海未(30)「運命じゃない人」
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西木野家はクローン技術を引っ提げて財閥化でもしたのか 絵里「だいたいね」
絵里「一方的にこっちを振って、半年も音信不通の彼女の荷物を未だに保管し続けてるのがいけないのよ」
絵里「断言してあげる。あの子はもう二度とあなたの前に現れることはないから」
絵里「捨てちゃいなさい。そしてそのぐじゅぐじゅした未練もすっぱり断ち切っちゃいなさい」
ううっ…なにもそこまで言わなくても。
というか荷物のこと何で知ってるんですかぁ。
海未「ことり……荷物のこと、何か言ってましたか?」
絵里「へ? ああ、いえ別に。どうして?」
海未「新しい住所が決まったら送ってくれと、頼まれていたので……」
絵里「………ああもぅ」 絵里「ナンパいきましょうか」
唐突に突拍子もないことを言い出しましたよこの女。
海未「ナンパって……学生じゃないんですから」
絵里「学生じゃないからするのよ。さっきの話聞いてた?」
海未「し、しかし私は絵里と違って、ナンパのセンスやテクニックといったものが無いですし…」
絵里「人と出会うのにテクニックなんて要らないわよ。必要なのは勇気と根気」
絵里「見てて。ちょっと実演するから」
そう言って真後ろを振り向くと、そこに座っていた女性にあっさりと声をかけてしまいました。
絵里「ねえあなた、お一人さま?」
雪穂「へ…?」 絵里「へえ、雪穂ちゃんっていうんだ。よろしくね」
雪穂「はい、こちらこそ」
こんなにあっさり……。絵里の言うことにも一理あるのかもしれません。
いや、見知らぬ方とはいえ、ナンパというかあくまで女子会的なノリでの誘いでしたけどね?
絵里「私は絢瀬絵里。友達はよくエリーって呼ぶわ。ハーフじゃないわよ、クォーターなの」
絵里「こっちは園田海未。堅物そうでしょ。実家は道場やってるのよ。ね、海未?」
海未「へ? あ、はい、そうですね…」
絵里「雪穂ちゃんはなに頼む? 私はこのハンバーグが美味しくて好きなんだけど」
雪穂「あ、じゃあ私もこれにしよっかな…」
しかし初対面でよくここまでぐいぐい話しかけられますねえ……。
絵里「あ……ごめんなさい」
絵里「私、ちょっとお手洗い行ってくる」 ――――
――
海未「……」
雪穂「…もぐもぐ」
海未「あ、あの」
海未「それ、ちゃんと美味しいですか?」
雪穂「あ、はい」
海未「……」
雪穂「…もぐもぐ」
き、気まずい……。絵里は何をやっているのでしょう。
いえ、人のせいにしちゃダメです。こういう時はもう一人が場を繋がないと。
でも一体何を話せばいいんですかね。趣味のこととか?
しかし会ったばかりの方に登山の素晴らしさを説いても微妙な顔しかされないのは身に染みていますし。
はあ……どうしましょう。これだから私は
雪穂「ふえ……ぐすっ、うぅ」 海未「あ? え? ど、どうされました?」
やっぱり美味しくなかったのでしょうか?
雪穂「すびばせん……何でもないですから、えっく」
何でもなくはないでしょう……。
この場合どうすれば……ええいままよ!
とりあえず彼女の背中をさすることにしました。
雪穂「ふっ、うぅぅ…ぐす」
さめざめと泣き続ける彼女と一心不乱にさすさすする私。
そんなテーブルに赤毛のウェイトレスが近付いてきたかと思えば、
「お済みのお皿お下げしてもいいかしら?」
こんな時くらい空気読んでください! ・
・
・
海未「落ち着きましたか?」
雪穂「もう平気です」
雪穂「急にごめんなさい。びっくりしましたよね?」
海未「いえ、大丈夫ならそれで何よりですが」
雪穂「………」
雪穂「別れてきたんです。婚約してた人と」
海未「えっ」
雪穂「その子、前々から遊び慣れてる感じはしたんですけど」
雪穂「ある日、それ用のケータイを見つけちゃって」
雪穂「見たら、やっぱり私以外にも女の子たちがたくさんいて……あ、相手も女性なんですけど」
雪穂「……気味悪いですよね、いきなりこんな」
海未「そんなことないです!」 海未「じ、実は私も半年前に似たようなことがありまして…!」
海未「結婚を約束していた彼女に、ある日突然出ていかれてしまって」
海未「だから、気持ちは分かります!女同士でも、気味悪くなんか全然ないです!」
雪穂「や、そういう意味で言ったんじゃないです」
雪穂「会ったばかりの人間が、急に泣き語りし出したら気味悪いかなって」
雪穂「私は、好きになった人がたまたま女性だっただけなので」
雪穂「別に根っからの同性愛者とかではないんです。すみません」
海未「……さいですか」
うああ……。
やってしまいました。居たたまれない空気に逆戻りです。
海未「あの、私、ちょっと友人の様子を見てきますねっ」
思わず逃げるように席を立ってしまいました。
プルルルルルルルル
『もしもし?』
海未「絵里!トイレにもいないし、今どこですか?」
『どこって……急に仕事入っちゃったのよ』
海未「はあ? 彼女はどうするんですか」
『どうって……あなた、うまくやりなさいよ』
これは――もしかして、嵌められた?
海未「絵里、あなたまた余計なお節介を」
『ちょっともう切るわよ。頑張りなさいよ、せっかくのチャンスなんだから』
海未「あ、もう…!」 海未「すみません。彼女、戻ってこないみたいです」
雪穂「へ?」
海未「なんだか仕事が入ったそうで」
雪穂「これからですか?」
海未「ええ。実は…」
海未「探偵なんですよ。絵里は」
海未「素行調査のために普段から尾行や張り込みを……ぁ」
迂闊でした。今浮気を連想させる話題はNGだったかもしれません。 海未「……重ね重ね申し訳ありません」
海未「絵里があなたに声をかけたのも、実のところ私のためだったんです」
雪穂「?」
海未「さっき聞かれたと思いますが、私半年ほど前に恋人だった女性に振られまして」
海未「それでずっと落ち込んでたところを、今日も彼女が色々と世話を焼いて元気づけようとしてくれて」
海未「その流れで何故か、女の子をナンパしようという話になりまして……」
海未「あの、ですから…それ、食べたらもう解散ということでも、一向に構いませんので」
海未「もちろんお代はお支払いします、失礼したお詫びに。不快でしたよね、こんな相手と同席なんて…はは」 雪穂「……園田さんは」
雪穂「園田さんは、同性愛者なんですよね」
海未「え、ええ…まあ」
雪穂「同性愛者の園田さんから見て、私って魅力ありますかね?」
海未「へ? それは、えっと」
雪穂「やっぱり、ない感じですよね……私なんか」
海未「や、そんなことありませんよ? じゅうぶん、魅力、あると思います…よ?」
雪穂「………」
ああ、また俯いてしまいました。私の不用意な発言のせいで。
傷付いて、悲しくて、泣き出したいのに泣けない。
この辛さは痛いほどよく分かっているつもりです。
何とか元気を出してもらわないと……。 海未「甘いものって、好きでしょうか」
雪穂「ふぇ…?」
海未「ほら、辛いことがあった時って、甘いものを食べると割と気がまぎれるじゃないですか」
海未「ここって、トマトケーキとか有名なんですよ。雑誌とかで紹介されるくらいに」
海未「あ、ちなみに今日は私の誕生日で……ってそれは関係ないですけど」
海未「どうせ私の奢りですから、好きなだけ注文しちゃってください」
海未「私のことは、お金を出す置物とでも思ってもらえれば……」
雪穂「………」
海未「ですから、目の前にいるのは置物なので」
海未「泣きたい時は、構わず泣いてもいいんですよ?」
海未「置物相手ですから。気兼ねなく」
雪穂「………ぷっ」
雪穂「なんですか、それ」
雪穂「でも…ありがとうございます」
よかった……。
正直自分でも何を言ってるのかよく分からなくなりましたが、少しだけ笑ってくれました。
化粧っ気を感じない、少々地味な顔立ちですが。その笑顔、とってもチャーミングだと思いますよ? 【3月16日(土) 00:30 海未のマンション】
雪穂「色々すみません。迷惑かけることになっちゃって」
海未「いえ、このくらい。私は気にしてませんよ」
あの後、私たちはスイーツをつつきながら、ぽつぽつお互いの話をしました。
彼女……雪穂さんは、元婚約者のために仕事を辞め、貯金も相手の名義にしていたので、すごく悔しかったこと。
家族は近頃ほとんど連絡を取っていない姉が一人だけで、出来れば彼女には頼りたくないということ。
今晩行く当てがないとのことなので、うちでよければ泊まりませんかという流れになったのです。
閉店時間ぎりぎりまで話し込んでしまって、電車もありませんでしたし。 レストランからマンションまでの道中でも、私たちはぎこちない会話を続けていました。
途中、妙なやる気を出してしまった私が、よせばいいのに自転車に二人乗りを勧め、
案の定慣れていなかったため、坂道で軽い暴走状態となって飛び出した車道で、
『便利屋にこにー』と書かれた軽トラに轢かれそうになり、運転手の方に怒鳴られるという失態もありましたが。
それすらも笑って流せるほどに、二人ともリラックスできていたのです。
マンションのエントランスに踏み込んだ雪穂さんは一言「お城みたい」
私はまたテンパって、「お城みたいと言っても、変な下心はないですから」と余計な一言。
彼女ははにかんで「分かってます。園田さんはいい人ですから」
いい人ですか……。ちょっと切なくなりますね。
海未「この部屋を使ってください」
海未「着替えとかは……あ、持ってますか」
海未「ベッドもあります。私は向こうで寝ますので」
海未「お風呂入りますよね? 今沸かしてきます」
雪穂「ありがとうございます。何から何まで」
海未「いえいえ、どうせ空き部屋なんです」
そこで私は、壁際の段ボールやハンガーにかかった服をちらりと一瞥し。
雪穂「あ……例の、ことりさん、でしたっけ」
海未「一週間くらいしか使われてないんですよねぇこの部屋」
ここを買って、すぐ出ていかれちゃいましたから。 海未「今度、結婚するそうなんです。彼女」
海未「出ていく時、他に好きな人が出来たと言ってましたから。多分その方と」
雪穂「…ひどい」
ぽつりと漏れた言葉の深刻なトーンに、ややたじろきながらも。
海未「私は…仕方ないかなと諦めてます」
雪穂「仕方ないですかね?」
海未「こういうのは、気持ちの問題ですから」
海未「別に、契約書とか書いてもらったわけでもないですし」
愛想笑いを浮かべようとして、上手くいきません。
彼女はまた下を向いていました。
雪穂「今でも…その人のこと、好きですか?」
海未「………はい。好きです」 そう口に出した途端、ことりとの思い出の記憶と、彼女への複雑な想いがない交ぜになって
心にフラッシュバックし、どうにもならなくなった私は、しばし押し黙ってしまいました。
その間、雪穂さんも同じように沈黙したまま。彼女が何を思っているかは分からないですけど。 海未「……とにかく遠慮せずに使ってください。私はお風呂を沸かしてきます」
胸の苦しさも限界に達し、この部屋という彼女の思い出から逃げ出したくなって、私は足早に立ち去ろうとし
海未「え――」
ぎゅっ――と抱き締められて、心を繋ぎ止められました。
雪穂「……」
海未「あ…」
密着した身体から、彼女の体温が、鼓動が、心の温度が、私の中に流れ込んできて。
その時初めて、この人も今の私と全く同じ心の動きを共有しているんだということに気付けたのでした。
抱擁というよりは、しがみ付くようなその抱き方で、私たちは自分自身を抱き締め合っていたのです。
いつまでそうしていたでしょうか。
雪穂「……っ、すみません」
唐突に、はっとしたような顔で雪穂さんは離れました。
海未「いえ……どういたしまして」
どういたしましてって何ですか!? この言語野機能不全!
って、なんでこんなテンパってるんですか私は!?
だって、彼女が温かくていい匂いだったから……
海未「お風呂…!そう、お風呂!入れてきますねっ」
たちまち上気した顔を見られぬよう背けながら。
久しく感じていなかったときめきと、他人と初めて心の底から通じ合えたような興奮とを上手く処理できず、
それでも確かな高揚感に浮かれながら、私は思い出の鳥籠を飛び出したのです。 ――――
――
風呂炊きが完了する頃には、時計の針は深夜1時を回っていたでしょうか。
私は両手に入浴剤の袋を持ち、部屋の扉をノックしました。
「は、はい?」
海未「ちょっといいですか? 温泉の素があるんですけれど」
海未「『湯あたりミルキィ三森の湯』と『地獄オペラ鈴湖温泉』でしたら、どちらが…」
ピンポーン
……誰でしょうこんな時間に。
まさか絵里?
海未「はぁ――い?」
恐る恐る開いた玄関ドアの向こうで、困ったような笑みを浮かべていたのは
ことり「ごめんねこんな時間に…元気だった?」 海未「こ、ことり…!?」
ことり「ちょっとあがってもいい?」
海未「………えっ、今で」
すかと言い終える前に、彼女はするりと私の脇を抜けて、
もう靴を脱ぎ始めていました。
ことり「なんか、ごめんね?」
ことり「置いてったことりの荷物、取りに来たんだぁ」
海未「いっ今じゃないと駄目なのですか?」
ことり「うん。ホントにごめんね」
海未「ちょ、待ってくださ」
ことり「あ……」
雪穂「………」
ボストンバッグを抱えた雪穂さんが、俯き加減で廊下に立ってました。
ことり「………なんか、ごめんねぇ?」
なんですかこの状況……。 ことり「お邪魔…だったよね? 私、すぐ出ていくから」
雪穂「ちょっと勝手すぎませんか」
ことり「……?」
相変わらず困ったような笑顔のまま、不思議そうに小首をかしげることりに向けて、かすれた声で
雪穂「この人捨てて、荷物も置きっぱで出ていって、それでこんな時間に取りに来ましたって」
雪穂「あなた自分の都合だけで生きてるんですか?」
雪穂「人の気持ち、考えてくださいっ」
ことり「………」
ことり「でも、あなたには関係ないよね?」
雪穂「……」
雪穂「私、行きます」
雪穂「お邪魔しました」 あっ、と言う間もなく、雪穂さんは私の脇をすり抜けて、
玄関から出ていってしまいました。
ことり「……なんか、ごめんねぇ?色々と」
ことり「それで、荷物なんだけど」
海未「取ったら出ていってもらえますか」
ことり「うん?」
虚を突かれた様に、その潤んだ瞳をぱちくりさせたことりに、私は言い放ちます。
知らずのうちに、両手の入浴剤を強く握りしめていました。
海未「荷物取ったらすぐに出ていってください」
海未「必要なものは全部。残りは捨てますので」
海未「………さようならっ」
それだけ伝えて、私は玄関から飛び出しました。
拍子に温泉の素が片方、掌からすっぽ抜けて、外の手すりの向こう側へ落ちていきました。 ・
・
・
探し人は思いのほか簡単に見つかりました。
マンションを出てすぐの車道沿いで、今まさにタクシーに乗り込もうとしていたのです。
海未「待ってください!」
彼女は私に気付くと一瞬驚きの表情を浮かべ、それからすぐ顔を背けました。
海未「どこへ行こうというのですか…!こんな時間に」
雪穂「……ホテルかネカフェ探すので、大丈夫です」
海未「しかし」
雪穂「やっぱり、図々しいと思ったんです。さっき会ったばかりの人に泊めてもらうなんて」
雪穂「図々しい女には……なりたくないです」
海未「………」 雪穂「それに、さっきはああ言ったけど」
雪穂「あの人、園田さんに何か別の用があるんじゃないかって」
雪穂「だって変ですよね? こんな時間に、荷物だけ取りに来るなんて」
雪穂「きっと、何か話とか、あるんじゃないかな」
海未「話…とは」
雪穂「戻ってきたんじゃないですか?」
雪穂「なんとなく……そんな気がします」 海未「………そんなわけ」
雪穂「ないですかね?」
雪穂「もし、園田さんみたいな優しい人が恋人だったら」
雪穂「私、そんな簡単に忘れられるとは思えないんです」
海未「え……」
雪穂「とにかく、もう戻ってください」
雪穂「まだ好きなんでしょ? あの人のこと…」 海未「………」
海未「好きじゃないです」
そこで初めて、彼女はこちらを向いて。
雪穂「さっきは好きだって言ってたじゃないですか…」
海未「さっきまでは好きでしたが、今はもう違うんです」
これが今の私に出来る精一杯でした。
けれども、彼女は迷惑そうに眉をしかめ。
どうしてそんなこと言うの?とでも言いたげな顔で、車のシートに滑り込んでしまい。
海未「ぃ、行かないで…」
雪穂「……誰でもいいの?」 雪穂「少し前に会ったばかりなのに」
雪穂「私がどんな女なのか、これっぽっちも知らないくせに…!」
雪穂「ちょっと優しくされただけで……自分になびくかもって思ったら、誰でも好きになるんですか?」
海未「っ……」
雪穂「おかしいですよ……そんなの」
雪穂「今日は………色々すみませんでした」
バタン、とこんな時に限って空気を読んだタクシーのドアが、私を彼女からシャットアウトし、間髪入れずに発進。
『駄輪運送』と書かれた車体がみるみる遠ざかっていきます。
海未「はぁぁ………」
結局こうなるんですね。でも仕方ないです。
だって、運命じゃなかったんですから。
いえ、逆に考えれば、こうなるのが運命だったということでしょうか。
つまり、彼女が私の運命の人ではないのが運命だというわけで。
運命じゃない運命。
諦めて、さっさと忘れてしまうのが正解ですよね……。 その瞬間、頭の中に、数時間前の友人との会話が蘇りました。
きっかけやタイミングは自分で作るのよ――
その言葉は稲妻となって私の中を駆け巡り、
気が付けば私の足は、タクシーを追いかけて全力疾走していました。 なぜでしょう。なぜ私はこんなことを?
内気な私はずっと受け身で生きてきました。
流されるまま、これではいけないと思いつつも、自ら一歩を踏み出すことを恥ずかしいと躊躇し、
ここで動けば何か変わるんじゃないかという状況でも、足を動かすことをせずにきました。 あの時彼女は、怒ってくれたんです。
身勝手なことりに向かって、私の気持ちを考えろと。
たとえそれが、私の境遇を自分のものと重ね合わせた上での、彼女自身のための怒りであったとしても、私は嬉しかった。
貴女ともっと話をしたい。貴女のことをもっと知りたい。
そう思えた人との繋がりが今、永久に絶たれようとしている。
諦めるのですか? タイミングが無かったからという、ただそれだけの理由で? 私は走りました。
走って走って走って、昨日までの臆病な自分を振り切ろうとしました。
これまでの私は、他人に正直に、自分にはずっと嘘をつき続けてきました。
これからは、私自身にも正直でありたい――それだけが、勇気の理由でしょうか?
初めてなんです。こんなにも熱く激しく、何かを求める力が、私の中で渦巻いている。
わけのわからぬ大きな力が足を動かし続け、やがて目の前に赤い光が見えてきました。
タクシーが交差点を曲がろうと減速しています。
私はヘッドライトの中に飛び込みました。 車を急停車させた赤毛の運転手が、苦い顔でこちらを睨んできます。
それには構わず、ぜいぜいと肩で息をしながら、私は後部席側の窓を叩きました。
今しがた全力疾走を終えたばかりの人間の顔面がどういう状態になっているかは想像に難くありません。
シートの彼女は、ホラー映画の殺人鬼に追い付かれた犠牲者のような表情で固まっています。
構うもんですか。当たって砕けろです。やる前から諦めるよりはいい。
もう一度コンコンすると、彼女は窓を開けてくれました。
海未「LINEを……」
海未「もしやっていなければ……電話番号で結構ですので」
雪穂「へ…?」
海未「電話番号です……!」
海未「このままでは、もう二度と会えなくなってしまいますから……」
海未「電話番号、教えていただけないでしょうか?」 海未「貴女とは、少し前に会ったばかりです……」
海未「貴女のこと、全然知らないです………けれど」
海未「それでもまた会って、話がしたいのです…!」
雪穂「……」
海未「気味、悪いでしょうか」
沈黙。
俯いた彼女の視線の先に、何かが差し出されました。
「電話番号くらい教えてあげたらー?」 気だるげな声色で、赤毛の運転手がボールペンを振ってみせます。
って、紙がないじゃないですか!
そこで自分が、右手にずっと温泉の素の袋を握りしめたままなことに気付きました。
もう片方のはどこかへいってしまったのに、何故かこれだけは放さずここまで来たのです。
海未「よろしければ、この裏に……」
ややあって、こくんと頷くと、私たちから差し出されたものを受け取り、
彼女はおずおずと手を動かし始めました。
やれやれ、とでも言いたげなジト目で運転手がこちらへ目配せし、私は軽く頭を下げました。 ――――
――
タクシーの赤いテールランプが、見えないところまで遠ざかっていきます。
けれども、私と彼女の関係はそうじゃありません。
ついにやりました。
不肖、恥ずかしがり屋の園田海未は、とうとう一歩を踏み出すことに成功したのです!
私は人目もはばからず万歳し、その場で小躍りしてくるくる回り続けました。
車道のど真ん中だったため、後から角を曲がってきた白いクラウンにクラクションを鳴らされ、慌てて道を避けます。
それしきのことで、今のこの余韻に水を差されたりはしませんでしたけど。 ですから、この時の私は気付かなかったのです。
タクシーと同じ道を行くクラウンの助手席で、“彼女”が頬杖をついていたことに。
今夜、私のすぐ近くで展開していた、もう一つの物語に。 金曜
ロードショー
ラブライブ!× 運命じゃない人 【3月15日(金) 18:40 KKE探偵事務所】
ズドラーストヴィチェ、エリーチカよ。こう見えて私立探偵やってます。
よく人は30を過ぎると胸の辺りにある恋のキュンキュンマシーンが故障するって言われてるけど、
私はそうは思わない。
私のマシーンは今も現役バリバリ、昔と変わらず恋多き乙女のままだもの。
でもね。こんな稼業を続けてると、マシーンの好不調にかかわらず、
恋だの愛だのって感情が人を不幸せにする場面ばかり見ることになる。
今も、事務所のソファにはそれを体現する存在が居座っていて。
ことり「絵里ちゃん久しぶり」 絵里「アポイントメントもなしに突然誰かと思えば」
絵里「よりにもよってあなたとはね」
ことり「電話したんだけどね。出なかったから」
絵里「――で、何の用?」
ことり「ちょっと助けてほしいの」
ことり「かしこくてやり手の探偵さんに」
おねがぁいと、甘ったるい声と仕草で困ったような笑顔を向けてくる。
生まれつき一挙手一投足がコケティッシュの塊みたいな彼女にかかれば、
九割方の人類は言うことを聞いちゃうんじゃないかしら。
私には通用しないけど。
絵里「私じゃなくて、東條組の組長にでも泣きつけば?」
絵里「やり手の結婚詐欺師さん」 絵里「海未から、あなたが突然いなくなったって聞いて探したのよ」
絵里「万一分からなかった時にがっかりさせたくないから内緒でね」
絵里「そしたら出るわ出るわ悪女の遍歴が」
ことり「わぁ、これ全部私の資料?」
絵里「被害者リストの一部よ」
ことり「………はぇぇ〜こんな前のことまで。探偵さんって凄いんだね」
犯罪歴の分厚いファイルを、まるで思い出のアルバムでも眺めるような顔でめくってる。
私は嫌味の一つでも言ってやりたくなって、
絵里「あなた本当は海未とタメだったのね」
絵里「ダメよ、10歳近くもサバ読んじゃ」
ことり「ん。でもそう見えたでしょ?」
ぐぬぬ……。 ことり「あれ? この人からは300万円しかもらってなかったっけ。もうちょいいけたかな…」
絵里「……」
絵里「でもあなた、海未からは一銭もとってないわよね」
絵里「どうして?」
ことり「だって海未ちゃんいい人すぎるんだもん」
ことり「あまりにも真っ直ぐで、なんだか申し訳なくなっちゃって」
絵里「白々しい嘘を言わない」
ことり「マンションの頭金」 ファイルの一番後ろから、半年前に私が撮ってプリントした写真の束が滑り出した。
例のお城チックなマンションに引っ越した当日の二人を撮影したやつ。
エントランスや部屋の前、表札を指さして浮かれる海未と、どこか真顔で白けた様子のことり。
ことり「海未ちゃんたら先走って、貯金ぜーんぶはたいてあそこを買っちゃったの」
ことり「驚かせたかったって私に相談もなしに。確かにサプライズだったな」
絵里「文無しに用なしで、はいサヨナラってワケ。切り替えの随分早いこと」
ことり「お別れのタイミングが大事なの」 ことり「それで」
ことり「ことりのこと、ここまで丸裸にしておいて。今まで何もしてこなかったのはなんで?」
ことり「それとも、これから何かされちゃうのかな?」
絵里「もちろん居場所は突き止めてたわよ」
絵里「でも、ヤクザの所じゃねぇ」
高級レストランで隠し撮りした写真を提示する。
この子と一緒に映っているのは、胸元の開いた派手な紫シャツにオーダーメイドの白スーツでめかし込み
レイバンのサングラスにロレックスやら金ブレスやらをじゃらじゃら付けた“いかにも”な風貌の女性。
絵里「今のあなたの相手、あの東條組の組長さんでしょ? 組長の女にいちゃもんつけに行く度胸はないわ」 東條希。
私と同い年という若さで自分の組をもつに至った謎の女。
察するに、恐ろしく権謀術数に長けた超やり手のビジネスヤクザってトコかしら。
実際、金払いも普段の人当たりもとても良いそうだし。
ことり「ふふ…じゃあ今がチャンスかもね」
ことり「実はね、その希ちゃんの所から逃げてきたの」 絵里「あなたの言う、お別れのタイミングってやつ?」
絵里「ヤクザ相手には通用しないわよ、それ」
ことり「知らなかったんだもん」
ことり「希ちゃん、自分は実業家だって言ってたし。ことりは騙されたんです」
絵里「ご愁傷様」
絵里「あなたと私もここが別れ時みたいね。ダスビダーニャ」
ことり「そんなこと言わないで。ことりを逃がすの手伝って、おねがぁい」
ことり「ちゃんとお礼もします。私が持ってきたカバンの中身気にならない?」 気にならないわけないじゃない。
事務所に招き入れてからずっと、私はトラブルの予感がするそれを見て見ぬ振りし続けてきた。
ことりみたいな女の子には似つかわしくない、大きくてごつごつしたアタッシュケース。
ああ、お願いだからそれを開かないで……!
――蓋の下から顔を出したのは、ビニールに包まれた大量の札束。
絵里「……あなたヤクザ舐めると長生きしないわよ」 期待しかない。
無理のないペースでよろしくお願いします>筆者様 ことり「舐めてませんっ。だから外国に高飛びしたいの」
ことり「でもね。困ったことに私のパスポート、半年前に海未ちゃん家に置いてきちゃったままで」
ことり「それで絵里ちゃんなら取ってこれるかなーって」
ことり「お願い絵里ちゃん。もう一度、海未ちゃんとことりを繋ぐ愛の運び屋さんになって?」
ぬけぬけとこの子は。そんなこと私が本気で手伝うとでも……あれ?ちょっと待ってよ。
絵里「あなたいつ逃げ出してきたの」
ことり「ついさっきだよ」
絵里「私に電話したって言ってたわよね。番号教えてないはずだけど」 ことり「前に事務所の名刺もらったことを思い出して。ほらこれ」
絵里「ケータイも出して。履歴消したいから」
ことり「なんで?」
絵里「なんでって……あなたが捕まった時に、私までいらん巻き添えを食いたくないからよ」
ことり「あ、なるほど。抜け目ないね」
あなたよくここまでやってこられたわね。 ことり「でも無理かな」
ことり「ケータイ、希ちゃんの事務所に置いてきちゃったの」
………は?
ことり「希ちゃんに渡されたやつだし。持ってたらかかってきちゃうと思って」
絵里「なっ…」
絶句した私を、相変わらずニコニコしながら不思議そうに見つめてる。
この子、自分がなにしくさったか分かってるの? 【3月15日(金) 19:45 海未のマンション前】
絵里「部屋の明かり無し。海未はまだ帰ってないみたいね」
ことり「じゃあ助けてくれるんだね? や〜ん嬉しぃ」
絵里「………それ。全部で幾らあるの」
ことり「一束400万円が5コで、2000万?」
絵里「よくとってこれたわね。金庫とかに入ってなかったの?」
ことり「希ちゃんがお金をしまう時ね。暗証番号、後ろから覗き見してたの」
絵里「はぁぁー」
2000万円か……。なんでこの子、事の重大さが理解できてないのかしら。 絵里「あのね。半年前に私の親友を裏切って」
絵里「今またきな臭い雰囲気全開で現れたあなたを事務所に通したのは何でだと思う?」
絵里「海未のためよ。あなたが何かトラブって事件になって新聞沙汰にでもなったら」
絵里「海未はあなたの正体を知って酷く傷付くでしょう。そんなのは見たくないの」
ことり「私のこと話してないの?」
絵里「言えるわけないじゃない! ただでさえ死ぬほど落ち込んでるのよ? あなた海未の性格知ってるわよね!?」
ことり「あ…そっか」
絵里「そっかじゃないわよ…」
ことり「………あれ? じゃあそんな理由で私のこと助けてくれるの?」
この女……本当に同じ生き物なのか疑わしいんだけど。
まあいいわよ。そっちが納得するような理由もちゃんと用意してあるもの。 絵里「100万よ」
絵里「迷惑料込みで100万頂くわ。それでやってあげる」
ことり「…………くすっ。いいですよ」
やっと得心がいった顔でケースからお金を出そうとするもんだから慌てて止めたわ。
絵里「ちょ、何やってるの!そのお金には触らないで」
絵里「2000万は返すの!組長のところに」
ことり「えぇ〜?」
絵里「こっちがえぇ〜よ。あなたヤクザの怖さがまるでわかってないのね」
絵里「面子潰されてお金もとられたやつらは地の果てまで追いかけてくるわよ」
絵里「それこそ私みたいな調査力とネットワークを総動員してね」
そんなことになったら、まず疑られるのは発信履歴の先頭にばっちり残ってるこの私なのよ。
絵里「あなたは確実に捕まっちゃう。逃げられるわけ無いじゃない」 絵里「だからこのお金は返す。そしたら向こうも本気で追うことはしないでしょ……多分」
絵里「人を探すのって意外とお金がかかるもの」
ことり「――やっ」
ことり「そんなの知らないもん。100万円払うんだからなんとかしてよ」
絵里「もしもし警察ですか」
ことり「待って待って!よく話し合お? 幾らならいいの?」
絵里「金額の問題じゃない。これは命にかかわることなの」
絵里「このお金を諦めたところで、今までのカモからせしめた貯えがたっぷりあるじゃない」
絵里「どことどこの口座に入ってるかまで全部知ってるわよ? このこと東條組に連絡しようかしら」 ことり「……」
絵里「そんなに唇尖らしても、駄目なものは駄目だから」
ことり「……わかったよぅ」
絵里「よろしい。それじゃパスポート取りに行きましょうか」
ことり「へ? でもまだ海未ちゃん帰ってないって」
だから海未には知られずにやりたいんだってば。
絵里「問題ないわ。私海未から合鍵もらってるの」
ことり「えー…先に言ってよ」 ・
・
・
絵里「急いであがって。もたもたしないで」
ことり「暗いんだもん。電気点けようよ」
絵里「万一のためよ。靴も手に持って」
ことり「絵里ちゃん気にし過ぎ」
絵里「あなたはもっと気にしなさい」
ことり「ええと、それで私の部屋って」
絵里「ここよ。そういえば一週間で出ていったんだっけ」 パスポートは思いのほか簡単に見つかった。
ことりの部屋で、海未が段ボール保管していた彼女の私物詰め合わせ。
色とりどりの下着の山の底から出てきたそれを私は取り上げた。
絵里「これは100万と交換」
絵里「あと服替えた方がいいわね」
ことり「えー? このワンピースお気に入りで」
絵里「目立つのよそれ。幸いここには着替えあるし」
絵里「私お手洗い行ってくるから。それまでに着替えといて」 ―
―――
絵里「ふぅ」
絵里「……」
どうしよう、真っ暗だ。怖い。
狭い空間で真っ暗は勘弁してほしい。
明かりをつけるなと言った手前、自分で破るわけにはいかないし。
落ち着きなさい、ちょっとだけ扉を開けておけばいいのよ。
そう、ちょっとだけ……
「ただいまです」
絵里「!?」
心臓と膀胱が飛び上がった。 扉の透間から眩い明かりが差し込み、すぐに閉ざされる。
「こういうの、ぴっちりしてないと落ち着かないんですよねぇ」
海未だ…!嘘でしょ、このタイミングで…!
「……これって一種の病気だったりするんですかね」
どうしよう…!いっそのこと出ていって正直に事情を――ダメだ。
今の海未にことりを会わせるわけにはいかない。会わせたくない。
じゃあどうするの?私たちが見つからず、家主だけをここから追い払う方法なんて……。
閃いた。
私は震える手でスマホを取り出し電話帳を呼び出す。
こうなれば一か八か―― 「………はい、園田です」
絵里「もしもし海未? あなた今すぐ出てこれない? いつものお店でご飯食べましょうよ」
「構いませんけど。今帰ったばかりなので、少し時間を」
絵里「すぐ来てほしいのよ。大事な話があって」
「あの、さっきからなぜ小声なのですか」
絵里「ああこれ? これはね……ほら仕事中。分かるでしょ」
嘘は言ってない。
「ではそれが片付いてからにしましょうよ。うちに来てもらえれば、私が何か作りますよ」
もう来てるんだって。
絵里「いや、ホントにね? 大事な話なのよ。今すぐ来て?」
「大事大事って、何なんですか一体」
絵里「……」
絵里「ことりちゃんのことよ。今日街で偶然会ったの」
禁断のジョーカーを切ってしまった。効果は言わずもがな。
扉の前を大わらわで駆けていく足音に、私は胸をなでおろしつつ、その内で謝罪した。 【3月15日(金) 20:35 東條組事務所前】
ことり「さっきは危なかったね〜」
絵里「……これからもっと危ない橋を渡るのよ」
一難去ってまた一難。
次はヤクザの事務所にこのアタッシュケースを返してこないと。
車中で仕事道具の一つ、変装用の衣装に着替えた私は、バイク便の配達に成りすます。
ていうかことりは何でワンピースのままなのよ。
ことり「だって〜海未ちゃんのくれたお洋服、どれもセンス無くて」 ことり「そこまで言うなら後で絵里ちゃんが買ってくれるんだよね?新しいの」
絵里「なんでそうなるのよ」
ことり「100万円あげたでしょ」
絵里「まだもらってないんだけど」
ことり「ねえ、ほんっとに返しちゃうの?」
ことり「2000万だよ? 今からでも考えなおそ? ねぇ〜おねがぁい」
絵里「……そうやっておっぱい当てても無駄よ。ドケチ」
100万で命が買えるなら安いものだって、誰かこの子に教えてあげて。
さてと――これから100万で虎穴に飛び込もうとしてるのは誰だっけ? ・
・
・
『8階です』
片方の靴を脱いで扉に噛ませつつ、エレベーターから降りた私は足音を忍ばせる。
今時絵に描いたような平屋の事務所に看板掲げてるヤクザなんてまずいない。
雑居ビルの最上階、東條商事(株)のオフィスへ通じる廊下をそろそろと進んでいく。
「うぅ…こんなことになるんて…もうおしまいにゃあ」
「リンちゃん…こういう時どうすればいいか、わかるよね?」
曲がり角の先から漏れ聞こえる不吉な音色。
ひょっとして“お取込み中”だったりするわけ?
もうこんな恐ろしいトコ一秒だっていられない。ケースをそっと壁に立てかけ、踵を返すと
「誰よアナタ」
反対側のドアから出てきたばかりのヤクザと鉢合わせした。 絵里「あっ…」
「あ?」
絵里「ば、バイク便でーす」
「………」
「チッ、誰よこんな時に」
「ちょっと待ってて。お金取ってくるから」
チャンス!
ヤクザが事務所の方へ向かった途端、とっくに震えっ放しだったこの両足は出口めがけてランランランナウェイ。
「あ、待ちなさい!」
誰が待つもんですかぁぁぁ――!
待機していたエレベーターの扉に滑り込むと、つっかえ代わりの靴を引き抜き、閉ボタンを連打。
間一髪、熟れ過ぎたトマトみたく真っ赤な顔したヤクザの目と鼻の先で扉は閉鎖し、ゆっくりと下降を始めた。
でも跳ね上がった心拍数の方は一向に下がる気配はなくて――。
絵里「はぁー……割に合わない仕事」 【3月15日(金) 21:15 某駅ガード下】
絵里「九十一…九十二…九十三…」
ことり「数えなくてもちゃんとあるよぅ」
絵里「九十八…九十九…百っと」
絵里「オーケー、確認がとれたからパスポートを返します」
ことり「やった♡」
絵里「とりあえず今夜中に東京を出た方がいいわ。新幹線の切符を買って大阪あたりへ…」
ことり「あ、大丈夫。あとは私一人でやれるから」
絵里「あそう…? でも報酬貰った手前、最後まで」
ことり「口止め料でしょ?それ」
絵里「……本当に一人で大丈夫なのね?」
ことり「うん」
絵里「そ、じゃあ気を付けて」
ことり「絵里ちゃん」
ことり「最初から、それが目的だったんだよね?」 絵里「……何が?」
ことり「お金」
ことり「海未ちゃんの気持ちがどうこう言ってたけど」
ことり「私のことあれだけ調べたのも」
ことり「突然押し掛けた私を事務所に入れてくれたのも」
ことり「全部お金の匂いがしたから…じゃないかなって」
絵里「フッ…」
ことり「違うの? じゃあ、どうして?」 絵里「海未は高校時代からの親友よ」
ことり「それだけで私のこと、あそこまで調べたの? まさかぁ」
ことり「人探すのってお金かかるって言ったの、絵里ちゃんだよ?」
絵里「……」
絵里「あなたには分からないわよ」 ことり「分かるよ」
ことり「だったら、何で警察行かなかったの?」
絵里「だから……大事にしたら海未にあなたのことがバレるって」
ことり「違うよね?」
ことり「いつかことりのこと脅して、お金取っちゃおうって、思ってたんだよね?」
絵里「……悲しいわね」
ことり「?…♪」
絵里「あなたみたいな女の子の考えることって」
ことり「人間の考えることは――じゃない?」 ことり「クスクス――別に隠さなくていいですよ。私が絵里ちゃんでもそうするもん」
絵里「私があなただったら自殺してるわ」
ことり「………ことりは、嫌いじゃないよ? 絵里ちゃんみたいな人」
そう言い残して、夜の雑踏へと消えていく背中を見つめながら、
私はなんだか無性に海未に会いたくなった。
格好付けては見たものの、本質的に私とことりは近しいところにいる。
でも海未は違う。 三十路になっても尚ピュアで人を信じる心を失ってない。
それって凄いことだと思うの。
あの子の存在に私は励まされている。
この世もまだまだ捨てたモノじゃないって思わせてくれるの。
そんなわけで―― 【3月15日(金) 21:50 レストラン“ウエストツリー”】
絵里「お待た」
海未「遅いですよ! 待ちくたびれましたよもう」
結局二時間近く待たせてしまった親友の前にバツの悪い笑顔を作る私。
ホント、律儀よねぇ。ささくれだったエリチカハートもこれには感激。
さて、後は彼女のことりへの未練をすっぱり断ち切ってあげなきゃ。
絵里「あのね。ことりちゃん、結婚するんですって」
この一言で海未はすっかり最終回の矢吹丈モード。……ピュアすぎるのも考え物ね。
よし、ここは軟派な私の出番。親友のために一肌脱ぐとしましょう。
絵里「ねえあなた、お一人さま?」
雪穂「へ…?」 絵里「へえ、雪穂ちゃんっていうんだ。よろしくね」
雪穂「はい、こちらこそ」
秒で釣れたのは、地味目だけど目鼻立ちの整った、でもどこか陰を感じさせる女の子。
言うなれば――薄幸美人って雰囲気?
やだやだ、何勝手に失礼なこと考えてるのかしら。
今夜はパーッと明るくいこうって決めたのに。
……それに何だかあの二人、お似合いな気がするのよね。
絵里「あ……」
なんて、恋のキューピット気分でいた私の視界の端に飛び込んできたのは、
入店するなり店内をもの凄い目つきで見渡すさっきのヤクザとその子分たち――。
絵里「ごめんなさい。私、ちょっとお手洗い行ってくる」 不味い不味い不味い――!
どうしてこの場所が――後を尾けられた?
いや、それはない。尾行の確認は何度もした。
とするとまさか……いえ、そんなことより今は――。
こんな時に限って、個室トイレはどちらも使用中。
うわあああああこっち来ちゃう!
かくなるうえは――― 私は呼吸を止め、ぴったりと壁に張り付いて一体化する。
私は壁。壁は私。ウォール・アヤセ、ここに爆誕。
やって来たトマトヤクザは鼻息も荒く私の横を素通りし、鍵のかかった個室のノブをガチャガチャ。
よし、狙い通り…! あとはこのままやり過ごせば……。
「あなたね、ヤクザ舐めてると長生きしないわよ?」
絵里「……はい」
五分後、私はヤクザの運転するワンボックスカーの中で、下着姿で正座させられていた。
四方をウォール・ヤクザに囲われ、声を出すことも叶わずお店から連行された三分前の私。
何とか眼力だけで親友とそのつがい候補の背にSOSを送るも、
こちらはこちらで何やら深刻なムードに突入しようとしている二人は気付かない。
あ、これ終わった。エリチカ一巻の終わり。
「……はい…はい…何でもことりとかいう女の子に頼まれたとか騙されたとか、意味不明なこと言ってます」
「はい……100万円、ピン札で持ってました………はい、わかりました」
「リンちゃん、このまま事務所まで走らせて」
「りょーかいかよちん!」 絵里「あの、もうちょっと説め」
「口を閉じていてください」
ギロリと、かよちんと呼ばれたメガネヤクザに鋭い眼光で射貫かれる。
かよちん「事務所で組長が直接聞くそうですから」
絵里「あ、あの、せめて服を」
かよちん「ダメですよ」
かよちん「いざあなたをバラす段になって服を脱がせるの、面倒じゃないですか」
かよちん「普通に考えれば分かりますよね?」
……さようなら、お父さま、お母さま、アリサ。エリチカは今夜遠くへ旅立ちます。
そんな悲壮な覚悟に応えるように、没収された私の携帯が鳴り始めたの。 かよちん「園田……誰ですか?」
絵里「と、友達です…」
かよちん「……出てください。ただし下手なことを喋れば」
震える手で携帯を受け取る。
絵里「もしもし?」
『絵里!トイレにもいないし、今どこですか?』
絵里「どこって……急に仕事入っちゃったのよ」
『はあ? 彼女はどうするんですか』
絵里「どうって……あなた、うまくやりなさいよ」
『絵里、あなたまた余計なお節介を』
絵里「ちょっともう切るわよ。頑張りなさいよ、せっかくのチャンスなんだから」
これ以上話してボロが出てしまう前に、一方的に会話を終了させた。
本当は助けを求めたかったけど、あなたを巻き込むわけにはいかないもの。
さようなら海未……。 かよちん「チャンスって何ですか」
絵里「へ…?」
「あからさまに怪しかったわね、今の会話」
「リンたちの前で堂々と、いい度胸してるにゃー」
絵里「え、いや、そんな、かっ、関係ないにゅ!、」
もういやあああ何なのよこの人たち怖いいい痛ぁっ?
狼狽する私の様をひとしきり楽しんだかよちんは、正座中の膝をぴしゃりと叩いて薄く笑った。
かよちん「ま、頑張ってください」
かよちん「もしかしたらチャンスがあるかもしれませんよ? 命懸けで説明すれば」
絵里「………頑張ります」
ワンボックスは、地獄へと続く幹線道路をひた走る。
私の長い夜も続く。むしろここからが始まりだったのよ。 ・
・
・
この日、私の部屋のドアは3回開きました……
途中退室厳禁、この映画は三度始まる。
続きは内田けんじ監督作「運命じゃない人」で! というわけで予告編はここまで
先週のカメ止め放映でこの映画のことを思い出したのですが
原作の脚本や構成が緻密過ぎて、後半になると遊びやアレンジを入れる余地がほとんどなく書くのが辛くなり
筋をなぞるくらいなら原作を観た方が早いと思うので
この続きは是非各々レンタルなどで確かめてもらいたいです
最後に海未ちゃん誕生日おめでとう 軽い気持ちで開いたら長編過ぎるだろw
ゆっくり読ませてもらいます すみません
何か最後まで書けそうなので、恥を忍んで投下していきます… 【3月16日(土) 00:40 東條組事務所】
リン「……」
絵里「……」
リン「なにガン飛ばしてんの?」
飛ばしてないです……。
『お掛けになった電話は、現在電波の届かない所か――』
かよちん「…………チッ」 かよちん「で、何か思い付きました?」
絵里「へあっ?」
かよちん「言い訳ですよ」
絵里「……いや」
かよちん「もっと必死になったらどうです?命懸ってるんだから」
リン「そうにゃそうにゃ」
絵里「あのっ」
かよちん「何度言わせるんですか。口は閉じて」
かよちん「組長が来てからです。今は大人しく震えててください」
絵里「………」 ・
・
・
あれから何時間経ったのかしら……。
時間の感覚も足の感覚もとっくに無くなっていた。
同じように痺れ切った脳細胞では上手い言い訳も思いつかない。
嗚呼、どうしてこんなことになっちゃったんだろ。
あんな女に関わったばかりに――。
リン「ごくろーさまですッッッ」
仰々しい歓待と共に事務所に入ってきた人物の顔に、私は目を剥いた。
レイバンのサングラスに派手な紫シャツと白いスーツ。
噂の東條組長だ。
そしてその隣で俯いてるのは、
ことり「……」
えぇ…あなたも捕まっちゃったわけ? え、なんかもうピンクにまとめられてるよ?
レス0だけどもう追加のらないよ? 一体何がどうなってるのよ?
困惑もそこそこに、私はことりと一緒に組長室のソファに投げ出された。
東條組長は何やら見覚えのある封筒から取り出したお札を子分に渡している。
あ、それ私の100万円……。
希「ご苦労さま。これでご飯でも食べてきて」
リン「やったぁ!駅前のラーメン行っくにゃー」
かよちん「GOHAN-YA一択ですっ」
「フレンチがいいんだけどー」 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています