れがちだったり、キレがないのは――ちょっとダンスの練習をしただけでも、自分ですぐにわかった。 「……っていうか、私が練習しても観客さんの前では意味ないような……」
「いいのいいの、やることに意味があると思うっ」
口をとがらせてそういう千歌ちゃんを、果南ちゃんがなだめる。
確かに、千歌ちゃんがダンスの練習をしたところで――私たちはともかく、千歌ちゃんが見えない観客の前では意味がないことだけれど。
でも、私は果南ちゃんの言う通りだと思った。みんなで練習することに、意味があるんだと。
きっと、こうやって時を共有しているうちに――暗い気持ちはどんどん晴れていって、光が射すんだって、そう思う。
「1,2,3,4……ハイ、ここまで! 各自休憩♪」
「はあ、はあ……もう動けないよぉ……」
「元々ハードな練習だったけど、久々なせいで全然ダメずら……」
向こう側でやっている鞠莉ちゃんたちの練習は、一段落したようだ。
その様子を見たけど、花丸ちゃんとルビィちゃんは背中合わせに地べたに座っていて――善子ちゃんはふらふらしながら歩いている。
ダイヤさんはお水を飲んでいたけれど――私の視線に気づいたようで。 「はあ、はあ……どうです、そちらは?」
「う〜ん……ダメかも」
「だ、ダメって! 酷いよぉ〜、果南ちゃん……」
「あはは、大丈夫大丈夫。時間はたくさんあるから」
よろよろと近づいてくるダイヤさんに、果南ちゃんはきっぱりとそう言った。横で千歌ちゃんがまた口をとがらせる。
果南ちゃんは、みんなでいた頃と同じように振舞っていて――千歌ちゃんを軽くいなしている。
それだけじゃなくて――横で笑う梨子ちゃんも、どこか自然体な気がした。そして同じく笑う、私もそうかもしれない。
前みたいな、ぎこちない関係は――もう、どこにもないようで。心の底から、自然に笑っているようで。
「ま、私もダメかもしれないけどね」
「はあ……全く、果南さんらしいですわ……千歌さんも飲みます?」
「ありがとっ、ダイヤさん。じゃあいただこうかな」
自分もダメかもしれないと笑う果南ちゃんに、ダイヤさんは呆れたような表情。
それから千歌ちゃんに声をかけて、水の入ったペットボトルを差し出して……
「……あっ」
「わあっ!」
案の定というか、千歌ちゃんがペットボトルを掴んでダイヤさんが手を離した瞬間――そのペットボトルが地面に落ちて、小さく跳ねる。
千歌ちゃんはあくまで幽霊で、ペットボトルを掴んでもそれを持つことは出来ないし、ましてや飲むこともできない――理屈はわかっていたけど、目の前で起こるとやっぱり不思議な光景だった。 「う、うかつでしたわ……」
「あはは、私も……もうちょっと幽霊の体になれないとダメかなぁ……」
地面に落ちたペットボトルを拾うダイヤさんは、納得いかないという表情だった。
千歌ちゃんも千歌ちゃんで、自分の手を握っては開いている。そこで私は、あることに気付いた。
「あれ、ってことは……千歌ちゃん、水飲めないんじゃ」
「え……ええ〜っ!?」
そういえば、千歌ちゃんは昨日から何も口にしていないし――私と一緒に学校への道を走った時も、水分補給は全くしていなかった。
いくら私たちが鍛えているとはいえ、ここまで運動するとさすがに脱水症状がおこりそうだけど――千歌ちゃんにその様子は全く無くて。
「あら、じゃあちかっちは『みんなで乾杯♪』はできないってことね」
「鞠莉ちゃん……うぅ、そんなぁ〜……」
いつの間にか私たちの方に歩いてきた鞠莉ちゃんの言葉に、千歌ちゃんはがっくりとうなだれる。
みんなで乾杯っていう言い方はともかく――練習した後のお水のおいしさが味わえないのは、とてもかわいそうな気がする。 「確かに喉は全く乾かないし、お腹も減らないし……疲れもしないけど」
「疲れもしないの!?」
千歌ちゃんの何気ない一言に、果南ちゃんが驚く。
そういえば、Aqoursで一番スタミナがあるのは間違いなく果南ちゃんだったけど――今この瞬間は、千歌ちゃんがそれを上回ってるわけで。
「ふふん、私の勝ちだね。果南ちゃん!」
「むう……」
「「あははっ」」
コロコロと表情を変える千歌ちゃんと不服そうな果南ちゃんに、思わず笑ってしまう私たち。
みんなの表情に、やっぱり影はなくて――みんながみんな、自然に笑っているようで。
千歌ちゃんが戻ってきてくれて、わかったことがある――
きっと、Aqoursのリーダーは――やっぱり、千歌ちゃんでなければならない、ということ。 「はあ、はあ……何楽しそうに話してるのよ、アンタたち……」
「マルは……はあ、はあ……もう、ダメずら……」
「ルビィも……うゅ……」
善子ちゃんたちの声が聞こえた方を向くと、今度は3人背中合わせになってぐったりと座っていた。
まあ、無理もないと思う――こんな雲一つない晴天の中、結構ハードな練習をしてるわけだし。
「ま……そうだね、一旦どこかで休憩しようか」
「「やった〜!」」
「フッ……よくわかってるじゃない、果南」
果南ちゃんの言葉に、ぱぁっと表情を明るくする3人。
私たちは思い思いのことを話しながら、屋上から階段を下っていく。
何度も見た――練習後の光景だったけど。それが、今の私には――ただただ、嬉しかった。 「「む〜……」」
「……もしかして、もう退屈してきたのです?」
花丸ちゃんの提案で、図書室で休憩することになった。冷房がないこの学校では、やっぱり暑いけれど――日差しが当たらない分、さっきよりはずっと涼しかった。
3年生のみんなは、丸いテーブルを囲んで本を読んでいる……でも、果南ちゃんと鞠莉ちゃんは早くも本を読むのに疲れたようで、ぐだーっと机にもたれかかる。
それを見てため息をつくダイヤさんは、なんだか難しそうな本を読んでいて――その姿は、とても様になっていた。
「さすがは生徒会長ね」
「ふふっ、そうだね」
私たち2年生と1年生は、四角いテーブルに向き合うように座っていて――私と梨子ちゃんは、顔を向き合わせて小さく笑う。
「……はあ〜、私は本読めないよ〜……」
その一方で、果南ちゃんたちと同じようにぐだーっと机に突っ伏す――私の隣にいる千歌ちゃん。幽霊である以上、本を持つこともめくることもできなくて――退屈そうだった。
――そう言う私も、どうやら本の選び方を間違えたようで……難解な内容が記されているそれをみると、つい目をそむけたくなる。
思わず顔をあげると、向こう側に座っている1年生の3人が見える。3人とも真剣に本を読んでいて――どうやら果南ちゃんや鞠莉ちゃん、千歌ちゃんや私とは違って真剣なようだ。
花丸ちゃんやルビィちゃんはともかく、善子ちゃんは本とか苦手だと思っていたけれど――そうやってふとその表紙を見てみたら、やっぱりというかオカルトチックな本を読んでいた。
「……あれ、花丸ちゃんはこの前の本の続き?」
「そうだよ、あの伝承について他に何か記述がないかと思って……まあ、全く見つからないけどね」
あの伝承――この地域に伝わる、幽霊の言い伝え。確かに、何か他に情報があればいいんだけど――花丸ちゃんが読んだ限りだと、見つからないらしい。
あの花丸ちゃんが見つけられないなら、きっと誰が読んでも見つけられないんだろうな――情報については、期待しない方が良さそうだ。 「あの伝承……私が幽霊として現れたのが、それによるものなんだっけ」
「推測だけどね。実際どうなのかはわからないずら」
横に座る千歌ちゃんは、すっかり普通の人のように机に突っ伏したまま話していたけど――そうだった、千歌ちゃんは幽霊だった。
やっぱりわずかに体は透けているし――それでも、あまりにも馴染んでいて、つい忘れそうになってしまう。
「あ、そうだ。曜、この前貸したゲーム、どこまで進めた?」
「一応中盤辺り?までは進んでるよ。ただ――」
「千歌ちゃんがいなくなってからは全く触れてない」――そう言いかけて、口をつぐむ。
今こんなことを言ってしまったら、空気が一気に重たくなりそうで――事実ではあるけど、口にすべきではないと思った。
「……ただ?」
「最近は、あんまりやってないかな」
「ふ〜ん。ま、いいけど。せっかくヨハネのリトルデーモンなんだから、少しは進めておきなさいよ」
「うえ、いつの間にか下僕になってるし……」
「「あははっ」」
善子ちゃんはいつもの調子で私をリトルデーモン扱い。それを見ていたみんなが声を上げて笑う。
ついつられて、私も小さく笑った。そうだよね――Aqoursはやっぱり、こうでなくちゃ。 「うゅ……さ、さすがにちょっと疲れてきたかも……」
「ルビィちゃんが読んでる本って、なんだか難しそうなやつだよねぇ」
少しうとうとしているルビィちゃんに、机に突っ伏したままの千歌ちゃんが声をかける。
「確かに、難しそうな本だね……ルビィちゃん、そういうのも読むんだ」
「花丸ちゃんに教えてもらったんだぁ。やっぱり難しいけど、とっても面白いよっ」
「ふふっ、それは良かったずら。次は善子ちゃんにも貸してあげないと」
「……私は中二病のままで結構よ……」
「じゃあ、気分転換に練習に戻ろっか」
「「ええ〜っ!?」」
そんな話をしていたけど、気付いたら後ろに果南ちゃんがいて――どうやら、本を読む気は全くないみたい。
まあ、私も正直、本を読むより練習がしたかったからいいんだけど――この本、やたら難しいし。 「そうそう♪ あんまりこうしてると体が鈍っちゃうわ!」
「まあ、そうですわね。ちょうど本も読み終えましたし、練習に戻って……少ししたら、今日は一旦終わりにしましょうか」
続けて、鞠莉ちゃんとダイヤさんも私たちのテーブルに。
ダイヤさんはあの難しそうな本を、この短時間で読み切ってしまったらしくて――鞠莉ちゃんの方は、恐らく全然読んでないと思うけど。
「じゃあ、本を読むのはまた今度かな」
「あっ、じゃあ花丸ちゃん。この本借りていってもいいかなぁ?」
「私もお願いするわ。この本にはとても興味深い記述が……」
「は〜い、二人ともカウンターで受け付けるずら」
「じゃあ、私たちは先に行ってるね」
「おっけ〜」
本を借りるというルビィちゃんと善子ちゃん。梨子ちゃんは私たちに声をかけると、果南ちゃんたちの後ろに続いて廊下を出ていく。
「さ、私たちも行こうか、千歌ちゃん……千歌ちゃん?」
そう、千歌ちゃんに声をかけたけど――千歌ちゃんはその場に立ち止まっていて、私の声が届いていないようで。
心配になって、もう一度声をかけると――千歌ちゃんは私の方を向いて、満面の笑みでこう言った。 「やっぱり――楽しいね、みんなでいると」
その笑顔は、とても明るいものだったけど――どこか切ないようにも思えた。
幽霊として、今ここにいるけれど――つい最近まで、千歌ちゃんは……この世にいなかったんだ。笑顔の先に見える切なさは、きっとそういうことだと思う。
だから私は、千歌ちゃんに向かって満面の笑みでこう返した。
「大丈夫だよっ。だってこれから、ずっと一緒に居られるんだもん」
「……そっか、そうだよね! ふふっ」
「えへへっ」
今まで失った時間があるのなら――取り戻せばいい。千歌ちゃんはもう一度笑う。その笑顔に、さっき見えた切なさや寂しさは含まれていないようで。
夏休みは、まだ始まったばかり。夏休みが終わっても、私たちはAqoursとして活動していけるんだって、そう思った。
もちろん、他の人から見えない千歌ちゃんと一緒にステージで踊るとかは無理だろうけど――同じ時間を、共有できる。私は、それだけで十分だった。
「さ、行こうっ」
「うんっ!」
屋上への階段を、二人でのぼる。その先には、やっぱり雲一つない青空があって、まばゆい日光が私たちを照らしていて―― 「1,2,3,4……おっけ〜、完璧! 今日はここまでにしておこうか」
「……ふあ〜」
「うゅ……」
「下界の試練は、こんなにも厳しいものなの……!?」
気の抜けた声を出す花丸ちゃんとルビィちゃん。善子ちゃんはさっきと同じようにふらふらと飲み物を取りに歩く。
「はあ、はあ……私も結構疲れたなぁ。梨子ちゃんは?」
「ぜえ、ぜえ……結構というか、限界まで疲れたわね……」
「二人とも大変そうだねぇ」
息を切らす私をよそに、千歌ちゃんは涼しい顔で「ん〜っ!」と背伸びをしている。
千歌ちゃんはもちろんサボっていたわけではなくて、むしろ徐々に勘を取り戻したのか完璧なパフォーマンスを見せていたけど――
――それで息一つ切らさないって、幽霊って本当に不思議なことばかりだなと、一人思う。
「ふう……荷物をまとめて、みんなで帰りましょうか」
「そうね、やりすぎはノンノンよ♪」
いくら夕方とはいえ、夏だからか日差しはまだ強く射していて――鞠莉ちゃんの言う通り、あんまり練習し過ぎると体調を崩してしまいそうだった。
各々がかばんを持って、帰り支度をする。それにしても――Aqoursのみんなで帰り道を歩く、なんていつ以来だろう。
前に花火大会でライブをやった時の帰り道――それが最後だったっけ。 「忘れ物もないし……さ、いこっか!」
千歌ちゃんの一言にみんながうなずいて、屋上から階段を下って――廊下を歩く。
他愛のない話をしながら笑う私たちに、窓から綺麗な光が射して、廊下を――歩く先を、明るく照らした。
千歌ちゃんの言う通りだ――やっぱり、私たちで、私たち9人でいると、こんなにも楽しいものなんだって。
「はあ〜……それにしても、今日はキツかったずら〜」
「久々の練習だもんねぇ……」
下駄箱で靴を履いて、校門を通っていつもの帰り道に着く。
後ろで歩く花丸ちゃんとルビィちゃんの言う通り――久々にやる練習は結構キツかったけれど。でも今は、なんだかその疲れが心地よかった。
「明日からはもっと早く集まったほうがいいかもね〜」
「そうですわね。朝早くに集まって、軽く練習して日差しが強くなる前に帰るか――今日みたいに、途中で休憩をはさむ方が良さそうですわね」
「私、これ以上早く起きれる気がしないんだけど」
「起きるのよ、善子ちゃん」
前を歩く果南ちゃんとダイヤさんは、明日からの練習について話している。そっか――今日だけじゃない、明日からも私たちみんなで集まるんだ。
もちろん、忘れていたわけじゃないけれど――改めてそのことを考えると、明日があるってことを考えると、私は無性に嬉しくなった。 「……あっ!?」
「わっ!? ……どうしたの、千歌ちゃん?」
唐突に、私の隣で大声を上げる千歌ちゃん。突然のことにびっくりして、私はビクッと身を震わせる。
みんなの視線が、千歌ちゃんに集中する中――
「考えてみると、お母さんとお父さん、みと姉しま姉に私が見えるかどうか試してない……!」
「なるほど……ちかっちの親御さんとお姉さんね。確かに、私たちに見えるなら――試してみても良さそうね」
そう続ける千歌ちゃんに、鞠莉ちゃんはうんうんとうなずく。
そうだ――考えてみると、それは私たちの思考の外にあったけれど。もしそれが成功したら、千歌ちゃんが見えるようだったら――千歌ちゃんは家族と過ごすこともできるかもしれない。
「ごめんっ、私、早速試してみるよっ! また明日ね!」
千歌ちゃんはそう言うと、私たちが返事をする前にものすごいスピードで駆けていく。そうだった――幽霊にスタミナの概念はない、というか、ほぼ無限らしいんだっけ。
「全く……千歌ちゃんらしいわね」
「あはは、そうだね」
私と梨子ちゃんは、また顔を向き合わせて笑った。千歌ちゃんと一緒に帰れないのは残念だったけれど、今はそれを優先したほうが良いのかもしれない。
だって、千歌ちゃんの家族は――私たち以上に、時を同じくしてきたんだから。それに、千歌ちゃんのお葬式の時の、家族の表情は――とても暗いものだったから。 「まあ、千歌ちゃんのことだから……何があっても、必ず私たちの所に戻ってくるよ。ちょっと心配だけど」
私はそう笑って、また帰り道を歩き出す。
さっき、廊下でそうしたように――また他愛ない話をして、私たちは笑いあった。今度は、千歌ちゃんはいなかったけれど――それでも、その空間はとても落ち着けるもので、楽しいもので。
千歌ちゃんがいればもっと楽しいのはもちろんだけれど、そうでなくても――私たち8人でも、こんなに楽しく笑えて、楽しく過ごせるんだって。
千歌ちゃんがいなかった頃のAqoursの暗い雰囲気は、どこにもなかった。それが私には嬉しくて、嬉しくて――思わず、涙を流しそうになるほどだった。
こんなところで泣くわけにはいかないって――必死に、涙をこらえたけれど。 「ふう……ただいま」
自分の部屋への階段を登って、かばんを置いて――ベッドに座る。
そういえば、あれから千歌ちゃんはどうなったんだろう。仮に、お母さんたちと話せていればしばらく戻ってこないかも知れないし、それはいいことなんだけど――
「……ただいま〜……」
「わわっ!?」
そう思った矢先、千歌ちゃんが部屋の扉をすり抜けてするりと現れた。私は突然のことに声を上げる。
どうやら幽霊だけあって、壁とかも普通にすり抜けられるらしい――見た目は普通の人とほぼ同じなだけに、失礼だけどちょっと怖かった。
「……なんだか暗い声だね、どうしたの?」
「うん……あれから家に戻ってお母さんたちの前で散々アピールしたり声を出したりしたんだけど、全く気付いてもらえなくて……」
どんなアピールをしていたんだろう……そんなことはともかく、千歌ちゃんが見えるのはやっぱり私たちAqoursの8人だけなのかもしれない。
あれほど仲良しで、一緒に過ごしていた家族であっても見えないって――千歌ちゃんの心境を考えると、私も少し落ち込んでしまう。
「……まあ、ダメな以上は仕方ないよっ。今日はこれからどうするの?」
「う〜ん……シャワーを浴びて晩御飯を食べてから、ゲームと夏期課題でもやろうかな」
それでも、千歌ちゃんは気持ちを切り替えて前を向く。私もそれに合わせて、これからすることを考えた。
結局、手を付けてない課題と、同じくしばらく手を付けてないゲーム……両立できるかはわからないけれど、とりあえずこの二つに触れてみようかな。
何より、千歌ちゃんが隣にいれば――どんなことをしても、楽しく過ごせる気がするし。
「ということで、ちょっと下の階に降りてくるね」
「は〜い」 「さてと……まずは夏期課題を進めようかな」
「え〜っ!?」
「え〜っ、って……」
「それじゃあ私がちょっと退屈かも……」
「それじゃ、千歌ちゃんにも手伝ってもらおうかな?」
「う……なんでもありません……」
「あはは」と私は小さく笑いながら、夏期課題に手を付ける。千歌ちゃんは私以上に勉強嫌いだし、残念だけど夏期課題を一緒にこなすことは無理そうだった。
考え込む私と、ベッドに座って足をパタパタさせる千歌ちゃん。私たちの中に流れる沈黙は、不思議と心地よいものだった。
もっとも、課題の方は結構難しくて――図書室で借りた本をパラパラめくりながら、1問1問ずつゆっくり解いていく。
そうして、何問か解き終わった時――ふと千歌ちゃんの方を見ると、さっきまでパタパタとふっていた脚は止まっていて……神妙な面持ちで、俯いていた。
それを見た時、私は急に不安を覚えて――本をめくる手をとめて、千歌ちゃんに声をかける。 「千歌ちゃん……? どうしたの?」
「あ……ううん。ちょっとね」
「幽霊としてこうやって現れてから、ふと思ったんだ――私たち、本当にずっと一緒に居られるのかなって」
「……あ……」
それを聞いた時、私の心臓がドクンと飛び跳ねる。私は、今日みんなで集まった時「ずっと一緒だ」って言ったけれど――
千歌ちゃんがこうやって幽霊として現れてくれたように、その逆――
――もしかすると、ふとした時に……千歌ちゃんが幽霊として、消えてしまうのではないか――
「……ま、まあ……考えても仕方ないよ」
「だよね〜……」
思わず口をついた言葉は、考えても仕方がない――現実から逃げるような言葉だった。
でも、それは事実でもあって――もし、千歌ちゃんが何かの拍子で消えてしまっても、私や他のみんながどうにかできる現象でもないように思えた。
それから、私は無言で夏期課題を解き始める――千歌ちゃんはまた、足をパタパタさせていた。
さっきと違うのは、その沈黙が少し重苦しく感じた事――それだけだった。 「曜ちゃん、そこはローリング!」
「えっ……って、うわぁ!? またやられた……うぅ、これで10連敗……」
あの後夏期課題をある程度進めてから、私たちはゲームで遊んでいた。
しかも、自分も千歌ちゃんもかなり熱中してしまっていて――自覚はしているんだけど、それでもゲームはやめられなかった。
「え〜っと、今は……もうこんな時間!?」
「あ、あはは……さすがにもう寝ないとだね」
ふと時計を見たら、すっかり夜も更けていた。仕方ない、負けたまま終わるのは悔しいけれど――私はしぶしぶ、ゲーム機の電源を切る。
それにしても、二人でゲームをやっているといつもよりもっと楽しかった。千歌ちゃんはコントローラーを持てないから、対戦は出来ないけれど――それでも。
今度善子ちゃんにお礼を言わないとな――そんなことを考えながら、私は寝る準備をする。 「明日はまた、Aqoursのみんなで練習だねっ」
「そうだね、しっかり疲れを取らないと。電気、消すね」
やっぱり先にベッドで横になる千歌ちゃんに、私は電気を消してから同じように横になる。
昨日は、同じベッドで寝る気恥ずかしさがあったけれど――不思議と今日は、それが感じられなかった。
「それじゃあ、おやすみっ」
「うん、おやすみ」
千歌ちゃんは元気な声でそう言うと――ものの1分も経たないうちに、眠りについた。
幽霊は疲れることがないっていうのは、今まで起こった出来事を通して知っていたことだけれど――疲れてなくても、眠ることは出来るのかな。
私はなんだか寝付けなくて、色々なことを考える。
千歌ちゃんが幽霊として現れた事、そして私たちAqoursからは見えること――そして、今日久しぶりにAqoursの全員が揃ったこと。
それらは全部、楽しい記憶で――でも同時に、さっき千歌ちゃんと話したことが、私の中でどうしても引っかかっていた。
本当にずっと、一緒に居られるのだろうか――いや、きっとそうだ。そう思い込もうとするほど、不安も増していって。
でも、横で寝息を立てる千歌ちゃんを見ると――その不安は、すっと消えていった。
なんにせよ、考えても仕方がない――そう割り切って、私は瞼を閉じる。心地の良い睡魔が、私を眠りへといざなった。 「よしっ、いくよ! 千歌ちゃんっ」
「うんっ!」
次の日は、時間通りに起きられて――私は、昨日のように勢いよくドアを開ける。
その次の日も、次の日も――私たちAqoursは、夏休みに何度も何度も集まった。
常に笑顔が絶えなくて、ハードな練習も笑ってこなせて――大切な仲間と過ごす日々は、かけがえのないもので、輝いていて。
時には図書室で涼んだり、コンビニでアイスを買ったりもした。まあ、毎回善子ちゃんがじゃんけんで負けて買う羽目になっていたけれど。
――千歌ちゃんがいた頃の当たり前の日々が、私たちに戻っていた。いつもの私たちで、いつものAqoursでいられた。
いつしか、千歌ちゃんがいつか消えてしまうのではないかという心配は――私の中で、霧散していて。 8月、夏休みも中盤に近づいたころ――私たちは、いつものようにみんな集まって屋上で練習していた。
「……よし、いい感じだね。みんな休憩!」
「「……はあ〜……」
果南ちゃんのハードな練習がようやく終わって、私と梨子ちゃんは背中合わせで地べたに座る。
相変わらずというか、夏休み中ずっとそうだけど――千歌ちゃんは全く苦にしてないようで、また一つ背伸びをしていた。
「……そうだ、果南ちゃん。ステップのことで少し質問があるんだけど……」
「おっけ〜、こっちに来てもらえるかな」
飲み物を取りに行った果南ちゃんの方に、千歌ちゃんがパタパタと駆けていく。
「でも、私たちも良くなってきてるよね」
「ふふっ、そうね。ほら、曜ちゃんも飲んで」
「ありがとっ。んく、んく……ぷは〜っ、おいしいっ!」
梨子ちゃんが言う通り、千歌ちゃんがいなくなってからなまっていた体も徐々に馴染んできて、今では前と比べてかなりいい動きができるようになっていた。
梨子ちゃんが渡してくれたお水を、一気に胃の中へ流し込む。あんまり一気に水分をとるのも良くないんだけど――喉が渇きすぎていて、いつものようにやってしまった。
ついでに、運動後にすぐ座ってしまうのも良くないことで――梨子ちゃんに少し立ち上がろうと声をかけようとした。 「……」
「……梨子ちゃん?」
でも、梨子ちゃんは果南ちゃんと千歌ちゃんが二人で話す様子をじっと見ていて。
それが気になって、私は思わず声をかける。
「……あ、ううん。なんでもないの。ただ、ね……」
「きっと私の気のせいだと思うけど――千歌ちゃんの体が、前よりも透けているような気がして……」
その言葉を聞いて、梨子ちゃんと同じように二人の方を見やる。
疲れてはいたけど、視界は鮮明で良く見えていて――確かに、心なしか前よりちょっと透明度が増しているようにも見えた。
「……うん、やっぱり気のせいだよ」
「あはは、そうだよね」
気のせいだと言う梨子ちゃんに、私も笑って同意する。自分が感じないだけで、やっぱり目が少し疲れているのかもしれない。
「さ、一旦休憩しましょうか♪」
鞠莉ちゃんたちの練習も終わったようで、明るい声が少し遠くから聞こえる。
この後ちょっと図書室で涼めば、千歌ちゃんもいつも通りに見えるかな――そんなことを考える。
「私たち、本当にずっと一緒に居られるのかなって」ふと脳裏をよぎった千歌ちゃんの言葉を――思考の奥の奥に、押し込めながら。 「ふ〜、今日も疲れたなぁ……」
私は大きく息を吐いた後、さっきの千歌ちゃんと同じように大きく背伸びをした。
図書室で休憩しつつも夕方まで続いた練習を終えた後、私たちはいつものようにみんな集まって帰り道を歩く。
「あ、そうだ。果南ちゃん、私もダンスのことで少し聞きたいことがあって……」
そう言って、横に歩いてる果南ちゃんへと声をかけるけど――どうやら私の声は届いてないようで。
その顔を覗き込むと――果南ちゃんは、普段からは想像できないような……険しいような、寂しげな――そんな表情で、俯いたまま歩いていた。
「ん……ああ、いいよ」
果南ちゃんはそんな私に気付いたのか顔をあげると、いつものように笑う。 「……みんなっ」
――唐突に、後ろを歩く千歌ちゃんが声を上げる。
私の、果南ちゃんの――みんなの視線が、一斉に千歌ちゃんの方を向いた。
千歌ちゃんは、歩くことをやめていて――その場にただ立ち止まっていた。
その後ろには、綺麗なオレンジ色の夕焼けが見えていて――オレンジ色の光は、少し体が透けている千歌ちゃんの輪郭を強く浮かび上がらせる。
その姿は、美しくも儚げであったけれど――それとは逆に、千歌ちゃんの目には、声には、何か力強いものを感じられた。
「……どうしたの? 千歌ちゃん」
「千歌……」
私にはその姿がまぶしくて、つい目を背けてしまいそうだったけれど……不思議と、力がこもったその表情から目を背けることは出来なくて。
私は、にっこりと笑いながら千歌ちゃんへと声をかける。でも、横にいる果南ちゃんは――私とは逆で、少し寂しそうな表情だった。 「あのね――」
「みんな――私と一緒に居てくれて、ありがとうっ。えへへっ」
「え……」
それは、あまりにも突然な――千歌ちゃんからの「ありがとう」だった。千歌ちゃんは、歯を見せてにかっと笑う。
私だけでなく、隣の果南ちゃんも……後ろを歩いてたみんなも、呆気にとられた表情で――千歌ちゃんを見ていた。
少しの間があいて――口を開いたのは、鞠莉ちゃんだった。
「……ふふっ、マリーこそ♪ ありがとう」
「ええ、そうね。ふふっ、ありがとう」
梨子ちゃんと二人で、千歌ちゃんと同じようににこっと笑う。それは千歌ちゃんに負けないくらいの、まぶしい笑顔だった。 「マルたちもお礼を言わないとね。ありがと」
「そうね、これに応えないようでは堕天使の名が廃るわ。ありがとう、千歌」
「ルビィも、一緒に居てくれて嬉しいよっ。ありがとっ」
1年生のみんなも、同じようにくすっと笑いあいながら、千歌ちゃんにありがとうと伝える。
私は、その光景を見てると――また、唐突な話だけど――急に、泣き出しそうになってしまった。
「わたくしたちもですわね。ありがとうございます」
「そうだね。ありがとう、千歌」
ダイヤさんと果南ちゃんも、お互いに顔を向き合わせてふふっと笑いあった。
それから、千歌ちゃんの方に向き直ると――千歌ちゃんの目を見据えて、同じようにありがとうと、そう伝えた。 「……ありがとう……ぐすっ……千歌ちゃん……」
そして最後に、私も――みんなのように、まっすぐ「ありがとう」と伝えようとしたけれど……それは、抑えきれなかった涙のせいで叶わなかった。
千歌ちゃんの先にある綺麗な夕焼け。それは涙で徐々にぼやけてきて――同じように、千歌ちゃんの姿も少しずつ、霞んで……
「わっ!? どうしたの曜ちゃん!?」
「だって……ぐすっ……だって……っ!」
唐突に泣き出した私に、千歌ちゃんが――みんなが、駆け寄ってくれた。
Aqoursの9人で、当たり前のように同じ道を歩けるのが――楽しくて。
唐突だったけれど、千歌ちゃんがありがとうと言ってくれたことが――嬉しくて。
まっすぐお礼を伝えられない私が――情けなくて。
それでも、涙を流すことしかできない私にみんなが駆け寄ってくれたことが――温かくて。 「ほら……泣かないで、曜」
果南ちゃんが、私の肩にぽんと手を置く。私は、涙をぬぐった。きっと――もう一回伝えるだけで、いいんだと思う。
「ぐすっ……千歌ちゃん、ありがとうっ」
精一杯涙をこらえて、今度こそまっすぐ伝えられた――ありがとうの言葉。
今まで、こうやってまっすぐ気持ちを伝えるのは、なんだか気恥ずかしくて――やったことは、なかったけれど。
でも、今は――いつもみたいな気恥ずかしさは、全く感じられなかった。ただ、ありがとうと伝えたい――そう思えた。
「えへへ、良かったっ」
――千歌ちゃんはそう言って、帰り道を歩きだした。
私たちも、お互いがうなずいて、また歩き始める。いつものように、他愛のない話をして――笑いあいながら。
太陽の光が、雲の隙間をすり抜けて先の道を照らす。空は、雲は、オレンジに染まっていて――本当に綺麗な、夕焼けだった。 「ただいま〜」
今日は練習が夕方まで続いていたこともあって、私は少し疲れていた。
換気のために窓を開けた後――かばんを部屋の床に放って、ベッドでごろんと横になる。
「……」
「……千歌ちゃん、どうしたの?」
いつもは同じようにベッドに入ったり、あるいはベッドや床に座ったり――そんな千歌ちゃんが、今日は立ったまま窓の外を見ていた。
若干暗くなってはいるけど、太陽はまだ沈んでいなくて――窓からは綺麗な光が射していて。気のせいかもしれないけれど、千歌ちゃんがいつもより透明なように見えた。
「あ……ううん、なんでもない」
そう千歌ちゃんが言ったきり、私たちの間に沈黙が流れる。汗もかいてるし、さっさとシャワーを浴びちゃおうかな――
そんなことを考えていたら、千歌ちゃんは窓の外を見ながら―― 「曜ちゃん――この先どんなことがあっても、曜ちゃんは曜ちゃんでいてね」
――そう、小さく、消え入りそうな声で呟いた。
「えっ……どうしたの、急に」
「ううん、ちょっとね」
千歌ちゃんは、窓の外を見たままだったけれど――なんとなく、微笑んでいるように見えた。
「……」
――どんなことがあっても、私は私であってほしい。
私は、千歌ちゃんの言葉を頭の中で反芻する。私の大好きな幼馴染が言った、その言葉は――容易なことにも思えて、難しいことのようにも思えた。
「……っと、私はシャワー浴びてくるね」
私は上体を起こしてベッドから立ち上がると、部屋の扉をあけようと千歌ちゃんに背を向ける。 「あっ――待って、曜ちゃ……」
「あれ、声が――もう……」
「……曜、ちゃん――」
「……忘れ、な――」 ふっと、強い風が吹いた。みんなでいる時は全く吹いていなかった、涼しい風が――窓を通り、私の肌を撫でる。
風を受けたカーテンは、ゆらゆらと大きくはためいていた。私は、千歌ちゃんの声が聞こえた気がして、後ろを振り返る。
「――千歌ちゃん?」
振り返った、その先には――窓から射す光と、オレンジ色の夕焼けが映った。
「……千歌、ちゃん?」
そこには、さっきまでいたはずの千歌ちゃんの姿はなくて。
窓から射す光が、私に当たって――私の後ろに、長い影を作り出していた。 「千歌ちゃ〜ん? ……もしかして、どこかに隠れてる?」
今まで、部屋の中で突然千歌ちゃんが消えることは一切なかったから――私は、どこかに隠れているのかなとベッドの下を覗いてみる。
たまにどこかへ一人で遊びに行くことはあったけれど、その時は必ず私に伝えてくれたし――だいたい、千歌ちゃんが言った時間通りに帰ってきてくれた。
「千歌ちゃ〜ん……もう、どこ行っちゃったんだろ」
でも――今日の千歌ちゃんの様子は、なんだかいつもと違った気がする。
たまには、私に伝えずどこかに行ってもおかしくないか――私も、そういう気分になることはあるし。
「私はシャワー浴びてくるから、すぐ帰ってきてね〜っ!」
聞こえてるかわからないけど――大声でそう呼び掛けた後、私は部屋の扉を開く。
ついでに、晩御飯も食べてしまおうか――もしかすると、千歌ちゃんが戻ってくるのは結構遅くなるかもしれないし。
私は今日の晩御飯はなんだろうと胸を躍らせながら、部屋の扉をぱたんと閉めた。 「たっだいま〜、千歌ちゃんっ!」
今日の晩御飯は大好物のハンバーグだった。私は上機嫌のまま、ばたんと部屋の扉を開ける。
「あ……そっか、千歌ちゃんは今いないんだ……」
でも――その言葉に返事をする者は、誰もいなかった。いつもなら、千歌ちゃんが笑顔でおかえりと言ってくれるんだけど――
「う〜ん……いつ帰ってくるんだろ? 仕方ない、夏期課題でも……」
一人でずっとじっとしているわけにもいかないので、私はしぶしぶ夏期課題に手を付ける。
千歌ちゃんが幽霊として現れてからは、夏期課題より断然ゲームで――昨日も二人で熱中していたのを思い出す。
……まあ、熱中し過ぎたおかげで夏期課題はごらんの有様なんだけど。
課題を1,2問解いた後、私はふっと思い出した。昨日ゲームをやっていた時、熱中してはいたけど、千歌ちゃんが時たま寂しそうな顔をしていたような…… 夏期課題を、黙々と進めていく。でも、徐々に空気が重くなって肩にのしかかってくるようだった。
普段気にすることもなかった時計の音も、今の私には大きく聞こえて――耳障りだった。
部屋は暑くて、さっきみたいに風が吹くことも全く無くて――冷房をつけてしまおうかと、立ち上がる。
(もう……落ち着かないな)
千歌ちゃんがいなくなってから、私は全く落ち着かなかった。夏期課題も結局、全然進んでいない。
それどころか、不安と焦燥感がふつふつとこみあげてきて――気づいたらそれらは、私の思考のほとんどを占めていた。
「そうだ、他のみんなの所に行ったんじゃ……」
携帯でAqoursのみんな宛てにメッセージを送ると、すぐ全員から返信が来た――けど、その中誰もが千歌ちゃんを見ていないようで。
「あ〜っ、もう……」
私はむしゃくしゃして、冷房を付けないまま部屋の中をぐるぐると歩き回る。
なんだか、嫌な予感がした――
――本当にずっと、一緒に居られるのだろうか。前にも考えたことだけど――今の不安は、前とは比べ物にならないほど大きなものだった。 「……そうだ、外にいるかも」
思った時には、私は家の外へと走っていた。
後ろから、ママが私を止める声がしたけれど――わき目もふらず、私は勢いよく扉を開ける。今日、学校へ向かった時と同じように。
でも、外は――もうすっかり暗くて。空には厚い雲がかかっていて、わずかに月の光が見えるくらいだった。
(どこに……どこ、に……)
私は、色々な場所を走った。家の周りを探してみても、やっぱりどこにもいない――
少し遠くを探してみよう、千歌ちゃんがいそうな場所を探してみよう――そうしているうちに、気付いたら私は通学路を走っていた。
「……はあ、はあ……千歌、ちゃん……っ!」
いつもはバスの窓越しに見る道を、息を切らしながら走る。
きっと、どこかに――家の中でなければ、外に。通学路にいなければ、学校に……絶対、どこかにいる。
「はあ、はあ……千歌、ちゃ〜ん!」
迷惑だとわかっていても――私は左右を見渡しながら、必死に千歌ちゃんの名前を呼んだ。
いつもなら、呼んだらすぐ来てくれて――すぐ、笑顔を見せてくれた……はず、なのに。 「はあ、はあ……」
学校まで、走ってきたけれど――千歌ちゃんの姿は、やっぱりどこにもなかった。
私は校門を登って、飛び越える。誰もいない、暗い校庭で――千歌ちゃんの名を何度も叫ぶ。
校舎には入れなかったから、外から大きな声で叫ぶけど――誰一人、返事をする人はいなかった。
夏の夜の校舎なんて、幽霊でも出てきそうだったけれど――今は、今だけは、そうであってほしかった。
「ここにも……はあ、はあ……うぅ……」
長い道を走ってきたせいで、いつもよりずっと息が上がっている。Aqoursに入ってから練習で鍛えたけれど、まだまだだな――
もし、千歌ちゃんがいたら――いや、千歌ちゃんの幽霊がいたら。この長い道のりを、息も切らさず楽しそうに走っていくのだろうか。
くらくらして、今にも倒れそうだったけれど――両足にぐっと力を入れる。
こんなところで、倒れるわけにはいかない――だって、千歌ちゃんをまだ見つけていない。 学校にいないなら、次は――そうだ、千歌ちゃんの家の前や浜辺を探していない。
ここに来る時、あまりにも必死で、他のことを考えずに走っていたから――気づいたら、あの浜辺すらも走り抜けてしまっていた。
(千歌ちゃん……なん、でっ……!)
今来た道を、走って戻る。
もしかして、千歌ちゃんの幽霊はもう消えてしまったのではないか――そんな思考から目を背けるかのように、千歌ちゃんの名を叫ぶ。
(まだ、話してないことが――話したいことが……)
(伝えてないことが――たくさん……っ!)
何度も何度も、喉が痛くなるくらいに大声で千歌ちゃんの名を呼んだ。その声は、誰もいない闇の中に溶けるように消えていく。
まるで――千歌ちゃんはもういない、そんな現実を突きつけられているかのようで。
「うぅ……うわああああ〜〜っ!!」
気付いたら、私は声にならない声を上げていた。千歌ちゃんがいない不安、焦燥感、私が一人でいる寂しさ――すべての感情が、ごちゃまぜになっていて。
悲鳴にも似た大声で叫びながら、そして持てる全ての力で体を動かしながら――浜辺への坂道を下っていく。 浜辺にたどり着いた時、私はもう走れないほどで――ふらふらと、体を前に進めることが精いっぱいだった。
千歌ちゃんの命を奪った、この浜辺には――あれ以来、一度も来たことがなくて。それに、もう二度とこないつもりだった。
でも、今は――もしかすると、ここにいるかもしれないという、わずかな希望に賭けるしかなくて。
「はあ、はあ……わあっ!?」
さっきよりもふらつく足は、浜辺の砂に絡めとられて――私は一度、浜辺に倒れこむ。
「くっ……!」
もう、立ち上がる気力はほとんどなかったけれど――それでも。
せめて、せめて一度だけ――その名前を。幽霊でも、何でもいい。千歌ちゃん、を――
「千歌、ちゃ……千歌、ちゃああああん!!」
闇を切り裂くほどの、精一杯の大きな声で千歌ちゃんの名前を呼ぶ――
でも、その後に聞こえてきたのは、千歌ちゃんの声ではなくて――波が砂をさらう、ざーっという音だけだった。 「……ん……」
目が覚めて最初に見えたのは――自分の部屋の天井だった。
私は目の前に手をやって、握って開く。そこでようやく、私は今目覚めたということを実感した。
――昨日、あれから私は一人で家まで歩き、そのままベッドに倒れこんだんだ。
そしてそのまま、泥のように眠っていたらしい。上体を起こした時――酷使した両足が強く痛む。
「……」
「……千歌、ちゃん……」
私は、昨日何度も叫んだ名を小さく呟く。朝目覚めたら、昨日のことが全部夢で、千歌ちゃんはいつものようにそばにいて――なんてことも、少し考えたけれど。
そして――いつもだったら、私が起きた時には横に千歌ちゃんがいて、私のことを起こしてくれたり、逆にぐっすり寝ていたりした。
でも――今はもう、どこにもいない。 ふと、携帯を見てみると――Aqoursのみんなから、いくつものメッセージがあった。
千歌ちゃんがいなくなったこともあって、みんなは学校に集まった後千歌ちゃんを探しているらしい。
私も、せめてみんなに話しに行こうと――そう思って外を見たら、もう日が沈みかけていた。
(……今さら行っても、意味ないか)
それに――昨日、どんなに探しても千歌ちゃんはいなかった。
私の家の周り、通学路、学校……そして、浜辺とその近く。全てを探して、どこにもいなかったんだ。
そして、いなくなってから一日経った今でも――声が聞こえることも、姿が見えることもない。 気付いたら、夜になっていた。
私は今まで――何をしていたんだろう。ずっとぼーっとしていたのか、それともまた寝ていたのか。
今の私には、それすらがどうでもいいことのように思えた。
(……)
もう一度、携帯を見る。私のことを心配するメッセージが、何件か届いていた。
そしてあれから――どこを探しても、千歌ちゃんが見つからなかったことも書いてあって。
千歌ちゃんはもういない――それが紛れもない現実であることはわかっていたけれど、そのメッセージを見ると、よりその現実に重みが増した。
「……明日、またみんなで集まるんだ」
メッセージを眺めていると、明日もAqoursのみんなが学校に集まるということも記されていた。
また千歌ちゃんを探すのか――それとも、千歌ちゃんがいなくなった今後のことを考えるのか。多分、後者だろうな。
「あんまり心配かけるのも、悪い……かな」
私は、Aqoursのみんなに「今日はごめん、明日は行くから」と、それだけ伝えておいた。
みんなが私のことを心配してくれているんだし、私はみんなに心配をかけたくない。それに――理由はなんであれ、今日は休んでしまったし。
でも、こうも思った。
――「千歌ちゃんがいない今、8人でAqoursとして集まる意味はあるのかな」――と。 かばんを背負い、靴を履き――扉を開ける。
空を見てみると、今までずっと続いていた快晴が嘘のように――昨日と同じく、厚い雲が太陽を隠していた。
暑くなくて助かる――と、みんなは言うだろうか。いや、きっと言わない――私も、そうは思えないから。
「……」
バスに揺られながら、憂鬱な気分で窓の外を見つめる。もはや視線を動かすことすら、今の私には億劫だった。
いつものように流れる景色――いつもと違うのは、千歌ちゃんがいないことと、晴れていないこと。
たったそれだけのことなのに――バスの外の景色は、灰色に見えるようだった。
バスを降りて、学校に向かう。その足取りは重いままで、いつもみたいにみんなと会うことを楽しみにしている自分は――いなかった。 「……おはよう」
学校の屋上に着くと、すでにみんなが集まっていた。
昨日、心配をかけてしまったし、私はせめて明るく振舞おうとしたけれど――暗い表情は変えられそうになくて、出てくる声もまた暗いものだった。
「曜……おはよ」
私に気付いた果南ちゃんは、いつものように笑うけど――その表情は、声は、私と同じように暗かった。
そして、集まってきたみんなも同じで――
原因は、わかっている――幽霊の千歌ちゃんがいなくなったこと。
「……暗い顔をしても仕方ないって、わかってるんだけどね」
梨子ちゃんがそう、呆れたようにぽつりと呟く。でも、それは――私や他のみんなに向けられているようには、思えなかった。
自分自身に、呆れるかのようだった。そして、その言葉は、暗い顔をしても仕方がないということは――おそらく、正しいと思う。 「……ルビィたち、これから……」
「……そう、ね……」
これから――ルビィちゃんの言葉は途切れる。
もっとも、返事をした善子ちゃんも、他のみんなも――その言葉の先に何があるかは、わかっていると思う。
――これから……
――これから、どうすればいいんだろう……
「……」
みんなが、その場に立ち尽くす。誰一人として口を開くことはなくて、誰一人として動くことはなくて――
屋上は、そこそこ広いはずなのに――8人全員が、行き場を失ったみたいだった。
そして、私たちの距離は近いはずなのに――まるで、ずっと遠くにいるかのように思えた 「……とりあえず、いつも通りやってみない?」
重苦しい沈黙を破ったのは、鞠莉ちゃんだった。
「……そうだね。とりあえず、練習しようか」
その言葉に、果南ちゃんはうなずいて……私もみんなも、小さくうなずいた。
どうせ、この場に突っ立って何もせず何も喋らないなら、この場所にいる意味はないし――こういう時は、いつも通りのことをやってみてもいいのかもしれない。
「じゃあ、みんな位置について……いくよ」
果南ちゃんの言葉で、それぞれが移動する。
私も自分の立ち位置に移動して……果南ちゃんの号令で、それぞれがいつも通り踊り始める。 ……そのはずだったけど、それはいつも通りではなかった。
ステップもダメだし、振り付けもいつもより遅れたり早すぎたり――おまけに、何度か他のみんなとぶつかったりもした。
「はい、おしまい……ごめん、私のリズムも少しずれてたね」
「今までで一番ダメだったね……」
「そう、ですわね……」
果南ちゃんの言葉に、花丸ちゃんとダイヤさんがため息をつく。
今まで、こんなにダメだったことがあったっけ――千歌ちゃんがいたころとのパフォーマンスの差は、歴然としていた。
それから訪れるのは――また、重苦しい沈黙。 「ねえ、みんな……」
その沈黙を破ったのは、また鞠莉ちゃん。俯いていたみんなは、その一言に顔をあげた。
「私たちAqoursって――このまま、続けるべきだと思う?」
――その一言に、その場にいた誰もが息をのんだ。そしてもちろん、私も――心臓の鼓動が、速くなるのを感じる。
そうだ――きっともう、それを考えなくちゃいけないのかもしれない。
千歌ちゃんを失ってから、Aqoursは一度バラバラになりかけて――それでも幽霊として現れた千歌ちゃんのおかげで、また一つになれた。
でも、それからまた千歌ちゃんがいなくなって……今、私たちは、私たちAqoursは――
「……鞠莉さんは、どう思うのです?」
「私はね――続けたい。きっと……そうじゃないと、私の傷は癒えないと思うの」
そう問い返すダイヤさんに、鞠莉ちゃんは迷うこともなくまっすぐそう言った。
前に思ったこと。私たちが自分の心の傷を癒すには――きっと、Aqoursの誰かがいないと、あるいはみんながいないとダメなんだと思う。
同じ時間を共有して、楽しく過ごせて――でも同時に、同じ傷を背負った仲間たちでないと。 「……わたくしもですわ」
「ルビィも……だって、このままバラバラになっちゃったら……もう、心の底から笑えないと思うんだ……」
ダイヤさんとルビィちゃんも、それに同意する。
「心の底から笑えない」――ルビィちゃんの言葉は、一見大げさなように聞こえたけど、私は確かなことのように思えた。
私もきっとそう。もし、Aqoursがこのままバラバラになったら――もう二度と、心から笑うことは出来ないかもしれない。
「……そうだね、マルもそう思う」
「……私も、ね。8人でも、私たちはAqoursよ」
善子ちゃんと花丸ちゃんも、同じ気持ちらしい。
千歌ちゃんがいなくなったのは、事実だけれど――元々Aqoursは、9人だったけれど。
千歌ちゃんがいなくなったからって、私たちAqoursがAqoursでなくなるのは――違うこと、なのかもしれない。
8人でも私たちがAqoursであることには変わりない、きっと私たちだけでしかできないことがある。それはもちろん、お互いがお互いの傷を癒すことも。 「私も、そう思うな。梨子ちゃんは?」
「私も、ね――それで、曜ちゃんは?」
果南ちゃんも梨子ちゃんも、同じようにそう言って――梨子ちゃんは、私に問いかける。
心臓の音が、大きく聞こえる気がした。みんなが、千歌ちゃんがいなくなってもAqoursを続けるべきだと、そう言った。私は――きっと。
「――私も、それがいいと思う」
「……そっか、よかった」
私の言葉に、果南ちゃんはにっこりと笑った。
――きっと、今は光が見えなくても……私たちは今、手探りで歩んでいくしかないんだと思う。それも一人一人でなく、Aqoursとして。 「ふふっ、とりあえずは良かったわ♪ さあ、今日は帰りましょうか」
鞠莉ちゃんの言葉に、みんながうなずく。今日は結局、あまり長くはいなかったけれど――
「私たち8人でもAqoursを続ける」――それは私たちにとって重大なことであって、今はそのことを考える時間も必要だと思う。
「あっ……私、曜と練習について話すことがあるから、先行っててもらえるかな?」
唐突にそう切り出す果南ちゃん。話すことって何――と、思わず聞きたくなったけれど、それは飲み込んだ。
私の方を見て、唇に人差し指を当てる果南ちゃんは――「今は話さないで」とでも言いたげで……きっと、二人で話すことがあるんだと思う。
「では、校門のあたりで待っていますわね」
そうダイヤさんが言って、みんなが階段を下りていく。
そして――屋上には、私と果南ちゃんの二人だけが残された。 ひゅー、と風が吹く音がする。その風は、練習と暑さで火照った体を冷ましてくれた。
私は、風のせいで目にかかった前髪を手で軽く払うと、果南ちゃんの方を向きなおる。
「それで……何の話?」
「うん……」
果南ちゃんが出す声は、いつもの透き通った声とは違って少しこもっているように聞こえた。
こうやって二人きりで話すことっていうのは……きっと何か重大なことだと思うし、言いづらいことなのかもしれない。私は、少し身構えてしまった。
「この話は――千歌から、伝えられたことなんだけどね」
「……千歌、ちゃんが……」
その言葉に、また心臓の鼓動が速まる。千歌ちゃんから、伝えられたこと――
そうだ――きっと、幽霊の千歌ちゃんがいなくなった日……果南ちゃんと二人で、練習後に話していた――そのことかも知れない。 「――千歌が言ってたんだ。もし、幽霊としての私がいなくなったら、Aqoursを続けるかどうかは残ったみんなが決めることだけど――」
「Aqoursを続けるなら、リーダーは曜にしてほしい――って」
「……私、が……?」
その言葉はあまりにも唐突で、今の私には瞬時に処理する力はなくて――少し、めまいがした。
「……千歌ちゃん、自分が消えるってわかってたの……?」
「……わからない。千歌は、もしもの話って言ってただけだからね」
私は、そう果南ちゃんに問いかけたけど――果南ちゃんはそう言って、首を振った。それは、果南ちゃんも知らないことらしい。
そして、千歌ちゃんが「自分がもう消える」ということをわかっていたかどうかは――今となっては、確かめようがないことだ。
もちろん、もしそれがわかっていれば――伝えたいことが、少しでも……伝えられたかもしれないけど。
そして、その千歌ちゃんが残した言葉――私が、Aqoursのリーダー、か…… 「……」
これもきっと、Aqoursのみんなにとっても――私にとっても、重要なこと。
私は、逡巡する。Aqoursのリーダーとして、8人の先頭に立つ――今の私に、それができるだろうか。
しばらく迷った後――私はようやく、答えを出した。
「……やってみる」
「……そっか」
果南ちゃんは、私の方を見つめてにこっと笑った。その笑顔に、私も小さく笑い返す。
千歌ちゃんの遺志を継いで、私がAqoursのリーダーを務める。それはきっと、そう簡単にはいかないことだろうけれど――
千歌ちゃんがいない今、千歌ちゃんが私を選んだのであれば――私はそれに応えたいし、報いたい。 「さ、みんなが待ってるよ。いこうっ」
「そうだね、よっと!」
果南ちゃんの表情に、さっきまで見えていた険しさはなかった。それはいつもの果南ちゃんの姿で――
私は果南ちゃんの言葉に従い、かばんを背負って校門へと向かう。
「遅かったですわね、練習の話はどうでした?」
「あ……ま、まあ、帰ったらグループにメッセージを送っておくよ」
「あはは」
ダイヤさんの一言に、果南ちゃんは視線を泳がせながらそう答える。いつもの果南ちゃんとは思えない仕草が、私にはおかしくて笑ってしまった。
それにしても、グループにメッセージを送っておくって――私が新リーダーであることを公表するのだろうか。
それなら二人きりで話さなくてもいい気もしたけど――千歌ちゃんが果南ちゃんにだけ残した言葉だし、やっぱりあの形で良かったのかなとも思う。
「さ、帰ろうっ。みんな」
「「は〜い」」
私は、試しにちょっとリーダーっぽく振舞ってみようとみんなに呼びかけてみる。全員がそれに答えてくれて、私たちは帰り道を歩きだす。
いつものように他愛ない話をして、いつものように笑いあった。千歌ちゃんがいないせいか、それにはどこかぎこちなさがあったけど――それでも、楽しい帰り道だった。
それに――私がリーダーになってからは、このぎこちなさも、みんなが抱えている不安も――そして自分自身の不安も。全部――払拭したい。
――いや、そうするんだ。私はそんな決意を抱き、力強く歩を進めた。 次の日、私たちは朝早くから学校に集まっていた。
「さて、曜。まずは何をすべき?」
「えっ!? え〜っと……じゃあ、練習始めよっか」
果南ちゃんの問いかけに、私は戸惑いつつもそう言った。そういえば、私がリーダーだった……
昨日はあの後、果南ちゃんが言った通り――グループに「Aqoursの新リーダーは今日から曜だよ」というメッセージが流されていた。
みんな、それに返信していて――反対する人は、誰一人いなかった。一応は、私がリーダーで大丈夫なのかな。
「1,2,3,4,1,2,3,4……」
果南ちゃんに代わって、私がみんなのダンスを確認する。前まではリーダーの千歌ちゃんの役目ではなく、果南ちゃんの役目だったけれど……
果南ちゃんが今までその役だったこともあって「リズム感抜群だし、せっかくだから曜もやってみたら」の一言でこうなってしまった。
「……はい、終わり」
「も、もうダメずら……」
「うゆ……」
いつものように、背中合わせで地べたに座る花丸ちゃんとルビィちゃん。
みんなへとへとのようだけど――でも、あともう少しやれば格段に良くなる気がする。ここでやめて休憩するのは、ちょっと惜しい気がした。
「ごめんっ、あと一回だけやってみよ!」
「ま、まだやるずらぁ!?」
「割とスパルタね……」
「あはは……みんなあと少しでもっと良くなると思うんだ。だから、ねっ」
花丸ちゃんの悲鳴と善子ちゃんのジト目を受け流しつつ、私はみんなにそうお願いした。
果南ちゃんや鞠莉ちゃんはともかく、1年生のみんなはかなり疲れ気味みたいだけど――でも、もうちょっと…… 「1,2,3,4,1,2,3,4……おっけ〜、さっきよりもっとよくなった! 休憩、はさもっか」
「「……はぁ〜」」
みんなが一斉にため息をつく。どうやら、少しやりすぎてしまったらしい――1年生のみんなはふらふらしていて、梨子ちゃんや3年生までもかなり息を切らしている。
「はあ、はあ……でも、曜の言う通りさっきよりかなり良くなったわね♪」
「そうですわね、さすがは曜さんですわ」
「あはは……なんだか恥ずかしいなぁ」
そう、鞠莉ちゃんとダイヤさんは私のことを褒めてくれた。私はちょっと恥ずかしくて、目を少しそらす。
「ま、マル、ちょっと倒れそうかも……先に図書室で休んでるね」
「ルビィも……」
「でも、今回は少しやりすぎだね」
ふらふらと階段を下りる花丸ちゃんとルビィちゃんを背に、果南ちゃんはため息まじりに笑う。
果南ちゃんの言う通り――もう少しよくなりそうだからって、疲れ切っている1年瑞カのみんなを無覧揩ノ動かしてしbワった。
「ごめん……」
「あ、謝ることじゃないよ。まだリーダーになったばかりなんだし、これからゆっくりやっていこう」
謝る私に、果南ちゃんは困ったようにそう言った。そうだ、千歌ちゃんに代わって私がしっかりしないと――
でも――ふと、こうも思った。私が本当に、千歌ちゃんの代わりを務められるのかな―― 図書室で休憩――1年生のみんなは、少し休んだら疲れは取れたようで、楽しそうに本を読んでいた。
でも――もし熱中症になってしまったら、少し休む程度では回復しないし……もうちょっと、練習の加減を考えないと。
「あ、また霊についての記述があるずら」
「なにそれっ、面白そうっ!」
「え〜っと……『守護霊の他にも、怨霊や地縛霊など悪さをするものもあり――時には、その人間に憑りつき乗り移り、一体化するような変わった霊もいるようだ』だって」
「……あんまり面白いとは言えなさそうね」
「善子ちゃんがもっと調べてみようって言ったくせに……」
「あ、あはは……」
3人は別のテーブルで、そんなことを話していた。少し離れたテーブルに梨子ちゃんと二人でいる私にも、その内容は聞こえてきて――
「人間に憑りつき、一体化する霊」――それを聞いて、どうしても考えてしまうことがあった。
幽霊として、私と別にいる千歌ちゃんじゃなくてもいい。もし、私に千歌ちゃんの霊が乗り移ってくれたら、私はきっと千歌ちゃんの代わりを務められるのに、って。
それに、千歌ちゃんと私が一体化――と言っても、どんな感じかわからないけれど。とにかく、そうなればずっと一緒に居ることもできるのに――
そして、Aqoursのみんなもきっと、それを望むんじゃないかって―― 「……ちゃん?」
「……」
「……曜ちゃん?」
「わあっ!?」
「わあっ、って……どうしたの? 何か考え事?」
「あっ、ううん……作詞でちょっと悩んでて」
梨子ちゃんの呼びかけに、全く気付かなかった。今考えていることを口に出すのは何となく憚られるようで、私は咄嗟に別の話をする。でも、それは嘘でもなかった。
――千歌ちゃんがいなくなってから、作詞については私が担当することになった。みんなが「曜ちゃんならきっといい歌詞ができる」と、そう言ってくれた。
でも、実際作詞を千歌ちゃんから引き継いでみると――なかなか、というか、かなり難しい。
こんなこと、1日や2日でどうにかなるものでないことはわかっていたけれど――やっぱりそれでも、作詞の難しさを実感する。
千歌ちゃんが私の横で歌詞を考えてくれていた時は、すらすらと書けていたのに――千歌ちゃんは、すごいな…… 「「……う〜ん……」」
「そ、そんなに本が嫌いなのですか……」
果南ちゃんと鞠莉ちゃんは相変わらずで、ダイヤさんは呆れたようにため息をつく。
「あはは……もうちょっと休憩したら、練習に戻ろう」
「「は〜い」」
私も私で、作詞が全くダメなんだけど――それに、ちょっと体を動かしたいし。
1年生のみんなが疲れ気味だったから、すぐには無理だろうけど――もう少ししたら、練習を再開しよう。
そして、それまでに何か少しでも作詞が進めば――そう思ったけれど、残念ながらそのビジョンは見えなかった。 屋上に戻って、練習を再開する。空には相変わらず厚い雲がかかっていて、太陽は朧に見えるだけだった。
晴れている時と比べると暑くならないから、良いことと言えばそうなんだろうけど――千歌ちゃんがいたころの快晴と比べると、イマイチ気分が晴れない気もした。
「曜、ここの動きはどうすればいいか意見くれる?」
「曜ちゃん、ここの歌い方なんだけど……」
「ち、ちょっと待って! 先に果南ちゃんからね、え〜っと……」
果南ちゃんと梨子ちゃんの質問はほぼ同じタイミングだった。先に果南ちゃんの方から対応する。
千歌ちゃんはこういう時も、同時にすぐ指示を出していたような――リーダーって、こんなにも大変なんだなと実感する。
「曜? この部分は……」
「曜ちゃん、ここは……」
鞠莉ちゃんやルビィちゃんの質問にも、私なりにゆっくり考えて答えを出す。
みんなは納得してくれたようで、実際にパフォーマンスは良くなったけれど――もっとテンポよく答えられたらな、とも思ってしまった。
「……よし、今日はおしまいっ。帰ろっか」
私の一言で、みんなは帰り支度を始める。みんな、疲れ切っていながらも、満足げな表情だったけれど――
私は――あまり満足できていなかった。千歌ちゃんならもっとこうしていたんじゃないか、とか、千歌ちゃんがいれば、とか――
――そんなことを考える自分が、少し惨めなように思えた。ぶんぶんと首を横に振る。そうだ、こんなことを考えてる場合じゃない―― 「……はあ……」
家に帰った後、シャワーを浴びて晩御飯を食べて……それから、作詞を進めようとずっと机に向かっていたけれど――どんなことを書いてもしっくりこなくて、結局は1文字も進まなかった。
この作詞をこなしていて、リーダーとしても活躍していた千歌ちゃんは――やっぱりすごい。今日何度も考えたことだけれど――どうしても、頭から離れないこと。
「……」
私は――千歌ちゃんに憧れていたのかもしれない。その周りを巻き込んでいく力にも、そしてリーダーとしての力にも――意志の強さにも。
私はよく「要領がいい」とか「なんでもできる」とか、そんなことを言われながら育ってきた――そうなのかなって疑問に思うことは多かったけど、そうかもしれないって思うこともないわけじゃない。
でも、私には――千歌ちゃんの持つような力は、ないんだと思う。周りに合わせたり、何かをこなしたりすることが得意だとしても――
千歌ちゃんにある周りを巻き込む力、強い意志――それらは、考えれば考えるほど……千歌ちゃんとの、かけ離れた差を感じた。
「……」
「――やっぱり、私は……千歌ちゃんの代わりには、なれないよ――」
「……私が、千歌ちゃんだったらな――」
私は、そう言って――目を閉じる。初めての慣れないリーダーで、疲れ切ってしまったのかもしれない。
千歌ちゃんの代わりが私に務まるのならば――私はきっと、その方が幸せだと……そう、思いながら。 次の日、私は目を覚まして――時計を見たら、もう既に約束の時間を過ぎていた。
「うわっ、マズい!」
慌ててベッドから飛び起きて、急いで身支度を済ませて部屋の扉を開ける。
階段をどたどたと下り、勢いよく走りだす。それは相変わらず、曇ったままだった。
「はあ、はあ……もう、みんな待ってるよね……」
バスを降りた後、急いで学校への道を走る。心なしかいつもより早く走れている気がして――疲れも若干、感じにくくなっている気がした。
今日は調子がいいのかな……なんて思いながら、廊下を走って、屋上の階段を登って――
「ごめん、お待たせっ」
肩で息をしつつ、みんなに向かって大声で謝罪する。リーダーが遅れるなんて、一番やってはいけないことだった。
その声に気付いたみんなは――驚いたような表情で、私の方を見つめていた。
少しの沈黙が流れた後、梨子ちゃんが口を開く。
「あの……曜ちゃん。その髪型は……」
「……へ?」
髪型――朝、歯を磨いてる時とかは、急ぎすぎてて気づかなかったけれど……何か寝ぐせでもついているのかな。
そう思って、頭頂部のあたりに手をやってみたら――明らかな違和感があった。
「曜……千歌みたいに毛が立ってるけど」
「曜ちゃん、鏡……使う?」
果南ちゃんは、なんとも神妙そうな表情で私の頭を眺めていた。ルビィちゃんが貸してくれた鏡を使って、自分の頭を映してみると―― 「えっ、なにこれ……アホ毛みたいなのが立ってる!?」
――それはいわゆる、アホ毛というものだった。千歌ちゃんの頭と全く同じような毛が、ぴょこんと上に伸びている。
寝ぐせにしても、随分おかしな寝ぐせだったけれど――そんなことはともかく。
「……って、とりあえず練習始めよっか。私のせいで遅れちゃったし」
髪型についてはあとで直そう、とりあえず遅れた分を取り戻さないと……そうみんなに声をかけて、ダンスの練習を始める。
「1,2,3,4,1,2,3,4……よし、おっけ〜」
とりあえず見た感じだけど、みんなは昨日と変わらず良いパフォーマンスが出来ているように思えた。
あとはあの部分を改善して――そんなことを考えていたら、昨日のように果南ちゃんと梨子ちゃんからほぼ同じタイミングで質問をされた。
「曜、ここのリズムは……」
「このステップはどうすればいいかな?」
「果南ちゃんは……これでいいと思う。梨子ちゃんは……こんな感じかな」
――自分でも驚くほど、すらすらとアドバイスが出てくる。まるで、千歌ちゃんがリーダーだった時のように。
果南ちゃんと梨子ちゃんも驚いたようで、お互いに顔を見合わせていた。
「曜……昨日とは全然違うね」
「まるで、千歌ちゃんみたい……」
「えへへっ、そうかな?」
そういえば、昨日はゆっくり考えてアドバイスしていたっけ。1日でこんなに変わるとは、自分でも思っていなかった。
千歌ちゃんみたい――私はそう言われたのが嬉しくて、つい顔をほころばせる。
でもその時、果南ちゃんと梨子ちゃんは――少し複雑そうな表情をしていた。 図書室での休憩、私は梨子ちゃんと同じテーブルで作詞にあたっていた。
1年生のみんなはいつも通り真面目に本を読んでいて、3年生のみんなは――いつも通り、ダイヤさん以外、退屈そうにしていた。
「え〜っと、ここは……」
「曜ちゃん……すごいね、そんなにすらすら書けるなんて……」
梨子ちゃんからそう声をかけられる。確かに、昨日とは打って変わって今日はすらすらと書きたい歌詞が思い浮かんでくる。
もちろん、行き当たりばったりな面もあって――書いては消しての繰り返しはあるけれど。それでも、昨日とは全く違った。
「……なんかね」
「うん、どうしたの?」
「私の横に、千歌ちゃんがいてくれた時のように――千歌ちゃんが私に『ノートにこう書いて』って指示してくれたように、今私も書けるんだ」
「……そっか」
私は、梨子ちゃんの方を見てにこっと笑ったけど――梨子ちゃんは、困ったようにそう短く返した。
また、歌詞を書くノートに目を落とす。次は、こんな感じで書けば――でも、そろそろ練習に戻ろうかな。 「……うん、おっけ〜。今日は終わりだね」
「はあ〜……」
「果南はやっぱりハードね……」
ダイヤさんは大きく息を吐き、鞠莉ちゃんは逆に大きく息を吸う。今日の後半は、果南ちゃんにダンスを見てもらうために役を交代していた。
「果南ちゃん、私はどうだった?」
「ん? いいと思うよ、ただ……なんだか千歌っぽいダンスというか、曜の良さが無くなっちゃってる気もするね」
果南ちゃんはそう言って笑うと、厚い雲がかかった空の方へと視線を泳がせる。私のダンスが、千歌ちゃんっぽい――自分ではそうは思わなかったけれど、どうやらそうらしい。
果南ちゃんが言うなら、きっと間違いはないことなんだろうけど――私の良さが、無くなってる……
「……さ、みんな準備できたかな? 帰ろっか!」
私の言葉に、みんながうなずく。いつものように階段を下って、いつものように帰り道を歩く。
違うことと言えば、私の髪型がおかしくなっている事と――少し会話が少なかったこと、その二つだった。 次の日も、その次の日も――私は、リーダーとしてみんなを指揮する。
千歌ちゃんの代わりになれれば――千歌ちゃんのように立派にリーダーをできたら。そんな思いを胸に、私は進んでいこうとした。
でも――最初の方こそうまくいったけれど、最近はうまくいかなくなってきた。
みんなのパフォーマンスが落ちていたり、私自身も思うように踊れなかったり――そんな日が続いていく。
やっぱり、私にはできないんだろうか――そんな風に思ったこともあったけれど。
千歌ちゃんが私に託してくれた遺志を無下にしたくはなくて――私なりに、試行錯誤していった。
それでも、やっぱりダメで――練習を終えた今日も、少し暗い空気が流れていた。 1レスが長すぎるな。
曜の心理描写が多すぎて話のテンポが悪い。ぶっちゃけ飽きる
文章は綺麗だし、これだけの分量書けるだけでも技術力は高いと思う。
セリフと地の文のバランスを逆にする位が読みやすくなると思う。
キャラの感情がイマイチ伝わってこない。熱を感じない。
悪く言うとキャラの特徴をなぞっているだけだ。
ざっと読み飛ばしたけど技術的なことはこの位かな。内容はスキに書けばいいよ。頑張って👍 十分面白いと思うけれどね。高尚な批判をなさっておられる方々はさぞ立派な書き手さんなんでしょうね。お手本となるSSを読ませてくださいな。
死ネタはまあ人によっては不快だろうけれど、最後まで読んでそれが無駄な死であるならば批判なり非難なりすれば良い。 >>141 おまえそんな前からss作者にマウント取って自尊心を満足させることしてんの?マジ冗長だなおまえの人生 無駄しかねえよ。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています