海未(30)「運命じゃない人」
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【3月15日(金) 21:50 繁華街】
皆さん初めまして、高坂雪穂といいます。
訳あって一人、夜の街を彷徨ってます。
荷物はボストンバッグが一つだけ。
財布もありません。
ここ一年ほど住んでた部屋から、ほとんど着の身着のまま飛び出してきちゃったので。
それもこれも全部あの最低浮気ヤローのせいなんです。
ヤローっていっても女だけど。
ああもうホント腹立つ! さっき質店で、あいつから貰った指輪を換金してやったら、
信じられないことに鑑定額なんと3000円。
ショックで思わずそれがエンゲージリングだってことを漏らすと、
赤毛の店主は毛先をくるくる弄りながら、素っ気なく500円オマケしてくれました。
3500円(情込)
これが今の私の全財産、とほほ。
これからどうしようかな……。
そういえば朝から何も食べてないや。 【3月15日(金) 22:00 レストラン“ウエストツリー”】
「いらっしゃいませ。何名様?」
お店に入ると赤毛のウェイトレスが無愛想に尋ねてきたから「お一人さま」って。
そうだよ、私はこれからもずっとずーっとお独りさまだい。
もう誰も信じない。
そもそも自分の幸せを他人に託そうなんてバカだったんだよね。
あいつのことなんか、ここで3500円分お腹に収めてきれいさっぱり消化してやる!
でも現実問題この後を考えるとお金を使い切ちゃうのはまずいので、何か一品頼むだけにしとこう。
さて、今晩はどこに泊まればいいのやら。
やっぱりカプセルホテル探すしかないのかな……はあ。
「でさー」
「マジウケるんですけど」
「ナンパいきましょうか」
「きゃははっ」
週末の店内は大勢の客で賑わっていて。
そこかしこで飛び交う会話に耳を傾けてると、
なんだか知らない星に一人ぼっちでいるみたいな気分になっちゃった。
だって、ここにはたくさん人がいるけど。
誰も私のことを見ないし、私も誰かを見たりしないし。
それでいいんです、私は一人で生きていくんだもん。
寂しくなんかないもーん。
……ぐすっ
「ねえあなた、お一人さま?」
へ…?
「デートの待ち合わせだったりとか、する?」
……違いますけど。
「じゃあこっちのテーブルで一緒にご飯食べない?」
「あ、嫌だったら別にいいのよ。でもほら、食事って人数多い方が楽しいじゃない? それで」
食べます!!! ちょっと元カノに似てるその人の不思議な提案を、私は食い気味に承諾しちゃった。
「ハラショー!よかった」って悪戯っぽく微笑むその口元が、
やっぱり彼女に似てるなあとか思って。
認めなきゃ。今夜の私は、やっぱり寂しかったんだ。
誰かのそばにいて、話を聞いてもらいたかったんだ。
「へえ、雪穂ちゃんっていうんだ。よろしくね」
「私は絢瀬絵里。友達はよくエリーって呼ぶわ」
こうして今夜の私は、おひとり様ではなくなった。
めでたしめでたし? 【3月15日(金) 17:00 ニシキノ商事(株)オフィス】
皆さまお初にお目にかかります。私、園田海未と申します。
どこにでもいるごく普通のOLです。
突然ですが、本日めでたく30歳の誕生日を迎えた私には
生まれてこの方ずっと抱え続けてきた悩みがあります。
穂乃果「海未ちゃんてさぁ、お城みたいなマンションに住んでるんだってね」
海未「ええ…まぁ」
穂乃果「同期のよしみでお願いがあるんだけど。明日さ、部屋貸してくんない?」
海未「ええ…えぇ〜?」
人からの頼み事を、きっぱり断れないのです。 なんでも同僚の高坂さんは最近気になってた方と明日初デートらしく。
その別れ際に「実は近くにマンション持ってるんだけど、あがってく?」
などと一昔前のトレンディドラマめいたキザな誘い文句をさらっと言うのが夢だったそうで。
穂乃果「いや〜悪いね? 海未ちゃんがいい人で助かったよ♪」
結局、今回も私は彼女の強引な拝み倒しを振り切れず、
ランチ(パック)奢りと引き換えに部屋を貸すことを承諾してしまったのでした。
決して悪い人ではないんですけどねぇ。少々無神経で厚かましいところを除けば。
穂乃果「じゃ、明日の朝8時にお邪魔するね」
海未「は、8時ですか?」
穂乃果「言ってなかったっけ。その人、ナースなんだよ」
穂乃果「夜勤明けに会う約束なの。てことで、それまでに退去よろしくー」
えぇ…そんな無茶苦茶な。 はあ、またこのパターンです。押しに弱い私。
生来の内気さが災いし、幼少の頃より人付き合いを不得手としてきた私の人格は、
気が付けば現在の気質に固定されていました。
人の頼みを断らなければ、みんなに頼られる。
頼られる人間になれば、みんなに好いてもらえるかもしれない、と。
他人に嫌われたくない。
関わる人たち全員と良き関係でいたい。
でも便利な人扱いされるのもやっぱり癪で。
ああ、ダメな私……絵に描いたような八方美人ですね。
そんな私の煮え切らなさに愛想を尽かして、彼女は出ていってしまったのかもしれません。 私の人生で、初めて私のことを損得抜きで好きだと言ってくれた貴女。
あのマンションだって、貴女と一緒に暮らすために購入したものなのに。
貴女の部屋。毎週掃除して空けてあります。
貴女の荷物も。段ボール箱にまとめて部屋に置いてあるんです。
一度だけ、たった一度でいいので、戻ってきて話をしてくれないでしょうか……。 【3月15日(金) 20:00 マンション】
海未「ただいまです」
返事はないと分かっていても、つい言ってしまいます。
廊下の電気を点けると、お手洗いの扉が僅かに開いていたので閉め直します。
海未「こういうの、ぴっちりしてないと落ち着かないんですよねぇ」
自分の空間では、すべてのものが定位置に収まっていなければ。
玄関のサンダルの位置も微妙に曲がっていたので調整です。
朝出るときにぶつかってズレたのでしょう。
海未「……これって一種の病気だったりするんですかね」
孤独で頭がおかしくならないよう、意識して独り言を呟きながらリビングに足を踏み入れた直後、
仕事以外では滅多に鳴らない私のスマホが振動しました。 電話…!もしかすると彼女から…!
【着信:絢瀬絵里】
淡い期待は儚くも迅速に打ち砕かれました。
絢瀬絵里。私の、多分唯一対等に付き合ってくれる友人。
かけがえのない存在ではあるのですが。
海未「………はい、園田です」
『もしもし海未? あなた今すぐ出てこれない? いつものお店でご飯食べましょうよ』 海未「構いませんけど。今帰ったばかりなので、少し時間を」
『すぐ来てほしいのよ。大事な話があって』
海未「あの、さっきからなぜ小声なのですか」
『ああこれ? これはね……ほら仕事中。分かるでしょ』
海未「ではそれが片付いてからにしましょうよ。うちに来てもらえれば、私が何か作りますよ」
『いや、ホントにね? 大事な話なのよ。今すぐ来て?』
海未「大事大事って、何なんですか一体」
しばしの沈黙。
『ことりちゃんのことよ。今日街で偶然会ったの』
次の瞬間、私は弾かれた様に部屋を飛び出し、一目散に地下の駐輪場へ駆け込んでいました。 【3月15日(金) 21:50 レストラン“ウエストツリー”】
絵里「お待た」
海未「遅いですよ! 待ちくたびれましたよもう」
結局、たっぷり二時間近く経ってから彼女は現れました。
絵里「ごめんなさい、思いのほか長引いちゃって。奢るから許して?」
絵里「今まで何も頼まなかったの? さすが海未ね」
絵里「さーて何食べようかしら。あ、これ美味しそう!この前本で見たんだけどね」
海未「あの…本題、忘れてませんか?」
絵里「え? あうん、大丈夫、ちゃんと覚えてるわよ」
絵里「あのね。ことりちゃん、結婚するんですって」 その後、がっくり肩を落としてもぞもぞ食事を口に運ぶ私の様子に耐え兼ねたのでしょうか。
愛に生きるナンパ妖怪ハラショー女は、忠告という名の恋愛講釈を延々垂れ始めました。
曰く「いつまでも出ていった子のことなんか引きずらないで切り替えなさい」
「この前セッティングしてあげたレズコンで、どうして誰とも電話番号やLINE交換しなかったの」
「かよちゃんだっけ? 大人しくていい人そうですねって気に入ってた子いたじゃない」
「訊くタイミングが無かった? そんなもの自分が作るのよ」
「只でさえ私たちは日陰者なんだから、アプリでも何でも使えるものは全部使って出会いを探さなきゃ」
「三十過ぎたら『街角で運命の出会い』とか『自然に出会って』とか一切ないからね?」
「危機感を持ちなさいよ。きっかけを自分から作らないと、あなた一生ずーっと一人ぼっちのままよ?」 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています